2007/01/01 - 2007/01/07
203位(同エリア270件中)
きっちーさん
新しく入社した会社の『新年会』を、
「すいませぇん。中国行ってくるんで・・・」
というまったく理由にならない理由でバックレ、正月休みをゲット。
だってソコさえ欠席すれば、7連休!
不良社員ですから。
出世とか望まない。
プライベート充実こそ生きがいですから〜。
だって南京、行くんだもん!
未知の旅には、情報収集。
これは4トラの皆さまの助言と、いつもの『地球の歩き方』である程度、事前学習。
ルート的には目安がついたものの、問題は今回の旅の重要な目的である、『南京大虐殺の現場をまわる』でした。
『南京大虐殺』と呼ばれるジェノサイドを『いつ』から始まった事として定義するのか。
これすらも議論がわかれる部分ですが、関連書籍を読んだ上で、
『大虐殺は南京市内だけの事件ではない。南京への道そのものが大虐殺の現場だった』
という主張が私の感想とも一致したので、このことを念頭に置いて、上海から旅をスタートさせることに。
そうすっと、1937年に皇軍が杭州湾に上陸したトコからだから・・。
70年前かー!
ウチのお婆ちゃんが小学生にもなってない頃だ。
ヒロシマ・ナガサキのように、体験者の方のお話を伺えればうれしいのですが、さすがにそこまでの交渉力は持ち合わせていないし、記録が残っている何人かの証言者の方たちが、ご存命かもわからないので、現在南京に住んでいる方に前の世代の人達から、どういう風に伝えられているのかを聞いてみたい。
そんな気持ちを中国語教師の張先生に話したところ、
「出来るところで協力ましょう」
メールを頂きました。
数日後、再び張先生のメール 。
『きっちー小姐。
私の店でバイトしていた子に、南京大学卒業生がいて、その人の同級生が、南京のホテルマンと結婚している。
そのホテルマンが南京を案内してくれる、ことを承諾してくれたので。
良かったですね』
・・・ん?
と、遠くない?
先生の知り合いとかではないし。
それって赤の他人というコトではっ。
その人もガイドでもないのに、誰だかわかんない相手を案内しちゃっていーの???
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
PR
-
張先生の紹介先、南京のホテルマン孫月冬さんへ生まれて初めての国際電話をかけます!!
「ハロゥ」
しょっぱなから英語!!
しかも早いっ。
事前に仲介者の金小姐(南京大学卒業生)に、先方に話をしていてくれたそうなので、どうやら南京での待ち合わせ場所や、宿泊についてしゃべっているのはわかるのですが・・。
くう〜!!
相手の言っている内容の予測はできても、どう英語で返していいかわからないっ。
しどろもどろで返答するも、孫さんはさらにハイペースでしゃべり続けています。
「グッバイ」
「あ、ハイ・・」
あぶら汗全開で受話器を起きます。
「どうしよう・・。約束できたのかな?」
もう、なりふりかまわず張先生に泣きつきます。
「せんせえ〜っ」
教え子が路頭に迷うことを危ぶんだ先生が、直接孫さんに国際電話。
意外にもやりとりは成立していたようで、まずはひと安心。
「彼は中国語も、非常に早口でした」
というメールに思わず頷いていると、下の方に、
「ニーハウとゆっくり発音すると良いでしょう。中国語の電子辞書がでておりますので、買って行くと良いでしょう」
の一行。
先生っ!私が誇っていい中国語教室の成果は『你好』だけ?!
さて、そんなこんなで出発日。
2007年1月1日(月)。
正月元旦。
ハッピー・ニューイヤー!
思ったよりすいている成田空港から、ノースウエスト5:50発で上海へ。
旅の始まりです! -
何事もなく夜8:30くらいに『上海浦東空港』着。
前回の『平遙の旅』で使わなかった1000元が、まんま手元に残っていたので、両替せずにそのままシャトルバス乗り場へ。
イスカンダル亜力山さんが教えてくれた通り、
?出口方面に向かって左側。9号門出口から外へ。
?「機場5線」の終点『火車站』行きバスに乗車。
?18元(終点火車站まで)
ピッタリこの通り。
何のロスもなく、空港をあとにします。
イスカンダル亜力山さん、ありがとー!
