2012/08/06 - 2012/08/07
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pedaruさん
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先日もまた、荷物が届きました。発泡スチロールの箱を開けると、海苔、自分で作ったという塩ウニ、餅、豆餅、胡麻餅、鯨の肉、おまけに「萩の月」まで、被災して自分のことだけでもたいへんだろうに、こうやって、妹夫婦の私達を気にかけて・・・他の兄弟までも・・・
母親のようにいつも支援くださっている義姉が住む牡鹿町を訪ねました。
ここ牡鹿町十八成浜の大部分は、先の津波で、壊滅しました。高台にあった義姉の家は、玄関先まで水が来たものの、かろうじて助かりました。
この絵は、随分昔、義姉の家の二階からスケッチしたものです。この家々がどうなったかは、旅行記の中で、お伝えします。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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東山温泉を出て、東北道を走り、仙台から石巻に向かいます。
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石巻市 あの松林の先は、海です。昨年の3月11日、あの向こうから、恐ろしい津波が、
この街を襲ったのです。 -
壊れたままの家屋が見えます。
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一見普通に見えても、誰も住める状態ではありません。
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車は美しい海が見え隠れする海岸線を走ります。
おやっ 枯れたような木々が見えます。 -
津波に見まわれて、杉の木は枯れたのでしょう。
人の手で植えられた、杉の木は弱いのです。 -
この坂道を下ると、美しい海が出迎えます。陸前の松島のような・・・
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見覚えのある海岸線です。 十八成浜はもうすぐです。
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着きました。着きました? いったいどこが、どこなのか?
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携帯電話で義姉に確かめます。
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分かりました、この道の先、小高いところの二階家が見えます。
意外と低いんだな〜、
家並みが続く細い道を、義姉の家に行ったものだったが、何にもない土地だけ
になってしまった。 -
義姉の家の前から振り向くと、設置された電柱のみが目に入ります。
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この先の海岸線を走る道の際の防波堤の上には、高さ1Mあまりの巨大な土嚢袋
が、黒々と積まれています。 -
土嚢袋のそばに立って、海を覗いてみると、あの美しい砂浜は水没していました。 地震で地盤沈下したのです。
ここ十八成浜(くぐなり)は名前の由来になるほどの、無垢の白砂が、広がり、歩くとクックッと音のする鳴り浜だったのです。 -
壊れたままの欄干が、津波の凄まじさを物語っています。
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今は原っぱとなった元住宅地にもこんな花が咲いていました。
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ここ牡鹿町の象徴の鹿の絵の入ったマンホールです。
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近くで産する天然のスレート瓦を見つけました。
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ももちゃん、無事だったのね〜
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懐かしい義姉の家に入ると、賑やかなお飾りや、孫の書いた習字や、置物などが、目に入ります。一人暮らしの寂しさを慰めてくれているようです。
愛する夫だけを頼りに、身一つでこの陸の孤島のようなところへ嫁に来て、難しい姑に長年つとめて、苦労を重ねました。
社交的な性格の彼女は、誰にでも親切で、多くの友達ができ、今はどこにも行きたくないと言っています。 -
毎日捧げものをする神棚は、背が縮んで台が無いと届かないと、苦笑しています。
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仏壇にもお茶やご飯などを上げます。「おや、その哺乳瓶は何ですか?」「ああ、これは、まさしちゃんの分、今日はコーヒー牛乳」
50年以上前に、死産した男の子に、毎朝こうして弔っているその心根の優しさに胸が熱くなりました。
誰にでも優しく、みんなに好かれる義姉、昨日も近所のお年寄りを、車で病院に送り迎えしたと言っています。自分も十分お年寄りなのにね〜・・・ -
ここ牡鹿町は鯨漁が盛んでした。マンホール、鯨の船長さんとたくさんの鹿が取り巻きます。
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夫は大洋漁業の捕鯨船で活躍していました。解剖長としてのその勇姿は家族の誇りでした。
生きていたら、今の衰退ぶりをどう思うでしょうか、写真は乗っていた日新丸です。 -
