2012/03/25 - 2012/03/25
192位(同エリア375件中)
滝山氏照さん
天正18年(1590)、大多喜に入部した本多忠勝は直ちに城と共に城下町の整備に取り掛かります。
夷隅川に囲まれた城下町を北から大多喜街道(城下町通り)が南下し、かぎ型の道路を経て西に方向を変えていますが、この街道に沿って商家が立ち並び、やがては社寺を有する寺町に移ります。
旧い商家のいくつかは国の登録文化財となっていますが、自分が訪れたのは宍倉邸で「房総の小江戸」にふさわしい雰囲気を醸し出していました。
またお土産としてはお酒や和菓子が挙げられますが、自分は城下町通りに面した「ふくだや」で十万石どら焼を買い求めました。
2022年7月18日追記
現地境内に建てられた説明板には次の如く紹介されています。
『 夷 隅 神 社
大多喜町指定文化財
この神社の祭神は、天照大神の弟神である素盞嗚尊です。
その草創については明らかではありませんが、社伝には、長久2年(1041)の再建後、更に天正15年(1587)に、里見氏の将、正木大膳亮(時堯)が再築したと伝えられています。その後は、代々の大多喜城主に厚く崇敬されたとあります。
むかしから牛頭天王宮と称し、明治の初めに夷潜神社と改号して村社となり、明治12年には社格が郷社になりました。
社殿は、拝殿、幣殿、本殿からなる権現造りです。本殿お擬宝珠には貞享5年(1688)と、また、拝殿の高欄にある擬宝珠には、文政12年(1829)と銘があって、建築各部の様式・手法上からも、それぞれ、その時代の建造と考えられています。
境内には、西南戦争はじめ、その後の戦争で戦死した人々の表忠碑や殉職警察官の招魂碑が建てられています。
初詣や、4月10日および7月15日の大祭には、近在から多くの参詣人で
賑わいます。
平成2年3月
大 多 喜 町 』
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
PR
-
夷隅神社(いすみじんじゃ)
歴代大多喜城主の崇敬社のひとつで、現在の建造物は江戸時代末期のものとされています。境内では毎月5と10のつく日は朝市が立ちます。自分が訪れたのは朝市が終わったあとだったようで、市の姿はありませんでした。 -
大円寺(だいえんじ)
-
石造阿弥陀如来立像
大円寺にある阿弥陀如来像が建立されています。 -
宍倉邸
明治7年頃の建物で、醤油の醸造場所と商店兼住宅として建築されています。 -
国登録文化財
宍倉邸は国の登録有形文化財となっています。
このほか商家のいくつかは宍倉邸と同様に国の指定文化財に指定されています。 -
旧商家
大多喜活版所(活版)及び奈美喜手房(毛糸)の旧家が確認できます。 -
櫓塔
四ツ門公園に建てられた櫓塔があります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
滝山氏照さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
7