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JR外房線本納駅(ほんのうえき)下車、西に徒歩10分本納城(ほんのうじょう、千葉県茂原市本納)を訪問しました。<br />                        <br />築城は享禄2年(1529)と伝えられ、樹枝状に延びる丘陵を巧みに利用した要害堅固な平山城であります。<br /><br />城主は地元の伝承では黒熊大膳亮景吉(くろくま・だいぜんのすけ・かげよし、生没不詳)で里見氏を主家とし近隣24郷を治めていたと言われています。<br /><br />里見氏と小田原北条氏が反目する中で永禄7年(1564)国府台(こうのだだい)合戦を経て、主家里見氏から離れた土気(とけ)城主酒井胤治(さかい・たねはる、1536ー1577)の急襲を受け、永禄12年(1569)落城、黒熊大膳は自害します。<br /><br />以降土気酒井氏家老板倉右衛門が城代として派遣され土気城の支城として統治を受けますが、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐により小田原北条氏は滅亡、北条氏に与していた土気氏も同じ運命をたどります。<br /><br />関東に移封された徳川家康の代になりますと当地は旗本の知行地となりこれを機に廃城に至ります。<br /><br /><br />2023年5月17日追記<br /><br />現地に建てられた説明板には下記のように紹介されています。<br /><br /><br />『 茂原市指定史跡<br /> 本 納 城 址<br />        所在地 茂原市本納310<br />        昭和53年12月28日指定<br /><br />本納城は室町末期、享禄2年(1529)に構築されたと伝えられるが、地の利を生かした要害堅固な山城であった。永禄の頃、黒熊大膳亮景吉という武将これに拠って24郷を治め武威を誇っていた。<br /><br />永禄7年(1564)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した土気城主、酒井胤治の軍勢に急襲され、永禄12年3月28日落城、城主景吉は切腹したと記録されている。その後土気方から城代家老、板倉右衛門がきて統治したが、天正18年(1590)小田原城落後、徳川幕下の旗本知行地となり廃城となる。本、中、下城址削壁、抜穴、袋狭間、狼火台址等々、中世山城の遺構を多く今にとどめている貴重な城址である。<br /><br />      平成2年3月26日<br />                茂原市教育委員会 』    

上総茂原 安房国里見氏から小田原北条氏に主家を変え所領を奪取し土気酒井氏支城となるも小田原城開城に伴い没落した『本納城』訪問

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2012/03/25 - 2012/03/25

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR外房線本納駅(ほんのうえき)下車、西に徒歩10分本納城(ほんのうじょう、千葉県茂原市本納)を訪問しました。
                        
築城は享禄2年(1529)と伝えられ、樹枝状に延びる丘陵を巧みに利用した要害堅固な平山城であります。

城主は地元の伝承では黒熊大膳亮景吉(くろくま・だいぜんのすけ・かげよし、生没不詳)で里見氏を主家とし近隣24郷を治めていたと言われています。

里見氏と小田原北条氏が反目する中で永禄7年(1564)国府台(こうのだだい)合戦を経て、主家里見氏から離れた土気(とけ)城主酒井胤治(さかい・たねはる、1536ー1577)の急襲を受け、永禄12年(1569)落城、黒熊大膳は自害します。

以降土気酒井氏家老板倉右衛門が城代として派遣され土気城の支城として統治を受けますが、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐により小田原北条氏は滅亡、北条氏に与していた土気氏も同じ運命をたどります。

関東に移封された徳川家康の代になりますと当地は旗本の知行地となりこれを機に廃城に至ります。


2023年5月17日追記

現地に建てられた説明板には下記のように紹介されています。


『 茂原市指定史跡
 本 納 城 址
        所在地 茂原市本納310
        昭和53年12月28日指定

本納城は室町末期、享禄2年(1529)に構築されたと伝えられるが、地の利を生かした要害堅固な山城であった。永禄の頃、黒熊大膳亮景吉という武将これに拠って24郷を治め武威を誇っていた。

永禄7年(1564)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した土気城主、酒井胤治の軍勢に急襲され、永禄12年3月28日落城、城主景吉は切腹したと記録されている。その後土気方から城代家老、板倉右衛門がきて統治したが、天正18年(1590)小田原城落後、徳川幕下の旗本知行地となり廃城となる。本、中、下城址削壁、抜穴、袋狭間、狼火台址等々、中世山城の遺構を多く今にとどめている貴重な城址である。

      平成2年3月26日
                茂原市教育委員会 』    

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 蓮福寺(れんぷくじ)山門<br /><br />本納(ほんのう)城の居館跡であったと思われる蓮福寺の山門です。当該寺院は成就山と号する顕本法華宗です。

    蓮福寺(れんぷくじ)山門

    本納(ほんのう)城の居館跡であったと思われる蓮福寺の山門です。当該寺院は成就山と号する顕本法華宗です。

  • 蓮福寺境内<br /><br />山門をくぐりますと東西と北の山々に囲まれた広い境内が現れます。

    蓮福寺境内

    山門をくぐりますと東西と北の山々に囲まれた広い境内が現れます。

  • 蓮福寺大公孫樹(茂原市指定文化財)<br /><br />樹齢約430年、樹高約17.5m、根周り約5.6mの大木で当寺開祖の日遊上人によって植えられたと伝われています。

    蓮福寺大公孫樹(茂原市指定文化財)

