2014/08/10 - 2014/08/15
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■夏の車旅、広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
≪夏の車旅、旅行5日目≫
▼清水寺/京都府京都市東山区
▼金閣寺/京都府京都市北区
▼愛宕念仏寺/京都府京都市右京区
▼渡月橋/京都府京都市の桂川
▼古法華自然公園/兵庫県加西市西長町
▼姫路城(通過)/兵庫県姫路市本町
▼播州赤穂駅前H泊
≪夏の車旅、旅行6日目≫
▼赤穂城/兵庫県赤穂市加里屋
▼大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
▼山陽自動車道「吉備SA」/岡山県岡山市北区
▼世羅高原農場/広島県世羅郡世羅町
▼帰宅
◆清水寺/京都府京都市東山区
清水寺は、京都東山の音羽山の中腹に建つ歴史ある寺院です。創建は平安京遷都よりも古く延鎮上人により宝亀9年(778年)に開山されたと伝えられています。
清水寺は始め「北観音寺」と呼ばれていましたが、境内にわき出る清水が観音信仰の黄金延命水として神聖化され、一般にも清めの水として「清水」が知られるようになり、後に名称を「清水寺」に改められました。
そんな清水寺の由来となった清水が、現在でも「音羽の滝」の名水として、観光客に親しまれています。
清水寺の一番の見所は「清水の舞台」で有名な本堂です。崖下からの高さは18mあり、舞台からは京都市内が一望できます。
清水寺は東大路通りから約1kmの清水坂を上った音羽山の中腹にあり、清水坂は多くの土産物店でにぎわっています。
清水坂の途中には産寧坂や二年坂が接し、京都の一大観光スポットを形成しています。
国宝:本堂、重要文化財:仁王門、三重塔、鐘楼など
1994年ユネスコ(UNESCO)世界遺産登録
▼「清水の舞台から…」 無茶な飛び降り、実は願掛け
京の街並みを望む本堂が「清水の舞台」として特に有名で、「清水の舞台から飛び降りる」というのが思い切った決断を意味するのはご存じの通り。
なぜこのことわざが広まったのだろうか。由来や時代背景を調べた。
舞台は山の斜面にせり出すように建てられ、先端部は地上から約12メートル。4階建てのビルに相当する。
地上から見上げると、整然と組まれた木の柱の迫力もあり、目もくらむような高さに感じる。
「江戸時代、ここから234人が飛び降りました」。清水寺の学芸員、坂井輝久さんが淡々と話す内容に思わずハッとした。
「清水寺成就院日記」という文献に詳しい。成就院は財務や対外交渉を担当した塔頭(たっちゅう)で、その業務日誌というべき史料だ。1990年代に同寺の蔵の床下から偶然発見された。
江戸時代の1694年から1864年のうち、欠落部を除く148年分の記録が残る。成就院は境内の事故を町奉行に報告する義務も負い、飛び降りた人の年齢や性別、居住地、動機などを詳細に調査、記録した。
それによると、全体での死亡者は34人で生存率は約85%。不謹慎だが、意外と亡くならないものだな、と思ってしまった。
「当時は舞台の下に木々が多く茂り、地面も軟らかな土でした。今ならこうはいきませんよ」。坂井さんが見透かしたように言う。現在は舞台の下は硬そうな土。木々もまばらだ。
重要なのが飛び降りの動機。「観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり願いがかなうという民間信仰からです」と坂井さん。
「成就院日記」にも、動機として「自分の病気の治癒」「母の眼病」「暇がほしい」などと記されている。決して自殺願望からではなく、あつい信仰心からだったのだ。
気になったのが若者の比率の高さ。年齢が分かる170人のうち、10、20代で7割以上を占める。
若者らしい純粋な気持ちからか、これくらいの高さで死ぬものかという向こう見ずな気持ちからか。最も若いのが12歳で、やはり助かっている。
飛び降りの風習は1872年(明治5年)に京都府が禁止令を出し、次第に沈静化。舞台の周りには防止用の竹矢来が組まれた。清水寺は778年の創建と伝わるが、江戸以前の飛び降りの記録は見当たらない。
何度も火災を経験し、現在の舞台は1633年に徳川家光の寄進で完成。願を掛けて飛び降りる民間信仰は、江戸期に最も盛んだったと考えるのが自然だ。 〜日本経済新聞より引用
【手記】
今回は(も)老体にムチ打って、広島から備中高松・福井・金沢・城端・能登半島・井波・富山・北アルプス方面(白馬岩岳ゆり園・松本市・飛騨高山)・郡上八幡・京都・赤穂・世羅高原などをウロチョロして参りました。
夏以降、直近の旅行記を優先してアップしていましたので「夏の車旅・京都編」があとまわしになって、いつのまにか忘却の彼方へー^^。旅行時期が前後しますが、ご容赦のほど。あと4ファイルほど残っています。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
-
■夏の車旅 旅行5日目
・広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
前日は大津市のH泊、旅行5日目は「京都清水寺・金閣寺・愛宕念仏寺」と言ったところを巡りました。 写真は神宮通り、平安神宮の大鳥居です。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通 懐かしい、6年ぶりだ。
清水寺は、京都東山の音羽山の中腹に建つ歴史ある寺院です。創建は平安京遷都よりも古く延鎮上人により宝亀9年(778年)に開山されたと伝えられています。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通
清水寺は始め「北観音寺」と呼ばれていましたが、境内にわき出る清水が観音信仰の黄金延命水として神聖化され、一般にも清めの水として「清水」が知られるようになり、後に名称を「清水寺」に改められました。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通
そんな清水寺の由来となった清水が、現在でも「音羽の滝」の名水として、観光客に親しまれています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通
