2009/08/24 - 2009/09/09
10061位(同エリア17057件中)
さんしぇさん
第一日曜日の今日は、パリ近郊の美術・博物館の
多くが無料です。
本日のメニュー
・オルセー美術館
・クリュニー中世美術館
・ノートルダム、オルガン・コンサート
- 旅行の満足度
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回の旅程に無料開館デーが含まれたのを
幸い、オルセーを訪れる予定をしていました。
他には、クリュニーなども。
さて、9h30、オルセー開館、行列はそこそこ。
個人・団体双方の入り口を開けお客を誘導して
くれるのでさくさくと入場。
あっつんと取り合えず最上階まで一気に
エスカレーターで上がります。 -
いの一番目に飛び込んで来たのが、カイユボット。
“床の鉋かけ”
ちょっと、面白い空気感のある絵、
気になって調べたところ、印象派諸氏の
パトロンであり、絵画の蒐集家、
このオルセーが所蔵する印象派作品群は、
彼のコレクションを基礎としている、とかで
なるほどそのせいか、展示場所に
そうした敬意が払われているのかもしれません。
場面は画家本人のアトリエ。
反り返った床を均す作業とか。
印象派の時代にあっても、光や揺れる水面を
追うので無しに対象は人。
それも労働者なのは、作者が裕福な階層
だった事で逆に興を得たのか、くっきりと、
場面を切り取ってこちらに迫ってきます。 -
個人所蔵の習作やデッサンなどが数点。
-
別ヴァージョン。
-
“(オペラ座年少クラスの)14歳の踊り子”
部屋の中央、ガラスで区切られた一角、
ドガコーナーとでも言うか、ドガの好んだという、
馬等と共に彫刻作品が収められています。 -
サイトからの借用画像。
ブロンズのボディに布のスカート、髪にはリボンを
合わせ、気持ちを惹き付けて止みません。
初めて世に出た折にはブロンズなどの一歩手前、
製作途上の蝋の姿そのまま、しかも髪は人毛、
異素材を身に纏った姿があまりにも常と異なり、
何かと横紙破りの踊り子だったようで。
「蝋を使って成型するのは私の自己満足であり、
絵画に更なる表現力、活気や生命力を与える為・・。」
と、とあるジャーナリストに吐露したように肉体の
持つ美を追求したドガが絵画の為に行っていた彫刻。
死後、アトリエからは、150体に上る彫刻による
クロッキー(速写、写生)作品が発見されたとか。
この少女のみが、生前世に知られたものだったのだ
そうです。 -
“ルヴシエンヌの雪”
印象派は対象を野外に求めた一派。
光やそれを映す水面などの表現や、
雪の日の冴えた空気、雨降る重い雲など、
自然界のさまざまな事象を、カンバスに
描き出してくれます。
白い雪の絵は、オルセーでは幾枚も目に
しますが、このシスレーのそれに惹かれます。
ルヴシエンヌの街、パリから西、電車なら
30分でしょうか。 -
そして、近くにセーヌ河畔のマルリの街。
ガロ・ロマンの昔(前1世紀)から開け、
やがてルイ14世が別荘を据えたが故か
マルリ=ル=ロワ 王様のマルリが街の名前。
そのマルリがセーヌの氾濫による水害に
見舞われました。
“ポール(船着場)・マルリの洪水” -
こちらは、
“ポール・マルリの洪水と舟”
など、洪水の際の連作をものした
その2年後の作品が先ほどの“雪”とか。
シスレーの終の棲家であるモレ村へは
先般訪ねましたが、ピサロやルノワールも
