2012/08/04 - 2012/08/06
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きっちーさん
原水禁大会の、戦跡めぐり『動く分科会』へまざってきました。
ところが午後から始まった、生存者の方の揺さぶられるような証言に比べ、亡くなった、または生き残った彼/彼女たちの「伝えたいこと」を継承しているはずの分科会の中身が、期待していたより遥かに薄くてガッカリ(涙)。
中国は南京で、ガイドでもなんでもないのに、厚意で南京大虐殺にまつわる戦跡を案内してくれたホテルマンの孫さんの真摯さと比べても、これまた全然かなわない。
非戦の想いを継承する難しさを、肌で感じたひと時でした。
思いがけず聞くことのできたヒバクシャ証言が終わったあと、延々と続くあとからでも本で読めるような座学はパースっ。
広島でしか見学できない広島平和記念資料館へ足を運ぶことに致しまシタ!
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 船 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
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-
夏の広島です。
今回初めて知ったのですけど、8月4・5・6日の期間、広島平和記念資料館は夜8時まで開放しています。
ところが、原水禁大会のスケジュールどおりに動いていると、そんな広島平和記念資料館をゆっくり見学する時間は、ほぼ無きに等しい。
オイラの場合、職場の労働組合から送り出してもらったのですが、1日目は団体で現地到着後、すぐ『開会式』。
式後、小1時間で同行地域グループの食事交流会に突入。
ホテルへ戻れたのは、9時近く。
2日目(つまり今日)。
昼間はそれぞれ『分科会』参加。
夕方、今度は会社系列参加者の、食事交流会。
3日目は、朝ホテルをチェックアウトし『平和記念式典』へ、そのまま原水禁大会の閉会式へ移動し、閉会式後は昼食をとりつつ帰りの新幹線に乗るという・・。
大勢の来館者のために、広島平和記念資料館がわざわざ夜まで開けてくれていても、観に行く時間がゼロ!
これじゃ、何しに現地まで来たのだかワカリマセン。
つか『開会式』や『閉会式』に参加したいんじゃなくて、現地でしか見られないものや体験をしたくて来たんですから。
とにかく1日目と3日目は団体行動に囲い込まれるので、個人行動できる隙は無く、2日目が唯一、抜け出せるチャンス!
なんとしても、コレを活かさねばなるまい!! -
2日目午前中の『動く分科会』で御一緒した、鹿児島県から参加のHさん。
Hさんのスケジュールも、やはりオイラと似たり寄ったりで(汗)。
団体行動から、抜け出せるのは今日だけ〜。
平和学習に熱心なHさんは、長崎の原水禁大会や沖縄平和ツアーにも参加している、物静かでおっとりとした見かけとはギャップのある、行動派な女性みたいです。
「せっかく広島に原水禁で訪れたのに、平和記念資料館を見る時間が持てないのは、どう考えてもおかしい」
原水禁に何度も参加している人はいいのかも知れませんが(ソレもどうかと思うけど)、初参加のHさんとオイラはとっても御不満ー。
「現地へ来たなら、現地でしか見られないものを」
意気投合したふたりは、生存者の証言を聞き終えたあとコソコソ会場を抜け出し、平和記念資料館へやってきました! -
館内へ入ると、空調が人の熱気に負けるほど混みあっています。
どうやら、同じようなことを考えた人は少なくないようでして(笑)。
原水禁大会の14以上の分科会の終了時間は、内容によって3:30〜5:00くらいなのですが、このとき2時を少しまわったくらい。
なのに、例の原水禁参加者バッジ(式典や分科会のパス代わり)をつけた人たちが、県外や海外からの見学者に混じってウロウロしております。
チミたち、分科会は!←おまえもな -
チームなか抜け☆による大混雑で、展示物を見るのもひと苦労。
静かに向き合い、当時の悲惨さに思いを寄せて・・・というのが難しいシチュエーション。
イヤ、あきらめてはイカン。
せっかく来たんですもの。