清水寺の一番の見所は「清水の舞台」で有名な本堂です。崖下からの高さは18mあり、舞台からは京都市内が一望できます。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通
清水寺は東大路通りから約1kmの清水坂を上った音羽山の中腹にあり、清水坂は多くの土産物店でにぎわっています。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通
清水坂の途中には産寧坂や二年坂が接し、京都の一大観光スポットを形成しています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・仁王門(におうもん)
応仁の乱(1467〜1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003)に解体修理されました。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・仁王門(におうもん)
清水寺の正門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・西門(さいもん) 後方は修復中の三重塔
現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。もとの創建時期は分かっていませんが、史書「帝王編年記」など鎌倉時代の文献に見えるので、おそらく浄土教が流行した平安時代末期にはできていたと推測されています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・随求堂(ずいぐどう)
塔頭慈心院(たっちゅうじしんいん)の本堂で、享保3年(1718)の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・中興堂(右)
清水寺の中興開山大西良慶和上(おおにしりょうけいわじょう)の御霊屋。
・春日社(左) 成就院参道に建つ小さな社。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・経堂(きょうどう)
寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理され、西門、三重塔とあわせて美しい丹塗りの建物が続きます。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・開山堂(かいさんどう)
三間四方、入母屋造り、檜皮葺。現在の建物は寛永10年(1633)の再建で、平成18年(2006)に修復されたもの。繧繝(うんげん)彩色という手法が施され、丹塗りの柱と屋根をつなぐ組み物は、朱や緑など五色で彩られています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂「出世大黒天像
本堂外陣の西側で、ニコニコ顔で参拝者を迎えてくれるのは出世大黒天像。大きな黒頭巾と、左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿は、中世以降に固まった大黒さんのスタイルです。
平成20年(2008)に修復され、見事な室町時代の姿が甦りました。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
「清水の舞台から…」 無茶な飛び降り、実は願掛け
京の街並みを望む本堂が「清水の舞台」として特に有名で、「清水の舞台から飛び降りる」というのが思い切った決断を意味するのはご存じの通り。
なぜこのことわざが広まったのだろうか。由来や時代背景を調べた。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
舞台は山の斜面にせり出すように建てられ、先端部は地上から約12メートル。4階建てのビルに相当する。
地上から見上げると、整然と組まれた木の柱の迫力もあり、目もくらむような高さに感じる。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂
「江戸時代、ここから234人が飛び降りました」。清水寺の学芸員、坂井輝久さんが淡々と話す内容に思わずハッとした。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂
「清水寺成就院日記」という文献に詳しい。成就院は財務や対外交渉を担当した塔頭(たっちゅう)で、その業務日誌というべき史料だ。1990年代に同寺の蔵の床下から偶然発見された。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂
江戸時代の1694年から1864年のうち、欠落部を除く148年分の記録が残る。成就院は境内の事故を町奉行に報告する義務も負い、飛び降りた人の年齢や性別、居住地、動機などを詳細に調査、記録した。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
重要なのが飛び降りの動機。
それによると、全体での死亡者は34人で生存率は約85%。不謹慎だが、意外と亡くならないものだな、と思ってしまった。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
「当時は舞台の下に木々が多く茂り、地面も軟らかな土でした。今ならこうはいきませんよ」。坂井さんが見透かしたように言う。現在は舞台の下は硬そうな土。木々もまばらだ。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
「観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり願いがかなうという民間信仰からです」と坂井さん。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
「成就院日記」にも、動機として「自分の病気の治癒」「母の眼病」「暇がほしい」などと記されている。決して自殺願望からではなく、あつい信仰心からだったのだ。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
気になったのが若者の比率の高さ。年齢が分かる170人のうち、10、20代で7割以上を占める。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
