2014/07/23 - 2014/07/23
51位(同エリア129件中)
滝山氏照さん
JR高崎線岡部駅北口から約20分北進、国道17号の北側にある玉龍山・普済寺(ふさいじ、埼玉県深谷市普済寺)は当地を含む隣接地域はかつて当地域を支配していた豪武蔵七党の岡部氏居館にあったと伝えられています。
岡部氏が属する武蔵七党の猪俣党(いのまたとう)は児玉郡猪俣を中心に大里・比企郡などに分布し嫡流の猪俣氏とその支族には一見・岡部・蓮沼などの諸氏があります。
出自については猪俣党そのものは武藏七党の横山党(本貫地は東京都八王子市)と同様に遠祖を小野氏とした一族で、武蔵守孝康(たかやす)の三男である時資(ときすけ)とその嫡男時範(ときより)が猪俣に居住したことに始まり猪俣氏と称し、更に時範孫の忠網(ただつな)が武蔵国榛沢郡岡部(埼玉県大里郡岡部町)に移転し岡部氏と称します。
普済寺は当時の領主の岡部忠澄(おかべ・ただずみ、生誕不詳~1197)が建久2年(1191)栄朝禅師を講じて開山とし、自らが開基として創建されています。
他方忠澄は鎌倉幕府の御家人として頼朝に仕え、寿永2年(1183)平氏追討の一の谷合戦には清盛の弟・薩摩守忠度(さつまのかみ・ただのり、1144~1184)を討って軍功を挙げ、一躍その名を天下に知らしめます。
忠度を討取って高名を遂げた忠澄でしたが戦後忠度の菩提を弔うため供養塔を建立します。慶安2年(1649)その五輪塔は清心寺に移築されます)
そして寺内には忠澄夫妻の木像が安置されると共に忠澄の遺品として星兜の鉢と鎧の一部が残存しているそうです。
尚忠澄の墓地は普済寺から約300mほど北西方にあり、秩父平氏主流として武蔵国での影響力高い畠山重忠の妹の夫人、父行忠と共に五輪塔として建立されています。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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JR高崎線岡部駅
駅前の通りを直進して国道17号を右折し暫く東進すると「普済寺」の交通標識がありそこを左折します。 -
岡部駅前周辺地図
「鎌倉時代に活躍した武蔵武士巡り」と題した案内地図が駅前に立っています。 -
歴史訪問先写真付説明
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普済寺・入口
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馬頭観世音石碑
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石仏群
道路脇にたたずむ石仏群が並んでいます。 -
イチオシ
普済寺・山門
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普済寺・社標
山門脇には「漕洞宗 普済寺」と刻された寺標が建立されています。 -
六地蔵
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普済寺・山門扁額
山門上部には寺号「普済寺」の扁額が在ります。 -
イチオシ
普済寺・本堂
いつも見られる本堂と異なりやや現代風的な本堂となっています。 -
普済寺・本堂(近景)
本堂正面上部に掲載の寺紋「十文字」は岡部氏家紋と思われます。なお、山号である「玉龍山」は忠澄の夫人(畠山重忠の妹と伝えられ)が承久元年(1207)に没し、その法名「玉龍院殿妙和大禅定尼」によります。 -
普済寺・境内(振り返り)
本堂から山門方向を捉えます。 -
普済寺・本堂改築記念石碑
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