人波のすき間をぬって、鹿児島のHさんと見学をスタートさせます☆ -
平和記念資料館の展示室にはパネルと立体模型がならび、原爆投下の瞬間を再現しています。
←これは原爆がどこで爆発したかを表した模型。
地上で爆発したのではなく、空中で爆発したことを表現しているみたいです。 -
←広島型原子爆弾(リトルボーイ)です。
思ったより大きいけど(下に人様の頭が写っているので比較)、あの破壊力を考えると小さいかな。 -
こちらは、リトルボーイの断面図ですね。
頭と尻尾の部分に、ウランが内蔵されていたことがわかります。 -
うーん。
うーん。
なんだろう、この違和感は・・。 -
平和記念資料館は、「いつか行かなくては」と思っていた場所のひとつです。
国家的な「語り」ではなく、地域から発せられる歴史の「語り」。
人が直接人に伝える言葉には、言葉によって表現される内容以上に、ちょっとした沈黙や、表情を揺らす感情などによって、その人にしか伝えることのできないものが有ると思います。
それは、やはり起こった場所でしか語り得ない部分があるんじゃないかと、いつも感じています。
夏に放映される原爆の特集番組でも、テロップを読めば平和記念資料館が毎年のように最新研究成果や、ヒバクシャの証言収集に力を注いでいるのが良く伝わってきます。
毎回、新しく掘り起こされる事実に驚かされます。
なのにどうして、こんなにドライな印象を受けるのでしょうか。 -
原爆やその被害に対する研究成果は、非常によくまとまってパネル解説されているのですが、そこにあまり人間の姿が見えてこない。
個人がどんな体験をし、そのことで何が変わり、何が続いているのか、そのことをどう感じ、どう伝えたいのか。
そういった、圧倒的な人々の言葉の群れがあると想像していたのが、肩透かしをくらったような印象。
館内を進むにつれ、その思いが強くなります。 -
平和記念資料館による、被爆者による絵画や証言のアーカイヴは、反戦特集番組でもよく取り上げられています。
なので、そういった貴重な証言や史料が間違いなくここにあるのは分かっています。
発信地である資料館へ行けば、さらに膨大な量が常設展示されているのだろうな、と思っていたので、「被害証言」の少なさがいっそう気になります。 -
ようやく、人の被害がうかがわれるような展示も登場しますが、やはりそれがどんなものなのか、気持ちを近づけるのがなかなか難しい。
-
日常的な子どもの遊具や衣服などが、このような姿に変わる状況って、どんな過酷さなんだろう。
決して体験したいとは思いませんが、戦後世代と呼ばれる自分には他者の体験からしか知りえないというのが、もどかしいようにも感じます。
しかし、どうも肝心の『だれかの実体験である』というのが伝わりにくい。 -
←そんななか、この写真が個人的にもっとも衝撃的でした。
はじめは、若い男の人だとパッと見おもったのですけど。
女性の写真だったんです。
もう顔からは性別どころか、個人でさえ奪われてしまったような姿に、言葉が出ませんでした。
それと同時に、こうした個人に思いが及びにくい展示の仕方であることを、深刻に感じました。 -
ふつうなら戦争展示をみて行き着く部分に、「私だったらどうだろうなあ」というのがあるのですが、人ではなく破壊された物ばかりの展示だと、なかなかそこに至らない。
性別でさえ、男性だと思ったもうその瞬間に、自分にフィルターかかってるのがわかるというか・・。
あんま引き付けて感じられてないな、と思いました。
共感できていれば、たぶん自然と自分を反映させるから、同性前提で見ていたと思うし。 -
有名な人影が焼きついた石の展示前に来ました。
-
展示されてるのは、どうもホンモノみたいなんですが。
説明を読まなければ、人のかたちとハッキリ識別できるような雰囲気ではなく、ふつうの建物にあるようなごくごく自然な雨風の痕跡にしか見えません。 -
地図を見てウッカリ、
「午前中行った銀行??」
と思いましたが、説明には『住友銀行』になってるな。
午前中のは、『日本銀行』だったハズ。 -
これは、最近多い触れる展示☆
直接爆風にさらされた瓦なんですが、他の瓦の下になってる部分はスベスベしていて、どのくらい違ってしまったかを触って確かめてみようというもの。 -
しっかり、触ってきました!
