2011/07/15 - 2011/07/15
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belleduneさん
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美味しいご馳走を頂いた後、京都文化博物館で「きのう 京 あす」の日本画展を堪能しました。
そこからいよいよ山鉾巡り開始です。日が少し傾き、狭い路地には日陰ができたため、思った程暑くなくて、まだ混み具合もそこそこでした。
四条通りの長刀鉾を最後にして、本日の町歩きは終了。初めての祇園祭の雰囲気を堪能しました。私たちが帰る頃から宵山に来る人がとっと増えてきて、交通整理のお巡りさんも大忙しのご様子でした。
来年は、今回廻らなかった新町通りから始めましょ。
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現存する最古の道標、三条白川橋道標です。左 是よりひだり ちおんいん ぎおん きよ水 南
延宝六戊午三月吉日 施主 為二世安楽 -
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白川の流れに柳が揺れています。
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大きなお蔵が並んでいたので、誰のお屋敷かと思っていたら、老舗の和菓子屋さん、末廣でした。
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暖簾も風格があります。
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こちらの通りに面したお蔵はタイル?仕上げでした。
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その隣にある柚子味噌屋さん。子供の頃ここの柚子味噌を食べた記憶があります。懐かしい包装が店先に並んでいました。
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前回通ったこの道を通った時に、気になった平楽寺書店を見つけました。
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昭和2年(1927)に建てられた平楽寺書店は、からきや工務店設計の建物で、登録有形文化財に指定されています。
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上を見上げると凝った造りになっています。
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1階でケーキなどを作っていて、レストラン、カフェとなっています。
2階の窓際の照明が夜になると、綺麗だなと思います。 -
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京都文化博物館で、日本画「きのう 京 あす」を観覧中に、ちょっと疲れたので、休憩室へ立ち寄ると、中庭に旧二条城の北西部分で発掘された石仏が陳列されていました。
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4時頃になったので、日も少し傾き、影が出来ていました。屋台がずらっと並んでいます。
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役行者山を後ろにして、室町通りを下がって行きます。
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帯屋さん、誉田屋の見事な鯉です。今年はお店の創業273年ということで273匹の鯉が泳いでいました。
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下から見上げると、青空に鯉が泳いでいるようでした。
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見事な帯は、老舗誉田屋さんのものです。祇園祭開催時はここの表玄関は閉められていて、用事のある方のみ呼び鈴でお迎えが来るそうです。
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まず黒主山です。謡曲「志賀」に因み、大伴黒主が桜の花を仰ぎ眺めている姿を表します。御神体は寛永元年(1789)の作。
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祇園山鉾の由来を分類すると、祇園祭の起源をそのままに伝える長刀鉾以外は、その町内の神仏を祀ったものと、和漢の故事や説話から取材したものに大別できるそうです。前者の例としては、霰天神山、油天神山、八幡山、南北の観音山、太子山などがあり、後者の主な例としては、函谷鉾、鶏鉾、郭巨山、白楽天山、孟宗山など中国の故事から取材したもの、船鉾、占出山など神功皇后をめぐる説話じゃら取材したもの、芦刈山、木賊山、黒主山など謡曲から取材したものなどがあります。
このように山鉾の由来や信仰は、各町により様々ですが、信仰にまつわる山鉾固有の行事としては、船鉾の「神面改めの儀」、南観音山の「あばれ観音」、役行者山の「護摩たき」などが主なものです。 -
山に桜の木が見えました。ここの粽には桜の花びらが付いて、戸口に飾ると悪事が入って来ないと言われています。
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御神体は明後日の山鉾巡行までここに安置されています。
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前掛け、胴掛け、見送が飾ってあります。御神体が着ている古衣裳には、延宝三年(1675)在銘の紺地菊唐草文小袖及び正徳元年(1711)在銘の萌黄路地牡丹文色入金欄大口袴があり、江戸時代初期在銘の貴重なものだそうです。
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次に見えるのは、鯉山です。
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風呂敷屋さんの前に、東日本大震災の寄せ書きがあったので、私たちも参加しました。
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鯉山らしく鯉の模様が入った大風呂敷です。
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巡行の日には、山の上に大きな鯉が跳躍していて、竜門の滝をのぼる鯉の奔放な勇姿を表しています。
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鯉山の前掛、胴掛、水引、見送は、先日NHKでも放映していたように、16世紀にベルギー・ブリュッセルで製作された1枚の毛綴を裁断していて、全て重要文化財に指定されています。
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この奥に並んで行くと、鯉山の飾り物を見れるのですが、並ぶのが嫌いな私達は通り過ぎて先へ進みます。
