桑名・長島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
名古屋から入って、桑名、伊賀、吉野、奈良、バックして郡山と、近鉄沿線を辿る三日間の旅です。<br />前半は三重。ところで、三重の観光地は、多分、伊勢、志摩・鳥羽、松坂辺りを大きく一つとすれば、あとは、桑名と伊賀上野が続くでしょう。<br />東海道の宿場町だった桑名は、名古屋に近いこともあって、今でも観光客が大勢訪れる人気スポット。家康に過ぎたるものと言われた本多忠勝の築いた桑名城に、寛政の改革を主導した松平定も、桑名で隠居生活を送っています。<br />これに対し、伊賀上野は、藤堂高虎の伊賀上野城に、芭蕉の故郷とくれば、桑名に負けない観光資源に恵まれた地域でしょう。

近鉄線の旅 ~前半は桑名から、伊賀へ

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2011/09/23 - 2011/09/23

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たびたび

たびたびさん

名古屋から入って、桑名、伊賀、吉野、奈良、バックして郡山と、近鉄沿線を辿る三日間の旅です。
前半は三重。ところで、三重の観光地は、多分、伊勢、志摩・鳥羽、松坂辺りを大きく一つとすれば、あとは、桑名と伊賀上野が続くでしょう。
東海道の宿場町だった桑名は、名古屋に近いこともあって、今でも観光客が大勢訪れる人気スポット。家康に過ぎたるものと言われた本多忠勝の築いた桑名城に、寛政の改革を主導した松平定も、桑名で隠居生活を送っています。
これに対し、伊賀上野は、藤堂高虎の伊賀上野城に、芭蕉の故郷とくれば、桑名に負けない観光資源に恵まれた地域でしょう。

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  • 桑名駅を降りて市内に向かいます。途中に見えたのが、海蔵寺にある薩摩義士の墓。

    桑名駅を降りて市内に向かいます。途中に見えたのが、海蔵寺にある薩摩義士の墓。

    桑名駅

  • これは、宝暦治水事件という木曽川、長良川、揖斐川の分流工事にかかる事件に絡んだもの。薩摩藩が行った川普請工事は、難工事となり、派遣された総勢947名の薩摩藩士のうち、51名が自害、33名が病死するという悲惨な結果に。また、最終的に要した費用も約40万両。家老平田靱負は、その責任を取って、工事完成後に自害ということになりました。<br />名古屋城の天下普請も加藤清正や福島正則の力を削ぐためだったという一面を持っていたのですが、こんなところで、薩摩藩もしっかり、仕打ちを受けています。<br /><br />

    これは、宝暦治水事件という木曽川、長良川、揖斐川の分流工事にかかる事件に絡んだもの。薩摩藩が行った川普請工事は、難工事となり、派遣された総勢947名の薩摩藩士のうち、51名が自害、33名が病死するという悲惨な結果に。また、最終的に要した費用も約40万両。家老平田靱負は、その責任を取って、工事完成後に自害ということになりました。
    名古屋城の天下普請も加藤清正や福島正則の力を削ぐためだったという一面を持っていたのですが、こんなところで、薩摩藩もしっかり、仕打ちを受けています。

  • 今度は六華苑に向かって歩いていたら、賑やかな露店の様子が目に入りました。この日は、3と8のついた日に開かれる三八市という名物朝市だったようで。

    今度は六華苑に向かって歩いていたら、賑やかな露店の様子が目に入りました。この日は、3と8のついた日に開かれる三八市という名物朝市だったようで。

    六華苑 名所・史跡

    お客を迎える洋館と家族が暮らす和館がセット by たびたびさん
  • 海産物やその加工品、野菜や花など、馴染みのお客さんも多いようで、売り手と買い手の距離感がとても自然です。寺町通りは、南北250m。けっこう歩きでがありますが、威勢のいい掛け声に元気をもらえること請け合いです。<br /><br />

    海産物やその加工品、野菜や花など、馴染みのお客さんも多いようで、売り手と買い手の距離感がとても自然です。寺町通りは、南北250m。けっこう歩きでがありますが、威勢のいい掛け声に元気をもらえること請け合いです。