若者らしい純粋な気持ちからか、これくらいの高さで死ぬものかという向こう見ずな気持ちからか。最も若いのが12歳で、やはり助かっている。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
飛び降りの風習は1872年(明治5年)に京都府が禁止令を出し、次第に沈静化。舞台の周りには防止用の竹矢来が組まれた。清水寺は778年の創建と伝わるが、江戸以前の飛び降りの記録は見当たらない。
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▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
何度も火災を経験し、現在の舞台は1633年に徳川家光の寄進で完成。願を掛けて飛び降りる民間信仰は、江戸期に最も盛んだったと考えるのが自然だ。 〜日本経済新聞より引用 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・地主神社
地主神社は清水寺本殿のすぐ北側にある、縁結びの神として有名な神社です。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・地主神社 恋愛成就 良縁達成
地主神社の創建年代は神代(かみよ:日本の建国以前)とされ、近年の研究により「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが確認されました。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・地主神社
また、周囲が湖であった時代にも、地主神社の境内地は島となっており、不老長寿の霊山「蓬莱山(宝来山)」 あるいは、「蓬莱の島」として信仰をあつめていました。地主神社の東隣下の崖には今も 「船着き場」の跡が残っています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・地主神社
縁むすびの神さま大国主命を主祭神として、その父母神、素戔嗚命(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、さらに奇稲田姫命の父母神、足摩乳命(あしなずちのみこと)・手摩乳命(てなずちのみこと)を正殿に祭祀。三代続きの神々をお祀りしていることから、子授け安産の信仰も集めています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・地主神社 栗光稲荷
商売繁盛・家内安全・開運招福の守り神として厚い信仰を集めています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・地主神社 地主大権現 縁結びの神様 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・地主神社 恋占いの石 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・地主神社 撫で大国さん
撫でる箇所によって、良縁・受験必勝・安産・商売繁盛・勝運・交通安全など、それぞれのご利益がいただけます。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・子安塔(こやすのとう)
子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていません。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・子安塔(こやすのとう)
高さ約15メートル、檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・子安塔(こやすのとう)
平成25年(2013)に修復が完了し、建立当時の鮮やかな朱塗りの塔がよみがえりました。写真は2005年8月1日に妻が撮ったものです。想い出さがしの旅を続けております。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・子安塔(こやすのとう)
前の林にスズメがいました。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
音羽の瀧から見上げる。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
-
▼清水寺/京都府京都市東山区
・音羽の瀧 本堂清水の舞台から望む
本堂の下、音羽山の山腹から滾々とわき出ている清水が、清水寺の由来となった「音羽の滝」です。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・音羽の瀧
こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・音羽の瀧
3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・音羽の瀧
開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・本堂 清水の舞台
崖下からの高さは18m -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・アテルイ・モレの碑
石碑に刻まれているのは、現在の岩手県奥州市地域を本拠地とした蝦夷(えみし)の首長・阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の名前です。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通
ガラガラガラ〜 お店でシャッターの開く音がしています。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通
清水寺は6年ぶりの訪問でした。 -
▼清水寺/京都府京都市東山区
・松原通
外国の団体客のようです。観光客が多くなってきました。
THE END. 金閣寺へつづく・・・
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