2012/08/04 - 2012/08/06
1668位(同エリア2742件中)
きっちーさん
「ことしの原水禁、行きたい人ー」
「ふぁっい!」
職場労組の原水禁in広島代表派遣。
手を挙げたのは、自分ひとり。
あれ?
なんで?
ほぼ仕事扱いな上、タダで広島いけるんだよ!(カンパ集めとか事前行事あるけど)
テレビや本でしかお目にかかったことのない場所を、フィールドワークできるんだよ!(夏だし南だし暑いかもしれないけど)
美味しいもの食べられるよ!(不案内な他県民ではじもちーが行かない不味い店をチョイスするかもだけど)
うまくいけば、ヒバクシャの生のお話を聞けるかもよ!(これは個人旅行ではなかなかツテがないとできないのだよ)
若干ワーカーホリックな方たちは、「日曜がつぶれる上に、暑いなか3日間も面倒だなあ」という表情を隠しきれていませんが。
オイラは時間とお金があれば、こういった自主的に学習したり、実際の現場をまわってお話を聞いたり、ちっちゃい活動でも意義があると感じることに参加するのは、正直楽しいんだけどなー。
今回、平和代表募集枠は2名だったのですが、ほぼ強制参加の新人Mさんと、やたらと行く気のあるオイラで決定です。
行ってきマス。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 船 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
PR
-
唯一のネックは、団体行動(汗)。
ひとり旅が基本なので、知らない人と隣り合うのは慣れているのですが、大勢で一緒に行動がとってもストレスフル〜!! -
やたら参加者の自宅住所を知りたがる事務長と(気持ち悪いな)、祭り上げられたはいいケド何していいかわからない感じの団長(団長提案はすべて3役に否定される)に率いられて、広島へやって来ました。
東京から、新幹線で約4時間。
最初は、林博史さん著『戦後平和主義を問い直す』を読んでいたのですが、アドレス知りたがり事務長が「平和署名を持って列車内をまわろう!とくに若い人は参加を!」といきなり提案し、参加者がどん引きしたあたりで睡眠時間。
結構あっという間でした。
(知りたがり事務長提案は、誰も乗る人がおらず言いだしっぺの彼自身もやらなかったため、スルーだったようです:Mさん談) -
広島駅構内は、やたらと『マツダ』広告が多いほかは、東北旅行や京都旅行の案内ポスターが貼られていて、広島自身の宣伝は控えめで少し意外に感じました。
もっと、CMしてもいいのになあ〜。
ちなみに、出発前に親戚が『呉』に在住されているという方から勧められたのが〜。
←コチラの大和ミュージアム。
お話によると、べつに反戦ミュージアムではないそうなんですが、人間魚雷(?)の発射台展示など、写真不可スペースでかなりギョッとするような当時の軍備を目にすることが出来るそう。 -
でもなー。
今回は、自由時間が無いに等しいので、いける可能性は少ないかなー。
「でも、一応・・」
万が一に備えて、デジカメにアクセス方法を収めときます。 -
原水禁、初日。
午後からの開会式に参加するため、ホテルに荷物を置きに行きます。
今回、面識のない28名が団体行動するわけですが、修学旅行でもないたかだか28名でも、駅到着時点ですでにバラバラな感じ。
時間的には余裕があるはずなのですが、引率者が指示出しに不慣れなため、各自が勝手な解釈でトイレ行ったり、先にスタスタ行っちゃったりで、誰がいて誰がいないのかが把握できず、あらゆる場所で一端ストップがかかります。
なんかこれって、もう昼食抜きっぽい・・。
ちいさい子の引率じゃあるまいし、事前に集合スケジュール渡して、全員ケータイもってるようだし連絡取れるようにしておけば、あとは大人の節度で行動させればいいのでは、と思いますが。
「全員で!」と思い込んじゃっている、引率メンバーには無理なのかも。
さて!
広島駅を出て右手に、夢の路面電車が見えてきます!! -
路面電車に乗る機会なんて、まずないのでドッキドキです!