愛したと言うこのルヴシエンヌ一帯へは、
いつの日か訪れたいと願っています。 -
“赤い屋根、村の一角、冬の効果”
解説文のような長いタイトル、
通称“赤い屋根、冬”でしたか。
イギリス人シスレー、そして
ユダヤ人のピサロ。
共に異邦人にして、印象派展に
顔を並べ出展、開催に尽力。
主にパリ近郊を描く2人の絵を並べれば
どこまでも穏やかで、癖が無く
例えば、何処のお宅の居間にあっても
齟齬感なく収まる種類の画風。
印刷されてしまうと何てこともない絵、
でも、直に見れば気になって素通りできない、
ある種、とても力のある絵だと思います。
因みに、オルセーには随分所蔵作品があって
ルヴシエンヌを描いたものも数点あります。
あっつんはどうやらこのピサロにご執心。
連れ立って美術館に足を運ぶ事自体が
未だかつて無く、新たに彼の嗜好を知る
機会となった今回のオルセー行でもあります。 -
“サン・ラザール駅”
当時、お上の展覧会“サロン展”に
落選してしまった画家達は、作品を
日の目に当てる場が在らず。
当時の前衛であった、印象派画家達も
同様でした。
そこで、新たな展覧会開催に尽力したのが、
ピサロ、シスレー、ルノワールそしてモネ。
もともとの正式名称は
「画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展」とか。
“印象派”なる名称が生まれた経緯に
ついてはwikiなどに詳しいのと、肝心の
“印象、日の出”を私はまだ見ていないので
この辺りは、いずれ機会が巡ってくるでしょう。
この全8回開いた展覧会にもれなく出展した
のは、唯一ピサロのみでしたが、“印象派”の
画風を終始貫いたのはモネただ1人だったそうです。
さて、フロアにはこれでもかと錚々たるモネ作品群。
その内、今回画像として残したのは僅か2点。 -
“モントルグイユ街、1878年6月30日の祭典”
第3共和政を民に認知させる為に
新たな祝日を創設。
6月30日のこの日、あらゆる沿道で
打ち振るう3色旗の果てしない
うねりや、人々の熱狂の中に、
あるいは、汽車の蒸気と煙の中に
時代を映さんと、モネをして駆り立てた
のでしょうか。 -
“美しきアンジェール”
ゴーギャン。
ピサロを介して印象派展の5回目から参加。
この頃は証券マンの片手間として日曜画家の
範疇だったとか。
モネやピサロ、シスレーら多くの印象派画家
が描いた、イル・ド・フランス地方やセーヌの
周辺を、ゴーギャンも後を追うようにして
一旦は移り住んだものの、やがてはその土地に倦み、
北西部ブルターニュへ。 -
“黄色のキリストのある自画像”
グラデーションを施さない上に、
明暗の配慮も手離し、
遠近感にも乏しい。
なんとも平べったい画面に
色が際立ち響き合って、
無性におもしろい。
なるほどこれが、ポスト印象派の
ポン・タヴァン(タヴァンとも)派なんですか。
途中でゴッホとの親交も交えながら
ポン・タヴァンの地で、5年を過ごした後、
遂には仏本土を離れ、家族を捨てるも同然に
タヒチへ。 -
“アレアレア「楽しい時」”
-
木彫“神秘的な女たれ”
楽園と思い定めたタヒチでも
結局は夢破れ、再度パリへ、
そして終の棲家マルキーズ諸島へ。 -
“りんごとオレンジ”
「必要なのはナチュール(自然)だけだ。」
「自然を円筒、球、円錐として捉えなさい。」
セザンヌが後進に送った手紙の一節。
誰のものでもない、これぞセザンヌ!