  • いよいよ六華苑。ここは、実業家二代目諸戸清六の新居として、明治から大正期に作られた邸宅。国の重要文化財・名勝です。

    イチオシ

    いよいよ六華苑。ここは、実業家二代目諸戸清六の新居として、明治から大正期に作られた邸宅。国の重要文化財・名勝です。

    六華苑 名所・史跡

    お客を迎える洋館と家族が暮らす和館がセット by たびたびさん
  • お客を迎える洋館と家族が暮らす和館がセットになった、このころの典型的な建築様式ですね。

    お客を迎える洋館と家族が暮らす和館がセットになった、このころの典型的な建築様式ですね。

  • 洋館は、鹿鳴館の設計で知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによるもの。木造2階建て。ヴィクトリア朝住宅の様式を基調。特に、外観の4階建塔屋が秀逸。朝日を受けて、美しく輝いていました。

    洋館は、鹿鳴館の設計で知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによるもの。木造2階建て。ヴィクトリア朝住宅の様式を基調。特に、外観の4階建塔屋が秀逸。朝日を受けて、美しく輝いていました。

  • 内部のサンルームも明るいです。和館は、諸戸家お抱え大工の作。木造平屋造りで、庭園の景色を正面に見ています。<br /><br />

    内部のサンルームも明るいです。和館は、諸戸家お抱え大工の作。木造平屋造りで、庭園の景色を正面に見ています。

  • これは、落ち着いた居住スペースです。

    これは、落ち着いた居住スペースです。

  • 六華苑から九華公園までは川沿いの堤防脇の遊歩道を歩きました。そこから見えるのが、この長良川河口堰。手前の川は揖斐川で、長良川とここらで合流するのですが、その直前にある河口堰です。堤頂長は661m、高さ8.2m、建設費は1,500億円。海の塩水の遡上を防止する、あるいは水道用水、工業用水を取水するための機能もあるようです。愛知県と三重県の境を流れる木曽川・長良川・揖斐川の3河川は濃尾平野を流れ、複雑に合流・分流を繰り返す地形。一見のどかに見えますが、しばしば洪水が発生して、厳しい治水の歴史がある場所です。<br /><br />

    六華苑から九華公園までは川沿いの堤防脇の遊歩道を歩きました。そこから見えるのが、この長良川河口堰。手前の川は揖斐川で、長良川とここらで合流するのですが、その直前にある河口堰です。堤頂長は661m、高さ8.2m、建設費は1,500億円。海の塩水の遡上を防止する、あるいは水道用水、工業用水を取水するための機能もあるようです。愛知県と三重県の境を流れる木曽川・長良川・揖斐川の3河川は濃尾平野を流れ、複雑に合流・分流を繰り返す地形。一見のどかに見えますが、しばしば洪水が発生して、厳しい治水の歴史がある場所です。

  • さらに歩くと七里の渡し。ここは、東海道における唯一の海上路。所要時間は約4時間で、熱田・宮の宮宿とこの桑名宿までを船で結びましたが、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つだったようです。ちなみに、七里の渡しの名前は、この間の距離が七里だったため。桑名は、東海道の42番目の宿場町で、写真の大鳥居は、「伊勢国一の鳥居」。これより伊勢路に入るという印で、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。<br /><br />

    イチオシ

    さらに歩くと七里の渡し。ここは、東海道における唯一の海上路。所要時間は約4時間で、熱田・宮の宮宿とこの桑名宿までを船で結びましたが、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つだったようです。ちなみに、七里の渡しの名前は、この間の距離が七里だったため。桑名は、東海道の42番目の宿場町で、写真の大鳥居は、「伊勢国一の鳥居」。これより伊勢路に入るという印で、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。

  • 蟠龍櫓は、桑名城址の一角。七里の渡しからすぐの揖斐川沿いにあります。桑名城は、かつて51の櫓があったとのことですが、建物で残っているのはほとんどありませんので、当時を偲べる遺構はここだけといってもいいかも。

    イチオシ

    蟠龍櫓は、桑名城址の一角。七里の渡しからすぐの揖斐川沿いにあります。桑名城は、かつて51の櫓があったとのことですが、建物で残っているのはほとんどありませんので、当時を偲べる遺構はここだけといってもいいかも。