乗れてまーすっ。
料金は中国では一般的な、「バスが走り出してから、車掌さん(だいたい若い女性)が回収」システムでした。
終点まぎわで多少渋滞に引っかかったものの、駅に到着。
到着したバスに「お客さん、うちの宿へ来いやー」客引きの皆さんが群がってきますが、「不要、不要(ブーヤオ、ブーヤオ)」と意思表示すればしつこくはされません。
ここでビビッているとへんな人に捕まってしまうので、フツーの顔でトランクを手に駐車場を横切って駅舎へ向かいます。
ほら、誰もついてこないし。
だんだん擦れていくな、私も(笑)。
最初の頃は、
「えぇ〜。こーわーいー」
って、可愛ゆいところもあったのに。
中国では太陰暦の正月が『お正月』ですが、なんつっても上海ですし、明日(1月2日)の南京行きの切符が残っているのか心配していましたが、余裕で売ってました。
上海駅は切符販売窓口が太原駅や北京西駅と同じつくりで、窓口の横の壁にでかでかと掲示された電光掲示板で、空席を確認できます。
イスカンダル亜力山さんに教えてもらった『上海→南京』の時刻表。
発時刻 着時刻 列車番号 料金(軟座)
5:53 10:27 5026/5027 40元
8:30 10:47 T704 72元
8:37 10:54 T706 72元
8:44 11:34 T708 72元
waiwaiさんの、
http://www.china.co.jp/train_table/shanghai/index.html
を参考にしました。
この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございます!
中国語は習い始めたばっかなので、今回も筆談で。
「1月2日 上海(8:30)→南京(10:47) T704 軟座1張票」
のメモを提示して切符を購入。
ホラホラ、ちょっと値上がってる!(72→79元) -
昼間、雨が降っていたのか街全体がしっとり。
水溜りも所々に。
雨はすでにあがっており、上海駅前ではたくさんの人が行きかいます。
イスカンダル亜力山さんが、『郵電大廈』(310元)という徒歩でいける駅近ホテルを紹介してくれたのですが、楽天トラベルで検索したところ、すでに満室。
しょうがないので、もっとお安い『上海良友飯店』(238元)に予約を入れていました。
まあ、楽天トラベルの激安宿には北京で懲りておりますので、今回は200元以上ってコトで。
地図だと歩いていけそうですが、そこは中国。
広いんです。
思うより遠いです。
ワンメーターなのでタクシーで行った方が、確実。
『上海良友飯店』
お部屋はご覧の通り。 -
全然ふつうに泊まれます。
ちょっと広いビジネスホテル・タイプ。
このくらいだと、ちょうどいいな。
ベッド、デカイから寝相わるくても落ちないし(笑)。 -
楽天トラベルって、選択幅の狭いタイムスケジュール
(最終8:00とか)でチェックイン時間を決めさせて、「おくれる場合は宿に連絡を。連絡ないとキャンセルの可能性も」とかけっこうめんどいんですが。
飛行機の中からじゃ連絡できないし、中国語ダメだから、ネット予約しているのであって・・・ぶちぶち・・。
そんな心配をよそに、10:30の到着でもフロントはちゃんとあいておりました。
のんびりお風呂に入って、荷ほどきせず就寝。
あしたは南京! -
朝です。
むむっ!
雨ふってる!
お天気運は良い方なのに〜。
おそくに泊まって、早朝チェックアウト。
お風呂と寝るだけだし、もっと安い宿でも良かったかな?
ホテル前の道はタクシーが頻繁に通るので、乗っけてもらい駅まで濡れずに移動。
上海駅前のタクシー乗下車は半地下になります。
これも北京西駅とおんなじ。 -
駅舎に向かって左側に、『軟座専用』の待合室があります。
いやん、ピアノまであるじゃん。
コーヒーショップやスナック類の自販機、ゆったりしたソファーなど、今まで利用してきた『体育館系』の待合室とは全然違います。
北京や太原の、みんな一緒の雑然とした待合室とあきらかに違った空間設計に、つくられた格差を感じてしまいます。
軟座切符を買っといてなんだけど、ちょっとやな感じ? -
本当に短い滞在であった。
寝ただけです。
じゃあね、上海。
実際にはこの上海の地で、上陸した皇軍と国民党の激戦が繰り広げられました(第1次・第2次上海事変)。
資料をみると、国民党が敗走するとこれから鉄道でたどるルートと、他にいくつかにわかれて皇軍は南京攻めに移ります。
いわゆる「三光作戦」がこの道程でもおこなわれました。
すでに『南京への道』に足を踏み入れたんだなあ、と思うのですが。
実感はナシ。
明るいホーム。
軟座は座席が向かい合った、新幹線のような雰囲気です。
2人ずつ向かい合うのですが、お互い見ず知らず。
窓ぎわの大学生風の男性はケータイをずっといじったまま、隣の女性は読書。
窓ぎわの私が、光が読書の邪魔になんないようにカーテンの端をめくって外を眺めていると、となりに腰掛けたおじさんが「いいよ、開けちゃいな」と促します。
まあそれならば、と全開に。
それ以上の会話もなく、ドライな時間が訪れます。 -
・・・・爆睡!!
