2011/09/20 - 2011/10/15
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keithforestさん
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なんたってプラハって街は爆撃されたことがない訳ですから、基本的に昔の建物がそのまま残っておりますよ。たった二発の爆弾が誤爆で落とされて、そのまま空き地になっていたところにダンシング・ビルを建てたくらいだから、もの凄いことになっております。
しかし、40数年間の共産主義政権下にあった間に疲弊しまくって、今一生懸命に修復にかかっておりますが、なかなか全部に手は廻りません。
サービス産業の方もなかなか40数年間の暗闇社会から脱却できずに、「サービス」という概念がこの20年間ではまだ戻って参りませぬなぁ。
とにかく一日でできる限り廻っちまおうという方針の一日ですから、まぁ、忙しく、そして写真の数が半端ないことをお詫び申し上げる次第であります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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朝飯はさすがのRadisson Bluですから、コールドだけでなくて暖かいものも食べることができるのが嬉しいものがあります。
今回は後半に単独行動を計画していて、その間は臨むべくもない訳ですから、今のうちでございますよ。 -
ここのホテルももう既にアール・デコに満ちあふれておりますから、眼が血走るというものでございますが、なにしろまず部屋番号からしてこれでございますから、いやが上にもテンションが高まりますです。
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例によって朝早く眼が覚めてしまう訳で、必ずそんな時にはさっさとベッドから出て街に繰り出します。
バーツラフ広場の角にこんなビルでございます。このビルは夜になると灯りがついてまた楽しめます。 -
御丁寧な造りで、中に入ってみたいなぁと思わせます。
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見ていると毎朝、毎朝観光客がしたまでいって見揚げながら写真を撮っているHotel Evropaです。カフェもまた昔のまんまです。
隣に細長く建っているのが後から泊まることになるHotel Meranですが、これもかつてはHotel Evropaの一部だったのだとものの本には出ておりますな。
そうそう、JTBパブリッシングが出しているララチッタ・シリーズの「ウィーン・プラハ・ブダペスト」にはこのHotel Meranの位置が地図上で間違っています。そういえば他の施設の地図も間違っていたなぁ。 -
テレビの番組で見慣れているプラハのトラム、その9番ですが、バーツラフ広場と交差して走っています。
後でこのトラムにはいやというほど乗ることになりましたよ。 -
その9番が走っている通りを歩いてみると、軒並み面白い建物です。
だから写真を撮り始めるときりがなくなる訳ですが、そうやってカメラを振り回していると地元の人は改めて、その対象を見るようになるみたいです。 -
反対側がこんなビルなんですから、おわかりいただけると思うのですが、どうしてもきょろきょろして歩くことになります。
多分その筋の人から見たら隙だらけなんじゃないですかねぇ。 -
えっ!これって一体なんですか?水かきのついた足でしょ、これ?蛙?でもどこにつながっているんでしょうか。
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あらま、これは本当の蛙がくっついている。王冠をかぶっとるぞ、この蛙は。
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なにやら奥の方に入っていけるようになっているらしい。こんな建物がずらっと並んでいる訳です。
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中にずんずんと入っていってみると、こんな具合にショッピング・アーケードのようになっています。冬になると大変に寒いんだと聞いていますから、多分こういう施設であれば人が入りやすいのでしょうねぇ。
中にはカジノはあるは(尤もそこら中にこのサインは見ますが)映画館も入っているし、たくさんの店舗が軒を連ねています。
プラハ最大のパッサージュ、ルツェルナ(Lucerna)てんだそうです。 -
で、度肝を抜かれたのがこの像です。
馬は逆さまに吊されているんです。で、そのお腹に人がまたがっているんです。
これに似た像をすぐ傍のバーツラフ広場(といってもやたら幅の広い道路の真ん中)に見ることができます。それはもちろんバーツラフの像なんですが、これはダヴィッド・チェルニーの作品のひとつで、チェコ共和国初代大統領、ヴァーツラフ・ハヴェルに対する当てつけなんだという説をガイドの方からお伺いしました。
これは驚きます。 -
こちらが映画館への入り口と覚しき風情ですね。米国人だったら博打場と間違えるかも知れないですよ。「KINO」って書いてあるんだから。