  • 河口のまち桑名を象徴する蟠龍櫓は、内部が無料の展示館。海上の名城と謳われた桑名城の象徴として蟠龍櫓を描いた「東海道五十三次」の浮世絵、関が原の戦い後、10万石で入封した本多忠勝の肖像画。名前となった蟠龍をかたどった瓦もありました。<br /><br />

    河口のまち桑名を象徴する蟠龍櫓は、内部が無料の展示館。海上の名城と謳われた桑名城の象徴として蟠龍櫓を描いた「東海道五十三次」の浮世絵、関が原の戦い後、10万石で入封した本多忠勝の肖像画。名前となった蟠龍をかたどった瓦もありました。

  • 柿安本店は、九華公園の一角。公園には建物がないので、余計にこの鉄筋コンクリートのりっぱな建物が目立ちます。中に入ると、りっぱなお肉屋さん。<br />

    柿安本店は、九華公園の一角。公園には建物がないので、余計にこの鉄筋コンクリートのりっぱな建物が目立ちます。中に入ると、りっぱなお肉屋さん。

  • その傍らに、惣菜コーナーがあって写真のコロッケ。柿安というのは、創業者は赤塚安次郎。安っさんと呼ばれ、柿を売っていたのだそうです。つまり、柿売りの安っさんということ。その後、松坂牛など高級牛肉の商いに進出して、発展しました。小さなコロッケでしたが、高級牛肉のうまみがしっかり感じられる一品。食べ歩きにはもってこいでした。なお、小さな精肉店と併設された料理屋さんの店も、桑名市博物館近くにありました。<br /><br />

    その傍らに、惣菜コーナーがあって写真のコロッケ。柿安というのは、創業者は赤塚安次郎。安っさんと呼ばれ、柿を売っていたのだそうです。つまり、柿売りの安っさんということ。その後、松坂牛など高級牛肉の商いに進出して、発展しました。小さなコロッケでしたが、高級牛肉のうまみがしっかり感じられる一品。食べ歩きにはもってこいでした。なお、小さな精肉店と併設された料理屋さんの店も、桑名市博物館近くにありました。

    桑名市博物館 美術館・博物館

  • 九華公園は、「きゅうかこうえん」と読みます。桑名城跡を公園として整備したもの。桑名城の通称は扇城。中国には九華扇という扇があること、九華は「くはな→くわな」と読むことができることから、九華公園だそうです。桑名は、織田信長がこの地を征服すると、滝川一益が入りますが、長くは続かず、関ヶ原の戦い後は、徳川四天王の本多忠勝が10万石で入封。写真は、公園の一角に立つ本多忠勝の銅像です。

    九華公園は、「きゅうかこうえん」と読みます。桑名城跡を公園として整備したもの。桑名城の通称は扇城。中国には九華扇という扇があること、九華は「くはな→くわな」と読むことができることから、九華公園だそうです。桑名は、織田信長がこの地を征服すると、滝川一益が入りますが、長くは続かず、関ヶ原の戦い後は、徳川四天王の本多忠勝が10万石で入封。写真は、公園の一角に立つ本多忠勝の銅像です。

  • 公園のほとんどは堀や池。ちなみに、幕末の桑名藩は、あの松平容保の実弟である松平定敬が藩主。無血開城しますが、明治政府軍に焼き払われてしまいました。<br /><br />

    公園のほとんどは堀や池。ちなみに、幕末の桑名藩は、あの松平容保の実弟である松平定敬が藩主。無血開城しますが、明治政府軍に焼き払われてしまいました。

  • 桑名市立文化美術館は、桑名駅と九華公園の中間辺り。街の中心部です。桑名は、江戸時代、寛政の改革で知られる松平定信も暮らした松平氏11万石の城下町。東海道42番目の宿場町として栄え、浮世絵などでも、よく登場します。桑名藩と萬古焼関係の収蔵物がメインだと思いますが、やはり、馴染みのあるのは、東海道に宿場町の風景を描いた浮世絵でしょう。