なにやってるの、私!
もう着いちゃいました。
南京駅です。
3時間弱の、鉄道の旅でした。
上海、蘇州、無錫、常州、鎮江、そして南京。
同じ場所をめざすにしても、国交を結び民間レベルまで交流できれば、眠ったまま短時間でついちゃいます。
高校のとき「各国が武装すれば、報復が怖いから戦争は起きない」という『武装平和論』がありましたが、じゃあ北朝鮮が核を持てばあの国は平和かといえば、周辺国との軋轢が生まれています。
『武装平和』って大国のみに武装を許す、中小国相手の威嚇行為正当化でしかないようです。
日本でも「普通の国」をめざして、9条を廃止し武装を推し進める意見を聞きますが、周辺国にとっては北朝鮮が核保有宣言したのと同様に、不穏な動きとして受け止められるでしょう。
(ましてや、植民地・侵略・従軍慰安婦・人体実験・捕虜虐殺・未敗戦処理・いまだ天皇制など、散々やらかした前例が・・)
物騒な議論を聞くたびに、
「中国行けなくなったらどうしよう〜」
と思ったり、
「北朝鮮と国交ができちゃえば、『地球の歩き方・朝鮮南部・北部の世界遺産』を持って一人旅を・・・」
と、想像したり。
私にとっての旅は、知らない人との楽しいコミュニケーションの場なので、北朝鮮とはやく国交ができればいいなと思っています。
行き来できるようになれば、日本だけでない拉致事件の現地調査も段階的にすすめることができます。
歴史的にみて北朝鮮が他国の人を連れて行っていたのは、なぜだったのか?
国策としての拉致が終了したことに、冷戦の終結、韓国の歩み寄りによる関係改善の影響は、あるのか無いのか?
そんなシンプルな疑問さえ、押しつぶすようなバッシングをくり返すより、率直に意見交換するほうがしんどくないと思います。
以前、新大久保で在日コリアンの方達が主催した、関東大震災での朝鮮人虐殺事件の研究展示に足を運んだことがありますが、ああいう展示会が相互の交流によって可能になる日もくるかもしれません。
わだかまりはあるにせよ、中国でこうして一人旅ができてしまうのも、中国との国交回復と、地元の人の好意以外の何者でもありません。
冷たい風の吹きつける南京駅のホームに立ってまわりをみると、お土産を抱えた人達が改札へ向かって、足早に通りすぎて行きます。 -
地下階の改札口には出迎えの人で溢れているのですが、名前の入ったカードを持っている人は3〜4人。
どれにも私の名前はありません。
しまった。
自ら『孫月冬先生』と書いた紙を持って来るべきであった・・っ!
あわててかばんを探りますが、ペンはあれども紙はナシ。
改札で待つ人たちを眺めていても、誰が孫月冬さんかわからないので、電話を探してかけてみることに。
しかーし!
駅だってのに公衆電話がなーい。
仕方なく地上階へあがり、駅員の小姐(女性)に、「ウェアリズ、テレフォンボックス〜っ」と訴えます。
「ストレイト」
「ここを、まっすぐ・・?」
あやしげな言葉が通じたのかどうか。
小姐の指差す方にてけてけ歩くと、テレフォンボックスならぬテレフォンセンターが。
ひゃ〜。
使ったこと無いぞ、こんな施設!
