2013/07/13 - 2013/07/15
538位(同エリア1079件中)
naoさん
美術館めぐりの後、この日最後に訪れるのは中山道 下諏訪宿です。
八ヶ岳の西の山麓で、満々と水をたたえる諏訪湖の一角にある下諏訪宿は、諏訪大社・下社秋宮の門前町として、また、中山道で唯一温泉のある宿場町として知られ、甲州街道との追分だったことも手伝って、多くの参拝客や旅人で賑わう、中山道で最大規模の宿場町でした。
参勤交代の大名行列が行きかうようになった江戸時代、街道の整備とともに宿場としての町並も整い、中山道六十九次のうち、江戸から数えて29番目の宿場町になります。
中山道の中でも、本陣が現存する宿場町は数ケ所しかなく、直系の子孫が今も実際に生活しているのは下諏訪宿の本陣だけで、今の御当主は二十八代にあたるそうです。
参勤交代の際、諸大名が宿泊する時に掲げた関札類が残る当家には、皇女和宮のお嫁入りの際も宿泊されています。
洗練された庭園は中山道随一と称えられ、茶室から見る庭は、建物を額縁に見立てて眺められるように造られているそうです。
諏訪大社は、諏訪湖周辺の4ケ所にある神社で、諏訪湖南岸の上社には本宮と前宮が、北岸の下社には秋宮と春宮があり、それぞれ離れて位置しているため、実質的には社格に序列のない別々の神社となっています。
諏訪大社と言って欠かすことができないものに、その規模の大きさ、勇壮さ、豪快さから、諏訪の奇祭として知られる「御柱祭」があります。
このお祭りは、これら四社の御神木として、社殿の四隅に建立する樅(もみ)の巨木16本を山から切り出すお祭りで、45度近い急勾配の坂の頂上から、若者達がうちまたがる御柱を一気に引き落とす「木落し」が最高の見せ場で、「男見るなら七年一度 諏訪の木落し坂落し」と唄われてきました。
祭りは、7年に一度の寅と申の年に行われ、御柱を山から曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中と、御柱を社殿の四隅に建立する「里曳き」が5月に、上社、下社それぞれで行われます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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諏訪湖の南岸にやってきました。
対岸に下諏訪宿があります。諏訪湖(長野県諏訪市) 自然・景勝地
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この近くには、美しい日本の原風景を描いた作品で知られる「原田泰治美術館」があるんですが、次回のお楽しみにとっておくことにします。
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左手の対岸は岡谷方面になります。
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菱の葉が浮かんでいます。
私の子供のころはよく見かけましたが、本当に久しぶりに見た気がします。 -
下諏訪宿に着きました。
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では、中山道から町歩きを始めます。
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中山道沿いに、昔の面影をとどめる町屋があります。
2階全面に窓格子がはめられています。 -
「みなとや」さんの前には、道案内の石標が見えます。
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右:甲州道、左:中仙道と書かれています。
下諏訪宿は、中山道と甲州街道の追分にある宿場町なんですね。 -
今歩いている道が中山道で、突き当たりの三叉路を右に曲がれば甲州街道へ、左に曲がれば中山道が続いています。
三叉路の左角にある「まるや」さんは、脇本陣だった建物です。 -
風情のある、昔ながらの行灯がそれを教えてくれます。
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「まるや」さんは、この一画を占める、とても大きな建物です。
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「まるや」さんの向かいにある町屋。
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先ほどの三叉路を左に曲がって、中山道を少し進むと本陣があります。
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立派な門には、下諏訪宿本陣と大書された札が掛けられています。
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門をくぐって飛び石伝いに進むと主屋が見えてきます。
この本陣は、江戸時代に建てられたものだそうです。 -
玄関先には、ここに投宿した大名たちの関札が並べられているんですが・・・
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米沢藩や仙台藩も参勤交代に中山道を使ったんでしょうか・・・?
