2007/03/02 - 2007/03/02
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ドクターキムルさん
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松下村塾とは、吉田松陰の叔父玉木文之進が天保末年に開いた私塾に用いた名称で、松陰自身もその塾生の一人であった。伊豆下田で黒船に乗ってアメリカ渡航を企てて失敗した松陰は萩へ送還され野山獄に投獄されるが、安政2年(1855年)12月には実家である杉家預かりとなり、その一室で講義を始めた。安政4年(1857年)2月には杉家の敷地内にあった小舎を修理して塾を開いた。翌安政5年(1858年)3月には四畳半1室と三畳2室を増築し、今日伝えられる松下村塾の建物の姿となった。
松下村塾内部には吉田松陰の教えを受けた塾生の肖像が並べられている。松陰が松下村塾で教育を施したのは一年余りのことで、杉家の幽囚室での講義から通算しても二年半のことである。その間、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、野村靖、松本鼎、吉田稔麿、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、有吉熊次郎、寺島忠三郎、時山直八、杉山松介、松浦松洞、天野清三郎らが教えを受け、幕末の尊王倒幕運動に身を投じた。その多くが維新を前に命を落としている。
松陰自身も大老・井伊直弼による安政の大獄が始まると、江戸の伝馬町牢屋敷に送られて尋問される。老中間部詮勝の暗殺計画の詳細を自供し、自身を「死罪」にするのが妥当だと主張し、これが井伊の逆鱗に触れ、安政6年(1859年)に斬刑に処された。享年30(満29歳没)であった。明治23年(1890年)、松陰の実家・杉家の邸内に松陰の実兄杉民治が土蔵造りの小祠を建て、松陰の遺言により愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀ったのが松陰神社の創建である。明治40年(1907年)、共に松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願し、萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿を移築して土蔵造りの本殿に付けた。こうして松陰は学問の神として松陰神社に祀られるようになった。私は萩に行くまで、学問の神は天満宮しか知らなかった。やはり、100年余りの歴史しかない学問の神様では心もとない。
縁側で猫が日向ぼっこしながら毛繕いをしている。喉かな一時だ。
(表紙写真は松下村塾に建つ「明治維新胎動之地」石碑)
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