2007/09/21 - 2007/09/23
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ドクターキムルさん
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島根県安来市広瀬町富田にある月山富田城(がっさんとだじょう)跡は、戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間に亘る尼子氏六代の盛衰の舞台となった。しかし、月山富田城の戦いでは、城を巡っても度々攻防戦が行われたが、最終的には毛利氏によって尼子氏が滅ぼされ、城も毛利氏に渡った。慶長5年(1600年)の関が原の闘い以降、堀尾氏が城主となるが、慶長16年(1611年)、堀尾忠晴が松江城を築城して移り廃城となった。それまでは、山陰の首城たる地位を失わなかった。月山富田城が築かれたのは保元・平治のころ(1156年〜1159年)、平家の大将悪七兵衛平景清であると伝えられていますが、その他に佐々木高綱や同義清などの諸説がありいずれも明らかではない。しかし築城は長寛から文治年間(1163〜1189)の頃と推定されている。
文治元年(1185年)頃の築城かといわれており、歴史のある城である。昭和9年(1934年)、国の史跡に指定された。
麓から見ると月山(標高197m)の山頂は平たく見え、月山富田城絵図には月山山頂部まで石垣が築かれ、高く積まれた石垣の上に大きな3層天主が描かれている。月山富田城は山城であり、慶長16年(1611年)の廃城とはいえ、石垣が積まれた近世の城郭に変貌している。したがって、月山富田城跡には石垣が残っている。時間がなくて中腹から山頂までは上れなかったが、どこか萩城に似ていようか。
安来市立歴史資料館には人影はなかった。月山富田城跡を訪れる人は少ないのだろう。また、富田川の対岸に開かれた城下町である広瀬も廃城となって400年も経つのに意外と街並みが残っている。もう一度訪れて山頂の石垣から町を見下ろしたい城址である。
(表紙写真は千畳平にある月山富田城址図)
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