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 新潟県村上市本町にある村上城は独立峰・臥牛(がぎゅう)山(標高135m)山頂にあり、舞鶴城ともいわれていた。この山はお城山と呼ばれている。この山に城を築いたのは、鎌倉幕府創業に功績のあった関東秩父氏の一族・秩父行長で、建長7年(1255年)源頼朝より越後の小泉荘本庄の地頭職に補任されて赴任して築城した。以後、秩父氏は本庄と名乗るようになる。本庄氏は次第に力をつけていき勢力を拡大し、長尾為景・景虎(謙信)の時代には、本庄房長(ふさなが)・繁長親子は長尾家に臣従し、繁長の頃には庄内も支配した。ところが繁長は、永禄12年(1568年)に武田信玄と内通し、謙信に背いたが、孤立してしまい、翌年の3月には、芦名氏・伊達氏らを通じて降伏を申しでて、息子の顕長(あきなが)を人質に差し出すという条件で謙信と和睦した。以後、繁長は上杉謙信、景勝に仕えた。<br /> 慶長3年(1598年)に上杉景勝が会津へ移封されると、堀秀治(ほりひではる)の与力大名、村上頼勝(むらかみよりかつ)が9万石で入城した。入城後、頼勝は城を大改修した。地名が本庄から村上に変わるのであるが、慶長二年瀬波郡絵図(1597年)には城は村上要害と記され、景勝時代から村上の地名が見受けられる。<br /> 元和4年(1618年)、村上忠勝になると改易され、堀直寄(ほりなおより)が10万石で入城し、さらに村上城の修理・改修を行った。<br /> 江戸時代初めは藩主が次から次へと替わり、正保元年(1644年)には本多忠義(10万石)、慶安2年(1649年)には松平直矩(15万石)、寛文7年(1667年)には榊原政倫(15万石)、宝永元年(1704年)には本多忠孝(15万石)、宝永7年(1710年)には松平輝貞(7万2,000石)、享保2年(1717年)には間部詮房(5万石)、享保5年(1720年)には内藤弌信(5万石)と藩主が交代してようやく藩主が固定され内藤氏のままで小藩として明治維新を迎えた。しかし、この8代続いた内藤氏は、徳川家康の異母弟・内藤信成の系統であり、親藩中の親藩であり、明治元年(1868年)の戊辰戦争では北越列藩同盟に加わり、官軍と交戦し、城郭に火を付け退参した。そのため、村上城は臥牛山山頂に石垣だけを残している。<br /> お城山の登り口の一文字門跡には石垣が残っているが、手前の広場は昭和30年代までは山麓の館跡として土塁の堀が空堀となって残っていた。それが、高度成長期に埋め立てられた。城下にあった堀も石垣も、今では全く残ってはいない。山頂の天守台に3層天守閣を再建する動きは昔からあるが、新発田に先を越されて、ここ村上では一向に進展していないようだ。士族の町・村上本町と町人の町・村上町が合併したのは戦後のことであった。明治維新が一番遅くまで掛かったのはこの村上であろう。このように、昭和の合併も大合併とはならず、平成になってどうにかこうにか大合併がなった。<br /> 県北の田舎町の山城が石垣に覆われていることに誰もが驚くであろう。「村上要害」として教科書にも載るほどの村上城が国の史跡に指定されたのは、驚くほど遅い平成5年(1993年)のことであり、当然、名城100選にも選ばれはしなかった。明治維新が長引いた代償であろう。<br />(表紙写真は村上城址)  <br /><br /><br />