な、りんごやオレンジ達。
ここに、手紙に綴った全てがあるかのよう。 -
遡る事20年前、ピサロに導かれながら、
オーヴェルで描かれた、こちら。
“首吊りの家”
第1回印象派展に出展。
続いて第3回に出展後は、しかし、
時間とともに移ろう光ばかりを追い、
対象物の確固とした存在感が、ないがしろな
印象派の手法に不満がつのり、やがて、
故郷のエクスへ移ってしまう。
そこから、後に「近代絵画の父」と称される
対象を「分解」し「再構築」する、セザンヌ
ならではの手法を深めていくのだとか。 -
オルセーカタログの表紙を飾る、
ゴッホ自画像。
描かれたのは死の前の年、1889年、
南仏サン・レミ・ド・プロヴァンス。
水色の明るさが南仏でしょうか。 -
ところが目元を見れば険しさ迫り、
更には、めらめらと渦巻き立ち昇る
異様なまでの背景の弧線。
前年、アルルで試みた芸術家達の共同体の
夢破れ、心病み、静養したのがサン・レミ。
恐らくこれが、生涯40枚描かれたと言う
自画像の最期の作品でしょう。
比ぶるに。 -
1887年。
耳を切り取る(取られる?)以前、穏やかなまなざし。 -
その昔、こちらを見て、常人の及ぶところでない
色遣いに、いたく感激したもんです。 -
1886年、故郷オランダからパリへと
居を移したゴッホ。
最終回の第8回を数える印象派展を見る事叶い、
ここでいかに影響を受けた事か。
以後の画調が劇的に明るく、別人のような変化を
見せます。
印象派に出会い、こぼれるような光の中で描き、
更に、印象派の描く事の無かった夜に親しみ。
“星月夜”1888年。 -
サン・レミ以後、パリの北西オーヴェルでの
終焉3ヶ月。
“庭のガシェ嬢”1890年。
どこまでも穏やかな光溢れる光景。
時の止まったようなオーヴェルで、
狂気を上手にいなし、癒されながら
過ごす事はそんなに難しかったのか、
絵に向かい、訊ねてみる私でした。 -
“サーカス”
実は、オルセーカタログの
ポスト印象派の項、
いの一番を飾るのがこのスーラ。
ゴッホの亡くなったその年に
理論家であり色彩の詩人と謳われた
スーラその人が、
「芸術とはハーモニーだ。」と説きました。
以下、カタログの言をお借りすると、
スーラの言うハーモニーとは、
「トーン・色調・ライン、三者の
相反する類似性であり、
似たもの同士の類似性だ」と。
「相反するものとは、
・明と暗のトーン
・補色関係の色調
・直角を成すライン」
対象の持つ喜怒哀楽のどれを基調とするか、
それに、どう光を当てるか。
スーラが例えて、「楽しさ」を
取り上げています。
・明るいトーン、
・暖かい色調、
・消尽(失)点上のライン
(言わば、線路のレールが向こうで交わる点)
“サーカス”は、まさにこの「楽しさ」。 -
一方で、つぶさに追えば、
暖色のオレンジには青、黄色には紫など、
補色を沿わせて、言うところの相反の
ハーモニーが見られます。 -
“夜の気配”クロ
画像はありませんが、シニャックも。
彼ら、更にその先の新印象派。
色をパレットで混ぜるので無しに
あたかも、写真をズームして行き
数々のドットの集合に行き着くように
分割細分した線で視覚的に混合させる試みは、
先のスーラと同じですし、
又、ピサロも同調し
こうした点描を取り入れた時期がありました。
この科学的原理に根ざした流れに対し、
「芸術に科学を無理やり持ち込み
小さな点にあくせくしている。」と
ゴーギャンが嘲笑したとか。
いずれにしても、様々な技法が花開き
目下、最も興味尽きせぬ時代です。 -
2階、“Le Retaurant”
その昔オルセーが駅だった頃も
レストランだったとか。
現パリ・リヨン駅もそうですが、
駅付属のレストランとは言え、そこは、
当時、ステータスの証だった汽車旅行、
飲食の場からして、社交の延長の様です。
さて、今旅行のあっつん、“パリのゴージャス”
とは今一つご縁が無く、そこで、こちらを利用
しようと思い立ちました。
12hそこそこで、半分くらい埋まっていたで
しょうか。
初老のムッシュが、我々を廊下側の席へ案内する
を留め、窓側に空きがないか訊ねました。
すると、窓際へ案内はしてくれたものの、席に座る
や否や私達へ向かってメニューを投げ出すように
置いてぷいっ、と行ってしまいました。
内心、よぎったのは以前、最上階カフェで舐めた
不可思議な思い出。
ひょっとして、この彼も東洋人がお嫌い?
オルセーよ、またしても・・?
