2014/06/03 - 2023/09/04
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砂布巾さん
1944年6月6日 解放の始まり~ノルマンディー上陸作戦(フランス)
「フランス解放の戦いは2つの戦いであった。1つはフランスの国土からドイツ軍を駆逐し、ドイツを敗北に追い込むという軍事的戦いであり、他の1つは、フランス政府を樹立する政治的戦いであった。中央政府を樹立する戦いは、国内的にはドゴール派とレジスタンスとのヘゲモニー争いであり、国際的には自由フランスと連合国との戦いであった。ドイツ占領後期には、この2つの戦いが同時進行する」。(渡辺和行著「ナチ占領下のフランス」 講談社選書メチエ)
ここでは特にアメリカとドゴールの関係を中心に述べていきたい。
憲法上の合法性を重視し、ヴィシー政府を正統と認めるルーズヴェルトにとって、精神的合法性を主張するドゴールの存在は、単に権力を狙う野心家にしか映らなかった。ルーズヴェルトは、敗戦国とみなすフランスを戦後は連合国の軍政下に置き、貨幣もアメリカで鋳造した貨幣を通用させることを考えていた。1943年5月27日には国内の主要レジスタンス組織と政党(レジスタンス側は政党の参加に強く抵抗した)が集まって、全国抵抗評議会(CNR)を結成し、ドゴールがフランス抵抗運動の唯一の指導者であることが確認され、アメリカも政策を若干修正せざるを得なくなったが、1944年春になっても他の人物の擁立を画策していた。ドゴールのアメリカ訪問が実現するのは、ノルマンディー上陸後の6月15日であり、この旅行を通じてアメリカは最終的にフランス共和国臨時政府(1943年6月3日に結成していた国民解放委員会を改組し、翌年6月に成立)が公権力を行使し、貨幣発行の権限を持つことを承認した。つまりこの時点でドゴールはフランス中央政府樹立をめぐる連合国との戦いに勝利した、と言える。
ドゴールとチャーチルの関係も良好ではなく、2000年1月7日の産経新聞によると、1943年5月にはチャーチルが戦時内閣の閣僚に対して、ドゴールを政治指導者からの排除を検討するよう求めている。「レジスタンスの猛反発を招く」という内閣の反対で案は葬られたが、両者の関係が良好でなかった例と言える。
ドゴールのレジスタンスへの理解は必ずしも十分ではなく、両者の壁は時が経つにつれ高くなるばかりだったが、フランスの主張を強硬に、時には傲慢さ丸出しで訴えるドゴールの存在がなかったら、フランスはアメリカの当初の思惑通り敗戦国として扱われていただろう。その意味ではドゴールとレジスタンスの組み合わせは、絶妙だったと言える。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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昨日はロンドンを18:15の列車で出発してフランス、ノルマンディー上陸への出港地であるポーツマスへ向かう。ポーツマス港駅が最終駅だったが、沿岸の島々へ行く港だった。国際ターミナルは更に歩いて30分。チェックインは早めにしたが、人が多く23:15の出港まで落ち着かなかった。出国審査はなく、チェックイン時にパスポートの提示を求められただけ。疲れていたので乗船後は歩き回ることもなく、6:15の到着直前まで寝入る。
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逆方向のバスに乗ってしまうなど、探すのに苦労したYHが満室で、ホテル・サンピエールにチェックインして城壁に登ったら、人が集まって来る。今日が日食であることを思い出した。近くのおばさんが専用メガネをくれ、2時間ばかり天体ショーを堪能。
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「ノルマンディー」の名は、ノルマン人(ヴァイキング)の侵入に悩んだフランス王シャルル3世が首長ロロにこの地を与え、911年に公国を建てさせたのが始まり。1066年には、ノルマンディー公ウィリアムがイギリスを征服(ノルマン・コンケスト)し、ノルマン王朝(1066~1154)が成立する。カーンには、そのウィリアム王、妻マチルダが建てた2つの教会も残っている。
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ノルマンディーが歴史的に重要なのは、1944年6月6日(目抜き通りの名前になっている)に始まった、ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)によってだ。ダンケルク撤退後、態勢を立て直したイギリス、(自由)フランス両軍は、アメリカなども加わった連合国軍を上陸させ、西部戦線が形成され、ドイツは二正面戦争に追い込まれた。