どうしよう、どうしよう。
やるしかないので前の人を見習って、行動。
?10元前後のお金を、入り口の女性に預ける。
?お金と引き換えに番号札を受け取り、その番号が書かれた机の電話を利用する。家電と同じ機種なので何度かけてもよい。
?電話し終わったら、受付に番号札を返す。受付の人がパソコンで利用時間を計算して、差額を戻してくれる。
ワンフロアに机が並び、薄い仕切りで番号順に区切られています。
見よう見まねで入り口でいくらか預け、番号札にある『5』の机で、受話器を取ります。
もらった?番が『家電』でなくケータイであることを祈りながら、ダイヤルを回します。
「うっうっうっ」(通じないよう・・・)
助けを求めて辺りを見回すと、壁のプレートに何やら読めないけど『0+〜』みたいな事が書いてあります。
「ゼロを足す・・・?」
ためしにゼロ発信でかけてみると。
通じた!!
「ウェイ?」
「ハ、ハロー!ミスタ孫?アイム、ジャストヒア。アイム、イン、ナンジンステーション!」(もう何だかわからない英語!『到着した』って単語が出てこない〜)
「ハロゥ」
ああ、良かった〜!!
孫さんだ〜!
めちゃくちゃな英語を並べたてて、なんとか孫さんに「地上階のテレフォンセンターにいるんですぅ〜」
と伝えます。
「オーケイ。ステイヒア」
どっと脱力して、清算を済ませて入り口に立って孫さんを待ちます。
ほどなく。
ひょろりと手足の長い男性が、大股で近寄ってきます。
『孫先生?』
メモを見せると頷いて、足元のトランクを持ってくれます。
「フォロミー」
スタスタ歩き出す孫さんの後を慌てて追いかけます。
良かった〜。
「ナイストゥーミーチュー!アイム、きっちー」
「ナイストゥーミーチュー」
神経質そうな表情が、笑うとすごく和らぎます。
ふうん、思ったより若い男性だ。
そりゃそうか。
最近まで大学生だった人の配偶者だもんな。
ひょっとして、年下かも?
「列車はいかがでした?お会い出来てよかった。休暇ですか?お仕事は何を?今夜の宿はありますか?一応こちらでも手配してありますが、なにかリクエストがあれば、遠慮なくおっしゃってください」
立て板に水エーゴ。
答えを組み立てるのに、四苦八苦しているうちに、地下駐車場の孫さんの車の前。
むむっ。
免許持ってないし車詳しくないけど、高そうな車。
新車ではないですが、どこもきっちり綺麗にしてあり持ち主の性格がうかがわれます。
でも内装はなぜかキティちゃん。
これは彼女の趣味。絶対!
ストップ・アンド・ゴーがなめらかで、乗り物酔いしやすい私には嬉しい運転で、孫さんが勤め先であるホテルへ案内してくれます。
うへえ!
何、これ!!
泊まったことないんですけど!
こんなデカいホテル! -
ホテル勤めの孫さんの肩書きは『フロント・マネージャー』。
もう6年勤めているベテランで、流暢な英語を話します。
彼に言わせると、
「英語は簡単。日本語は非常に難しい」
そうで。
「なに言ってるんですか。そんだけ話せてるんだから、ほかに何を習うと?超ウラヤマシイですよ〜っ」
なんて、気安く話していた私の口がふさがりません。
ノータイで地味なジャンバーとスラックス。
そっけない外見とは裏腹に、言葉遣いはソフトで無駄がない。
全体的にのんびりした印象から、小規模のビジネスホテルのフロントマンと勝手に思い込んでおりました。
金ピカピカのゴージャスな回転ドアの前で直立しているドアマンに軽く声をかけ、フロントの女性達に優先的にチェックイン手続きをさせている、孫さんの後ろにぴったりくっついて歩きます。
そうよ!
ビビってるのよ!
こんなホテル、初めてだもん。
どうしよう。
いくらすんの、ここ・・・?
「支払いはキャッシュ?それともカードになさいますか?」
フロントの女性。
「カードで」
孫さんが即答します。
さっき車の中で「どこか両替できるトコあります?」と訊ねたので、現金の持ち合わせがないと思ったのでしょう。
いや、まだ600元くらいは持ってるんですけど。
足りないかな・・?
