2024/11/27 - 2025/06/29
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砂布巾さん
1919年6月28日 終わりと始まり~ヴェルサイユ条約(フランス)
*中央に写っているカナダ人女性とは翌日に町中でバッタリ
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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郊外のヴェルサイユ宮殿を見学した。パリに来た最大の目的。内部も凄いけど、庭園の広大さには度肝を抜かれた。造営された当時、ブルボン朝支配下で第三身分と呼ばれた非特権階級の農民達(ブルボン朝を支えた影の部分)は重税に苦しみ搾取されていたが、王を頂点とする特権階級の貴族や僧侶は贅沢の限りを尽くしていた。特にルイ14世(太陽王 在位 1643~1715)時代の浪費、後のアメリカ独立戦争への支援で財政破綻が決定的になり、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃を機とするフランス革命を迎える。
ヴェルサイユ宮殿 城・宮殿
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15部440条からなる第一次大戦の講和条約は、サラエボ事件5年目のこの日、「鏡の間」で調印された。条約は「民族自決」(各民族が自分たちの運命を決める)、「国際平和機関の設立」などアメリカ大統領ウィルソンが提唱した「14カ条」を基本原則としながら、特にフランスのドイツへの復讐心から厳しいものになった。支払い不可能な賠償金(翌年ロンドン会議で1,320億金マルク=国家予算の20年分と決定)を課せられたり、会議に参加することを許されず、調印させられるだけだったことに端的に示されている。
条約でアフリカ大陸や太平洋、中国に持っていた植民地、勢力圏の全てを失い(日本は山東省の利権を引き継ぎ、赤道以北の南洋諸島を獲得した)、アルザス・ロレーヌ地方など国境沿いの領土を失った。
関連項目
「ローザンヌ会議」http://4travel.jp/travelogue/10918372 -
*ここから3枚はザール・ラント州の中心地ザール・ブリュッケンとその近郊
石炭資源が豊富なザール地方は15年間の国際連盟管理の後、住民投票で帰属が決定されることになった。 -
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*ザール・ブリュッケン近郊にあるフェルクリンゲン製鉄所跡 世界遺産に登録されている この地方で石炭産業が重要であったことがうかがわれる
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港町ダンツィヒ(現グダニスク)は、国際連盟管理下でポーランドに使用権が認められた。ポーランドに西プロイセンを譲った結果、東プロイセンが本国から離れた飛び地となり、領土、人口とも戦前の約10%を失った。
軍事面ではライン川左岸を連合国が15年間保障占領、右岸50kmの非武装化(ラインラント非武装と言われる)が決められた。ラインラントの切り離しを目指すフランスと独仏の勢力均衡を重視するイギリスとの妥協の結果であった。徴兵制の禁止、陸軍10万人、海軍1万5千人体制のほか、保有する兵器などについても細かく規定された。
ヒトラーが「畢生の事業」と語っていた、ドイツとオーストリアの合併は禁じられた。
ドイツ以外の同盟国は個別に連合国と講和条約を結んだ。オーストリアはサンジェルマン条約、二重帝国を形成していたハンガリーはトリアノン条約、ブルガリアはヌィイー条約、オスマン帝国はセーブル条約。
ドイツ統一の主導権をめぐって争ったプロイセン・オーストリア戦争の敗戦の結果、1867年に成立していたオーストリア・ハンガリー帝国は、「民族自決」の名の下に解体され、旧ロシア帝国領だった地域を含め北からフィンランド(スオミ)、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ポーランド(平らな国)、チェコ・スロヴァキア、ハンガリー(マジャール)、セルブ・クロアート・スロヴェーン王国(1929年以後ユーゴスラビア)の8カ国が独立し、オーストリアはドイツ系民族だけの小国家となった。第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「民族自決」は、アジア・アフリカには適用されなかった。ドイツ弱体化後の脅威が共産主義ソ連(1922年成立 便宜上ソ連で統一)であり、8カ国に防波堤の役割を担わせるのが必要だった、一方で英仏が植民地を手放す意志がなかったことを意味している。
東部ヨーロッパの地図は根本的に変わった。ポーランドが事実上獲得した前述のダンツィヒやチェコ領となったズデーテン地方はドイツ系住民が多く、後にヒトラーがこれらの領土を公然と要求し、国際的緊張を高めて行く。
ズデーテン地方の運命は 「ミュンヘン会談」の項目へ
http://4travel.jp/travelogue/10918498 -
アルザス・ロレーヌ地方が戦争毎に独仏と帰属を変えているのも含めると、「国境」というものについて考えざるを得ない。
*普仏戦争後ドイツ、第一次大戦後フランス、第二次大戦中ドイツが占領、戦後フランス
