2010/09/28 - 2010/10/04
14537位(同エリア17006件中)
osdさん
10月1日ー4日目
今日は歩きました。エッフェル塔からアンヴァリッド(ドーム教会),コンコルド、凱旋門、シャンゼリゼー、マドレーヌ教会、オペラ座、そしてオペラ通り。朝は晴れていたが午後から曇り、雨になった。
パリ市中は昔と殆どかわっていない。「ああーここには覚えがある!」輝いていた青春の思い出。走り抜けたシャンゼリゼー(前旅行記・青春メモランダム⑤)。楽しかった思い出が次々と湧き上がってくる。37年もたってしまったのだ。孫のお土産を心配するジージ・バーバになってしまったのだ。それはそれで自足しているものの、ここパリにきてみると37年の過ぎ去った時間が「秋の日のヴィオロンの…」ひたぶるに愛しく感じられてくるのだ。そんな思いを織り交ぜながら歩いた雨のオペラ座だったのでR。
「表紙」オペラ座(後側)は修理中?目隠しの絵の看板、臨時のキップ売場表示のようである。
絵看板の裏側はパイプの足組みがぎっしり組まれていた。それをくぐって館内に入った。館内見物ができるはずであった。有名なシャガールの天井画「夢の花束」は今回のパリ散歩の必須アイテムのひとつであった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー
- 航空会社
- エールフランス 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「シャトル駅地下道」
いざエッフェル塔へ。朝8時前フォーラム デ アールのレ・アール口に行く。まだエスカレーターが動いていない。地下3階の駅までエスカレーターをガタガタ降りる。駅構内に入ると朝の通勤者があちこちの通路からドッとあふれてきた。人の流れのなかメトロ①のホームを探すのに一苦労。たいへん分かりにくかった。この長い地下道も通ったのだ。! -
「シャイヨー宮の左翼」
メトロ①からF・D・ローズヴェルト駅乗換え⑨でトロカデロ駅下車。メトロから降りた乗客がオフイスビルのような白い建物の間に吸い込まれて行く。これがシャイヨー宮の入口だったのである。流れに乗らず、左の下り坂の道を歩き始めた。だれも付いてこない。やはり流れに乗るべきだったのか。
建物を回り込むとトロカデロ庭園に出た。、シャイヨー宮の左翼がが見えた。庭園の木立の向こうにエッフェル塔が聳え立っていた。 -
「シャイヨー宮のテラス」
逆光のなかのエッフェル塔、37年前ココは6月なのに寒かったのだ。 -
「シャイヨー宮の前庭:トロカデロ庭園」
庭園を下ってエッフェル塔まで歩く。 -
「イエナ橋」
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「イエナ橋下、遊覧船の乗船場」
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「エッフェル塔の最上階からシャイヨー宮」
展望台エレベーターの改札口でパリ・ミュージアム・パスを出した。「ノーxyz…!」化粧の濃いフランスおねーさんに拒否された。でも親切なおねーさんでチケット売場まで案内してくれた。「メルシー」使えると勘違いしていた自分がいまいましい。これで30分はロスした。
第2展望台(115m)で最上階エレベーターを待つ。この展望台は吹きっさらしで寒い。エレベーターを待つ人がどんどん増えてくる。もう3、400人はいるだろう。狭いガードパイプで並ばされて身動きさえままならない。日陰に入ると身を切るような冷たい風であった。すぐ後に3歳位の男の子に自分の上着を半分かけて抱き上げていた父親がいた。インド人ぽい背の高い立派な体格の男性であった。外に出ている片腕は半袖シャツである。寒いだろうに…「インド人は寒くない!がんばれ!」ハラハラしたもののどうにもできない。30分は待っただろう。最上階(276m)エレベーターの番が来た時は自分のことの様に安堵したものである。 -
「エッフェル塔の最上階からブーローニュの森」
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「エッフェル塔の最上階からセーヌ川」
川の中にビル・アケム橋とグルネル橋を結ぶ「白鳥の小径」が見える。
その向こうはアポリネールの詩で有名なミラボー橋である。 -
「エッフェル塔の最上階からモンパルナスタワー」
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「エッフェル塔の最上階から凱旋門」
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「エッフェル塔の最上階からモンマルトル」
遠くに霞んで見えない。 -
「平和の壁」
シャン・ド・マルス公園の入口にある。2000年のミレニアムイベントで作られたモニュメント。ガラスの間にエッフェル塔がすっぽり納まって見える。 -
「カフェ LA TERRASSE」