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王宮見物に出掛けるバスの窓から、見えました、見えました!ダンシング・ビルって奴です。
なんでもプラハは爆撃を受けなかったのだけれど、2発だけ誤爆されたことがあって、そのうちのひとつが落ちたのがこの場所だったといいます。だから、ここは空き地になっていたんであって、昔からあった建物をわざわざ壊して建てたんじゃないんだそうです。 -
王宮の入り口に衛兵が建っています。で、見物の方たちが、ここで交替するのを待っています。私達も時間にあわせてやってきましたから、交替式が始まるのを今や遅しと待っているわけです。
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こうやってみんなカメラ片手に固唾を吞んで、今か今かと。各国語が飛び交い、図々しい人になると、衛兵の横に立ってピースサインをして記念写真を撮っちゃいます。
私も待っていました。 -
あんなに待っていたのに、待っていた間にどんどん団体が増えてきて、どんどん人垣が厚くなってきて、結局私が撮れた写真というのが、これ一枚。
新しく勤務に就いた衛兵が何となく、中年の、しかも典型的な中年タイプの兵で、彼が一瞬「ニヤ」ッとしたら、見守っていた観光客全員が笑いはじめ、彼は苦境に立たされるというおまけ付きでした。 -
お城の中に入りました。私はなんだかぼぉ〜っと見回すくらいしかできないという不勉強な観光客であります。
お城にあんまり興味がないのが見え見えですが、教会とアール・ヌーボーしか頭にないのが露呈。 -
お、屋根の葺き替え工事なんてやってんぞ、とそんなところを見ているようじゃ、だめだなぁ。それにしても古い建物だらけですから、今回の旅では屋根修理は良く見ましたねぇ。
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お、「トマソン物件」発見!なんていっている場合じゃないわけで、形式を超えて改造されてきた歴史的な事実がこれでわかるんだそうであります。
教会建築でもそうですが、こうして見てくると何年も、何十年もかけて建てられた、なんていうのが普通にあって、途中で形式を変えるとこと(つまり流行にのっとっていく)が日常茶飯事だったことがわかります。 -
いつ頃のものか判らないですが、こうしたところにもとても興味深いレリーフがぽろぽろと置かれていて、見とれて写真にしていたりすると、あっという間においていかれちゃうので、要注意なんであります。
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五つの星を戴いているのはここでは聖ヤン・ネポムツキーしかいません。だから、すぐに彼のことなんだな、と判るという仕掛けです。
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聖ヴィート教会にやって参りました。
なんたってこの辺りのカソリックの総本山でございます。 -
私の興味はもっぱら、このAlfons Muchaのステンドグラスでございます。この人はパリで「ミュシャ」と呼ばれたんだそうで、日本でもそう呼んでおりますが、どうやら本当は「ムハ」のようでございますね。
プラハには彼の美術館がございますよ。 -
これぐらい大きくすると、彼の作品らしいなぁというのがおわかりいただけるかと思いますが、全部を子細に写真にする時間がなかったのは残念です。しかし、そういうものはきっとどこかが写真集にして売っているに相違ありません。
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内部の屋根の高さはこうして見ると「高く、高く、天に届かんばかりに」という要求を充分に満たしていたのではないかと思えるほどでございますが、一体全体、この教会に限りませんが、いつを持って教会の建設が完成したと考えればよいのか、わけがわかりませぬなぁ。
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こうして見ると、この教会の凄さがよくわかります。ここまでやるのが権力なんだろうなと口あんぐりと見上げてしまいます。
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そして、さぁどうだ、といわんばかりのパイプオルガンでございます。一度この音がどの様な反響をするのか、聴いてみたいものでございます。
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祭壇の奥はイエス・キリストの大ステンドグラスになっています。
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外観を見てもおよそ教会としてここまでの規模になっているのはなかなか見ることができませんねぇ。私がヴァチカンにいったことがないから、これほど感動しているのでしょうか。
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そしてこちらから見ると飛び梁がよくわかります。NHKのテレビで飛び梁の説明をした番組を見たばかりでしたから、とても良く判って面白く見ました。
