2012/08/04 - 2012/08/06
1563位(同エリア2742件中)
きっちーさん
原水禁☆初参加☆☆
初日の開会式。
誰でも自由に参加できるのかと思いきや、事前配布されたビニール・バッジがないと会場に入れないという~。
どんな経緯があったのか分からないのですけど、労働組合にしろ平和団体しろ、基本的に組織に所属していないとバッジが手に入らず、個人がその日にたまさか思い立ってみたいなのじゃ、参加できないってのは正直驚きました。
日本の敗戦処理問題や原発問題といった、関心があれば誰でも(賛成/反対問わず)参加可能な市民学習&集会に慣れていると、「バッジがなければ入れませーん」というのは、なんだかずいぶん閉ざされた印象?
開会式の中身は、海外の取り組み報告がかなり面白かったので、勿体無い。
さて、2日目は分科会。
『被爆者援護・連帯の活動』『原発からの撤退、自然エネルギーを考える』といった14の分科会、座学系はもとより、炎天下を徒歩でまわるフィールドワーク、『動く分科会』なるものもゴザイマス。
高校生参加企画『世界のヒバクシャと語ろう』や、フォーラム『核兵器全面禁止のために~政府とNGOの対話』と、内容も目移りするものが~~!
オフコース!!
自分、外回り~っ!
歩いてくるよ!!!
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 船 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
PR
-
コンフォートホテルのアラーム音は小さかった・・・。
目覚まし聞こえず!
目が覚めると、すでに8時!
『動く分科会』の集合時間は8:30!!
「昨日に引き続き、またゴハンを食べ損ねたあ〜っ」
うめきながら髪を濡らして寝癖をカヴァーすると、あたふたと着替えてカバンをつかみます。
なんか、今回の広島はゴハンにたたられてる気がするな〜?
「食いすぎ注意ってことか・・」
集合場所の平和祈念館わきの緑地には、すでにけっこうな人数が集合しています。
炎天下でも大盛況な『碑めぐり・遺跡めぐり・被爆の実相学習会』。
参加申し込みが多かったせいか、集合でA・Bチームに分けられ、チームをさらに3等分し、そこから15名ずつにグループ分けするという・・。
出発前から、だいぶ混乱した雰囲気です。 -
「これなら、ゴハン済ませてきてからでもよかったかナ〜」
と思い始めた頃、ようやく出発。
15人を引率するのは、中学の先生。(見たところ元先生かと?)
人垣と周囲の車の騒音などで、説明がよく聞こえん・・。
なるべくガイドさんのそばにいヨー。 -
第1ポイントは・・・・。
あれえ、どっかで見たよ! -
つか、昨日の野球帽おじいちゃんの「毛利さん」話しを聞かされた、『白神神社』ではありませぬかー。
この神社の、向かって右側のお稲荷さんの裏には! -
←かような岩がゴロゴロしちょりまして。
写真でお分かりになるかどうかってトコなんですけど〜、表面が皮がむけたように剥がれておりまして。
これが、原爆の痕跡なんだそうです。 -
言われないと、見た目それほど分かるものでもない感じですが、固い岩肌が剥がれるくらいすごかったっちゅーことで。
ちなみに、ここは平和ガイドの定番コースらしく、朝の開店準備(?)をしている神主さんとガイドのおじいちゃんが挨拶しあってました。 -
お次は白神神社の横っちょ、鯉城(りじょう)通りを広島城方面へまっすぐすすむと、一見して古めかしい外観のオフィスビルが近づいてきます。
-
旧日本銀行広島支店。
-
被爆直後の写真を、プレートに起こして掲示してあります。
爆心地から約380メートル。
周囲が壊滅状態のなか、ぽつんと建っている姿はなんだか不思議です。 -
外観は無事でしたが、なかにいた42名が死亡。
びっくりする事に8/6の被ばく後、8/8からこの建物を使って各行が業務を再開したとあります。
う〜ん。
直後からの銀行業務って、なにやってたんだろう。
お金は燃えちゃってそうだし、引き出せても周囲の状況を見れば、使いようがないっつーか、商店が営業しちょるようには到底思えないのですけども???