*アルザスの中心都市ストラスブールの世界遺産プチフランスの街並み 近くのレストランで聞いたところ、アルザス方言はフランス語よりドイツ語に似ているとか -
*独仏国境の一部となっているライン川 現在は平和そのもの
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ヴェルサイユ体制が反共産主義的性格を持っていたことは、会議と並行してソ連への干渉戦争(シベリア出兵はこの一環)が行われたことからも明白だ。換言するなら、英仏を中心に、戦争の原因を作り出したドイツ、防波堤を築いて共産主義ソ連を排除し、新しいヨーロッパを造ろうとしたものと言える。戦後の国際秩序から除外された両国は、1922年に賠償問題に関する会議がイタリアで開かれた際にラパロで会談し、国交を回復した。ドイツが革命ソ連を承認した初の大国になった。孤立したもの同士が手を結んだ形だ。
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アメリカは共和党の反対で上院が条約を批准せず、後述する国際連盟にも加盟しなかった。19世紀以来の伝統的な孤立主義(モンロー主義)に回帰したと言える。ただ国際政治に無関心だったわけではなく、1921年から翌年にかけて体制を補完するワシントン会議を主催して、海軍軍縮条約(主力艦の保有比率 英米5対日本3対仏伊1.67)のほか、太平洋に関する四カ国条約(日英同盟の破棄)、中国に関する九カ国条約(日本が山東省の利権を返還、21カ条要求の破棄)を結んで日本を牽制した。アメリカでは1924年に排日条項を含む移民法が成立し、日本人移民を全面禁止するなど、日米関係は悪化した。
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日本は連合国からの要請を受けて、地中海戦線で戦った。ただ主目的は山東省のドイツ利権だった。なお捕虜にしたドイツ兵によって徳島県板東俘虜収容所で「第九」の日本初演が行われた。収容所は捕虜に対して寛大で友好的であり、地元民との交流も行われた。広島市似島に収容されたのがカール・ユーハイム氏。1919年3月4日広島県物産陳列館(現原爆ドーム)で出品されたのがバウムクーヘン。日本デビューの瞬間だった。
1915年には中華民国(1912年成立)の袁世凱政府に21か条要求を突き付けた。似島 自然・景勝地
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ドイツ国内では強い反発の声も上がったが、調印する以外に道はなかった。条約に対する国民の潜在的不満は、大きな火種を抱える。後にヒトラーは徹底的にこの条約を攻撃し、更には次第にユダヤ人憎悪をエスカレートさせ、1929年(1919年条約、1939年開戦)に起こる世界恐慌以後、多数の国民の支持を獲得する。この条約は第一次大戦の講和条約という意味合いと同時に第二次大戦の始まりを意味するものでもあるのだ!
*ヒトラーの再軍備宣言に関しては
「ストレーザ戦線」 http://4travel.jp/travelogue/10918401へ -
連合国軍総司令官フォッシュ元帥は「『これはただ20年間の休戦だ』と驚くべき正確さで断言した」(チャーチル「第二次世界大戦」 河出文庫)。ヴィルヘルム2世の登場後、急激に帝国主義的世界分割に割り込んだドイツは、膨張方向を海外から近隣諸国に変更しながら、小休止を挟んだ流れと捉えることも出来る。実際、両大戦を休戦期間をはさんだ新三十年戦争(三十年戦争1618~1648)と位置付ける場合もあるという。
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着くまでが大変だった。ヴェルサイユには国鉄近郊列車で行く。前夜路線図を見ながら、一旦エッフェル塔近くに出て、国鉄列車に乗ろうと考えた。予定通り塔観光後、チケットを買ってホームに向かうが、表示はない。しばらくして、路線は現在閉鎖され、列車はモンパルナス駅から出ることが分かった。切符を買った時、駅員は教えてくれなかった。迷うのは分かり切っているのに…。
エッフェル塔 建造物
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1つ手前で英語のアナウンスも流れ、一部乗客が降りた。つられて降りたが、一緒になった父娘3人組は2時間以上もバスを乗り継いだり、待ったりしているそうだ。
苦労して着いて、入場まで2時間待ち、1時間見学して、昼食は18時に庭園のレストランで。人が多く、トイレも20分待つなど大変だったが、来て良かった。
昼食が遅かったので、夕食はペンション近くのレストランでビールを。少し心に余裕が出来たため、「旅は良いよナー」、「歴史を訪ねるって何て楽しいんだろう」と1人悦に入っていたのでした。(1999年8月15日訪問)
もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693
ヴェルサイユ宮殿訪問記は親友piachanさんのページへ
http://4travel.jp/travelogue/10577717
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旅行記グループ 砂布巾のLW 「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第1章 休戦 その1 混乱と安定
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