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 ドイツから友人が帰国したので、京都の紅葉を案内しました。<br /><br /> ハイシーズンの土曜日とあって、大変な人出でした。  

2011 京都の秋 宝厳院・常寂光寺・宝筺院

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2011/11/28 - 2011/11/28

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akkiy363672

akkiy363672さん

 ドイツから友人が帰国したので、京都の紅葉を案内しました。

 ハイシーズンの土曜日とあって、大変な人出でした。  

同行者
友人
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  •  午前9時18分、京都駅で友人と待ち合わせ、嵐山についたのは10時30分になろうかというぐらいの時間でした。<br /><br /> 市営駐車場は満車、京福電鉄嵐山駅の前のちょっと値段の高い駐車場へ車を入れて散策開始です。<br /><br />← 京福電鉄嵐山駅の前に、大きなモミジが色づいていました。

     午前9時18分、京都駅で友人と待ち合わせ、嵐山についたのは10時30分になろうかというぐらいの時間でした。

     市営駐車場は満車、京福電鉄嵐山駅の前のちょっと値段の高い駐車場へ車を入れて散策開始です。

    ← 京福電鉄嵐山駅の前に、大きなモミジが色づいていました。

  •  天竜寺はもう何度も訪れているので今日は割愛して、その右隣の「宝厳院」へ入りました。<br /><br /> 宝厳院は天龍寺の塔頭で、寛正2年(1461年)細川頼之によって創建されました。当時は現在の京都市上京区にありました。<br /> 応仁の乱(1467年 - 1477年)に巻き込まれて焼失し、天正年間(1573年 - 1591年)に再興されました、<br /><br />← 入ってすぐの左手、何体かの石仏が出迎えてくれます。<br />

     天竜寺はもう何度も訪れているので今日は割愛して、その右隣の「宝厳院」へ入りました。

     宝厳院は天龍寺の塔頭で、寛正2年(1461年)細川頼之によって創建されました。当時は現在の京都市上京区にありました。
     応仁の乱(1467年 - 1477年)に巻き込まれて焼失し、天正年間(1573年 - 1591年)に再興されました、

    ← 入ってすぐの左手、何体かの石仏が出迎えてくれます。

  •  庭園は、天龍寺開山夢窓国師の法孫である策彦禅師の作とされ、嵐山を巧みに取り入れた回遊式山水庭園で、「獅子吼の庭」と呼ばれています。<br /><br /> 邸内を歩き始めると、枯山水の池が…。<br /><br />

     庭園は、天龍寺開山夢窓国師の法孫である策彦禅師の作とされ、嵐山を巧みに取り入れた回遊式山水庭園で、「獅子吼の庭」と呼ばれています。

     邸内を歩き始めると、枯山水の池が…。

  • 「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴くことによって人生の真理、正道を肌で感じることができるとか。<br /> これを「無言の説法」というそうですが、心がとても癒される庭です。<br /><br /><br /> 徐々に、秋色が深まります。

    「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴くことによって人生の真理、正道を肌で感じることができるとか。
     これを「無言の説法」というそうですが、心がとても癒される庭です。


     徐々に、秋色が深まります。

  •  庭内に、「獅子吼の庭」のゆかり、「獅子岩」と名づけられた大きな石が配され、紅葉との対比が美しい。<br /><br />

     庭内に、「獅子吼の庭」のゆかり、「獅子岩」と名づけられた大きな石が配され、紅葉との対比が美しい。

  •  緑の芝生の向こうに、紅く染まった紅葉が…。<br />

     緑の芝生の向こうに、紅く染まった紅葉が…。

  •  人波の流れるままに、庭内をめぐります。

     人波の流れるままに、庭内をめぐります。

  •  庭内に茶があったので、ちょっと休憩しました。

     庭内に茶があったので、ちょっと休憩しました。

  •  お抹茶一服500円です。

     お抹茶一服500円です。

  •  縁側から、「獅子吼」の庭を眺めます。

     縁側から、「獅子吼」の庭を眺めます。

  •  明治時代には 河川工事のため、寺域が買い上げられ、天龍寺塔頭の弘源寺内に移転しました。<br /> 平成14年(2002年)、天龍寺方丈南側の現在地を購入して移転、再興したものです。<br /><br /> ご本尊は十一面観音です。本道には、田村能里子作の障壁画があります。