    桑名市立文化美術館は、桑名駅と九華公園の中間辺り。街の中心部です。桑名は、江戸時代、寛政の改革で知られる松平定信も暮らした松平氏11万石の城下町。東海道42番目の宿場町として栄え、浮世絵などでも、よく登場します。桑名藩と萬古焼関係の収蔵物がメインだと思いますが、やはり、馴染みのあるのは、東海道に宿場町の風景を描いた浮世絵でしょう。

    桑名駅

  • なお、萬古焼も有名なのですが、瀬戸焼との違いがあまりないかも。白い土なので彩色が出来るのですが、それも瀬戸焼とおなじです。写真は蛤を使った貝合わせの工芸品。これも桑名の名産です。なお、入場料は無料です。<br /><br />

    なお、萬古焼も有名なのですが、瀬戸焼との違いがあまりないかも。白い土なので彩色が出来るのですが、それも瀬戸焼とおなじです。写真は蛤を使った貝合わせの工芸品。これも桑名の名産です。なお、入場料は無料です。

  • 石取会館は、大正14年に四日市銀行桑名支店として建築された鉄筋コンクリートの建物。

    石取会館は、大正14年に四日市銀行桑名支店として建築された鉄筋コンクリートの建物。

    石取会館 美術館・博物館

    日本一やかましい祭り”とされる石取祭の歴史や行事を紹介 by たびたびさん
  • 展示室では、30数台の祭車が、鐘や太鼓を一斉に打ち鳴らして練り歩き、”日本一やかましい祭り”とされる石取祭の歴史や行事を紹介しています。石取祭は、春日神社の祭りで、国重要無形民俗文化財。また、メインで展示されている写真の祭車は、漆仕上げで江戸時代末期の作。脇についているこのでかい鐘と太鼓がやかましいもとになっているのですが、別室では実際に叩いて体験することも出来ます。<br /><br />

    展示室では、30数台の祭車が、鐘や太鼓を一斉に打ち鳴らして練り歩き、”日本一やかましい祭り”とされる石取祭の歴史や行事を紹介しています。石取祭は、春日神社の祭りで、国重要無形民俗文化財。また、メインで展示されている写真の祭車は、漆仕上げで江戸時代末期の作。脇についているこのでかい鐘と太鼓がやかましいもとになっているのですが、別室では実際に叩いて体験することも出来ます。

  • 桑名宗社は、桑名市本町にある桑名の総鎮守社。春日神社が通称です。<br /><br />

    桑名宗社は、桑名市本町にある桑名の総鎮守社。春日神社が通称です。

  • ここは、7月末に行われる石採御神事(石取祭り)が天下の奇祭として有名。町内毎に祭車があって、それが30数台も寄り集まって、鐘や太鼓を打ち鳴らして練り歩きます。石取りの名前は、神社の祭場へ近くを流れる町屋川の石を取って奉納した起源があるため。境内は、楼門から写真の本殿まで、格式を感じる雰囲気。街歩きの団体が境内に何組かいましたが、しっかり、歴史の街、桑名の待ち歩きコースとなっているようです。<br /><br />

    ここは、7月末に行われる石採御神事(石取祭り)が天下の奇祭として有名。町内毎に祭車があって、それが30数台も寄り集まって、鐘や太鼓を打ち鳴らして練り歩きます。石取りの名前は、神社の祭場へ近くを流れる町屋川の石を取って奉納した起源があるため。境内は、楼門から写真の本殿まで、格式を感じる雰囲気。街歩きの団体が境内に何組かいましたが、しっかり、歴史の街、桑名の待ち歩きコースとなっているようです。

  • かぶら煎餅は、かぶらを模した煎餅。戦後まもなく、昭和天皇の三重県巡幸の際にも献上された桑名市の銘菓なのですが、謂れは、寛政の改革で有名な松平定信の故事にちなんだもの。

    かぶら煎餅は、かぶらを模した煎餅。戦後まもなく、昭和天皇の三重県巡幸の際にも献上された桑名市の銘菓なのですが、謂れは、寛政の改革で有名な松平定信の故事にちなんだもの。

  • 定信は、桑名で隠居生活を送るのですが、谷文晁のかぶらの絵を描かせたお盆を将軍に献上します。これは桑名盆といって、地元の名産なのですが、いずれにしてもかぶらは桑名にゆかりのデザイン。小・中・大の大きさがあって、これも面白い。カステラ生地の薄焼き煎餅は、ほんのり甘みがある上品な味わいで、ちょうどいい旅のお供になりました。<br /><br />

