2013/07/13 - 2013/07/15
839位(同エリア1212件中)
naoさん
3日目は、中山道を北から南へ向かって街道沿いの町々を訪れます。
今回訪れた町
塩尻宿
洗馬(せば)宿
本山宿
贄川(にえかわ)宿
漆器の町 木曽平沢
奈良井宿
江戸時代初期に中山道が整備された当初は、下諏訪宿の次は贄川宿でしたが、この区間が難所続きだったことから経路が変更され、これに伴って塩尻宿、洗馬宿、本山宿の三つの宿場町が追加されました。
この日は、まずこれら三つの宿場町を訪れます。
塩尻宿は、中山道に組み込まれる以前から、どちらも塩の道と言われた三河国に至る三州街道と、糸魚川に至る千国街道の基点として宿場町が形成されており、松本藩六万石の玄関口として、最盛期には70軒の旅籠を数える賑やかな宿場町でした。
しかし、1883年の大火でほとんどの旅籠を焼失したため、宿場町の面影はほとんど留めておらず、「塩尻宿本陣跡」、「脇本陣跡」、「陣屋跡碑」など、主要な施設があった所に建てられた石碑からしか当時の様子をうかがい知ることはできません。
「塩尻宿本陣跡」の近くには、わずかに宿場町当時の面影を今に伝える、国指定重要文化財の「小野家住宅」が残されています。
洗馬宿は、中山道が塩尻宿経由になった時に作られた宿場町で、善光寺へ向かう北国西往還・善光寺道の起点でもあったことから、中山道との追分に「右中山道 左北国往還善光寺道」の道標が立っています。
しかし、この町も1932年の大火で古い建物のほとんどを焼失したため宿場町の面影は残っていません。
町並みの中ほどに掲げられた案内板に従って、奈良井川の方へ下って行くと、うっそうと茂る欅の根元からこんこんと湧きだす「邂逅(あふた)の清水」があります。
平安時代末期の武将、木曽義仲の家臣が、強行軍に疲れ身動きできなくなった義仲の馬の足を湧きだす清水で洗ってやると、たちまち元気を取り戻したことから、この清水を「邂逅(あふた)の清水」、清水の湧きだすこの地を「洗馬」と呼ぶようになったと伝えられています。
国道19号線のバイパス化により、国道から少し外れた所にある本山宿は、中山道が塩尻宿経由になった時に作られた宿場町です。
この町は、奈良井宿や妻籠宿には及ばないものの、出梁造りの町家が点在する風情ある町並みが残っていて、ゆったりと流れる時間の中で、当時の面影をしのぶことができます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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塩尻宿に着きました。
塩尻宿は、大火によりほとんどの建物を焼失したため、主要な施設があった所に建てられた石碑からしか当時の様子をうかがい知ることはできません。
では、本陣跡に車を停めさせてもらって、町歩きを始めます。 -
本陣跡の向かいには高札場が復元されています。
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本陣跡近くの町並みに、わずかではありますが当時の面影を見ることができます。
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これは、屋号を「銀杏屋(いちょうや)」という当時の大旅籠で、国の重要文化財に指定されている「小野家住宅」です。
工事中のようで、1階部分にシートが張られていて見ることができないのが残念です。 -
武具をデフォルメした装飾品を格子に取り付けた町家。
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本陣跡の西側には、中山道や塩尻宿の石碑とともに、脇本陣跡を示す石碑が立っています。
本陣は367坪、脇本陣は270坪の建坪があったということですから、大変立派な建物だったんでしょうね。 -
脇本陣跡の西側には、大きな杉玉を掲げた造り酒屋「笑亀酒造」さんがあるんですが、その杉玉の下に・・・
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塩尻陣屋跡を示す石碑が立っています。
塩尻宿では、跡地を示す石碑を頼りに当時の面影を探りましたが、本陣跡辺りに残る町家に、わずかながらでも当時の風情を感じることができ、訪れた甲斐があったと思います。
では、次に洗馬宿へ向かいます。 -
洗馬宿にやって来ました。
ここ洗馬宿は、「遠くとも一度は詣れ」とうたわれた善光寺へ向かう北国西往還・善光寺道の起点でもあり、中山道との追分に「右中山道 左北国往還善光寺道」の道標が立っています。
この宿場町も大火によりほとんどの建物を焼失したため、残念ながら宿場町の面影は残っていません。 -
旧街道の中ほどに掲げられた案内板に従って、奈良井川の方へ下って行くと、「邂逅(あふた)の清水」があります。
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洗馬宿は、奈良井川の川岸の上にあるので、宿場の西側は崖のようになっており、その崖の合間から湧き出す清水がこの町の生活用水になっています。
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その昔、戦の強行軍で身動きできなくなった木曽義仲の馬の足を、この清水で洗ってやるとたちまち元気を取り戻したとの言い伝えが残っていて・・・
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このことから、この地を「洗馬」と呼ぶようになったと言われています。
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今もきれいな水が湧き出しています。
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木曽義仲の言い伝えを記した石碑が立っています。
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R中央本線の洗馬駅です。
洗馬宿の本陣はこの辺りにあったそうです。 -
この駅は無人駅です。
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現在の中山道の通行料!
では、次に本山宿へ向かいます。 -
国道19号線から少し外れた所にある、本山宿の北の入口です。
「中山道本山宿 しののめのみち」という標柱とともに・・・ -
秋葉神社のお社と、お地蔵さん、庚申塔、道祖神たちが訪れる人々を迎えてくれます。
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お地蔵さん達に挟まれたかわいい道祖神。
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町並みに入って、まず目についたのがこの町家です。
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武家屋敷を思わせる、立派な玄関があります。
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これを出梁造りというんでしょうね、2階がはね出しています。
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町並みの中程に「川口屋」さんがあります。
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ここは当時旅籠だった建物です。
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これは「うだつ」でしょうか・・・。
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「川口屋」さんの前の路地を入ると本陣跡があります。
小さく「本陣」と書かれた木札がそれを教えてくれます。 -
屋根の棟飾りは「雀おどり」と呼ばれ、この地方特有のものだそうです。
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北側の町並みを望む。
左の建物は「川口屋」さん。 -
本陣跡の少し南には、中山道と本山宿の石碑が立っている脇本陣跡があります。
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本山宿の石碑。
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脇本陣跡から望む南側の町並みと・・・
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北側の町並み。
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町家で見かけた瓢箪の飾り窓。
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小ぶりながら、出梁造りの特徴を備えた町屋。
「山椒は小粒でぴりりと・・・」ですね。 -
2階窓のガラス障子の、桟のデザインが面白い効果を生んでいます。
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そろそろ町並みが途切れる辺りまで歩いてきました。
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今日見てきた三つの宿場町の中では、この町が最も昔の面影を残していますね。
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この町家は新しく建替えられたように見受けられますが・・・
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随所に、昔ながらの手法を取り入れておられます。
この町並みを守ろうとする、住み手の意識の高さがうかがい知れます。 -
ここで、いよいよ町並みが途切れます。
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町の南端には、秋葉大権現の常夜灯と石碑が建てられています。
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石碑越しに本山宿の表示板を見ました。
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では、次に贄川宿へ向かいます。
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