旧陸軍士官学校を左に行くと交差点があり、メトロ⑧「ECOLE MILTAIRE駅」に出る。お昼になろうとしていた。街角にカフェ ラ・テラスがあった。庶民的な感じで、地元客なじみのカフェのようであった。入ってみることにする。
明るい笑顔の若いムッシュ・ギャルソンが「ランチ!」と素早く声をかけてきた。「ランチ、シルブプレ」「ウイ!」彼は窓際のテーブルに案内してくれた。 -
「窓ガラス越しに見える旧陸軍士官学校」
落ち着いたクラシック調の店内には地元の客がだいぶ入っていた。下町風なじみのカフェという感じであった。「グラスビヤー&ジュース」「ウイ、オレンジ?」笑顔での対応。「イエス、オーライ!」いい調子の乗りになった。きびきび動く若者だった。ビールとオレンジジュース、一緒にパンが出てきた。喉が渇いていた家内がジュースを半分くらい飲むと「ウォーター?」と目ざとく声をかけてきた。エビアンが出てきた。隣の紳士はグラスの水を飲んでいる。「商売上手!」家内が苦笑する。
「なにを食べるか?」わからないメニューに目を凝らしていると「TERRASSE SPECIAL!」14ユーロ?とあった。スペシャルなら間違いないだろう。値段もお手頃。決定!手をあげるとムッシュが飛んできた。
「スペシャル、ツー シルブプレ」「ウイ!テラス・スペシャルxyz…ムッシュxyz…!メルシー」彼はニッコリ!わたしには「安くて美味しい!当店自慢のスペシャルxyz…!ムッシュお目が高い!」と聞こえた。ホンにおめでたいのだ。 -
「シシカバブ風串焼きのテラス・スペシャル」
シシカバブ風串焼き2本&ライスとコーヒー色したドレッシング。シシカバブは塩味でさっぱりしていたが悪く言えばパサパサ、うま味がない。ドレッシングをかけてみたがドウという事もない。ライスは粘り気がない細くて長い外米、こちらにドレッシングをかけて食べるのか?そのまま食べたが美味しくない、半分以上残す。パンが美味しかったのでヨシとする。 -
「アイム ハンサム!」英語だった。頭髪の薄い陽気なムッシュ・ギャルソンであった。
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「アンヴァリッド:ドーム教会」
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「ドーム教会祭壇」
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「ナポレオンの棺」
生きて豪華、死して豪華なり。 -
「コンコルド広場」
アンヴァリッドのメトロ⑧エコル ミリテール駅からコンコルド駅は2つ目。 -
「コンコルド広場」
セーヌ川対岸のブルボン宮(現在は国会議事堂)をバックに、37年前と同じ場所でポーズ。 -
「コンコルド広場から凱旋門」
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「コンコルド広場からマドレーヌ教会を見る」
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「凱旋門」
メトロ①コンコルド駅から4っ目シャルル ド ゴール エトワール駅。地上に上がると、警察車両が10台以上けたたましいサイレンを鳴らして通りすぎる。テロ警戒のようであった。凱旋門は見るだけで上らず。 -
「シャンゼリゼ大通り」
37年前はカフェが道路の半分くらい占拠していたようで、道が狭かったような気がする。街は奇麗であったが、どこか戦後の汚れが、言ってみればチューインガムと洋モクの匂いが漂っている印象があった。なんせシャンゼリゼ大通りのど真ん中に街娼が群れをなしていた時代でもあった。(前旅行記:青春メモランダム⑤)
パリジャンという粋な小娘が今やシックで優雅なマダムに変身したようである。人々もゆったり歩いている。 -
「シャンゼリゼ大通り:新聞雑誌店」
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「シャンゼリゼ大通り」
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「シャンゼリゼ大通り:カフェ フーケッツ」
37年前もここにあった。なんせ1899年創業なのである。メトロ①ジョルジュ サンク駅までぶらぶらウインド ショッピング、心地よいパリ散歩だった。
次の目的地はマドレーヌ広場。メトロ①コンコルド駅で乗換え⑧ホームには行ったが不安があった。東洋系の若い男女が階段を下りてきた。「パードン、ジス メトロ フォー マドレーヌ?」レールを指さしながら、疑問文でありさえしたらいい。「ウイ、マドレーヌ」きれいなフランス語であった。そこにメトロが入ってきたので、同じドアから乗車した。ドア上のメトロ案内図を見ていると「ネクスト、マドレーヌ!ニホン デスカ?」と男の方が話かけてきた。「アレ ニホン語しゃべれるの」「スコシ ニホンゴ イマ ナラッテマス」彼は東南アジア系特有のはにかむような表情で言った。「ホアット カントリ?」タイかインドネシャかな…「ヴェトナム」頭をあげる感じで彼は言った。賢そうな目をもつ清潔な感じの若者であった。傍らの女性は若者のかげに寄り添うように立っている。アルカイック・スマイルのような静かな微笑をたたえている。20歳をいくつか出た位の若いふたりであった。「日本に行った事ありますか」「ノー イキタイデス」「日本グッドカントリー、ヴェトナムグッドカントリー」