2000年、旧日本銀行広島支店は広島市指定重要文化財に指定され、その後日銀および大蔵省・建設省への依頼によって、広島市へ貸与されています。
この日は締まっておりましたが、ふだんは建物内部も見られるそうですよ。 -
ふたたび、見学コースへ。
旧日本銀行広島支店の横っちょを歩いて『コ』の字に折れると、通りの角に学校のグラウンドが見えてきます。
学校の建物の脇に、小さな入り口。
コチラも平和資料館。
『袋町国民学校 平和資料館』です。 -
この建物も、被ばくで外郭のみを残したありさまとなりましたが、やがて被爆者の避難場所・救護所として利用されます。
また、児童・教職員の安否や地域の住民等の安否を尋ねる場となりました。 -
←内部は撮影禁止なので、写真は『広島平和記念資料館』の展示パネルなんですが。
校舎はこんなふうに使用されました。
壁に書かれた、安否を尋ねる書き込みや、名前。
3.11直後のツイッターやSNSの安否名簿リストを連想させます。 -
同じようなパネルが展示されているのですが、これも『広島平和記念資料館』の展示パネル。
ほとんど現物展示はないので、なんで撮影禁止なのかイマイチわからないのですけど。
なかは、関連パネル展示と証言映像視聴コーナー。
あと、当時の書き込みがうっすら見える壁の一部や、被ばくした建物の部分展示。
当時の様子を再現した階段などもあります。 -
生き残った方の証言によると、被ばくしたあと時間を置いて校舎が燃え上がったそうです。
平和ガイドさんは道案内はしてくれるものの、到着すると野放し状態。
説明はそれほど詳しくなく、質問してもよく分からないようです。
ぶっちゃけパネルを読んだ方が早いので、だんだんガイドのおじいちゃんのそばにいる人数が減っていき・・間違ってほかの団体にくっついて行ってしまい、何人か行方不明に(汗)。
たった15名の成人男女なのに。
小学校や保育園&幼稚園のお出かけなんかもっと多い人数を、少ないセンセーたちが見てんのにな・・。
小さい子より、オトナのが連れ歩きにくいんじゃないか、と思う瞬間でちた。 -
バラバラになった参加者をかき集め、ようやく移動開始。
本通りアーケード街へ進みます。
アーケード街に入る角に、ガラス張りの明るいショッピングビルが見えてきます。 -
1階〜6階まであるけっこう大っきいビルなんですけど、まるごと『アンデルセン』というベーカリー。
1階だけしか見なかったんですが、お持ち帰りのパンはもちろん、食事もできるレストランも併設されてます。 -
このビルのどこが、原爆関連なのかと申しますと〜。
←よーくみてください!
1階に比べて、2階部分が若干デザイン違うのがお分かりになりますでしょうか?? -
←窓枠とか、ちょっとレトロな感じです。
-
そう!
この建物は、当時残った帝国銀行の壁面を保存してつくられているのです!!