義姉の車に乗り込んで、義兄の墓参りに来ました。墓石の崩壊ぶりが地震の凄まじさを物語っています。
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かろうじて修復された墓石。
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一年半以上たっても、手付かずの状態です。
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地震当日、義姉たちは、更に高台にあるこの墓地に逃げてきました。六畳もないような、管理小屋で4,5人で身を寄せ合って、3晩ほど過ごしました。
寒さと、余震の恐怖で、震えながら耐えました。 -
「津波が来るぞ〜」という声を聞いて何も持たずに、高いところに走りました。振り向くと、すぐ後ろに、自分の車が流れているのが見えました。
地鳴りと物の壊れる音、恐怖の只中にいたのです。 -
昨夜は夜中に、ピーッ、ピーという声を聞いて目が覚めました。
見えませんでしたが、鹿が、近くまで来ていたのです。 -
家の前の菜園のこの網は鹿から、野菜を守るためなのですね。
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表紙の絵と同じ二階の窓から描きました。
あの島のお陰で、津波はこれでも小さくて済んだのです。
そういえば、長女があの島の小学校に赴任していたこともあったと聞きました。 -
家々は流されました。いまは原っぱが広がるばかりです。
でも、大半の住民は高台に逃れました。お気の毒ですが、死者は2名にとどまりました。
お名残惜しいがお別れです。いつまでも見送られて、車を走らせます。 -
途中、車を停めて、景色を、堪能します。静かな海です。
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支倉常長の像です。伊達氏の家臣で慶長遣欧使節団を率いて、ここ月の浦から、ヨーロッパ目指して出航しました。
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サン ファン ヴァウティスタ号の絵柄
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この港から出航したのでしょうか。
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穏やかなこの海から出航したのです。
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帰り道、また石巻市を通りました。
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残った家も、住める状態ではありませんね。
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積み上げられた瓦礫の山が見えます。
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まだ新しい建物も津波にはなすすべがありません。
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取り壊しの作業でしょうか?
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工場のような建物、働いていた人たちは?
職場を失って、今どこで?と気になります。 -
住宅のあったところも、夏草が茂って
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1階の角はベニヤ板でかこっています。
周囲の家が皆壊れ、流された中、ちゃんと残っています。住宅の質の違いを
物語っています。 -
結構、立派な家が残っています。
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鉄骨だけが残っています。
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窓を塞ぐブルーシート、 今やこの色は、痛々しいですね。
人々は、また、この地に住むのでしょうか? -
夏雲を追いかけて、帰路につきます。
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この旅行記へのコメント (19)
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- ねんきん老人さん 2024/05/08 08:33:00
- もはや以前に戻ることはないのかと・・・。
- pedaru さん、おはようございます。 朝から、怠惰な自分を叱られたような気がします。
2012年。 あの大震災の翌年のレポート、息を呑みました。 私も震災後3回被災地に行き、その荒廃ぶりを目の当たりにしたつもりでしたが、今回pedaru さんの生々しいご報告を拝読して、自分の見た光景がなんとも「軽い」被害のあとだったことを思い知りました。
加えて、pedaru さんのお義姉様に代表される現地の方々の切ないほどの暮らしぶりをもご紹介いただき、私などの思いもよらぬ津波の残酷さを再認識しました。
今はさらに10年以上が経ち、復興も進んでいると思いますが、それは長い年月をかけて作り上げられた以前の景色とは全く違う、「人工的な」景色になってしまっているのだろうと思います。 (私が見たときも、いたる所にカマボコ型の盛り土が整然と並んだ異様な光景でした)
ご義姉様が哺乳瓶にコーヒー牛乳を入れてお仏壇に供えていらっしゃるお話。 胸に迫りました。 そうやって人をも土地をも大切にされてきた多くの方々の姿勢を今の若い人たちに伝えるすべはないものでしょうか?