やがてオーダーにやって来たのは別の幾分若い
ムッシュ。
陽気な彼のお陰で気を取り直すに手間ない我々。 -
あっつんは、サーモン、私にビーフのタルタル。
さっきの不可思議ムッシュを見るとも無く見て
いると、別段東洋人だからと隔てる事無く
にこやかにフロアを泳いでいます。
その内、ようやく思い当たりました。
つまり、彼は廊下側が担当区域。
そちらへ案内しようとした我々が窓際をリクエスト、
とたんにサーヴィスの甲斐無い客と化した我々。
同じ店内、等しく客な日本では有り得ぬ、
しかし、誠にフランスらしい一こまだったのでした。 -
さて、氷解してすっきり、勇んでデザート。
左隣には韓国カップル、その席のお皿が
さっきから気になって、お給仕のムッシュに、
あれがお願いできるかお尋ね。
あいにくセットメニューに無いので
アプリコットの何やらとシューとかの
3品から選んで欲しいと口頭で告げてくれるも、
今一つ、そのシューの何やらが判らない。
すると、右隣の仏人シニアカップルが
「シューはこれだよ、で、アプリコットはそれ。」と
お向かいの奥様のを指差して助け舟を出して下さる。
お給仕のムッシュも一緒になってわいわいと
アドヴァイス。
で、アプリコットはお断りして、シューのショコラ
仕立てと、コーヒー仕立てをオーダー。
右のムッシュがにこにこと
「グッドチョイス、これおいしいよ。」
やって来た、大き目のデザート、実に美味しく
和やかな中に惜しみつつもお終い。
仏人は、他人事と見て見ぬ振り無く、
自分の事のように己に引き付けて
食の時間を大切にすると常々感じます。
そうした嬉しいお節介に今回も救われて
たかだかデザート一つ、他愛も無いやり取り
ながら、楽しいひと時を頂いたのでした。
去り際、思いがけず、
「サヨナラ。」と右のムッシュ。
じんわりあったかくなりながら
「ボン・ジョルネ。良い一日を」と。 -
最後に、やって来たのが装飾美術のエリア。
部屋丸ごと、アール・ヌーヴォの再現です。 -
ガレ“絵皿”1978年。
ジャポニスムの延長上か東洋的なデザイン。 -
20年後、同じくガレの、
“海藻と貝殻のある手”1994年。 -
銃砲店、扉。
-
バルコン中央パネル。
どちらも“芸術の建築家”と呼ばれるのを
好んだと言うギマールの作。
1890年も半ば、19世紀もいわゆる世紀末、
この頃、建築や装飾の世界ではアール・ヌーヴォ全盛。
共通するのは、植物をお手本にしたという曲線。
この曲線を良かれと思わぬ人々は
称して「うなぎ様式」に「ヌードル様式」
果ては、「さなだ虫様式」ですと。
ふーん、判らないでもない。 -
絵画エリアに戻って来ました。
ぐるぐるした装飾の世界から一転
しんとした静謐かつ硬質なアングル。
“ホスティアの聖母”
大好きなアングルをしおにオルセーを
後にしました。 -
16h30からのノートルダム聖堂での
オルガンコンサートまでを、
クリュニー中世美術館へ場を移動。
画像が欲しくも、メモリーが底を尽き、
今日は、以降はうろ覚えです。
20分ほどを並び、入ったものの
さして広くも無い施設なので、
さすがの無料デー、
どこへ行こうにも人垣に阻まれ。
言わば、日本での人気展覧会の
芋の子洗い状態でしょうか、
新規導入されたらしいタッチパネルなども
使うには、我慢強く待つ時間がそこそこ。
浴場跡の辺りも整備が進むなど、
来るたび、何がしか工夫が見られ
故に毎度やって来たい場所です。
いずれ、旅行記に詳細をアップする機会も
あるかと思いますので、今日はこれで。
さて時刻到来でオルガン、
さしもの広い堂内に人がぎっしり、
端近に席を探し、収まります。
センターだろうが隅っこだろうが、さして
席を選ばないのがオルガンの良いところ。
頂いたA5用紙くらいのプログラムには、
バッハが数曲と自作オリジナルとか。
奏者と曲などの説明を挟みながら、
降り注ぐ音のシャワーに委ねる事30分余。
大聖堂でのオルガン体験、
あっつんにはどうだったのやら、
またいずれ訊ねてみましょう。
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