旧日本銀行広島支店や袋町国民学校はわりとガイドブックに紹介されていたりもするのですが、アンデルセンの2階の壁はかなり穴場なんじゃないかと。
経営者の方がどういった想いから壁を保護し続けたのかは、相変わらずガイドのおじいちゃんの知恵袋の範疇外のようなんですが(笑)。
それでも、壊しちゃった方が早いのを大切に残し続けていることに、少なからず感動させられます。
そんな広島『アンデルセン』のホームページはコチラ→http://www.andersen.co.jp/hiroshima/ -
動く分科会。
最後のスポットは、広島城址公園ですv -
広島城は別名『鯉城』(りじょう)、と呼ばれるそうなんですが。
「なんで、りじょうなんですか?」
当然出てくる、参加者質問。
しかし、
「わかりません」
ガイドのおじいちゃん、最早あまりアテにされてません。(かわいそう)
なので、ウィキってみたところ〜。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%9F%8E#.E5.89.8D.E5.8F.B2
ホントに、由来不明のようです。
ちなみに。
お堀に鯉はいますが、亀も泳いでるし、そのほかの魚もけっこう泳いでました! -
広島城址公園の敷地はかなり広そうなんですが、周囲をものすごい音量を響かせながら黒い街宣車が駆け巡っています。
イヤハヤ、なんでこんなに右系な方たちが大集合しているのかと、あきれるくらいの車体数です。
黒い街宣車をまとめて見る機会ってそうそう無いんですけど、同じ系統でもビミョーにデザインを変えているってのを、初めて知りました。
トラック運転手さんには失礼かもしれませんが、デコトラを連想しちゃいました。
それほど、いろんな種類が見られます。 -
「なんでわざわざ広島城の周辺に、こんなに集まってるんですか?」
嫌がらせなら、平和公園周辺でやりそうなものなのに??
原爆とはまったく関係ないのですが、気になりすぎたのでガイドさんに質問。
「市内警備のために、警察が○○駐車場(名称を忘れました〜)しか街宣車の駐車許可をしないんですよ。最近は、音にも規制がかかりますしね」
にゃるほど〜。
だから、広島城のまわりを延々と走ってるのか。
まあ、ご苦労さん☆ -
広島城二の丸から城内へ入ると、太い柳っぽい大木が見えてきます。
おじいちゃんは足を止め、
「これがなんだか分かる人?ヒントはコアラが好きな植物です」
「笹?」
イヤ、ちげーだろ。
そりは、パンダじゃろ。 -
参加者のひとりが珍回答をしたところで、答えは・・・
「ユーカリです」
そうでしょう、そうでしょう。
「このユーカリの木は、『はだしのゲン』に描かれています」
あ、そうなんですか。 -
思えば『はだしのゲン』は絵がコワくて、このユーカリが出てきたかどうかってまったく記憶しておらんのですが〜。
内容がどうとか原爆関連のシーンがコワいとかじゃなくて。
もと絵がなんつーかとっても苦手な作品でして(汗)。
・・うめ●かずおみたい・・(ぼそっ)。 -
好みは色々☆
さて、見学に戻りましょ〜う。
←この礎石は、広島大本営の跡。 -
日清戦争時、ここへ大本営が移ったため「つまり当時、広島が日本の首都だったのです」と、胸を張るガイドさん。
-
まあ、オイラ天皇制キライだし。
広島県の人が来てほしいなら、一家そろって東京から引越ししてもらっても全然かまわなくてよ。
ただ、国民主権ですから。
天皇引っ越しても、いまじゃ首都移転にはならないだろうけど。
あ、引越し代に税金つかうのは、ナシでね。 -
『大本営』の敷地自体は、思ったほど広くありません。
現代の国会議事堂にくらべると、従業員更衣室なみにちっちゃい。
個々の参加メンバーは知りませんが、(当時女性が御前会議出席していたとは思えないので)どんなセンスか理解に苦しむヒゲのおっさん達が、狭苦しい場所でむさくるしい顔を寄せ合っていたかと思うと、いっそう暑苦しく感じます。
天皇の住居は付近に別につくられたそう。 -
ガイドさんは中学のセンセーらしいのですが、「歴史の教員ではありませんので、難しい質問には答えられません」と断言。