越後・村上城址

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2009/04/29 - 2009/04/29

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 新潟県村上市本町にある村上城は独立峰・臥牛(がぎゅう)山(標高135m)山頂にあり、舞鶴城ともいわれていた。この山はお城山と呼ばれている。この山に城を築いたのは、鎌倉幕府創業に功績のあった関東秩父氏の一族・秩父行長で、建長7年(1255年)源頼朝より越後の小泉荘本庄の地頭職に補任されて赴任して築城した。以後、秩父氏は本庄と名乗るようになる。本庄氏は次第に力をつけていき勢力を拡大し、長尾為景・景虎(謙信)の時代には、本庄房長(ふさなが)・繁長親子は長尾家に臣従し、繁長の頃には庄内も支配した。ところが繁長は、永禄12年(1568年)に武田信玄と内通し、謙信に背いたが、孤立してしまい、翌年の3月には、芦名氏・伊達氏らを通じて降伏を申しでて、息子の顕長(あきなが)を人質に差し出すという条件で謙信と和睦した。以後、繁長は上杉謙信、景勝に仕えた。
 慶長3年(1598年)に上杉景勝が会津へ移封されると、堀秀治(ほりひではる)の与力大名、村上頼勝(むらかみよりかつ)が9万石で入城した。入城後、頼勝は城を大改修した。地名が本庄から村上に変わるのであるが、慶長二年瀬波郡絵図(1597年)には城は村上要害と記され、景勝時代から村上の地名が見受けられる。
 元和4年(1618年)、村上忠勝になると改易され、堀直寄(ほりなおより)が10万石で入城し、さらに村上城の修理・改修を行った。
 江戸時代初めは藩主が次から次へと替わり、正保元年(1644年)には本多忠義(10万石)、慶安2年(1649年)には松平直矩(15万石)、寛文7年(1667年)には榊原政倫(15万石)、宝永元年(1704年)には本多忠孝(15万石)、宝永7年(1710年)には松平輝貞(7万2,000石)、享保2年(1717年)には間部詮房(5万石)、享保5年(1720年)には内藤弌信(5万石)と藩主が交代してようやく藩主が固定され内藤氏のままで小藩として明治維新を迎えた。しかし、この8代続いた内藤氏は、徳川家康の異母弟・内藤信成の系統であり、親藩中の親藩であり、明治元年(1868年)の戊辰戦争では北越列藩同盟に加わり、官軍と交戦し、城郭に火を付け退参した。そのため、村上城は臥牛山山頂に石垣だけを残している。
 お城山の登り口の一文字門跡には石垣が残っているが、手前の広場は昭和30年代までは山麓の館跡として土塁の堀が空堀となって残っていた。それが、高度成長期に埋め立てられた。城下にあった堀も石垣も、今では全く残ってはいない。山頂の天守台に3層天守閣を再建する動きは昔からあるが、新発田に先を越されて、ここ村上では一向に進展していないようだ。士族の町・村上本町と町人の町・村上町が合併したのは戦後のことであった。明治維新が一番遅くまで掛かったのはこの村上であろう。このように、昭和の合併も大合併とはならず、平成になってどうにかこうにか大合併がなった。
 県北の田舎町の山城が石垣に覆われていることに誰もが驚くであろう。「村上要害」として教科書にも載るほどの村上城が国の史跡に指定されたのは、驚くほど遅い平成5年(1993年)のことであり、当然、名城100選にも選ばれはしなかった。明治維新が長引いた代償であろう。
(表紙写真は村上城址)  


  • お城山。

    お城山。

  • お城山本丸、二の丸。

    お城山本丸、二の丸。

  • お城山本丸。

    お城山本丸。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山の七曲がり登山道。

    お城山の七曲がり登山道。

  • お城山三の丸。

    お城山三の丸。

  • お城山三の丸。

    お城山三の丸。

  • お城山三の丸。

    お城山三の丸。

  • お城山三の丸。

    お城山三の丸。

  • お城山四ツ御門跡。

    お城山四ツ御門跡。

  • お城山御鐘門跡。

    お城山御鐘門跡。

  • お城山御鐘門跡。

    お城山御鐘門跡。

  • お城山御鐘門跡。石垣の修理で迂回路が作られている。

    お城山御鐘門跡。石垣の修理で迂回路が作られている。

  • お城山御鐘門跡。

    お城山御鐘門跡。

  • 平櫓跡。確か、新潟地震(昭和39年(1964年))に積み直したはずだが。

    平櫓跡。確か、新潟地震(昭和39年(1964年))に積み直したはずだが。

  • 平櫓跡。石垣は修理中。

    平櫓跡。石垣は修理中。

  • 本丸石垣。

    本丸石垣。

  • 本丸石垣。

    本丸石垣。

  • 本丸石垣。

    本丸石垣。

  • 天守台からの眺め。村上の町と三面川。

    天守台からの眺め。村上の町と三面川。

  • 天守台からの眺め。村上の町と下渡山下の三面川。

    天守台からの眺め。村上の町と下渡山下の三面川。

  • 天守台からの眺め。村上の町。

    天守台からの眺め。村上の町。

  • 天守台からの眺め。村上の町と下渡橋。

    天守台からの眺め。村上の町と下渡橋。

  • 天守台からの眺め。村上の町と三面川河口。

    天守台からの眺め。村上の町と三面川河口。

  • お城山山頂の本丸。

    お城山山頂の本丸。

  • 本丸冠木門跡。

    本丸冠木門跡。

  • 本丸石垣。

    本丸石垣。

  • 本丸石垣。

    本丸石垣。

  • 本丸冠木門跡。

    本丸冠木門跡。

  • 蛇に噛み付くトカゲ。

    蛇に噛み付くトカゲ。

  • 千荷井戸。

    千荷井戸。

  • 道標。

    道標。

  • 千荷井戸。

    千荷井戸。

  • 千荷井戸。

    千荷井戸。

  • 「臥牛山保健保安林案内図」。

    「臥牛山保健保安林案内図」。

  • お城山四ツ御門跡。<br />

    お城山四ツ御門跡。

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