2013/07/04 - 2013/07/15
3051位(同エリア4777件中)
やまとさん
長かったクロアチアの旅もついに終わってしまいました。
帰りはイスタンブールでかなり乗り継ぎまでに時間があったのでイスタンブール観光に。
5月末より続いていた反政府デモ(イスタンブル、タクスィム広場付近の緑地再開発計画に反対するデモが発端となった)が若干心配だったのだけれど、ラマダンに入って少し落ち着いているということだったので行ってみることにしました。
夢枕獏さん著の「シナン」を読んで憧れていたイスタンブールについにやってきました!!
7/4 大阪→ 機内泊
7/5 →イスタンブール→ザグレブ→ロヴィニ ロヴィニ泊
7/6 ロヴィニ泊
7/7 ロヴィニ泊
7/8 ロヴィニ→リエカ→ フェリー泊
7/9 →スプリット スプリット泊
7/10 スプリット→ドブロヴニク ドブロヴニク泊
7/11 ドブロヴニク→ザブレグ(クロアチア航空) ザグレブ泊
7/12 ザグレブ→プリトヴィッツェ プリトヴィッツェ泊
7/13 プリトヴィッツェ観光 ザグレブ泊
★7/14 ザグレブ→イスタンブール イスタンブール観光
★7/15 イスタンブール→大阪
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11時ごろザグレブを出発してイスタンブール、アタチュルク空港には14時過ぎに到着しました。イスタンブールから関空に飛ぶ便は22時半発なので8時間ほどイスタンブールで時間があるので、旧市街の観光をしてみることにしました。
市内までは空港バスが一番便利だそうですが、デモが行われていた新市街のタクシム広場を通過して旧市街に入るようだったので、新市街を経由せずに旧市街に入れる地下鉄とトラムを利用することにしました。
写真はトラム・地下鉄で利用できるICカード、イスタンブールカード。チャージしたかっただけなのに3枚も買ってしまい、1枚日本人の女の子に転売しましたw -
イスタンブール歴史地域
Historic Areas of Istanbul
さて、地下鉄に乗って出発です。
愚かなことに日本からイスタンブールのガイドブックを持ってくるのを忘れてしまったため、ザグレブ空港のwifiを使ってiPhoneにオフライン保存したWebのページと空港のインフォメーションでもらった地図だけが頼りです。幸い、地下鉄とトラムの路線図はインフォメーションでもらった地図に載っていました。
まずは、ブルーモスクとアヤソフィアへ向かいます。ともに世界遺産「イスタンブルの歴史地区」を代表する建物です。ブルーモスクがキリスト教会であったアヤソフィアに対抗して、アヤソフィアのすぐお向かいに建てられたため、観光にはとっても便利。 -
ブルーモスク(スルタン・アフメット・ジャミイ)
Sultan Ahmet Cami
トラムに乗り継いでブルーモスクことスルタン・アフメット・ジャミイに無事到着しました。
オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって17世紀にたった7年で建てられたモスクです。設計は憧れの天才建築家シナン!ではなくその弟子のメフメト・アー。なんとなく師匠シナンの建てたスレイマニエ・ジャミイに外観が似ているような気もしますが・・・ブルーモスクにはミナレットが6本(写真には4本しか写ってないけどw)
通常、モスクの周囲にはその規模によってミナレットと呼ばれる尖塔が1〜4本設置され、最大級のモスクでも4本が普通。ミナレットが6本あるモスクは世界でブルーモスクだけなんだとか。 -
さて、観光客用の通路(裏口)に並んで中に入りました。
女性は肌・髪を出してはいけないらしく入り口でチェックがあります。怪しげな服の貸し出しが・・・日焼け予防の長袖シャツとスカーフでクリアして中にはいりました。
ラマダン中だからかなにやらお祈り中?でした。
仕切りの向こう側にはイスラム教徒でも男性しか入れないようで、現地の女性は観光客と同じゾーン。なんだかちょっとお気の毒です・・・ -
イチオシ
