
2024/11/22 - 2025/01/19
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砂布巾さん
1923年11月8~9日 超インフレ下のミュンヘン一揆(ドイツ)
1920年代前半は戦後の混乱期と言えるが、頂点だったのがドイツで経済的、政治的事件が相次いだ1923年だ。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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大戦後のドイツにとって重荷だったのが賠償金の支払いだった。支払いは遅れ気味になった。フランスにとっては経済再建にも、アメリカへの戦債支払いにも賠償金は必要だった。そこでベルギーを誘って現物調達しようと、1月11日最大の工業地帯ルール地方を占領する。これに対してドイツ側は生産をストップし、占領軍に協力しない消極的方法(サボタージュ)で抵抗した。インフレは恐るべき速度で進み、物価は10年間で1兆倍にもなった。印刷が間に合わず裏が白紙の紙幣が存在した、子どもたちが価値の無くなった紙幣で遊んだ、レストランでは先に会計を済ませた、給料はトラック1台分の紙幣だったなどはこの頃の逸話だ。この経済的混乱は、8月にシュトレーゼマン内閣が誕生し、消極的抵抗の中止と1兆マルクを新1マルクとする新通貨レンテン・マルクを発行したことによって、徐々に終息へと向かった。
オデオン広場 広場・公園
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ナチスの前身ドイツ労働者党は、1919年1月5日に機械工アントン・ドレクスラーが設立した。彼は非マルクス主義のドイツ的な労働者政党を目指した。9月にヒトラーはドイツ労働者党の集会に参加し、演説の才能を見込んだドレクスラーによって入党が認められた。一説によると7人目の党員だったという。ヒトラーの弁舌もあって、党は次第に勢力を全バイエルン州、多様な社会階層に拡大した。
*写真はグダニスクの第二次世界大戦博物館で撮影しています第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1920年2月4日に有名なビアホール、ホーフブロイ・ハウスで開かれた党大会で、悪名高き「25カ条の綱領」が採択され、党名を国家社会主義ドイツ労働者党(National Sozialistische Deutsche Arbeiter Partei. 略称NSDAP)に変更した。この頃、ヒトラーの党内における地位は高いものではなく、批判も随分あった。ナチス(nazs)とは反対勢力からの蔑称で、自身は正式名称か略称を用いたが、本文では固有名詞として定着している名称を用いる。
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1921年7月にライバル政党との合併話が持ち上がった。党宣伝部門トップの地位を失うことを恐れ、党幹部会に自ら党首になることを要求する。こうしてヒトラーは7月29日に党首になった。
1919年のバイエルンで最も衝撃的だった事件は、共産政権が成立したことだった。政権は軍隊によって鎮圧されたが、共産主義者と指導者の中に多く加わっていたユダヤ人に対する嫌悪が広がった。その後バイエルンでは右翼勢力が著しく台頭し、ドイツ労働者党はそうした右翼政党の1つに過ぎなかった。 -
1923年夏になると、バイエルン州では右翼勢力と保守派が連携して、ベルリン進撃への気運が盛り上がった。
11月8日夜、ヒトラーはバイエルンの有力者が集まったビアホールの天井めがけて「国民革命が始まった」と銃を1発撃った。バイエルンの独裁官カールは、消極的態度しか示さなかった。民衆の支持を得てカールに圧力をかけようと、翌日デモ行進を行う。オデオン広場に出ようとしたところで警察隊に阻止され、一揆は失敗に終わる。 -
前述したように、一揆後刑務所に収監され、「わが闘争」を筆記させる。そして、暴力によってではなく、選挙を通じて百%合法的な政権獲得を目指すことを決意する。ドイツにとっても世界にとっても誠に不幸なことに、一揆から十年後、世界恐慌から僅か四年後の1933年1月、ヒトラーは合法的に権力を獲得してしまう。
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オデオン広場は、仕掛け時計で有名なラート・ハウス(市役所)から少し行ったところ。黄色い教会(テアティーナー教会)付近だ。
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この年の9月1日昼前、関東大震災が起こった。犠牲者は10万人とも言われる。根拠のない噂話で、多くの朝鮮人が虐殺されたことも忘れてはならない。震災は戦後の不況に苦しむ日本にとっては、ダブルパンチだった。この社会不安の中、ワシントン体制に不満を持つ軍部が台頭することになる。
本項目はハインツ・ヘーネ著「ヒトラー独裁への道」(朝日選書)を参考にした。(1999年8月21日ほか訪問)
もくじ http://4travel.jp/travelogue/10681693
主な関連項目
「ヒトラー、帝国首相となる」 https://4travel.jp/travelogue/11858425
「ヨーロッパ戦争の終結」https://4travel.jp/travelogue/11858483 -
*1986年
フラウエン教会 (ミュンヘン) 寺院・教会
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*バイエルン国立歌劇場 カルロス・クライバーの本拠地でもあった
バイエルン国立歌劇場 劇場・ホール・ショー
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*ここからはミュンヘンを除くバイエルン州とオーストリアの風景
*インスブルック→ミュンヘン間のローカル路線の列車から インスブルックの街並みが瞬く間に小さく見える 絶景が見られる大のお気に入り路線 -
*車窓から
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*ヴァイオリン製作で有名なミッテンヴァルト
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*泊まったホテル・ヴォルフ(オオカミの意)
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*見えてきた
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*バイエルン、いやドイツの定番 ノイシュヴァンシュタイン城
ルートヴィッヒ2世のお城 未完成に終わった ディズニーのお城のモデルであることは言うまでもないノイシュヴァンシュタイン城 城・宮殿
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*こちらもルートヴィッヒ2世のお城リンダーホーフ
辺鄙な場所につくるのが凄い!リンダーホーフ城 城・宮殿
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*ここからはケーニッヒスゼー(王様の湖)
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*湖の真ん中でおじさんが吹いてくれるトランペットが山々にこだまする
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この旅行記へのコメント (3)
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- 近鉄バッファローズさん 2012/09/30 14:41:28
- いよいよ始まりましたね
- 砂布巾さん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
いよいよ、砂布巾さんのライフワークが始まりましたね。
拝見致しましたが、やはり充実した内容ですね。
ロカルノ条約は知っていましたが、
そこでロカルノへ行っていらっしゃるところがすごいです。
また、続きを拝見致します。
くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。
- 砂布巾さん からの返信 2012/12/08 19:00:23
- RE: いよいよ始まりましたね
- いや〜、2回目の更新が今日ですからいかに牛歩の歩みか、恥ずかしいです。今回は前回と異なって写真は後回しにしました。バッファローズさんなら想像つくと思うのですが、大量のサンプルから写真を探し出すのは至難の業です。何か妙案はないものでしょうか?
- 近鉄バッファローズさん からの返信 2012/12/09 14:35:59
- 取っ掛かり
- 砂布巾さん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
素晴らしいです。取りかかったと言うことが。
私もしなければ、とは思いつつ、ただ無為な日々を過ごしています。
私の場合、初めに「どういう旅行記の流れにしよう」と
言う取っ掛かりが決まれば、進んでいくのですが、
写真が多量にあったりすると、そこがなかなか決まりません。
本当は、記憶が新たな内に取りかかれば、
写真の順番なども覚えていて、いちいち全部確認をしなくても
どの写真なら使えそうかとか判断が付くのですが、
時間が経ってしまうと、そのあたりの判断も遅くなりますよね。
私もなにか妙案があれば、御教示頂きたいと、切に思います。(^^;)
くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。
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