2012/04/29 - 2012/05/07
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mistralさん
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アンデスには数多くの文明が存在していましたがインカの名が歴史に登場するのは15世紀になってからだそうです。その後、瞬く間に大帝国を作り上げましたが、1532年にはピサロ率いるスペイン軍によって滅ぼされてしまったことを考えると、インカ帝国の存在した期間は長い歴史の中ではほんの一瞬の間のことでした。
スペイン国王に反抗した一部のインカの末裔はクスコを離れ、アンデスの山中で新インカ帝国の建国を宣言、しばらくはスペインに抵抗を続けますがやがては崩壊します。この失われた王国に関心をよせた人々は19世紀になって次々とペルーを訪れ探検を始めます。
アメリカ人の探検家、ハイラム・ビンガムもその一人でした。1909年、すでに発見されていたオリャンタイタンボ遺跡の奥、ウルバンバ川を更に下り山と山を結ぶ尾根に木々や苔におおわれた石造建築を発見したそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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5月2日、Hotel San Agustin Urubamba を出発。ペルーレイルの出発駅、オリャンタイタンボへ向かいました。
列車にはスーツケースは載せられないので、ここのホテルへ預けておき、一泊分の荷物をもっての出発です。 -
オリャンタイタンボ駅周辺を乗車時間前に散策しました。
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雪に覆われた峰々が遠くに見渡せました。
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民家の屋根の上には沖縄のシーサーのような動物が載っていました。シーサーは獅子ですが、こちらは雄牛です。同じように屋根の上で家庭の安全を守ってくれているとか。
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お土産やさんの店頭ではジャイアントコーンを茹でていました。ペルー産のおつまみは有名ですが、茹でただけのものはなかなかお目にかかれません。たまにお料理の中に入っていました。
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駅が見えてきました。
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8時53分発のビスタドーム号に乗車しました。全席指定です。乗車する際にはティケットとパスポートを提示します。オリエントエクスプレス系の鉄道会社とのことで、青に金色の縁取りが印象的な車体です。
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ペルーレイルのロゴが車体に。
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私たちの乗車したビスタドーム。天井も窓になっていて遥か彼方の山並みや覆いかぶさるようにせまる断崖なども見渡せました。
列車は2010年に洪水をおこしたウルバンバ川沿いにそってひた走ります。流れの急な個所もあれば、ゆったりとした流れや、つり橋などもあり、車窓からの眺めは飽きさせることがありません。 -
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1時間半ほどの乗車でマチュピチュ駅に到着します。そこからは随時シャトルバスが出ていて、遺跡の発見者に敬意を表してつけられたハイラム・ビンガム・ロードをピストン輸送しています。
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30分ほどで遺跡の入口に到着。
私たちは入り口そばにある唯一のレストラン、サンクチュアリロッジで昼食をとりました。ゲートから中に入ると、トイレもありませんし、食物を持ち込むことも禁止されています。 -
入場ゲートから進んでまず見えてくるのは茅葺屋根の貯蔵庫です。
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高台にたっているのは見張り小屋と呼ばれています。
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イチオシ
ここまで登ってくると眼下に写真でよく見る絶景が広がっています。
背後にそびえているのがワイナピチュ(若い峰の意味)です。 -
アンデネス(段々畑)です。絶壁の急斜面に広がっています。これによって耕作面積を増やし、さまざまな農作物をつくることが可能となりました。
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市街地への唯一の入口です。高さはおよそ2メートルぐらいで意外と小さいです。ここから覗くと真正面にワイナピチュがそびえ、門が丁度額縁のようになって、絶好の撮影ポイントとなっています。
この写真は内部から撮っています。上部にある出っ張りと左右にある凹みを使って木の棒を渡して扉を固定して、外敵からの侵入を防いだようです。 -
太陽の神殿の上部も見えます。
その後の調査によって、マチュピチュは失われた伝説の都ではなく、9代皇帝の別荘?あるいは宗教施設として使われていた可能性があるとされるようになりました。当時の人々が神と崇めていた太陽神により近いところに宗教施設を造ったことは自然なことのように思われます。 -
またインカでは太陽神に仕える娘たちを社会から隔離して生活させていましたが、ここマチュピチュでは特に選ばれた娘たちが暮らしていたと考えられているそうです。
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職人が石を加工したり居住していた区域です。
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このように石が張り出していますが、外壁にある場合は茅葺屋根を取り付ける為に使用されました。また内壁にあるときは物をかけたりするフックとして使われたようです。
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遠くに見えるワイナピチュの形をそのまま彫った岩です。
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3つの窓の神殿です。この窓は夏至の日の出の位置にぴったりと合っています。
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主神殿近くにおいてあるひし形の石。先端は南を指し、インカの人々にとって大切な南十字星の形をしています。
持参していた人の方位磁針で実際にみてみるとその正確さがわかりました。 -
インティワタナ(日時計)、太陽をつなぎとめる石という意味を持つ、大きな岩です。マチュピチュの中で最も高い位置にあります。
周囲の山の神々のエネルギーが集中するのか、石自体に何か力があるのか、最近ではパワースポットとして注目されています。石に直接さわることは禁止されていますが、エネルギーを取り入れようと皆が近くで手をかざしていました。 -
ワイナピチュ登山のゲートです。入場制限がもうけられていて一日400名とのことです。通常は先着順のようですが、今年はマチュピチュ発見100年にちなんで事前予約制となっているようです。
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登山道もかなり険しそうなワイナピチュ。
山頂付近にも段々畑が作られています。単に食料確保の為の畑としては効率が悪いですが、ここで栽培されたトウモロコシで作ったチチャ酒は、栽培された場所が神聖であるほど価値が高いものとなったことでしょう。 -
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天体観測をするための石のようです。水が張られていて、丁度そこに太陽が映っていました。
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あちこちから段々畑が見られます。
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コンドルの神殿。後方にある2枚の岩を羽にみたて、地面にコンドルの頭部とくしばしをかたどった石を置いています。
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岩の隙間を抜けられるようになっています。
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木が一本だけ立っている広場。
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太陽神殿のすぐ脇の階段に沿って伸びる水路は居住区まで続き、途中には数か所の水汲み場が設けられています。恐らく遠い山から運ばれて来た水なのでしょうが、いまだに変わることなく流れ続けていることに驚かされます。
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太陽神殿。ここだけは曲線をもつ石組みで造られています。窓が2つあり、夏至の時には東の窓に、冬至の時には南の窓に太陽光線が差し込むようになっています。
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下部は陵墓とされています。階段の2段目に落書きがあり、1908年との記載があるようですが、これはハイラム・ビンガム発見より前の年号のようです。
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リャマが散歩していました。
おいで、おいでと声をかけると、本当に近づいてきました。 -
周辺の風景にとても似合う姿です!
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何度見ても、何回写真に収めても飽きることがありませんでした。
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遺跡内部を3時間ほど歩き回り、再びシャトルバスにのってマチュピチュ村へおりていきました。
今日は村のホテルに泊まり、明朝はインカ道を歩きます。
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