スルタンアフメット・ジャミイが通称"ブルー"モスクと呼ばれているのは内の壁や天井、柱を覆う文様がほんのり青を帯びていることからなんだそうですが・・・
中のランプが電球色のため・・・全体的にパステルカラーでブルー感はあまり感じとれず -
イチオシ
現地の女の子がゴロゴロとカメラ目線で
"私の写真を撮りなさい"アピールをしてくる。
かわいすぎる〜(*>ω<)o -
ステンドガラスはブルー基調
そして、このあたりでカメラの電池が怪しくなってきました。
手荷物の中に入れたつもりの予備のバッテリーは飛行機の中の受託荷物の中に入れてしまっていたらしく、発見できません・・・しょぼぼぼ〜ん。・゚・(ノД`)・゚・。
というわけで以下、携帯で撮影した写真でお届けいたしますw -
アヤ ソフィア
Hagia Sophia
ブルーモスクを出てアヤソフィアに向かいました。ピンクのかわいらしいモスクです。
チケット売り場がいつも大行列という噂だったので、覚悟して入りましたが案外あっさり入場できました。日本語のオーディオガイドを借りて中に入りました。
アヤソフィアが一番最初に建てられたのは西暦360年。コンスタンティヌス帝の命によって建築されました(スプリットのディオクレティアヌス宮殿を建てたディオクレティアヌス帝の後を継いでローマ皇帝になった人)
その後、火災の焼失や反乱による崩壊などがあり2回も再建築されています。今の教会が完成したのは537年。 -
ハギア・ソフィアはギリシア語で「聖なる叡智」を意味し、アヤソフィア(ハギア・ソフィア)と命名された教会は、ギリシアやトルコなど、かつての東ローマ帝国領の各地に数多く残されているそうです。
約1000年ほどキリスト教の教会と使用された後、コンスタンチノープルを征服したオスマントルコ帝国によって、アヤソフィアはイスラム教の宗教施設であるモスクに改装されました。イスラム教が偶像崇拝を禁止しているため、内部のモザイク画は漆喰で塗り固められ、イスラム装飾が施されました。
イスラム教のモスクとして機能したのは500年ほどで、トルコ共和国になってからは修復作業が行われ、現在は博物館として使用されています。 -
イチオシ
かつては漆喰で塗り固められていたモザイク画が博物館になってから修復され、見えるようになっています。
同時にアッラーやカリフの名が金のカリグラフィーで描かれたイスラム・カリグラフィーの円盤も掲げられていてビザンチン美術とイスラム美術が入り混じったなんだか不思議な空間になっています。 -
2階にあがるとたくさんのモザイク画が展示されていました。
漆喰で塗り固められていたため保存状態がよいそうです。
これは「聖母子と皇帝家族」かな -
んでもって「キリストと女帝ゾエ夫妻」
女帝ゾエは3回も結婚したのですが・・・夫が替えるたびにこのモザイク画の皇帝の顔もつくり替えさせたので、やはりその部分だけ違和感が・・・。そしてゾエ自身の顔も若く描かれているそうです。
ゾエさん・・・乙女ですw -
ギャラリーになっている2階には日の光が差し込むため・・・なんだかいい感じです。
よく見るとこの辺りはイスラム文様が残されているのかな。 -
オーディオガイドを聞きながら進んだため膨大な時間をアヤソフィアで消費してしまいました。途中でオーディオガイドを聞くのも嫌になり相方に押し付けて解説を聞いていただけですが・・・すっかり疲労困憊。なんとしてもシナンの建てたスレイマニエ・ジャミイに行こう!と思っていたのですが、どうでもよくなってしまいました (; ̄д ̄)
とりあえずガラタ橋で休憩しようとトラムに乗って移動開始
移動中気になるには現地の女性の服装。
髪の毛だけスカーフで覆っていて後は普通の服装の派閥、スプリングコート着用派閥(暑そう)、全身真っ黒の布で覆っている派閥など・・・いろんな派閥があるようです・・・ -
ガラタ橋
Galata Bridge
ガラタ橋に到着しました。
ガラタ橋で椅子に座っての〜んびり休憩しようとたくらんでいたのですが・・・旧市街からガラタ橋方面に向かう人、ボスポラス海峡クルーズに出発する人、客引き、海を眺める人、大量の釣り人etc・・・想像に反して超混雑スポットです。 -