その後も、ぶっちゃけ暑くてあまり話に集中できず!!←おーい
だんだん、関係ない写真を撮りはじめます。 -
←遠目で、広島城v
なかは博物館になってるらしいので、ちょっと覘いてみたかったんですが、平和分科会中なのでかなわず〜。 -
続いて、被爆遺構『中国軍管区司令部跡』。
堀石垣の際にある半地下式鉄筋コンクリート造の建物です。 -
地下の部屋は4つに分かれていますが、真ん中のふたつの部屋は、部屋とは呼べないほどの狭さで、ほとんど廊下。
-
この地下は、被ばく時に被害を受けたもののぶ厚いコンクリートに守られた形になり内部通信が機能したため、当日第一報を伝令したそうです。
-
ふつーこういう場所って、入るとヒンヤリ涼しいもんな気がしますが・・・フツーに蒸し暑かったです。
人も次から次へとだし。
またまたウィキると(おい、ガイドさんの説明は???)、『中国軍管区司令部跡』は普段は見学不可なんだそうですが、夏のこの期間は平和学習に訪れた人たちのためにオープンしているんだとか。
レアレア! -
えと、あんまちゃんと撮れなかったんですけど。
←電気の配線用にあけられた壁の穴を撮ってみました。
比較するものがないのでわかりにくいですが、すっげー分厚いコンクリートです。
なので、部屋も廊下サイズなのかなって思いました。 -
いろんな平和ツアーがウロチョロしていて、自分のグループの説明よりも、よそ様の説明の方が詳しいのがわかる(笑)。
ウチのガイドさんの説明。
「少し昔は、ここに電気は通っていなくて、子どもたちの平和ガイドをするとき持ち込んだ懐中電灯を消すと大騒ぎになりました」
イヤ、そんな情報はいらないんですけど〜(汗)。 -
びみょーなぐだぐだ感を残しつつ、動く分科会ツアー終了☆
午後は、昼食後に座学になります。
開会式をおこなった、広島グリーンアリーナ(広島県立総合体育館)へ戻ります。 -
『動く分科会』と銘打っている以上、ひたすら炎天下を外回りなのだと思っていたのですけど、そうではなかったらしい。
午後は、ヒバクシャのお話と『広島原爆と福島原発事故の放射線影響のちがい』といった講演が行われるそう。
ほかの参加者の方に尋ねても、こういった分科会がどういったスケジュールで行われるのかが周知されておらないらしい。
つまり、分科会のタイトルは申し込み時に選べるものの、どのくらいの人数で具体的にどこを回るのか、当日参加してみないと分からない。
・・・なんつーか、けっこう行き当たりばったりなんだなー。
いつもひとりで旅をしているとこのような集団行動は、これだけ時間があるのに実際にはほとんどまわれず、運営の段取りが悪いのが気になってどうにも居心地が悪い。
それでも、ヒバクシャのお話が直接うかがえるのは、こういったイベントならではなのかも。
食事を終えると、いよいよお話が始まります。
聴衆は、熟年層がほとんどなのですが、そういった顔ぶれが小学生のようにヒバクシャの女性の言葉に真剣に耳を傾けているようすは、なんとなし心打たれるものがあります。 -
左側でマイクを持って話しているのが、証言者です。
被ばく当時、彼女は学生でした。
学徒動員だったのかは不明ですが、教務から「明日休んだら退学と思え」と檄を飛ばされていたものの、(どういった理由かこれまた不明ですが)彼女は学校を休んだため、命拾いします。
母親との再会を喜んだのもつかの間、同級生の親族から「なぜ、わたしの家族は死んだのに、あなたは生きているのか」と責められたショックで、当時の記憶を封じ込め閉じこもりました。
生き残った罪悪感から、被ばくの補償を求めることはもちろん平和運動にすら距離を置き、一切関わることができなかったといいます。
彼女は、爆心地から4キロ以上離れた場所にいたため直接死は免れたものの、黒い雨を飲み市内をさまよったことから、現在に至るまで発ガンを含む被ばく症状に悩まされています。 -
ひとくちに『ヒバクシャ』といっても、日本政府はヒバクシャを分け隔てしています。
爆心地から円形に2キロ以内で被ばくした人と、2キロ以上で被ばくした人とで、ヒバクシャに交付する『被爆者健康手帳』を種類別にし、公的負担にするか自己負担とするかという被ばく治療の差別しているのです。