pedaru さんが、数十年を隔てて同じ場所から同じ場所を描かれたスケッチにも驚きました。 言い方は変ですが、「歴史の証明」とも言えるその2枚、是非とも公の場所で大勢の人の目に供していただきたいものです。
余談になりますが、私はかれこれ40年近く各地の砂を集めており、その中の鳴き砂も昨年30か所を超えました。 それなのに、十八成浜のものはありません。
十八成浜のことは砂集めを始めた頃から聞いており、その砂を私のコレクションに加えることは大きな宿題だったのですが、今回pedaru さんのご旅行記を拝読して、それがもはや叶わぬことだと知りました。 土嚢の積まれた堤防まで海面が迫っているpedaru さんの写真に言葉もありません。
あれこれ考えさせられた、貴重なご旅行記でした。 ありがとうございました。
ねんきん老人
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- 1ウォンさん 2012/11/12 07:06:11
- 2枚の絵
- お久しぶりです。 pedaruさん
久しぶりにpedaruさんの所に来てみたら
ちょっと衝撃を受けてしまいました。
復興はあまり進んでいないことは ある程度わかってはいましたが、
お墓まで倒れたままとは・・・
義理のお姉さまの家など数軒だけ残っている光景、
その義理のお姉さまの家から何十年ぶりかに描かれた絵、
すべてが衝撃的としか言いようがありません。
複雑なお気持ちで旅をされたことと思います。
pedaruさんは絵の大先生なんですね。
以前(ずいぶんと昔のような・・?) 先生のことを私を越える野次馬だと申してしまったようですが、
本当に失礼いたしました。
昔のことで覚えていない ?? (よかった〜 ??)
でも 私と先生の違いは、
私は悪性の野次馬ですが 先生は ” 良性 ” の野次馬でしたね。 (^ ^)
おかげさまで私もいくらか 違いのわかる男になっているようです。 (^ ^;)
ありがとうございます。 また遊びにきます。
2枚の絵! 他の人ではまねることのできない 素敵な旅行記でした。
1ウォン
- pedaruさん からの返信 2012/11/13 06:56:10
- RE: 2枚の絵
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1ウォンさん
あなたは、まだ違いのわかる男ではなさそうです。 悪性、良性などと、腫瘍ですか。まあ、どちらかと言えば二人とも悪性ですかね。なぜなら、もお、完治しないビョーキですから・・・・野次馬病・・・・
先生などと2度と言わないでください。先生 私のは 先ず生きてる、の先生ですから・・・・
有難うございました。また訪問します。
pedaru
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- 甲斐 駒岳さん 2012/10/22 07:59:05
- pedaruさん
- 私の写真にグット頂き、有難う御座いました。
私の実家も、福島縣浜通りで、原発、津波で
大変です、未だ通行止めで、行けません、田んぼ
も津波に飲まれて、おコメも撮れない状態です。
困りますね。
震災の半年前に陸中へ行きました、私の名前の駅
も流されて、ショックです。
http://www.digibook.net/d/c48587bf81999255675aba511d83ecff/?viewerMode=fullWindow&isAlreadyLimitAlert=true
- pedaruさん からの返信 2012/10/24 07:17:26
- RE: pedaruさん
甲斐駒さん お早うございます。
福島県浜通りでしたか、大変ですね。地震や津波は、天災として片づけられるかもしれませんが、原発事故は検証が進めば進むほど、人災の要素が多くなってきてますね。利権に群がる人達は、苦しめられる人達のこと等、少しも意に介さないようですね。 利益のためには、戦争も辞さない程ですから・・・