「カードありますか」
孫さんが私の顔を覗き込みます。
「カード、あります・・」
たまたま持ってて良かった。
カードなんて、ヤフオクかAmazonで買い物するときにしか使いません。
「私の友人ということで、特別割引300元で部屋を用意してあります」
あ、割引。
現金でも足りるな。
もうカードで手続きしちゃってるし、まいっか。
孫さんが言います。
「お腹すいていますか?」
すいてます!
めっちゃすいてます。
朝ごはん食べずに出てきたし。
「じゃあここで待っていますから、荷物を部屋に置いてきて下さい。食事にしましょう」
了解です、と渡されたルームキー821号室(8F)へエレベーターで上がります。
ホテル自体は28階建て。
でか。
カードキーで部屋に入ると、ご覧下さい。
間接照明に照らされて、高そうな家具が配置されています。
あのう、ホントにここ泊まっちゃって良いんでしょうか? -
バス・ローブまである!
浴衣のお世話にはなっても、バス・ローブなんて初めて〜!!
孫さんを待たせるのは気が引けますが一通り、チェック。
もうこんなトコ泊まらないだろうから、おがんどかなきゃ。
ホテルのレストランで食事を済ませると、孫さんの車で南京市内を回ります。
どこへ連れてってくれるのでしょうか? -
レッツ・ゴー!
ところが車はホテルの敷地を出るまえに停車。
孫さんが窓の外を見るように促します。
ホテルの駐車場には写真のような建物。
『黄埔廳』『一號樓』『三號樓』の3棟が建っているのですが、どれも旧跡だそうで。
国民党(蒋介石?ちょっと聞き取れず)が、オフィスや舞踏会場などに利用していたそう。
ほかにも、皇軍の占領下でのエピソードを話して頂いたのですが、学力不足により理解できず・・・。 -
ホテルのたつ中山東路をそのまま東へ。
「孫文が北京からこの南京へ運ばれたとき、『中山』と名を冠したメインストリートに、カーペットが敷きつめられ、ヒズボディ(彼の遺体)はその上を通りました」(中山路にも敷かれたのかは訳せず不明)
なに!?
こんなドでかい(アンド長い)通りにずーっとカーペット敷いたの??
規模が違う。
「チャイニーズ・ピープルにとって彼は、『国父』(Father of country)です。私もいくつかの著作を読みましたが、とても難解です」
手を付けただけでもスゴイですよ。
私なんか孫文と中山、どっちがペンネームかもわかりませんもん。(それは知ってなきゃでしょう)
そうこう話しているうちに城門が見えてきます。
「中山門です」
孫さんが誇らしげに微笑みます。
中山門?
中華門じゃなくて? -
「ここで待っていますので、あがって見てきてください。そこから伸びるハイウェイは上海まで続いているんですよ」
孫さんが門の脇に車を停めます。
中山門かあ〜。
聞いた事ないな。
中華門は、南京占領時に遺体が山のように積まれた話で、有名だけど。
薄霧に包まれた小道を登り、レンガ造りの中山門のてっぺんに立つと・・・さぶいっ! -
うう〜。
さぶさぶ。
なぜ孫さんがここへ案内してくれたのか、このときはまったくわからず。(←何しにきたんだ!)
ちゃんと説明してくれていたのかもしれませんが、理解できていないだけかも。ほほほ。
「城壁が一番綺麗に残っているとか?それとも孫文のファンだから?」
なんて思っていました。
ちゃんと勉強された方は、すぐにピンと来たはず。
真相は後ほど!
このときはただ、冬のきしむような寂とした空気を吸い、どこまでも続く城壁をうろつきながら、凧揚げをしているお爺さんの糸の先をボンヤリみつめていました。 -
丘を登らなくても、古い階段が城門の両サイドにあります。
ただし!
思いっきり急です!
濡れててアブない。
滑ったらぜったい死ぬっ。
こわいっ。
やめた(笑)。 -
南京城壁から、城外を望みます。
なるほど。
このハイウェイが上海に続いてるのか。 -
一転して城内。
曇り空の下、こじゃれたマンションが林立しています。
中国6大古都『南京』とはいえ、現代都市の風景は変わりません。
巨大ショッピングセンター、高層集合住宅、絶え間なく行きかう人と車両。
平遙のような風景は、観光産業に組み込まれた展示物になるか、もうどんどん消えて行ってしまうのでしょう。
ふう・・・。
やっぱさむい。
孫さんトコに戻ろ。
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