ただでさえ『被爆者健康手帳』交付を受ける際、自らしないにいたことを証明する手間がかかることに加え、手帳を取得することで自分や子ども達への結婚・出産・就職といった差別を恐れ、2キロ以上ではどうせ医療費自己負担なのだからと、症状に苦しみながら手帳申請をせず、沈黙しているヒバクシャもいるそうです。 -
お話しを聞いていると、身体的・精神的・経済的・社会的な苦しみが継続しているヒバクシャの声に、敗戦の日になると神妙なようすで『世界で唯一の被爆国』などと毎年くり返す行政の怠慢と、自分の無力さに怒りを覚えます。
彼女の証言のなかでフクシマに関して、「原発の放射線の影響を、マスコミや政府が円形に表示しているのを見ると、本当に頭にくる。実際にはあんな円で影響がすむ訳がないのに・・」とおっしゃっていたことが、強く印象に残りました。
時間にすれば、ほんの1時間にも満たない証言でしたが、当事者の言葉は半日間まわったどの戦跡でうけた説明よりも、はるかに響き胸に重く感じます。
難しいことは承知ですが、ヒバクシャの切実さをどれだけ薄めずに継承できるのか、そのことで何を目指すのかが、とても大事なことだと思いました。
彼女の言葉を聞きながら、ふと、南京で虐殺現場や戦跡を案内してくれた、孫さんのことを思い出しました。(『ピースっ!南京への道①~③http://4travel.jp/traveler/need/album/10116535/)
ホテルマンの彼は私とおなじく当時を体験していない『戦後世代』でしたが、わざわざ自分の睡眠時間を割いて、言葉もろくに通じない『見知らぬ日本人』の私に、戦時中の南京で起こったことを苦心しながら丁寧に伝えてくれました。
あの真摯な姿勢が、同じようにヒロシマやナガサキの『あの夏』を生きていない自分にも必要なのだと感じました。
結局、夏のイベント的なものでは伝わらない。
人の『本気』でしか、人の心を動かすことは難しい。
そう感じた、『動く分科会』でした。 -
ヒバクシャ証言が終わり、座学へなだれ込む前に、会場を抜け出します。
目指すは、『広島平和記念資料館』☆
つづきまーす!
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ジェームズ・ボンドさん 2012/08/14 00:14:09
- お疲れ・広島
- いろいろと御勉強された様子。
会がソツなく運営されている様子が良く分かります。
運営が完全にシステム化されていて、イベントになっているのが成功の要因なのでしょう。
ああいうのを見ると、いつも疑問に思います「この費用はドコから出てる んだろう」と。
それに「もう65年もたったのに、まだこんな事をやっているの?」とも。
原水禁について、その歴史を見ると、ワタシは「信用できないな」と思うのですがねぇ。
- きっちーさん からの返信 2012/08/15 18:53:52
- 初☆広島
- 原水禁にはふたつ団体があるというので、「どういう経緯で分裂して、どんな部分が違うんですか?」と尋ねても、オイラの同行者で知っている人はいませんでした。
大会を通じて学びを深めるというよりは、イベント化しちゃっている部分が強くて、もうちょっとどうにかなんないのかなーという印象でした。
アレだと、各地で行われている市民集会のがよほど真面目に、多角的に掘り下げて勉強していると思います。
もちろん、いろんな場所から集まって各地の取り組みを知り活かしていくのは意義はあると思うのですけど、やっぱり対日訴訟の勉強会に比べるともっと本気になってやらないと、ヒバクシャの方たちの真摯さに見合わないんじゃないかと不安になりますね。
費用は参加団体がそれぞれ出しています。
ウチの労働組合も明細が出てました。
やっぱ、個人旅行よりは全然高くつきます。
カンパに協力してくれた職場の人たちには、感謝してますv
文字通り行きたがって我がままいっちゃったカンジで〜。
今日はお昼に報告会をやりました。
部署が違うメンバーもおるので、キンチョーしまくりましたよう!
これでひと段落なので、月末からの夏休みに向けて、エンジンかけていきます!!!!