一日も早い復興を願っています。
pedaru
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- bawkazanさん 2012/09/20 08:21:51
- 投票ありがとうございました
- 初めまして。
私の拙い旅行記に投票をいただき、ありがとうございます。
石巻の旅行記を拝見しました。
多くの想い出と痛みと夏の気配に満ちた、すてきな写真とレポートでした。
お義姉さまの優しさが胸に染みます。
- pedaruさん からの返信 2012/09/22 05:14:30
- RE: 投票ありがとうございました
bawkazanさん
はじめまして 私の旅行記も見ていただいて有難うございました。
bawakazanさんの旅行記には、感心しています。というのはテーマごとに的を絞って、ユニークな旅行記に仕上がっていることです。
数ある旅行記の中でも、一際目を引きます。今後、人気の旅行記になると思いますよ。
pedaru
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- DANAさん 2012/09/01 21:29:06
- 3.11
- あの日、突然の揺れ。どんどん続きひどくなっていき、いつ果てるともなく揺れ続けました。私は横浜の職場で、パソコンを操作していたのですが、あっという間に電源も切れて、正確な情報を知ったのは携帯のワンセグからでした。太平洋沿岸が赤い線で表示されていました。家族は、東北に住む親族は…。どんなに焦っても、今自分ができる責任を全うしなければと何度も言い聞かせました。その頃には、あの大津波が襲っていたのですね。いつも涙が…。生きているということの奇跡的な幸運を、日々心に刻んでいます。
DANA
- pedaruさん からの返信 2012/09/02 07:29:24
- RE: 3.11
DANAさん お早うございます。
あの日のことは私もよく覚えています。地震予知情報で「宮城県に大津波が来ます。」という放送に、すかさず、牡鹿半島に住んでる義姉に電話しました。津波が来ると、しかし通じません、と、間もなく揺れ出しました、経験したこともない揺れでした。
義姉は長女を出産後、入院中にチリ地震津波で、山に逃げましたが、今度で二度目です、でも、いずれも命だけは助かったのは幸運です。彼女の母親は関東大震災を東京で経験しています。
pedaru
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- わんぱく大将さん 2012/09/01 15:08:35
- 同じ日本かと?
- pedaruさん
日本に帰ってくると、なんと物が多い国。何でも売ってて、それも24時間以内に処理ができるものが多い。それを当たり前と思ってる人が多い。
トイレには、おしっこの音が恥ずかしいからと、用を足してる間に鳴るものがあって、なんと?! おしっこの力強い音を聞くと、健康だと思うのですが。贅沢な国だと思いますが、で、こうやって被災地にいくと、同じ国かと思ってしまう。 外から見た日本。それにも感謝。
今回はお会い、お渡しできませんでしたが、機会があれば、また。
5日にBCNに戻ります。
大将
- pedaruさん からの返信 2012/09/02 07:09:41
- RE: 同じ日本かと?
大将さん お早うございます。
毎日暑くて日本の夏は体に障りませんか?スペインの夏ははいかがでしょうか?
でも昨夜は、珍しく扇風機なしで寝られました。
テレビでは寝るときは設定温度をどうのこうのと、特集してますが、我が家では寝るときは、窓を開け放って快適に・・・・市川市とはいえここは前も後ろも畑ですので、風通し良く、気に入っています。
外から見ると、客観的に見られますよね。外出から帰ってきて、我が家を見ると、「ああ、ぼろになったなあ」と、・・・ちょっと意味が違うかな?