まあ、昔のお殿様も参勤交代だけじゃなく、あちこち「個人旅行」を楽しんだんだろうことは推察できますが・・・。
古今東西、やっぱり旅には魅力がありますよね。 -
では、本陣はこのあたりにして・・・
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町歩きを続けます。
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本陣の向かいにある町屋。
おっと、よく見ると電柱が屋根を突き抜いているではありませんか。
まあ、わが大阪では高速道路が建物のど真ん中を貫通していたり、楠の大木が駅のプラットホームを貫通したりしているので、こういうことは見慣れてはいるんですが・・・。 -
しばらく歩くと、湯田坂という坂がありました。
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ずっと伸びる坂道沿いにも・・・
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風情のある建物を見ることができます。
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今井邦子文学館という施設がありました。
不勉強なもので、今井邦子という名前を初めて聞いたんですが、短歌の新境地を開いた人で、短歌誌「明日香」を創刊した歌人だそうです。 -
今井邦子文学館の屋根の破風。
神社屋根に見られる「千木(ちぎ)」のようですね。 -
1階下屋の屋根の納まり。
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今井邦子文学館の、斜め向かいの店先で水遊びに興じるお姉ちゃんと弟くん。
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坂道を下りきったんで、そろそろ引き返します。
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先ほどのご兄弟が見えます。
いつまでも仲良くね。 -
坂の入口付近は相当な急勾配です。
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湯田坂を上って少し行くと、青塚古墳が見えてきました。
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この古墳は、諏訪地方で唯一の前方後円墳だそうです。
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古墳の西側には青塚社というお社があります。
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こんもりと盛り上がった地形から、前方後円墳だということがうかがわれます。
右上に石室への入口が見えています。 -
古墳を過ぎてしばらく歩くと、私好みの、趣のある石畳の路地がありました。
「ここを歩かんで、どこを歩くねん」と、いつもの私が叫んでいます。 -
ナマコ壁の建物や・・・
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蔵のような建物を縫って、石畳が続いています。
「ほら、歩く価値があったでしょ!」と自慢げな私です。 -
かわいい道祖神。
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道祖神と並んで、俳優、小沢昭一さん自筆の石碑が立っていました。
「夕顔や ろじそれぞれの 物がたり」か・・・。
小沢さんの路地に対する感性は、私の感性に通じるものがあります。
路地には、そこにしかない物語があるんですよね〜。 -
では、せっかくですから諏訪大社の下社秋宮へ参詣することにします。
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この辺りは甲州街道になります。
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甲州街道に面して、下諏訪名物、塩羊羹の老舗「新鶴本店」さんがあります。
塩羊羹は初代当主が創作されたそうです。 -
下社秋宮の境内に入る前に、まずは手水舎の水で手を浄めてと・・・。
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根入杉の向こうに神楽殿が見えています。
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この大注連縄には目を引きつけられます。
後ろには幣拝殿がひかえています。 -
神楽殿の後方(本当は幣拝殿の前になるんですが・・・)の左右に、紙垂(しで)が下がる木柵で囲まれた柱が立っているのが見えています。
諏訪の奇祭として知られる「御柱祭」で切り出される柱がこれで、幣拝殿と御宝殿を取り囲むように四本の柱が立っています。 -
幣拝殿です。
中央の幣殿と左右の拝殿が一体となった造りから、幣拝殿と呼ばれています。 -
左片拝殿の妻面。
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幣拝殿の奥には御宝殿があります。
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右片拝殿の前に、「二の柱」が見えています。
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神楽殿の欄干の擬宝珠(ぎぼし)。
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神楽殿の懸魚。
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「この大注連縄は出雲大社のとそっくりだな〜」と思っていたら、出雲大社の注連縄保存会の方から技術指導を受けて作るようになったそうです。
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狛犬も大注連縄が気になるようです。
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この狛犬、なんと身長が1.7mもあるそうです。
クッソー、俺より背高いんか! -
大注連縄も俺より太ってるし・・・。
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では、下社秋宮に別れを告げて、下社春宮の下馬橋(げばばし)を見に行きます。
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下社春宮への参道の真ん中で、で〜んと構える下馬橋に着きました。
右後方に下社春宮の鳥居が見えています。 -
この下馬橋は、下社春宮で最古の建造物と言われています。
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この橋は御手洗川に架かる屋根付きの太鼓橋で、「なにびともこの橋の手前で馬から降り、川の水で身を浄めた」と言われています。
今も昔も、神社に参詣する際、身を浄めるのは変わらないようです。 -
現在は、遷座祭の神輿だけが渡っているそうです。
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この橋にも大注連縄が架けられていました。
では、下諏訪宿をあとに今宵の宿に向かいます。
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