- ジェームズ・ボンドさん からの返信 2012/08/19 23:25:00
- RE: お疲れ・広島
- 67年前の悲惨な出来事の地で行われた、軽薄化イベント化されてしまった催し物にガッカリされた御様子。
リモコンが離せないテレビ好きなのですが、或る番組で「ペットボトルのキャップリサイクルでポリオワクチンを援助する」話題をやってました。
ワクチン1つが20円で、これはキャップ800個に相当するとの事でした。
ポリオは貧しい地域での乳幼児に死因の一つに過ぎないのでしょうが、極論すれば「その地域における乳幼児の命の値段は20円以下にすぎない」という事になります。
なんと残酷かつ傲慢な話なのでしょうか。
援助は重要ですが、ボトルキャップを集めて「良いことをしている」と考えるアホがいないか、と心配です。
思うのは「満足顔でキャップなんか集めず、飲料を買うカネそのものを差し出せ。ヒロシマナガサキで退屈かつ利権化したイベントを開催するためのカネを送ってやれよ」と思うのであります。
広島の資料館は、どうでしたか?
- きっちーさん からの返信 2012/08/20 19:30:25
- 意義はあると思います
- 原水禁や平和式典は「イヤ、もう戦後だから」って終わらせちゃうんじゃなく、亡くなった方や、生き残った人たちの痛みをずっと想起させ続けて来たことは意義があると思うし、やはり続けてほしいと思います。
ただ原水禁大会は、いろいろ工夫ができそうとゆーか。
もそっと改善の余地アリかなーって感じです。
うん。
対日訴訟の支援グループの方たちがやってる、戦争犯罪を掘り下げる学習会に比べると、必死さというか、「突き詰める熱意」が期待より薄く感じました。
資料館についてはこれから書いていきますが、おおよそ被害者の顔が見えにくい資料館だと思いました。
学問的に学ぶ場としてはいいのかも知れませんけど、大人しめの展示と直前に聞いたヒバクシャ証言の生々しさとに、ひどくギャップがあって。
ありのままの残酷さが押さえられていて、「不快感をもよおさせない、見やすい」展示になってしまっているように感じました。
中国や韓国の展示なんか、もっともっとリアルでおっかないですけど、その衝撃や不快感、想像を超えた部分を知らせることが大切だと、個人的には思うんですが。
ほかにも、気になるところがありましたので、それはおいおい〜。
ペットボトルキャップは、ウチの近所では『リサイクル』としか表示されていないので、リサイクルだけじゃない人命にかかわる利用法があるならそっちへ使ってほしいなーと思いました!
募金が手っ取り早いし一番大切ですけど、キャップでもできるならやった方がいいですよ、絶対。
職場では、ペットボトルは専用ゴミ箱がありますけど、キャップはたぶん人によっては全然わけてないよなー。
いい事を聞きました。
近くで持っていけるトコがあるならやってみようかな。
ありがとうございます☆
- ジェームズ・ボンドさん からの返信 2012/08/20 23:36:31
- 資料館
- 1 毎年、8月6日・9日・15日だけが「戦争」という(たまに12月 も)現状は絶対におかしいと考えます。
2 資料館は学術的資料優先でイデオロギー色を薄めていった結果でしょう が、死者が見えないのが不満です。
ただ史実より政治という、演出された愛国無罪的なヤツよりはマシかもし れません。
3 先月、那覇の国際通りを朝、歩いているとスピーカーを乗せた普通の乗 用車がメッセージを流しながら走行していました。
内容は「なぜ、オスプレイの様な安全保障に有効なものを認めないの か」と言う物でした。
4 沖縄の観光地や市街地を歩いていて思うのは「反米軍基地」の運動・工 作物・印刷物等を全く見ない事です。
沖縄のマスコミは「反米軍基地のスタンスである」と公言していますか ら、こちらに伝わるニュースは反米色が強い物ばかりです。