10月にロンドンに行く予定がありますので、大将さんにも、アドヴァイスをお願いすることになると思いますがよろしくお願いします。
大将さんの両替のクチコミ、参考になりました。
pedaru
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- ひゅうひゅうさん 2012/08/28 08:38:31
- 辛い光景
- pedaruさん、おはようございます。
石巻は震災から一年以上たった今も、辛い光景が残っていて心を痛めます。
主人の友人が石巻に住んでいます。幸い津波の被害にはあわなかったのですが、それでも海に近いので、震災後は何度も電話をしたりして、安否を確認しましたが通じず、本当に心配しました。
この写真を見せていただいて、あらためて被害に遭われた方や被災地の事を忘れてはいけないと感じました。
貴重な写真を見せていただいて、ありがとうございました。
ひゅうひゅう
- pedaruさん からの返信 2012/08/30 05:48:34
- RE: 辛い光景
ひゅうひゅうさん お早うございます。
コメント有難うございました。地図では確認していませんが、私が、通ったメインな道路沿いですが、海が近くて、見たところ、高台はかなり先の方にあるようです。再び、来襲したときは、同じ事になりそうです。
津波に備えて、人間の知恵が発揮されなければなりませんね。高台に代わる堅牢な建物とかを作るとか、・・・・
かなり整理されている現在ですが、直後の様子は地獄絵図のようだったでしょうね。今朝も仙台で、地震がありましたが、普段の備えが大切と痛感しました。
pedaru
-
- hot chocolateさん 2012/08/26 17:24:27
- 被災地の現状・・・
- pedaruさま
被災地・石巻市の旅行記を拝見いたしました。
お義姉さまの住む町の大部分が、3.11の津波で壊滅したのですね。
自然の驚異とは本当に恐ろしいものです。
私も、昨年の9月に、宮城県の名取市閖上地区に行きました。
ここでも大部分の住宅が津波で流され、人口7000人のうち1000人の方が無くなられたそうです。
復興には、まだまだ長い時間がかかると思います。
時の経過とともに、この大惨事が忘れ去られないよう、後世に伝えて行くことが大切ですね。
hot choco
- pedaruさん からの返信 2012/08/27 06:22:52
- RE: 被災地の現状・・・
- hot chocolateさん
コメントを有難うございました。
人は、過去を学び、生かして行かなくてはいけない、と良く言いますね。当たり前のこのことが守られないのが現実です。
天災とは言え、防げることがたくさんあったと思います。
低い土地には、住んではいけないと、先人が石碑まで建てて、津波の被害を教訓にした地域がたくさんあったにもかかわらず、それが生かされなかったのです。例外的に教訓を守って、助かった地域もあったと聞きますが。
こんなことがあっていいのか、と罪のない人々が、亡くなったことに怒りが湧いてきます。理不尽過ぎます。hot chocoさんの仰る通り忘れてはいけないことですね。 有難うございました
pedaru
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- ガブリエラさん 2012/08/26 11:34:11
- 復興は、まだまだこれからですね・・・
- pedaruさん☆
おはようございます♪
石巻、1年以上たっても、まだまだ復興にはほど遠い状態なんですね・・。
その中で、たくましく立派に生きられてるお義姉さま、ご苦労されたのでしょうね・・・。
関西に住んでると、情報があまり入らなくなってしまってますが、これからこそ、支援が必要なんですね!
自分にできること、考えたいと思います。
貴重な情報を、ありがとうございました。
ガブ(^_^)v
- pedaruさん からの返信 2012/08/26 14:50:29
- RE: 復興は、まだまだこれからですね・・・
- ガブリエラさん こんにちは
被災地の現状を少しだけ伝えられたかな?と思っています。
ガブリエラさんの優しさが感じられたコメントでした。義姉の生き方を少しでも知って頂いて嬉しく思います。
pedaru
-
- norisaさん 2012/08/26 07:06:10
- 復興道遠しーー
- pedaruさん、
お久しぶりです。
それにしても大震災の爪痕はすさまじい限りです。
オリンピックや領土問題で震災関連の報道が減っていますが、まだまだ復興への道のりが遠いことがわかりました。
今後、東海や南海での地震が予測されていますが、この教訓を生かさなくては被災した方々に申し訳ないですねーーー。
norisa
- pedaruさん からの返信 2012/08/26 14:42:34
- RE: 復興道遠しーー
norisaさん こんにちは
大震災に伴う大津波、巻き込まれた人々、遺族の悲しみ、こんな理不尽なことがあっていいのか、胸が張り裂けそうになりますね。
因果応報ならまだ諦めもしますが、善良な人達が、なぜ?とやりきれない思いです。 復興は人の優しさと、何よりも、政治の力が肝心だと思います。誠意あるコメントを有難うございました。
pedaru
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