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室町の永楽屋では、小豆の竹筒水羊羹が売り切れていました。やはり四条店で取り置きして頂いて、正解でした。
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山伏山です。
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御神体は、昔、八坂の法観寺の塔が傾いた時、法力によってそれを直したという浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の大峯入りの姿を表しています。右手に苛高数珠(いらたかずず)、左手には斧を持ち、腰には法螺貝を付けています。
巡行の数日前から聖後院の山伏達の巡拝があり、八坂神社からの清祓いと共に、六角堂から法印の祈祷も行われ、神前に供える三宝も仏式の黒塗りのものが使用されます。明治が初年の神仏分離以前の姿をこの山に見ることが出来ます。 -
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子供達も一所懸命売り子となって、お手伝いしています。
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菊水鉾にやって来ました。町内にあった菊水井に因んで、名付けられました。鉾頭には金色の菊花を飾っています。
真木のなかほどの「天王座」に彭祖像(ほうそぞう)を祀っています。 -
山を見学することも出来ます。
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屋根は唐破風造りで軒下に翠簾(すいれん)を掲げるところは他の鉾と異なっています。
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四条通りに出てきました。
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室町通りを下ったところに鶏鉾が見えます。
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河原町交差点方向へ曲がると函谷鉾(かんこうぼこ、かんこくぼこ)が見えます。
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中国戦国時代(紀元前403〜221)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の声で函谷関を脱出できたという故事に因んで付けられました。鉾頭の月と山型は、山中の闇を表し、真木のなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下には雌雄の鶏を添えています。
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屋根裏の金地著彩鶏鴉図(きんじちゃくさいけいあず)は、今尾景年(1845〜1924)の作です。
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祇園囃子は、能楽の影響を受け、室町時代末期には成立し、江戸時代に現在のような優雅な囃子に洗練されていったと言われています。
祇園囃子の楽器は、鉦、太鼓、笛に限られ、鉦方は小学生から稽古を始め、太鼓は中学生、笛は成人になるのが普通とされています。
鉾によって異なりますが、鉦方8名、笛方8名、太鼓方2名で巡行にはこれに交替予備員が加わって、約40名が鉾に乗り込んでいます。
囃子の曲目は、各鉾が30曲ほどあり、一部共通のものもありますが、その多くは鉾独特のものだそうです。 -
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若い女の子は、短い浴衣で...
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6時から歩行者天国になるらしいのですが、一方通行にするために、お巡りさん達は必死で、叫んでいました。まだ5分前ですが、車道に出る人が多く、見ているだけで疲れそうでした。
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先頭になる長刀鉾が見えてきました。
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長刀は疫病邪悪を祓うものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていましたが、今では宝物として保存されているため、鉾頭は軽い木製に銀泊を張ったものに換えています。この鉾は古来「籤とらず」と言い、毎年巡行の先頭にたち、生稚児が乗る唯一の鉾となっています。真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡(ちかひら)の衣裳着の人形を祀っています。
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屋根裏の金地著彩群鳥図は松村景文(1779〜1843)の作。破風の厭舞と刀鍛冶宗近が長刀を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作です。
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胴掛には中国玉取獅子文だん通、卍華文だん通、梅林だん通、トルコ花分だん通など秀れた18世紀頃のだん通類が用いられています。
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前掛はペルシャ花文だん通、ペルシャ絹だん通。
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もう一度長刀鉾を振り返りました。
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これで今日の山鉾巡りは終わります。
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まだ6時過ぎですが、これから始まる大混雑の宵山へ向けて、お巡りさん達は交通整理に汗だくでした。
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外国人も浴衣姿で楽しそうです。
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祇園祭の粽は門に飾って厄除けになります。昔、須佐之男命が旅で貧しい蘇民将来の家で一夜をあかし、その時に受けた温かいもてなしに対する返礼として、蘇民将来の子孫には疫病の厄を免れさせようと約束しました。その印として、茅の輪を腰に付けさせたのが、粽のおこりとされています。
粽は古来自らの罪汚れを祓い、神の御心にかなう生活をする心の縁であると言われています。 -
家でよく冷やした水羊羹を竹筒から出して頂きました。小豆、抹茶どちらも美味しかったです。丁寧に竹筒から出すために使う押しピンがちゃんと付いていました。
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