現金でなくても、磁気カードやパスが利用できたりと、バスと同じような雰囲気です。
バスと違うのは完全に各停なのと、路線内なら距離を乗っても大人150円子ども80円と、非常に安い!
乗り換えの時は、後払いの代金を下車時に支払い、車掌さんから乗り換えカードのようなものを渡され、乗り換えの路面電車でそれを利用するみたい。
今回、乗り換える機会が無かったの試してはいないのですが。
ともあれ、料金を2度払いしなくてもよい、利用者には経済的な乗り物です。
車両は、見た目かなり新旧の差が顕著で、こじゃれたピッカピカのスウェーデンあたりで見掛けそうな車両もあれば、レトロで「いかにも」的な車両もと、同じ路線であっても入り混じっています。 -
全員、乗ったかどうかも確認しないまま路面電車で、宿泊するコンフォートホテルに到着。
駅前、平和資料館および原爆ドーム徒歩圏内、コンビニすぐ横という、設備は古いものの立地のよいホテルでした。 -
研修や合宿だと、たいがい相部屋ですが。
原水禁は直前まで参加者の性別も不明なため、押さえるお部屋がシングルらしい。
ラッキー♪ -
まあ、せまいはせまいが。
天井がひくいはひくいが。 -
いいの。
ちかくに人がいると眠りがあさくなるから。 -
たんに部屋にいるときは心置きなく、だらしないカッコでぶらぶらしていたいだけだが(笑)。
-
荷物を置いただけで案の定、昼メシぬきでロビー集合。
開会式会場へ出発です。 -
原爆ドーム方面へ集団でてくてく歩きはじめると、大きな交差点に場違いにおおきな神社がたたずんでいます。
周辺は新しいビルばっかだし、もしや古い由来のある神社?
労組グループは亀の歩み。
すぐ追いつける速さなので、足を止めて案内板を覗き込みます。 -
読むと、いま歩いているこのあたりは1590年代、陸地ではなく海岸線。
しかも、岩が多く船は座礁に要注意だったそうで、目印にこの場所に『白紙』が立てられ注意を促す目印になっていたそう。
「へええ〜。『紙』→『神』に変化したのかしら?どこに紙を立てた場所があるんだろ??」
「神社の下が岩場になってるんだよ」
ふいに背後から声が。
チャリにまたがった、ふたり連れの野球帽おじいちゃんが話しかけてきます。 -
どうやら地元のお年寄りらしく、「どこからきたの?」ニコニコと話しかけてきます。
「あ、埼玉です」
「??」(スマイル)
「東京の隣りです」
「ああそう!」
「このあたりまで海だったなんて、全然分かりませんね」
「江戸よりも埋め立ての歴史は長くてねえ。毛利さんのときなんか、あの辺りまで海だったんだよ」
山のほうを指差して、あまりふつーに言うもんだから、『毛利さん』が近所の人かどっかの宇宙飛行士かと錯覚しますが、あの毛利氏のことらしい。 -
おしゃべり好きの野球帽おじいちゃんとそのお友だちの地元解説に耳を傾けているうちに、かなり置いてかれそうなので先を急ぎます。
まだまだしゃべり足り無そうでしたが、行く方向が違ってきたので、「またね」と人懐こいおじいちゃんズは電動自転車で去っていきます。
どこの地域でも、垣根が低くて誰に対してもフランクに接することのできる人がいるもんだなーと感心しているうちに、原爆ドームに到着です! -
やってきました!