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この教会の写真だけで、60枚撮影していたことが判ってびっくりしました。あっという間にそんなにシャッターを押していた訳です。
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だらだらと石畳を歩いて下ってきました。例の黄金の小道といわれる部分に来たのですが、ここまで入場券がないとは入れないんだとは思いませんでした。
普通の人はカフカの22番の青い家を写真にするに決まっている訳ですが、私はへそが曲がっていますから反対を撮りました。 -
上がず〜っと武器庫、というか、武器の展示になっておりました。グラーツであの圧倒的な武器の山を見てしまいましたから、あんまり興味が湧きません。しかし、グラーツのあの博物館がまさか写真撮影禁止になっているとは思いませんでしたねぇ。なにしろ鉄の山なんですから、写真を撮って傷む訳もないってぇのに。
Photo Licenseにして金を取る、ッてのが正解でしょうねぇ。 -
プラハ城は例によって丘の上にありますから、まぁ見晴らしの良いこと。そしてプラハは尖塔だらけですから、こうして見ると面白いものがあります。
で、騒ぎはここで起きました。というと大げさですが、私達が手にした切符にはこの他に旧王宮も聖イジー教会《 Bazilika svatho Ji 》にも入れるにも関わらず、そこをスキップしてきました。ガイドの方の話ッぷりだと、この先ゆっくり土産物屋がたくさんあるネルドヴァ通りを降りてカレル橋へ、という雰囲気でした。
一行の中のひとりのおじさんが「なぜ入らないンだっ!」と声を荒げたのであります。案内人の方がなんと反応したのか、私は知りませんけれど、結果としてまた戻ることになりました。
このおじさんは自分が知っていることをなんでもひけらかしてここまで来ましたから、苦手だなぁと思って私は近寄りませんでしたが、ここから先もずっとその調子で、 私は全く接点を持たないようにしたんであります。
ツアーの欠点はこんなところにあります。
「俺は旅の番人だっ!」と、このおじさんにいましたね。立派。 -
で、これが聖イジー教会でございます。
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で、これが中で馬に乗って武芸大会を開いたという大広間でありますな。
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で、時間が迫ってきてしまいましたので、ネルドヴァ通りを通っている余裕なんてなくなって来ちゃいましたので、ひたすら下へ、下へと降りて参ります。
尤も私はもう一度プラハに戻ってくる予定ですから、まぁ、また後で良いや、ってなものでございます。 -
それでもやっぱりこんなものを途中で買い食いを致しますな。暖かくっておやつにぴったりでございます。シナモンの匂いって人を誘います。
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ミクラーシ教会のところまで降りてきて振り返るとこんな景色が見られますね。
ミクラーシ教会には戻ってきてからまた参りました。 -
カレル橋にやってくると、いやはや、本当だ、全くだ、といわんばかりの人出でございますよ。アドバルーンまで上がっちゃっています。それにしてもよい天気で気持ちの良いものがありますが、懐中物に気をつけろと喚起されます。
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この人を忘れる訳にはいきませんね、カレルさんですから。
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そして必ず表れるのが、なぜか、ディキシィーランド・ジャズの皆様でございますな。なんでプラハでディキシィーなんでしょう。
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さてそれで、一気に市庁舎の天文時計のところまでやってきました。正時にはたくさんの人びとが集まってきて、カメラを構えて口を開けて見上げている訳です。スリ大活躍ではないかと思われる場面でございますなぁ。
正時に時計がひととおり動くと、上で青年がトランペットを吹きます。これが良く聞こえるんでございますな。 -
エレベーターでこの時計塔に上がります。エレベーターの乗り場は二軒おいた隣の建物から入りますが、この建物だけ色が違っていますから判ります。でも、それを知っていなかったら、一体どこからあがるんだろうと、逡巡するでしょうね。
なにしろ高い所にあがると位置関係がよくわかってよろしいのですが、この旧市街は歩いているうちにこみ入って来ちゃって、どこにいるのかわからなくなるという、要注意な入り組み方でございます。 -
で、この屋根です。不気味じゃないですか?明かり取りの窓が「眼」に見えませんか?いくつもの眼が屋根についているように見えたなぁ、と思った瞬間にこの屋根自体が生きているように思えて、ぞっとしちゃったんでございますよ。