     明治時代には 河川工事のため、寺域が買い上げられ、天龍寺塔頭の弘源寺内に移転しました。
     平成14年(2002年)、天龍寺方丈南側の現在地を購入して移転、再興したものです。

     ご本尊は十一面観音です。本道には、田村能里子作の障壁画があります。

  •  赤・黄・緑のコントラストが綺麗です。<br /><br />

     赤・黄・緑のコントラストが綺麗です。

  •  紅葉の向こうに「書院」が見えます。<br /><br /> この書院は大正時代の建物。宝厳院が現在地に移転する前からあった別荘建築で、新本堂ができるまでの間、仮本堂としていました。当初は取り壊す予定でしたが、建造物としての価値が認められ保存されました。

     紅葉の向こうに「書院」が見えます。

     この書院は大正時代の建物。宝厳院が現在地に移転する前からあった別荘建築で、新本堂ができるまでの間、仮本堂としていました。当初は取り壊す予定でしたが、建造物としての価値が認められ保存されました。

  •  見事な紅葉の中を歩きます。<br />

     見事な紅葉の中を歩きます。

  •  小さな流れがありました。<br /><br /> 橋を渡っていきます。<br /><br />

     小さな流れがありました。

     橋を渡っていきます。

  •  流れに沿っていくと、程なく出口でした。

     流れに沿っていくと、程なく出口でした。

  •  ご存知 天竜寺! もう何度も訪れましたし、大変な混雑なので、今日はパスです。

     ご存知 天竜寺! もう何度も訪れましたし、大変な混雑なので、今日はパスです。

  •  天竜寺の裏手に回って、源氏物語ゆかりの「野宮神社」へ。<br /><br />

     天竜寺の裏手に回って、源氏物語ゆかりの「野宮神社」へ。

  •  竹林の中をさらに奥へ…。<br /><br />

     竹林の中をさらに奥へ…。

  •  「常寂光寺」に着きました。<br /><br /><br /> 紅葉に囲まれた「仁王門」です。<br />

     「常寂光寺」に着きました。


     紅葉に囲まれた「仁王門」です。

  •  仁王門をくぐってすぐに、石段があります。<br /><br />

     仁王門をくぐってすぐに、石段があります。

  •  横から見ると、こんなふう…。<br /><br /> 常寂光寺は、百人一首に詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって、境内からは嵯峨野を一望できます。<br /><br />

     横から見ると、こんなふう…。

     常寂光寺は、百人一首に詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって、境内からは嵯峨野を一望できます。

  •  秋は全山紅葉に包まれ、その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされます。<br />

     秋は全山紅葉に包まれ、その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされます。

  •  石段を登りきったところから、うしろを振り返りました。<br /><br /> 眼下に広がる紅葉が、見事です。<br /><br />

     石段を登りきったところから、うしろを振り返りました。

     眼下に広がる紅葉が、見事です。

  •  寺域は平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開きました。<br /><br /> 歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備されたとのことです。<br /><br />

     寺域は平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開きました。

     歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備されたとのことです。

  •  高台から、京都盆地をはさんで、東山連邦が見えます。<br /><br /> 真ん中、ぽこんと高いのは「比叡山」です。<br /><br />

     高台から、京都盆地をはさんで、東山連邦が見えます。

     真ん中、ぽこんと高いのは「比叡山」です。

  •  紅葉に包まれた「鐘楼」です。<br /><br />

     紅葉に包まれた「鐘楼」です。

  •  ここから裏山に登ると「多宝塔」がありますが、章くん、本堂裏で、多宝塔まで登った友人を腰掛けて待っていました(苦笑)。

     ここから裏山に登ると「多宝塔」がありますが、章くん、本堂裏で、多宝塔まで登った友人を腰掛けて待っていました(苦笑)。

  •  真っ盛りまでには、少し早いといったところでしょうか。<br /><br /> 盛りには、地面にも色づいた葉が落ちて苔の緑を覆いつくし、全山が紅色に染まります。

     真っ盛りまでには、少し早いといったところでしょうか。

     盛りには、地面にも色づいた葉が落ちて苔の緑を覆いつくし、全山が紅色に染まります。

  •  「仁王門」横まで、降りてきました。<br /><br /><br /> 【今日はここまで…。つづきは、また明日…。】<br /><br />

     「仁王門」横まで、降りてきました。


     【今日はここまで…。つづきは、また明日…。】

  •  

     

  •  宝筺院

     宝筺院

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