    定信は、桑名で隠居生活を送るのですが、谷文晁のかぶらの絵を描かせたお盆を将軍に献上します。これは桑名盆といって、地元の名産なのですが、いずれにしてもかぶらは桑名にゆかりのデザイン。小・中・大の大きさがあって、これも面白い。カステラ生地の薄焼き煎餅は、ほんのり甘みがある上品な味わいで、ちょうどいい旅のお供になりました。

  • さて、伊賀上野に向かう列車に乗り換えます。<br />デザインは忍者。いよいよ初伊賀です。

    さて、伊賀上野に向かう列車に乗り換えます。
    デザインは忍者。いよいよ初伊賀です。

    伊賀上野駅

  • 俳聖殿は、伊賀上野城址、上野公園内。少し開けた平地にぽつんとありました。松尾芭蕉の生誕300年を記念して、昭和17年に、建築家伊東忠太の設計で建てられたもの。外観は、松尾芭蕉の旅姿を模したもので、上層の屋根が笠、下部が顔で、下層のひさしは蓑と衣姿なのだそうです。なお、ここも上野城と同じ。川崎克が私財を投じて建てたものです。<br /><br />

    イチオシ

    俳聖殿は、伊賀上野城址、上野公園内。少し開けた平地にぽつんとありました。松尾芭蕉の生誕300年を記念して、昭和17年に、建築家伊東忠太の設計で建てられたもの。外観は、松尾芭蕉の旅姿を模したもので、上層の屋根が笠、下部が顔で、下層のひさしは蓑と衣姿なのだそうです。なお、ここも上野城と同じ。川崎克が私財を投じて建てたものです。

  • 芭蕉翁記念館も、芭蕉に生誕地である伊賀市の上野公園内の一角。昭和34年の開館です。伊賀は芭蕉の生誕地で、江戸の出てからも何度か帰ってきてはいるのですが、この地で謳った有名な歌がちょっと出てきません。芭蕉関連の施設は日本各地にあって、その地で有名な歌の紹介があったりすると旅心が高まるのですが。そんなことを話したら、この館の芭蕉にめちゃくちゃ詳しい女性が出てきて、この館の資料の見所を説明してくれました。「貝おほい」は芭蕉自ら書いた唯一の作品。句集は普通は、誰か専門の人に書かせて、出版するのだそうです。後は、大阪から死の直前に兄に送った手紙。自分の死期を悟った文面と故郷、肉親への思いがつづられています。<br /><br />

    芭蕉翁記念館も、芭蕉に生誕地である伊賀市の上野公園内の一角。昭和34年の開館です。伊賀は芭蕉の生誕地で、江戸の出てからも何度か帰ってきてはいるのですが、この地で謳った有名な歌がちょっと出てきません。芭蕉関連の施設は日本各地にあって、その地で有名な歌の紹介があったりすると旅心が高まるのですが。そんなことを話したら、この館の芭蕉にめちゃくちゃ詳しい女性が出てきて、この館の資料の見所を説明してくれました。「貝おほい」は芭蕉自ら書いた唯一の作品。句集は普通は、誰か専門の人に書かせて、出版するのだそうです。後は、大阪から死の直前に兄に送った手紙。自分の死期を悟った文面と故郷、肉親への思いがつづられています。

    芭蕉翁記念館 美術館・博物館

    伊賀市の上野公園内の一角 by たびたびさん
  • 伊賀上野城は、伊賀の国10万石・伊勢の一部10万石というのですが、合計して22万石を治めた藤堂高虎が築城。関が原の戦い後に、今治20万石から移ってきました。徳川家康の厚い信任による入封です。

    イチオシ

    伊賀上野城は、伊賀の国10万石・伊勢の一部10万石というのですが、合計して22万石を治めた藤堂高虎が築城。関が原の戦い後に、今治20万石から移ってきました。徳川家康の厚い信任による入封です。