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このテレビアンテナはどこにいても見付けることができます。共産政権時代に建てられたのだそうで、その不格好なデザインは顰蹙を買っているんだそうですが、民主化されてから、あの逆さま馬像を造った作家がこれに大きな赤ん坊をいくつもハイハイさせたのだそうです。
よぉ〜く見るとそれらしき黒い点々が見えます。 -
お、広場でなんかやってんだな、人だかりができています。
ここはいつでも誰かが何かをやっていますよ。 -
この教会の裏手が旧ユダヤ人街です。昔のシナゴーグや、いくつかの施設を見られる切符が売られています。
その右の並木道が「パリ通り」で、ブランド屋さんが集まっていますし、建物もアール・ヌーボー系が多少残っていますから、楽しく歩くことができます。 -
あ、やっぱりここでも屋根の修理をやっている人がいた、いた。古い家だからこういう作業が大変でしょうねぇ。
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これが火薬塔と呼ばれている塔なんですが、これも登ることができます。有料ですが。で、この入り口に(多分)学生アルバイトが中世の闘いの格好のような衣装を着ていて、人目を引くのですが、彼等暇に任せてチャンバラごっこで遊んでいます。よぉ〜く見ると判明。
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私達は市民会館(なんだか親しみやすい名前ですが)の地下で昼食でして、そこから自由時間になります。多くの方はかつてのゲットーに繰り出したそうですが、私達はこの市民会館の見学ツアーに参加しました。
なにしろアール・ヌーボーの固まりでございますから、これを見ないんじゃ何をしに来たのかわからないというものでございます。
こうして見ると、メルボルンのフリンダースの駅に雰囲気が似ています。 -
この街のエレベーターは時としてこうした趣のものをうまく動かしています。これが堪りませんねぇ。
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この建物には「スメタナホール」があります。で、これがここで開かれるコンサートの内容なんですが、木嶋真優の名前が見えます。この日と翌日、彼女はプラハ交響楽団と競演したのだと彼女のウェブサイトに書かれています。→ http://www.mayumusic.com/jp/homejp.html
このあと、2011年ケルン国際音楽コンクールヴァイオリン部門で優勝したと報告されています。 -
この重厚さがよろしうございますねぇ。
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入れては貰えませんでしたけれど、この扉に私の興味がいってしまいましたねぇ。
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会見場にも使われているそうですが、この作られ方はやられちゃいます。ある意味昔の高校の理科室みたいな雰囲気がしないでもないですが、そんなことをいったらぶっ飛ばされちゃうすかね。
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まるで皆さん記者会見にこられた方で、ハンドアウトに眼を落としているように見えますが、実はこのガイディド・ツアーは英語で行われていて、必要な方にはテキストが渡されるという訳です。
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面白い造りになっていますが、ガラスケースの中をみると海の物が並んでいます。この国にとってはとても興味深いものですよね、当時は。
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こんなところまで写真に撮っているんだから、「なんだ、こいつ」という眼で見られていてもしょうがないものからして。
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こちらにも、ご覧のようにアルフォンス・ムハの絵が描かれています。
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事ここに至るともう身震いしそうな雰囲気でございまするよ。
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市民会館前の広場でこんなものを売っておりました。おじさんが私を英語で呼び込んだので、なんだと聞いたらブルチャックという発酵途上にあるワインなんだというのですよ。
このあと、様々なところで遭遇しましたが、今がまさにシーズン。ほんのり甘くて炭酸入り葡萄飲料という感じです。 -
グループの何人かの方とご一緒して、レストラン・ムハというそれらしい名前のレストランにいって夕飯を食べました。ちょっと喰いすぎで、夜中に整腸剤のお世話になるという始末でございました。
それでこれから食べ物をひかえるようになりましたな。
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