2013/11/02 - 2013/11/03
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entetsuさん
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ANAのマイルが貯まったので、富山にでかけて「鮨」を食べようかと思いつき、出発。
5月に業務出張で富山に行った時、現在富山支社長の同期に連れて行ってくれた「銀八鮨」を再訪しようということに。
旅費はマイル、宿泊は格安ホテルにし、レンタカーも一日だけ借りて安く上げ、コストは「銀八鮨」に集中投下。
★引き続きレンタカーを駆って、高岡のもう一つの街並み「千本格子の街並み」を歩き、南砺市井波の瑞泉寺まで足を延ばします
①「銀八鮨」で富山湾の味を堪能
http://4travel.jp/travelogue/10809551
②高岡の瑞龍寺、前田利長の墓所などを観光
http://4travel.jp/travelogue/10828007
③高岡の「土蔵造りの街並み」散策
http://4travel.jp/travelogue/10828018
★④高岡の「千本格子の家並み」を歩き、南砺市井波の瑞泉寺観光
⑤世界遺産「五箇山」と、なんと再びの「銀八鮨」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さて、食事も終わり、高岡の街並みでもう一つ有名な「千本格子の家並み」を訪ねます。
この街並みのあるのは、金屋町筋と言いますが、程近いところにあるのが、「有礒正八幡宮」。歴史ある神社 by entetsuさん有礒正八幡宮 寺・神社・教会
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ここは、高岡城築城に際し「有礒宮」と「横田正八幡宮」の二社が合祀された神社。
境内を囲む石垣は、前田利長公から寄進されたものと伝えられています。
金屋町の氏神である石凝姥命(いしこりのどめのみこと、別名:鍋宮様)が祀られており、昔から高岡鋳物師の尊崇を集めてきました。 -
社殿は1935年(昭和10年)に造営され「有磯造り」と呼ばれる銅枚葺の屋根が特徴で、国の登録有形文化財に指定されています。
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高岡市の保存木。
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訪問時、一組の七五三参りの人がいました。
神社裏に、参拝者用の無料駐車場があります。 -
「千本格子の家並み」の一角に来ました。
趣ある街並み by entetsuさん金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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観光客もチラホラ。
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「萬年山宗泉寺」。
趣ある街並み by entetsuさん金屋町通り 名所・史跡
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それほど大きい寺ではありませんが、趣はあります。
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本堂の前には、市保存木の「一本大銀杏」。
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さて、「千本格子の家並み」歩きを続けます。
趣ある街並み by entetsuさん金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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高岡築城直後の1611年、高岡に隠居していた加賀前田家2代利長は、領内の砺波郡西部金屋から7人の鋳物師をこの地に呼び寄せ、幅50間、長さ100間の土地を与えて鋳物場を開設させました。
また、諸税や労役を免除するなど多くの特権を与えて手厚く保護したことから、この地に鋳物産業が根付き、今日の高岡銅器の起源となっています。趣ある街並み by entetsuさん金屋町通り 名所・史跡
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現在は、多くの工場が郊外に移転したそうですが、「千本格子の家並み」は大切に保存されてます。
趣ある街並み by entetsuさん金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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2012年、全国の鋳物師町として初めて、伝統的建造物群保存地区の指定をうけました。
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何となく、見たことがあるようで、ないような・・・。
でも、こんなにも千本格子が続いているのは記憶にはありません。 -
道路幅は、あまり広くありませんし、車の通行も多くはありません。
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この様な家並みが続きます。
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ここも。
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ここも。
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まだまだ。
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ただ見るだけでも、飽きないもんです。
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まだまだ、まだまだ。
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「高岡市鋳物資料館」。
鋳物の町、高岡の鋳物に関わる小さな資料館 by entetsuさん高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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400年にわたる鋳物産業に関わる古文書や、初期の鋳造技術を知ることのできる鋳物製品、多種多様な造型・鋳造道具など、数多くの資料を収集・展示し、高岡鋳物の歴史と伝統が紹介されていました。
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高岡鋳物の初期の鋳造方法の展示。
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「ふいご」です。
実際に触れることができます。 -
高岡鋳物発祥の地である金屋町には、400年にわたる鋳物産業の歴史を背景に、由緒ある古文書や初期の鋳造技術を知ることのできる鋳物製品、多種多様な造型・鋳造道具など、数多くの資料が現存しています。
高岡市鋳物資料館は、これらの貴重な資料を収集・展示し、高岡鋳物の歴史と伝統を紹介する町の小さな博物館です。 -
鋳物を作る工程の展示。
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大寺幸八郎商店。
鋳物の工芸品のお店でした。 -
そろそろ「千本格子の家並み」ともお別れです。