ヴェトナムのことはほとんど知らなかった。ハノイと…「ハノイ グッドシティー、サイゴン グッドシティー」やってしまった!サイゴンはまずいのだ。ホーチミンシティーなのだ。彼はニコニコしている。メトロはマドレーヌ駅に着いた。「メルシ ボクー」われわれは降りた。窓越しに家内が手を振ると女性がパッと花のように笑って小さく手を振った。サイゴンかー!感じのいい二人だけに悔やまれる。 -
「ギリシャ神殿のように壮麗なマドレーヌ教会」
これはアテネのパンテオンだ。地中海風の白亜の神殿。ドーリア式かどうか知らないが、パンテオンと同じように前面に8本の石柱が堂々と聳えている。 -
「KENZOショップ」
雨がちらついてきた。歩き疲れてきた。 -
「パレ・ガルニエ(オペラ座)」
メトロから地上にでたものの、オペラ座の特徴ある青いドームのある建物がない。目の前の壮麗な建物がそうらしいと思うのだが確信がない。後ろに回りこむと修復パイプの足場と保護看板があった。 -
「ガルニエ裏の保護看板」
間違いない。<La Palais Garnier>とかいてある。パイプの足場をくぐって館内に入る。10人位の行列があったので並ぶ。列の先頭にいる職員になにか聞いて帰って行く人が何人かいる。変だなー。私たちの番になった。「フリーけんがくチケット、シルブプレ!」これでは通じない。手振りで館内をぐるーっとまわす。職員はわかったか分からなかったか「ノン!xyz…!」お愛想もない。ダメのようである。修理中なのでダメなのかなーと思った、が残って行列している人もいる。分けがわからん。未練がましくウロウロしているとどんどん行列に並ぶ人が増えていく。帰って行く人も多い。オペラ座のカキコミには見学不可のブログがいろいろあった…?…そうだ!10月1日、今日はオペラ座2010年シーズンの幕開け公演日ではないか。公演日は館内見学はできないはず。並んでいる人たちは当日券や前売券のために並んでいるのだろう。公演日それもシーズン幕開け日にぶつかったのではショウガナイ!今日来た事をメモリアルデーとして「シャガールの夢」をあきらめた。 -
「オペラ座正面」
オペラ通りを少し下って振り返ると、オペラ座の青いドーム、屋根脇の黄金の天使像が燦然と現れた。雨のなかでも輝いている。オペラ座はこうでなくちゃアカン!今まで近すぎて見えなかったのである。華麗、荘重みごとなもんである。 -
「不味、旨!ラーメン」
ルーブル宮を正面に見てオペラ通りを下って歩く。雨がすこしきつくなる。足が重い、疲れのせいか無性に醤油ラーメンが食べたくなる。ガイドブックによるとオペラ通りにはラーメン店が多くあるという。メトロ⑦ピラミッド駅手前の横街を左に入る。○○ラーメンの看板がいくつかあった。最初の角の店に入る。日本の普通のラーメンチェーンと同じような作りであった。なにかこころが安らぐ。わたしは葱ラーメン、家内は野菜ラーメン。先客は2組、中国女性2人と仏人男性2人、上手に箸を使っている。カウンターの中の調理人は日本人のようであった。気のなさそうに麺を茹でている。やはり旨くない。スープにコクが無く、一言でいって大味!が、久しぶりの醤油スープは体に沁みこむ。「不味、旨!」と言っておこう。
足、腰に疲れがたまってきている。ホテルに帰ることにする。メトロ⑦でシャトレ駅下車。10分以上歩いてもフォーラム デ アールにぶつからない。途中で道を間違えたようである。集中力が落ちてきているようだった。雨で歩道が濡れている。「シルブプレ!!フォーラムデアール」1,2度尋ねて、ようやく見覚えのある通りに出た。ほっと力がぬける。突然、家内がつまずいて…わたしの腰のあたりを掴もうとして、掴みきれず前のめりに倒れてきた。「どうした!」助け起こそうとしたが、ひざが疲労で突っ張って曲がらない。無理に曲げると激痛が走る。「xyz…!」通りがかりの若いフランス女性が駆け寄ってきた。家内に手をかけて「ダイジョウブ!」そう言っているようである。モタモタしながらわたしもようやく家内の傍らにしゃがみこむ。「ありがとう。だいじょうぶよ。メルシー!」家内が女性にお礼を言いながら体をおこした。わたしも「メルシ ボクー」。女性は「気をつけてね!」といった笑みを浮かべて立ち去った。どこにでもいい人はいるのだ。本当にメルシーなのだ。さいわい家内は打ち身も、擦り傷もなくヨカッター!夫婦とも疲れているのだ。年寄りは気をつけねばならないのだ。少々気持ちが落ち込む。スーパーで買い物してホテルに帰る。部屋で食事、フロに入って早めの就寝。今日はいろんな人に助けられたのだ。感謝!
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