日陰もなく・・・テンションは下がる一方です・・・
なんとか思いっきり日向ですが、イスをgetして座りました。
ボスポラス海峡を眺める人達。を眺める私。 -
友人が屋台で名物「サバサンド」を買ってきてくれました。
うんまい。
おなかが減って疲れていたようですw
むしゃむしゃすごい勢いで食べていると相方はまたまた買出しに・・・
う〜ん、いい人だw -
クロアチアのゴミひとつ落ちていない海を見た後では衝撃の海でした・・・
パンなどの食べかけの残飯やらプラスチックゴミやらなんやらがぷかぷかと寄せては返す波に揺られていったりきたり・・・(|||゚Д゚)
友人があっちで生のムール貝が売ってたよ〜と戻ってきましたが・・・とてもじゃないけど食べる気がしませんでした。すまないね相方・・・明後日から仕事なのだよ(急に現実w -
なけなしの電池を振り絞ってボスポラス海峡カメラでパノラマ撮影。
-
橋の向こうにはガラタ塔が見えています。
行く元気はありませんが・・・1453年のコンスタンティノープルの陥落まで、ガラタはジェノヴァ共和国の居留地だったはず。 -
休憩しておなかもいっぱいになったところで友人に励まされて、スレイマニエジャミイまで歩いてみることにしました。
丘の上に立っているので姿は見えるのですが、道はわかりにくくスラムのようなところを通ることになってしまい、おびえながら到着。
憧れのスレイマニエ・ジャミイです。
ちょうど礼拝の時間だったのか、中には入ることができませんでした。
残念無念。 -
お祈りの前に身体を清める人たち
-
広い庭には地元の人達がたくさん集っていました。
たくさんの人に今でも愛されているスレイマニエ・ジャミイに感動です。
なんでこんなに集っているのかな?と思ったらラマダン中だったので、まもなく訪れる日没を待ってみんなでここで食事をするようです。(イスラムのラマダンは日の出から日没までの間は飲食しないというものなので、お日様が沈んでいる間は食べ放題。むしろいつもより盛大に豪華な食事を夜に摂るそうです。) -
スレマニエ・ジャミイはメインドームの大きさこそアヤソフィアを越えていないものの、アヤソフィアが建設当時から崩壊の危険があったのに比べ、このスレイマニエモスクは数々の大地震を経験したにもかかわらず、ひび一つ入っていないのだそうです。
あぁ、中に入りたかった。
また絶対来ます。カメラの電池があるときに・・・ -
だんだん日がくれてきました。
近くにシナンの墓があるということなので探しに行きました。 -
発見
感激です。 -
「ミマール・シナンの墓 1490〜1588年」と掲示してありました。
98歳まで生きたのね・・・当時としてはおそろしく長生きだったんでしょうね〜
下にはシナンの友人であり詩人のムスタファ・サイがシナンの死に寄せて贈った詩が刻まれています。
もちろんよめませんが・・・
『おい
地球というこの城で
ほんのひと夜 ふた夜宿りして
いってしまった者よ
ここは安息の地ではない
スレイマン大帝の建築家であった
この選ばれた者は
モスクを建て
天国の姿を我らに見せてくれた
泉を救い天使のごとくに溢れさせ
天の川を渡る橋を
この地上に掛けた
400以上の祈りの場と
80のモスクを建て
百歳を生き
そして死んだ
あらゆる建築家の師であるシナンが
今 この世から旅立っていく
神よ
彼の眠る場所を
天国の庭のごとくにされんことを』
と刻まれているそうです。 -
暗くなってきたので空港へ戻ることにしました。
売店で買った生絞りのオレンジジュースを片手にトラムに乗ると同時に日没を知らせるコーランが街中に響き渡りました。
う〜ん、なんかちょっと異様だ・・・
異文化に衝撃を受けるってこういうことなのね・・・なんて思いながら日本へと飛び立ちました。
紺碧のアドリア海に憧れて(完)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
やまとさんの関連旅行記
イスタンブール(トルコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
28