    伊賀上野城 名所・史跡

    藤堂高虎が築城 by たびたびさん
  • 大坂との決戦に備え、高さ 約30メートルという高石垣など、実戦的な規模。<br />これはすごい。熊本城より、ずっと険しいと感じました。下をのぞくと怖いです。危険、危険。近寄らないように。

    イチオシ

    大坂との決戦に備え、高さ 約30メートルという高石垣など、実戦的な規模。
    これはすごい。熊本城より、ずっと険しいと感じました。下をのぞくと怖いです。危険、危険。近寄らないように。

  • 現在の天守閣は、昭和10年に完成したもの。衆議院議員であった川崎克が私財を投じて建てた模擬天守です。<br />

    現在の天守閣は、昭和10年に完成したもの。衆議院議員であった川崎克が私財を投じて建てた模擬天守です。

  • 内部には豊臣秀吉から藤堂高虎に拝領され、藤堂家の家宝となった黒漆塗唐冠形兜は、入ってすぐにレプリカ。

    内部には豊臣秀吉から藤堂高虎に拝領され、藤堂家の家宝となった黒漆塗唐冠形兜は、入ってすぐにレプリカ。

  • これが奥にある本物なのですが、一族の藤堂良重が大坂夏の陣に着用して参戦、豊臣方の木村重成軍と戦い討死したもの。徳川への忠誠を示したことで、その後の藤堂家の安定をもたらしました。

    これが奥にある本物なのですが、一族の藤堂良重が大坂夏の陣に着用して参戦、豊臣方の木村重成軍と戦い討死したもの。徳川への忠誠を示したことで、その後の藤堂家の安定をもたらしました。

  • 他にも、藤堂家ゆかりの品々や

    他にも、藤堂家ゆかりの品々や

  • 渋い伊賀焼も。

    渋い伊賀焼も。

  • 天守閣にある、有名画家の天井絵。

    天守閣にある、有名画家の天井絵。

  • 芭蕉の使用していた机もありました。かなり充実しています。<br />

    芭蕉の使用していた机もありました。かなり充実しています。

  • 伊賀流忍者博物館は、伊賀の土豪屋敷を上野公園内に移築したもの。普通の茅葺きの農家なのですが、伊賀忍者の防衛のための工夫があちこちに仕掛けられているという建物。一定の人数がまとまって、くノ一の案内人に説明を受けます。

    伊賀流忍者博物館は、伊賀の土豪屋敷を上野公園内に移築したもの。普通の茅葺きの農家なのですが、伊賀忍者の防衛のための工夫があちこちに仕掛けられているという建物。一定の人数がまとまって、くノ一の案内人に説明を受けます。

    伊賀流忍者博物館 美術館・博物館

    ドンデン返しを見せてくれた後のくノ一 by たびたびさん
  • 写真は、ドンデン返しを見せてくれた後のくノ一。かなりの「どや顔」ですね。その他、抜け道、隠し戸、刀隠しなども。忍者伝承館では、忍者の道具や資料が展示されています。ただ、むしろ、子供の方が喜んでいる感じ。忍者の格好をした子供たちが大はしゃぎしていました。入場料は700円です<br /><br />

    写真は、ドンデン返しを見せてくれた後のくノ一。かなりの「どや顔」ですね。その他、抜け道、隠し戸、刀隠しなども。忍者伝承館では、忍者の道具や資料が展示されています。ただ、むしろ、子供の方が喜んでいる感じ。忍者の格好をした子供たちが大はしゃぎしていました。入場料は700円です

    伊賀流忍者博物館 美術館・博物館

    ドンデン返しを見せてくれた後のくノ一 by たびたびさん
  • だんじりといえば岸和田が有名なのですが、伊賀上野にもだんじり会館がありまして。

    だんじりといえば岸和田が有名なのですが、伊賀上野にもだんじり会館がありまして。

  • 上野市のだんじりは、筒井定次が伊賀の領主となり、上野天満宮を祀ったことに起源を発し、その後、藤堂高虎が天満宮を新改築、城内仮御殿より見物。鬼行列も始められたとされます。祭りは、10月23日から25日。

    上野市のだんじりは、筒井定次が伊賀の領主となり、上野天満宮を祀ったことに起源を発し、その後、藤堂高虎が天満宮を新改築、城内仮御殿より見物。鬼行列も始められたとされます。祭りは、10月23日から25日。