原爆ドーム! -
世界遺産なんですよねー。
「わー。ほんものー」
ちょっと、感動しながら見上げます。
事前に広島旅行経験者から、「原爆ドームって意外と低いし、ちっちゃいよ」と聞いておったので、どうなんかなーと想像していましたけれども。
ちっちゃくもないし、おっきくもないかな?←なんだソレ
窓を数えると4〜5階建てでしょうか。
下の部分がよく見えないのと、ドーム最上階に天井があったか無かったかで、階数が変わってきそうなんですが。
低層住宅のなかに、これが建っていたらデカイと思う。
いまみたいに、樹木に囲まれた公園内なら、それほど低くは感じません。 -
ただし、見る角度によって、近くの高層ビルが視界に入ると、当然ながら小さな建物に映ってしまうのは仕方ないのかなーってカンジです。
世界遺産が周囲の景観とセットで語られるのが、よく分かりますね。 -
あ。
いつもの、世界遺産マークv
やばい。
ときめく。 -
原爆ドームは、原爆の真下ではなかったと聞いていましたが、やはりそうなんですねー。
でも、残ったっていうのがやはりスゴイと思う。
立派な建物だったんでしょうね。 -
びみょーに間のある石碑(笑)。
たぶん、これから補修が行われるたびに付け足されていくんでしょうね。 -
原爆ドーム見学で、すでに広島満足度40%くらい行ったんで、開会式とかべつにいいんですけど。←オイ
原水禁、原水禁大会、と略してますけど、正式には『原水爆禁止2012年世界大会』がタイトル。
『世界大会』と銘打っているとおり、世界中から来賓や発言者が集まっています。
ここで、トラブル発生!!
イヤ、昼ごはん抜きだった事ではなく・・。
入場バッチが必要なのです! -
事前に受け取っていた茶封筒のなかに、列車の切符やら、日程表・分科会チケットなどと一緒に、原水禁バッジが2個入っていたのですが。
とくに、それがどこかで必要になるという文面も口頭説明も無かったので、たんなる『賑やかし』『お飾り』的なものだと思い、ホテルのかばんに入れたまま・・。
Mさんに至っては、そもそも持ってきてもいないし、茶封筒に入っていたかも分からないという・・。
(まあ、彼の場合はほかにも交流会や分科会チケットですら、「覚えていない」「持ってきていない」だったので、これじゃ仕事面でも大変そうだなーと思いましたが)
とにかく、式場へ入るにはそのバッジが必要なんだとか。
身分を請け負ってもらってバッジ無しで入場しましたが、決められたメンバーしか入れないというのは驚きました。
妨害を警戒してなのか、なにか経緯があるのかは分からなかったのですが、普遍的な問題を共有するのに、入場に制限があるというのは、どこかガッカリさせられます。
最新の研究や情勢を、いろんな人に知ってもらうと同時に、あらゆる知恵を持ち寄るべき課題だと思うんですけど。 -
開会式自体は、とても良かったと思います。
各国から、核兵器や原発に関わる問題や取り組みが報告され、理論や考え方にも刺激を受けました。
とくに印象深かったのが、
↑のマレーシア代表☆
←済州島(チェジュド)のアジュンマの力強い発言☆
議長に指名を受けると、発言者は自己紹介を母語でおこない、そのあと英語で概略を短くスピーチし、通訳の方が用意された原稿を読み上げるという流れ。
マレーシア代表は、ゆるぎなく反核の立場から理論構築していて、すごく共感できました。
いっぽう会場を沸かせた済州島のアジュンマは、『済州島海軍基地計画』についての熱い訴えを、議長の紹介前からスタートさせ、終始英語ではなくハングルで訴え続けました。
通訳の女性も、イントネーションがコリアンの方かな?といった発音で、二人三脚で発せられる『軍隊が地域を引き裂く』現状に果敢に挑む姿に、沖縄と共通の痛みを知らされました。
アジア全体で展開している米軍の戦略への抵抗は、彼女たちのように個々ではもちろん、地域的な連携を持って対抗する必要があると、再認識させられました。 -
8月4・5・6日は、平和記念資料館が夜8時まで開いているそうなので、開会式後見学に行きたかったのですけど、なんと6時から交流会。
ええ〜、何しに来たの??