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当時の天候は良好ではなく、ドイツ側は上陸作戦延期と踏んでいた。「…上陸作戦の24時間は決定的なものになるだろう。この日いかんによってドイツの運命は決する。この日こそは、連合軍にとっても、われわれにとっても『一番長い日』になるだろう」と語っていた総司令官のロンメルは、妻の誕生日を祝う目的で帰国していた。
ドイツ軍の圧力を軽くするため一刻も早い第二戦線を待望していたスターリンは、遅れをソ連の消耗を狙って意図的に行ったものと理解し、これが冷戦期の米ソ関係にも影を落とした。意図的かどうかは別に、一部に独ソ共倒れを望む声があったのは事実だ。
12日はゆかりの地を訪ねるツアー(写真)に参加した。予約は前日Inf.で行い、出発は市内から少し離れたメモリアルから。近くのEnglish Tea House でゆっくり朝食をとり、メモリアル到着は出発の1時間半前だったが、第一次大戦からの展示は充実しており、記録映画を観る時間がなかったのが悔やまれる。 -
アメリカ人夫婦2組とフランス人のおじさんの計6人で出発したツアーは、14時に出発し、イギリス人墓地、ドイツ人墓地、アメリカ人墓地、上陸地の1つオマハ・ビーチなどを巡り、予定の4時間を1時間半上回り、帰着した。
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スピルバーグ監督の「プライベートライアン」に登場するアメリカ人墓地には、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約を仲介した、セオドア・ルーズヴェルト大統領の息子の墓もあった。連合国の旗が掲げてあったり、戦争博物館をバイユーなど少なくとも3カ所見掛けるなど、この地の人々にとって上陸作戦が特別なものであることが感じられた。
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他の5人はメモリアルで降りたが、ガイドのお兄さんが市内のホテルまで送ってくれた。チップをあげなかったことを少し後悔。
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2日とも食事は豪勢にいった。初日は定食でムール貝(ソースが上品で美味しかった)とカーン名物‘Tripe a la mode de Caen’を選択、2日目は前日昼食をとったホテルのすぐ隣のレストランへ。せっかく魚のおいしい所に来たので名前に惹かれる‘Fruites de la Mer’(海のフルーツ)にしようかと思ったが、シュークルート(ドイツ風料理)。
カーンでの2日間は、様々な行事があったし、美味しいものをたくさん食べて、前半のハイライトとも言える素晴らしい日々だった。 -
上陸作戦を描いた古典的名作「史上最大の作戦」(原題は‘The Longest Day.’)は、作戦間近を知らせるロンドンBBCの暗号放送をきっかけに、レジスタンスが鉄道や通信施設の破壊など、ドイツ軍への妨害工作のため蜂起する様子、フェリーで上陸したOuistrehamでの攻防戦の様子も描かれている。警戒中の兵士が多くの船を発見した途端に艦砲射撃が始まるシーンやサントメールの戦いで教会の塔に引っ掛かった空軍兵士が死んだふりをしていたシーンなど多くのシーンが印象に残る。
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ルネ・クレマン監督「鉄路の闘い」(1945年 フランス)は、鉄道員のレジスタンス活動に焦点を当てて描いている。「レジスタンス万歳」、「フランス万歳」と書かれた解放後一番列車が走る様子は胸が熱くなる。
同じ頃、太平洋ではアメリカ軍がサイパンに上陸、守備隊3万人が全滅した。 (1999年8月11日~12日訪問) -
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映画「史上最大の作戦」予告編
https://www.youtube.com/watch?v=M6KQ2rlknJc -
関連項目 「ダンケルク撤退」http://4travel.jp/travelogue/10918791
「カサブランカの時代」http://4travel.jp/travelogue/10918747
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第8章 解放の兆し(解放と悲劇)
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