  • ここでは、年間を通じて、その上野天神秋祭のだんじり3基とこれに付属した鬼行列を展示しています。なお、忍者衣装も貸してくれるようで、ここで忍者に着替えをして、街に繰り出す子供たちもいるようです。<br /><br />

    ここでは、年間を通じて、その上野天神秋祭のだんじり3基とこれに付属した鬼行列を展示しています。なお、忍者衣装も貸してくれるようで、ここで忍者に着替えをして、街に繰り出す子供たちもいるようです。

  • 芭蕉生家は、だんじり会館から歩いて10分ほど。 <br />芭蕉は、1644年、松尾与左衛門の次男(2男4女の3番目)として生まれました。19歳の頃、藤堂藩の侍大将藤堂新七郎家に奉公に。跡継ぎの良忠に仕えますが、良忠も俳諧好きで共に励みます。

    芭蕉生家は、だんじり会館から歩いて10分ほど。
    芭蕉は、1644年、松尾与左衛門の次男(2男4女の3番目)として生まれました。19歳の頃、藤堂藩の侍大将藤堂新七郎家に奉公に。跡継ぎの良忠に仕えますが、良忠も俳諧好きで共に励みます。

  • ところが、良忠は25歳の若さでこの世を去ってしまい、その後数年のことはちょっと不明。しかし、29歳まで生家で過ごし、ここで、処女句集「貝おほひ」を執筆します。内容は、伊賀の俳諧仲間を集めた三十番発句合の評価をしたもの。その後の芭蕉の出発点となったもの。この執筆の後、江戸に出て行くことになります。<br /><br />

    ところが、良忠は25歳の若さでこの世を去ってしまい、その後数年のことはちょっと不明。しかし、29歳まで生家で過ごし、ここで、処女句集「貝おほひ」を執筆します。内容は、伊賀の俳諧仲間を集めた三十番発句合の評価をしたもの。その後の芭蕉の出発点となったもの。この執筆の後、江戸に出て行くことになります。

  • 上野天満宮は、上野市街の一角。菅原道真を祀る神社で、「菅聖廟」の額を掲げた楼門がりっぱです。本殿は工事中でしたが、ここを訪ねたのは、芭蕉がここに処女作「貝おほひ」を奉納し、その後の俳諧師としての成功を祈願したから。芭蕉は、この時、29歳です。気づくと、楼門前の庭に「貝おほひ顕彰碑」がありました。「貝おほひ」は、三十番発句合の評価を綴ったもの。二つの発句を比べながら、どちらがどのように優れているか解説したもので、芭蕉の俳句に対する考え方が窺えるものとされています。なお、この神社の祭りが、だんじりです。 <br /><br />

    上野天満宮は、上野市街の一角。菅原道真を祀る神社で、「菅聖廟」の額を掲げた楼門がりっぱです。本殿は工事中でしたが、ここを訪ねたのは、芭蕉がここに処女作「貝おほひ」を奉納し、その後の俳諧師としての成功を祈願したから。芭蕉は、この時、29歳です。気づくと、楼門前の庭に「貝おほひ顕彰碑」がありました。「貝おほひ」は、三十番発句合の評価を綴ったもの。二つの発句を比べながら、どちらがどのように優れているか解説したもので、芭蕉の俳句に対する考え方が窺えるものとされています。なお、この神社の祭りが、だんじりです。

  • むらい萬香園は、上野市街にある老舗のお茶屋さん。売り場のならびに、喫茶スペースがあって、こちらで休憩。

    むらい萬香園は、上野市街にある老舗のお茶屋さん。売り場のならびに、喫茶スペースがあって、こちらで休憩。

    むらい萬香園 グルメ・レストラン

    カキ氷の上に抹茶アイスクリームがのっかったスイーツ by たびたびさん
  • これは、一番人気というカキ氷の上に抹茶アイスクリームがのっかったスイーツ。抹茶の量が半端ではないというアイスはすっきりしたおいしさ。これに対し、カキ氷も抹茶たっぷりですが、実は、けっこう酸味の利いたレモン味。ご主人が話し好きで、何かと解説をしてくれます。また、忍者にこだわりがあって、ここでは手裏剣の体験も出来ます。競技用の手裏剣は刃が鋭いので気をつけないと怪我をするとか、こちらも別のお客さんに熱く説明していました。<br /><br />