って感じです。
少しでも時間があるなら、先に行こうよ。
一緒に長々飲み食いすれば結束が、なんてそーとう古臭い・・。
「これは仕事だ、夕飯だ」とわりきって付き合いましたが、ひとり旅だったら同じ昼抜きだって、夕飯は後回しにして資料館行くよなあ。
引率している人たちは全員、原水禁へ何度か参加している人たちなので、「何度も見てる」っていうのがあるのかも知れません。
タバコ吸わない、アルコールやらない人たちで固まった席でやり過ごすと、終わる頃にはすでに夜中(汗)。
40%の原爆ドームがあったとしても、これでは現地に来た意味が薄かろうと、11時ごろ宿を抜け出して『広島平和記念資料館』へ歩きます。
驚いたことに、すでに平和記念式典のセッティングが完了しております! -
つか、平和記念資料館の真ん前が会場なんだ!
へええ〜。
これは、知らんかった。
TVでおなじみの石碑の方へ足を踏み出すと、ちょうどジョギングをしていたじもちーらしき男性が慰霊碑の前に来ると、足を止め手を合わせ、しばし頭をたれると、また何も無かったように走り去っていきます。
そのあまりの自然さに、心を打たれます。 -
地元で暮らす人にとって、『原爆の日』は期間限定の国際イベントじゃなくて、生活のごく一部として息づいているように思えて、ようやく「来てよかったな」と素直に感じました。
当たり前ですが、資料館はとうにクローズなので、橋を渡ってふたたびドームへ!
夜の11時過ぎですが、オイラのような素人カメラマンや、川べりでワイワイ飲み会にいそしむ男女で、それなりに賑わっております。
あんたら、ゴミはきちんと持ち帰りたまえよ。
ライトアップされた原爆ドームは、コワいとかそういうのは全然なく、ふつーに廃墟な感じですが、コウモリがかなりの数飛び回っていて驚きました。
あんま隠れる場所なさそうなのに、昼間はどうしてるんですかね?? -
広島は、東京に比べて地理的には南だし暑そうかと思いきや、湿気が少ないのでそれほど暑さを感じません。
むしろ東京より涼しい!と言ってもいい!
あれですかね?
川が何本も通ってるから、風の流れがいいとか??
それでも、夜になると湿気が出てきて、汗がにじみます。
ふぬう。
こりは台風のせいかのう〜。 -
ドームを周回しながら写真を撮っていると、解説プレート発見☆
真夜中に、フラッシュ無しで撮ってるんですけど、ドームを中心にライトアップされているので、けっこうちゃんと撮れてません?
そもそも『原爆ドーム』は、チェコ人のヤン・レツルさんの設計で、1915年4月に『広島県物産陳列館』としてスタート。
『広島県物産陳列館』→『広島県立商品陳列所』→『広島県産業奨励館』
と改称を経たのち、戦時下では官公庁などの事務所として使用されていたようです。 -
原爆は、広島県産業奨励館(原爆ドーム)の南東約160メートル地点、上空約600メートルでさく裂。
館内にいた全員が死亡しました。
爆心地のほぼ真下であったため、爆風は垂直に働き、建物は完全倒壊を免れます。 -
いつしか『原爆ドーム』と呼ばれるようになった建物を、残すか取り壊すかで意見が分かれましたが、保存を求める市民の声と募金活動、さらに海外からの寄金によって保存工事がおこなわれます。
-
1996年、原爆ドームは世界遺産に。
また、国によってドーム周辺もあわせて保護対象となり、現在に至ります。
以上、短く端折りましたので、プレートを詳しくお読みになりたい方は写真をクリック!
ズームアップできますよんv -
やっぱり、自分の足で歩いた方が断然前向きになれる。
相手に不満を抱えてくさくさしながら、自分の頭で考えず、ただ連れまわされるのとじゃ、モチベーションが違うよ、うんうん。
明日の分科会は、そうじゃない。
団長達と離れ完全に個人で参加できるので楽しみです! -
NEXT旅行記は・・・
猛暑のなか、『外回り』の分科会に参加!!
熱中症多発の今夏、無事に戻れるか?!
SEE YOU XXX
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