(そーいうのに弱い)
←コチラは、爆風によって硬い壁に突き刺さった、ガラスの破片。
ガラス製品を壁にぶつけて割っても、ガラスが突き刺さるなんてことはありえないはずなのに、爆風の凄まじさによって刺さっている様子を伝えています。 -
しかも、この爆風は直接のものじゃなく、ひと山越えた場所の建物に刺さっていたそう。
爆風の仕組みって学校では習いませんが、直線的に起きる以外の風が起こってるってことみたいですー。 -
がれきと化した市街の写真をバックに、圧倒的な数で展示される日常の品々。
-
ここまでは爆発直後の様子でしたが、次に残留放射線や、どのような被ばくが起こるのかを紹介する展示に変わってきました。
冒頭の文章はこうです。
(←アップにして読んでみてください)
『残留放射線は人体に強く影響を及ぼしました。
その後、残留放射線は急速に減少し、1週間後には約100万分の1になりました。
現在では、原子爆弾の爆発により生じた残留放射線が人体に及ぼす影響は全くありません』
まじか? -
『現在、残留放射線が人体に及ぼす影響が全くない』などと、言い切っちゃってる部分が本当にちゃんと調べてんのか、根拠が書かれていないだけに、非常に気になる解説です。
この写真は、有名な『黒い雨』。 -
放射性降下物が含まれたこの雨も、被ばくの一因でした。
ですが、『黒い雨は健康被害と関係ない』という主張があったことも周知です。
被害実態が多くの人たちによって訴えられて、ようやく認められる事実もあるわけだし。
こういった被害展示をする資料館なら、なおさら健康への影響はないとする根拠を示すか、「影響ナシ」と言い切るのではなく、慎重な姿勢であってほしいと思う。 -
歳月を経たためか黄いろく変色した壁に、それでもどす黒くしたたる雨の痕跡から、しばし目が離せませんでした。
-
証言に基づき、黒い雨が降ったとされる地域をあらわしたパネル。
なんだか本当に人が見えてこない展示で、いささかガッカリします。
黒い雨によって、単に「健康被害があった」と解説するより、ひとりひとりの人生がどのように狂わされたのかを紹介する方が、ぜったい主旨にかなうと思うんだけどな。 -
被ばく影響の事例として、紹介されていたパネル。
-
屋内被ばくし、脱毛。
全身に点状出血が見られ、死亡したそうです。
22歳の兵士だったそうですが、『舌にまで出血斑が残っている』という展示なのですが。 -
こちらは、その舌の複製。
なんだか、この人の生き方そのものはかき消されて、一部の複製だけがこうしてケースに収まっていることに、ひどい違和感を感じます。
詳しく紹介して、個人が特定され、周辺の人たちに差別が及ぶといった理由で、ライフヒストリー無しの展示になってるのでしょうか?
だとしたら、それもおかしいと思う。 -
展示室の終わりの方に展示された、佐々木禎子さん制作の折鶴。
針で折ったとされるものか、実物はすっごく小さい。 -
禎子さんの話を知ったのは大人になってからで、イラク戦争の日本参加の可否が話し合われているとき、中東の人たちはわりと日本に対して親近感を持っていてくれており、なかでも『原爆の子』のモデルとされた、佐々木禎子さんの話は有名なのだときいて、そこではじめて知りました。
佐々木禎子さんは、顔を持ち、その人生におこった理不尽な出来事を記憶されるのに、おなじヒバクシャの言葉をなぜもっと紹介しないのだろう? -
中国や韓国の戦争被害の展示には、かならず日本も含め周辺国にわかるような他国語展示が心がけられているのですが、平和記念資料館ではほぼ英語訳しかなく、それも残念に思います。
若干、期待が大きすぎたことを噛み締めながら、鹿児島のHさんと資料館を出て、平和記念公園内を散策。
ちなみに、ワタクシには本日ひとつの達成ノルマがございましてー。 -
それが、コイツ!!
広島へ行くことが決まって、休み時間にひとりでコツコツ折っていた(千羽に届かなかった)折鶴v
「どっかにそなえるんだ♪」
そう宣言したものの、どこへ供えて良いやらわからず。
一日中持ち歩く羽目になっていたもの(汗)。 -
ホントは、原爆の子の像の周辺にぐるりと雨よけ屋根つきの折鶴置き場が配置されていたのですが、みなさんすっごいサイズの折鶴ばっかで・・。
気後れして、そこに置くのはやめました。←オイ
昨夜、手を合わせていた人がいた、原爆ドームをのぞめる慰霊碑の前に花と一緒に、こっそりおそなえ。
どこにあるか、わかりますかー? -
ここに(笑)。
-
うおっし!
時間が少し出来たので、こっからは若干観光もしたいのよー!!
てなわけで、いろんな人から勧められた、あの海に浮かぶ鳥居で有名な世界遺産、宮島へゴーゴー☆
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