    これは、一番人気というカキ氷の上に抹茶アイスクリームがのっかったスイーツ。抹茶の量が半端ではないというアイスはすっきりしたおいしさ。これに対し、カキ氷も抹茶たっぷりですが、実は、けっこう酸味の利いたレモン味。ご主人が話し好きで、何かと解説をしてくれます。また、忍者にこだわりがあって、ここでは手裏剣の体験も出来ます。競技用の手裏剣は刃が鋭いので気をつけないと怪我をするとか、こちらも別のお客さんに熱く説明していました。

  • 桔梗屋織居は、上野市駅に帰る途中。和菓子のほかに、続きの棟でワッフルの専門コーナーが。これがあまりにおいしそうなので、寄ってみることにしました。

    桔梗屋織居は、上野市駅に帰る途中。和菓子のほかに、続きの棟でワッフルの専門コーナーが。これがあまりにおいしそうなので、寄ってみることにしました。

  • 小倉の餡がアクセントになった洋菓子は、なるほど和菓子の老舗の特徴を活かしています。いくつか買って、店内の腰掛スペースでいただきました。麦茶も出していただきましたが、丁寧な対応で申し訳なかったです。ありがたく、一休みできました。<br /><br />

    小倉の餡がアクセントになった洋菓子は、なるほど和菓子の老舗の特徴を活かしています。いくつか買って、店内の腰掛スペースでいただきました。麦茶も出していただきましたが、丁寧な対応で申し訳なかったです。ありがたく、一休みできました。

  • 上野市駅に帰ってきました。<br />写真の像は、上野市駅前広場に立つ芭蕉像。昭和38年、芭蕉翁の270回忌に、上野ロ-タリ−クラブの創立10周年記念事業として寄贈されたものです。<br />ここから今晩の宿、奈良に向かうのですが、ここで晩飯を食うことにします。<br />

    上野市駅に帰ってきました。
    写真の像は、上野市駅前広場に立つ芭蕉像。昭和38年、芭蕉翁の270回忌に、上野ロ-タリ−クラブの創立10周年記念事業として寄贈されたものです。
    ここから今晩の宿、奈良に向かうのですが、ここで晩飯を食うことにします。

    上野市駅

    上野市駅前広場に立つ芭蕉像 by たびたびさん
  • やってきたのは、田楽座わかや。上野市駅から歩いて15分くらい。もうほとんど隣の駅の近くです。<br />

    やってきたのは、田楽座わかや。上野市駅から歩いて15分くらい。もうほとんど隣の駅の近くです。

  • ここは豆腐の味噌田楽のお店。伊賀上野の名物というほどではないかもしれませんが、地元では知らない人はいないというお店です。写真のように、赤い箱のような入れ物に、串刺しされた豆腐の味噌田楽が出てくると、きれいでまずは目で楽しめます。この田楽の串を外して、丼のご飯に乗せていただきます。

    ここは豆腐の味噌田楽のお店。伊賀上野の名物というほどではないかもしれませんが、地元では知らない人はいないというお店です。写真のように、赤い箱のような入れ物に、串刺しされた豆腐の味噌田楽が出てくると、きれいでまずは目で楽しめます。この田楽の串を外して、丼のご飯に乗せていただきます。

    伊賀上野駅

  • こんなので、おかずになるかなあとか思いつつ。豆腐の程よい固さと味噌の味わいで、これはおいしいです。八丁味噌ですかと聞いたら、ここは関西と名古屋の中間。八丁味噌と白味噌が混じってますという答えでした。これは価値ありです。ごちそうさまでした。<br />さて、これから奈良に向かいます。

    こんなので、おかずになるかなあとか思いつつ。豆腐の程よい固さと味噌の味わいで、これはおいしいです。八丁味噌ですかと聞いたら、ここは関西と名古屋の中間。八丁味噌と白味噌が混じってますという答えでした。これは価値ありです。ごちそうさまでした。
    さて、これから奈良に向かいます。

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