趣ある街並み by entetsuさん金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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「最勝寺」。
浄土真宗大谷派の寺院です。趣ある街並み by entetsuさん金屋町通り 名所・史跡
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写真では分かりづらいですが、本堂はガラスで覆われています。
ま、それだけですが・・・。
ところで、ここまで高岡の街を歩いて来ましたが、富山市と高岡市は県内でも結構ライバル心のある町同士で、対抗しているという話を聞いたことがあります。
もっとも、静岡市VS浜松市、長野市VS松本市ほど露骨ではないみたいですが・・・。
富山市42万人高岡市17万人と人口では勝負あったですが、進学校ランキングでは、富山中部高校、富山高校、高岡高校が三つ巴で競っていますね。
そもそも、富山市は「佐々成政」が富山城に入城し、治水事業を手がけたのが起こり。江戸時代になると富山藩十万石が置かれ、薬業や和紙などの産業が奨励され、飛騨街道や北前船航路などの交通・物流網の整備や越中売薬の独特の商法も相まって「くすりのとやま」として全国に知られるようになりました。
明治以降は、県庁所在地として、豊かな電力を基盤とした工業のまちとして順調な発展を遂げてきたのです。
一方、高岡は、1609年、加賀藩二代藩主・前田利長公の築城に伴って開かれたのが始まり。内心、面白くないと思っている人も多いようです。 -
高岡ICから「能越自動車道」に入ります。
能越自動車道は、能登半島に初めて整備された高速道路で、輪島市から七尾市、高岡市を通って、北陸自動車道や東海北陸自動車道と繋がってます。
左は、2015年開通予定の北陸新幹線です。
工事中、というかこの辺はほぼ出来てるみたいですね。 -
南砺市に来ました。
南砺市は、平成16年11月1日、8つの町村(城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村、福野町、福光町)が合併し、「南砺市」が誕生しました。
写真は「城端別院 善徳寺」。連如上人の開基による古刹 by entetsuさん城端別院 善徳寺 寺・神社・教会
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城端駅近く。
蓮如上人開基から530余年を経た真宗大谷派の大刹だそうですが、現在修復大工事中。
あいにく、雨模様にもなってきたので、写真のみ。
門前でお参りしました。 -
着きました。
「井波別院瑞泉寺」です。
ここは、1390年、本願寺5代綽如上人によって開かれました。
外国から送られてきた難解な国書を、綽如上人が解読し、後小松天皇は大変喜び、一寺寄進を申し出られたと伝えられております。
綽如上人は、多数念仏信者の浄財による建立を希望され、天皇は勧進状を認(したた)める料紙を贈り、勅願所として当寺を建立することを許可されました。
(瑞泉寺HPより)ここも名刹 by entetsuさん井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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山門(大門)。
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「井波別院瑞泉寺」は、いく度か焼失しそのつど再建されてます。
特に江戸時代中期、瑞泉寺本堂再建のおり、本堂彫刻のため、京都本願寺より、御用彫刻師・前川三四郎が派遣され、このとき地元大工・番匠屋九代七左衛門ら四人がこれに参加し、前川三四郎について彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりとされています。
拝観料300円を払って、入場します。
トイレの案内板も、井波彫刻?ここも名刹 by entetsuさん井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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本堂。
1762年の大火後、1886年(明治18年)に再建されたもの。
間口46m、奥行43mの単層入母屋造。畳の数450畳といい、大きさは全国で4番目ともいわれているそう。 -
木造建築の寺院としては日本有数と言われます。
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左右に一つずつあります。
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柱の飾り細工。
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靴を脱いで上がります。
ご本尊。 -
井波彫刻。
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太子堂です。
聖徳太子の像を御安置した仏堂。 -
光量足りませんが、この彫刻をご覧ください。
立体的に彫ってますね。 -
彫刻が素晴らしい。
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鳳凰。
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龍。
セットになっていて、その造りが有名らしいです。 -
複雑な細工です。
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本堂から、太子堂を見ます。
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右が本堂、左が太子堂。
小さい銀杏がアクセントに。
小雨がパラついています。 -
山門の脇にある「式台門(勅使門 菊の門)」。
寛政4年(1792)に建てられ、2005年の大法要で200年の状態に復元されました。 -
1792年「勅使門」菊の門扉、両脇に彫刻した「獅子の子落とし」は井波彫刻の始祖「七左衛門」の代表作で、狩野派風な図柄で浮き彫りの技法が駆使され、日本彫刻史上の傑作とされています。
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こちらは、落とされた獅子の子が、滝をよじ登っている図。
七右衛門以後、その門流が江戸時代末期頃まで主に神社仏閣彫刻などにその技法を競い、明治時代に入ってから寺院欄間に工夫をこらして新しい住宅用の井波欄間の形態が整えられていきました。
昭和に入ってからも、寺社彫刻は活発で、東本願寺・東京築地本願寺・日光東照宮など全国各地の寺社・仏閣の彫刻を数多く手がけ、それと並行して一般住宅欄間・獅子頭など・置物にも力が注がれた。
現在、名工らの子孫によって受け継がれてきた伝統ある「井波彫刻」は時代の流れとともに豪華さを誇った寺社彫刻から民家の室内彫刻へと多くは移り変わり、住宅欄間はその主力となっています。
瑞泉寺の門前は、井波彫刻の店や、喫茶などもありましたが、時間がなくなりました。
最後に、五箇山を訪れます。
Part.5へ
http://4travel.jp/traveler/entetsu/album/10828039/ここも名刹 by entetsuさん井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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旅行記グループ ANAマイルで富山に「鮨」を食べに行きました!
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