2014/06/04 - 2023/09/04
5位(同エリア19件中)
砂布巾さん
1944年6月10日 抹殺された村~オラドゥールの悲劇(フランス)
上陸作戦4日後の6月10日、ドイツ軍はうち続く敗北の腹いせとオラドゥール・シュル・ヴェイル村で分遣隊指揮官が誘拐された報復で、オラドゥール・シュル・グラヌ村(間違えたようだ)を焼き討ちにした。子ども193人を含む642人が犠牲になり、
https://www.youtube.com/watch?v=evMptKoa0EY
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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助かったのは教会の窓から逃げた女性1人だけだったという。何とも痛ましい事件だ。
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このオラドゥール村は現在もそのまま残されている。その村と昨年完成したばかりという記念館を見学した。犠牲者のご冥福をお祈りするしかない。
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村の存在を知ったのは、「映像の世紀⑤ 世界は地獄を見た」の冒頭で紹介されていたから。ガイドブックにも記述がないなど、探すのに苦労した。何冊かの本を調べ、辛うじてリモージュ近郊らしいことだけは分かった。
村への往復は大変だった。第1の誤算は、クレルモン・フェラン(1095年の宗教会議で十字軍遠征が決定)からリモージュまで列車で4時間掛かったこと。距離的には遠くないけど、2両編成の超ローカル路線だから仕方ない。 -
第2の誤算は、リモージュからの交通の便が良くなかったこと。最初タクシーで往復しようかと思ったが、町から出る12:10のバスがあったので、降り始めた大雨の中、4人に聞きながら探すことが出来た。高速道路から畑の中の畦道まで通るなど、ギャップが凄い!
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イチオシ
帰路はリモージュ17:23発に接続するバスはない。時間的余裕が少しあったし、観光客も多いので初めてのヒッチハイク(ポーランド、ルーマニアで車に乗せて頂いた経験はある)に挑戦。40分経過して、そろそろ限界かな、と思っていた頃1台の車が停まってくれた。ルナさんご夫妻は北フランスのリールからリモージュ近郊に来ているそうで、高校で生物を教えている奥さんのアンジェラさんは合気道をやっており、日本語も少し話せた。町中で尋ねて、駅まで送って下さった。村への往復が大変だったけど、車庫からバスに乗せてくれたケント・デリカット似の運転手さん、ルナさんご夫妻に感謝の1日でした。
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この村のことは「失われた土曜日」(内堀稔子著 透土社)、「母と子でみるシリーズオラドールの記憶」(草の根出版会)で紹介されている。(1999年8月18日訪問)
もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693 -
8月19日 感動的な演奏会~ディヌ・リパッティ イン ブザンソン
9時前に出発する列車でクレルモンをあとにする。今日は昨日に比べて出発が遅かったので、朝食もとることが出来た。 -
2度乗り換えて15時過ぎにはブザンソンに到着。ブザンソンに来たかったのはある感動的な演奏会について知っているからだ。その演奏会についてCDの解説書から引用する。
この録音のとくべつに感動させる性質はどんな人でも無感動でいるわけにはいきません。それは1950年9月16日ブザンソンで行われたディヌ・リパッティの最後のコンサートにおいて録音されました。短かったけれども、輝かしかったあの人のキャリアの最終点でした。あの人は2ヶ月後の12月2日に死ぬ運命にあったのです。
大変病気が重かったのに、あの人はブザンソンで演奏するという、この約束、この契約を守りたいと念願していました。主治医が説得して思いとどまらせようとしましたが、むだでした。(中略)
この録音のおかげで、わたしたちはいまあの人の演奏の特質、あの人の思考の誠実さ、あの人の解釈の妥当性を判断することができます。一瞬だけ弱みをみせましたが、何という感動的な一瞬でしたでしょう?あの人にはもはや14曲の円舞曲のうち最後の1曲を弾く力がなかったのです。でも、ショパンでさえそれをゆるしてくれたことでしょう。(後略)
演奏会が行われたというサンデュ・パルルマンは、高等裁判所の中のホールだそうだ。中には入れなかったけど、外からでも見ることが出来たのは良かった。このエピソードは何か生きる勇気を与えてくれる。 -
そしてここで行われた国際指揮者コンクールで金的を射止めた小沢征爾が以後、スターダムの道を歩んだ場所としても忘れられない。
その後は町を見下ろすシタデラへ登って、しばらく散策。夕食はカジノ・レストランでブロシェット。昨日は帰りの列車の中でパンを食べるなど、1回も落ち着いた食事が出来なかったので、良かった。YHは最初バスを探すのに手間取ったけど、町中から比較的近い場所。きれいだし、シングルが90FF(シーツ代込み)は驚異的な値段。 -
*リパッティは最後のワルツ第2番を弾く気力がなく、第1番「華麗なる大円舞曲」を弾いたところで椅子から立ち上がります。しかしそれまでの演奏は生気に満ち溢れ、そんなことは微塵も感じさせません。
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*砂布巾にとってのマイブームは以前のスタジオ録音から第2番を聴き、全14曲を完結させることです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2016/06/17 05:08:59
- オラドゥール村
- 砂布巾さん おはようございます。
私も映像の世紀を見ました。ぜひ行ってみたいと思っていましたところ
砂布巾さんの旅行記に出会いました。そのときは「いいね」だけでコメントは残しませんでしたが。
行きたいと思ってもオラドゥール村へのアクセスはたいへんそうですね。
私にはヒッチハイクはとても無理そうですし、レンタカーも不安です。
タクシーが一番便利そうですが、帰りもタクシーを呼ぶことができるかどうか心配です。 ・・・・一番心配なのはその料金です(笑)
フランスへ行けるかどうかさえ未定なのに欲張りですかね。有名観光地だけでなく心に残る旅も加えたい心境です。
pedaru
- 砂布巾さん からの返信 2016/06/17 15:25:53
- pedaru様 書き込み有難うございます
- そうですね。行くのに苦労しました。でもリモージュで丸1日時間が取れたら大丈夫だと思います。復路のバスもきっとあるでしょうし。バスは30分位は乗っていたと思うので、日本でタクシーを利用するとしたら、下手したら万単位でしょうか? そんな長距離乗ったこともないので、見当もつきません。ヒッチハイクは絶対日本ではしないですけど、やはり「旅の恥は掻き捨て」の精神でしょうか?
ところでオラドゥールは有名になりましたし、チェコのリディツェも良く知られているところですが、イタリアのマルザボットやベラルーシのハティニもあります。何れも「母と子でみる」シリーズからのネタです。きっとわざわざ行く人はいないでしょうね。後者はあまりに強大な像があって、旧ソ連特有のプロパガンダ臭のする所のようですし。
どうしても「消された村」に行きたいということであれば、選択肢の1つとしていかがですか? まあでもやっぱり番組を観たら、そこに行きたくなってしまいますよね。
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