5「普通の沖縄県人は米軍基地を、どう考えているのか」というテーマで取 材したTV番組が関西で放送された事がありますが結果は、多くの県民は基 地の事など気にしていない、というものでした。
多くの人たちにとって「生まれた時、すでに基地は存在していた」の で、外部の者とは全く考え方が違うそうです。
(基地は無くなった方が良いのに決まっていますが)
6 また「日本にある米軍基地の75パーセントが沖縄に集中している」と いうのもウソで、正確には「全米軍基地の25パーセントが、ただし米軍 専用施設に限れば75パーセント」だとか。
25パーセントでも多すぎますが、イデオロギーを背景に歪められた情 報を、あたかも真実のように伝えるのは問題ではないでしょうか。
オスプレイ騒動の真っ最中に那覇に行ったのですが、オスプレイの単語を 聞いたのは、この街宣だけでした。
もちろんポスター、看板も有りません。
軍用機に安全性を求めるの馬鹿馬鹿しいし、普天間基地の危険性を問題にするなら伊丹空港よりは安全だし。
昨今の情勢を見ると、反対運動やってる連中の後ろには中国がいそうな気がしてきましたよ。
反戦活動の多くが、イデオロギー色が強すぎるのがイヤなのです。
- きっちーさん からの返信 2012/08/21 19:35:42
- ようやく夏休み〜
- あと数日で、待ちに待った夏休み!!
暑さがちっとも収まらないのに、さらに暑い地域へ行ってきます〜。
夏バテもいいところなんですけど、がんばります。
『毎年、8月6日・9日・15日だけが「戦争」という(たまに12月 も)現状は絶対におかしいと考えます』
↑
私もそう思います。
終わらない「戦後」を生き続けている人たちのお話を聞くと、ほとんど内容に違いの無いオリンピック関連番組をあんだけくどくど放映するなら、国内外の戦争問題をあつかった番組を1年中流すのも、アリなんじゃないかなー。
このシーズンだけ『戦後○○年、隠されていた真実!!』みたいなのやらずに、わかった時にさっさと放送すればいいと思います。
『資料館は学術的資料優先でイデオロギー色を薄めていった結果でしょう が、死者が見えないのが不満です。』
亡くなった人たちの気持ちや、死の位置づけは、向き合う人によってさまざまな受けとめ方があるのでしょうが、すくなくとも誰がどこでどのように亡くなったのかを、もっときちんと発信してもいいと思いました。
生存者や身内の方の証言などはアーカイブスとして保管はされているのでしょうが、ヒバクシャ証言が高齢化とともに直接聞けなくなってしまったら、ますます事実に触れる『場』が重要になると思うのですけど。
『ただ史実より政治という、演出された愛国無罪的なヤツよりはマシかもし れません。』
「愛国の作法」という言葉がありますけど、愛国というイデオロギーも方向次第ですよねー。
べつに、国を愛するのは個人の自由ですが、『愛し方』を押し付けられるのはまっぴらです。
愛ゆえに(?)、国に対して辛口で批判的である人もいるでしょうし。
師匠の言う、『愛国無罪』とかぶるかもしれませんけど、無批判&盲目的服従は、愛国とは関係の無いカルトだと考えます。
オスプレイのどこらへんが、安全保障に欠かせないのか私にはまったく理解できませんけど(笑)。
祖母の家がある田舎も飛行ルートになっていて、やはり大臣のくだらないパフォーマンスを目にすると良い気持ちはしません。
米軍の内部を告発した番組もたまに放映されますが、軍隊も一種の貧困ビジネスのように感じます。
ムーアかんとくvの『華氏911』を観直しても、やはりその印象はぬぐえません。
結局、リスクを負うのは飛行区域の住民であったり、命令に逆らえない立場の兵士だったりするんですから。
まだ、沖縄には一度も行ったことがないのですが、広島にも行ったし、いつかいけるといいなあー。
そんでは、しばらく夏旅で消えますが、師匠も残暑に体調を崩されないよう、お気をつけくださいねー!
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