    樹齢約430年、樹高約17.5m、根周り約5.6mの大木で当寺開祖の日遊上人によって植えられたと伝われています。

  • 境内の光景<br /><br />石碑の向こうには大池が認められます。

    境内の光景

    石碑の向こうには大池が認められます。

  • 境内の池<br /><br />かつては「下城」として本納城の水堀の一部であったと思われます。

    境内の池

    かつては「下城」として本納城の水堀の一部であったと思われます。

  • 本堂への階段

    本堂への階段

  • 本堂全景<br /><br />本納城は三段に分かれており、頂上部を「上城」とすれば本堂は「中城」のにあたり、居館跡にふさわしい位置を占めています。<br /><br />当該寺は国人の黒熊大膳亮景吉が拠点としていた本納城の跡地に、酒井康治が開基として天正8年(1580)に創建、その後慶安2年には江戸幕府より寺領34石の御朱印状を受領し、妙満寺輪番上総10ヶ寺の一だったと伝えられます。

    本堂全景

    本納城は三段に分かれており、頂上部を「上城」とすれば本堂は「中城」のにあたり、居館跡にふさわしい位置を占めています。

    当該寺は国人の黒熊大膳亮景吉が拠点としていた本納城の跡地に、酒井康治が開基として天正8年(1580)に創建、その後慶安2年には江戸幕府より寺領34石の御朱印状を受領し、妙満寺輪番上総10ヶ寺の一だったと伝えられます。

  • 本堂<br /><br />山号額には「成就山」の山号が記載されています。本堂正面の華々しい彫刻が印象的です。

    本堂

    山号額には「成就山」の山号が記載されています。本堂正面の華々しい彫刻が印象的です。

  • 主郭部への小路<br /><br />蓮福寺裏の小路を上り主郭がある高台に向かいます。

    主郭部への小路

    蓮福寺裏の小路を上り主郭がある高台に向かいます。

  • 主郭部への小路<br /><br />左手に深い自然の谷を眼にしながら細い小路をずんずん登ります。

    主郭部への小路

    左手に深い自然の谷を眼にしながら細い小路をずんずん登ります。

  • 主郭部への小路<br /><br />右側には高い土塁になっている空堀が現れ、防御を配慮した施設が造られています。

    主郭部への小路

    右側には高い土塁になっている空堀が現れ、防御を配慮した施設が造られています。

  • 主郭部への小路<br /><br />空堀を上り切り、振返ると難攻不落の防御であることが判ります。

    主郭部への小路

    空堀を上り切り、振返ると難攻不落の防御であることが判ります。

  • 主郭部周辺<br /><br />本城山と呼ばれる山の頂上に辿りつきます。あたりは樹木が分散して立ち、前面には「本納城址」と刻まれた石碑が建っているだけです。

    主郭部周辺

    本城山と呼ばれる山の頂上に辿りつきます。あたりは樹木が分散して立ち、前面には「本納城址」と刻まれた石碑が建っているだけです。

  • 城跡碑<br /><br />石碑の裏には本納城址説明文が書かれています。

    城跡碑

    石碑の裏には本納城址説明文が書かれています。

  • 主郭部展望<br /><br />主郭から平野方向を展望します。

    主郭部展望

    主郭から平野方向を展望します。

  • 主郭部展望<br /><br />主郭から左側に繋がる山系方向を展望します。住居のいくつかが見え、その向こうには墓所群が確認できます。

    主郭部展望

    主郭から左側に繋がる山系方向を展望します。住居のいくつかが見え、その向こうには墓所群が確認できます。

  • 主郭部<br /><br />眼下には樹木や薮で隠れていますが、かなり深い谷が見られます。

    主郭部

    眼下には樹木や薮で隠れていますが、かなり深い谷が見られます。

  • 尾根の一部<br /><br />主郭部からいくつかの方向に尾根が長く続きます。

    尾根の一部

    主郭部からいくつかの方向に尾根が長く続きます。

  • 深い急谷<br /><br />細い尾根から眼下の急谷を一望します。<br /><br />

    深い急谷

    細い尾根から眼下の急谷を一望します。

  • 尾根の一部<br /><br />主郭部から反対側の尾根を行きます。

    尾根の一部

    主郭部から反対側の尾根を行きます。

  • 尾根から主郭部を一望<br /><br />主郭部への虎口と思われる光景が見受けられます。

    尾根から主郭部を一望

    主郭部への虎口と思われる光景が見受けられます。

  • 蓮福寺鐘撞堂<br /><br />主郭部から蓮福寺に戻りますと鐘撞堂が視野に入ります。

    蓮福寺鐘撞堂

    主郭部から蓮福寺に戻りますと鐘撞堂が視野に入ります。

  • 蓮福寺境内<br /><br />境内に咲く梅花が疲れを癒してくれます。

    蓮福寺境内

    境内に咲く梅花が疲れを癒してくれます。

  • 蓮福寺境内<br /><br />境内から山門に向かいます。

    蓮福寺境内

    境内から山門に向かいます。

  • 本城山を一望<br /><br />蓮福寺に隣接する空地から本城山を一望します。下から見上げると険しい山とは思えない穏やかな山並みに映ります。

    本城山を一望

    蓮福寺に隣接する空地から本城山を一望します。下から見上げると険しい山とは思えない穏やかな山並みに映ります。

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