2010/09/28 - 2010/10/04
7533位(同エリア17006件中)
osdさん
10月3日:帰国日
あっという間に帰国日がきました。朝早めにプランスホテルをチェックアウト。お世話になりました。3ッ星ホテルの機能は完備していますが、高級ホテル的雰囲気はまったくありません。朝夜のフロントは日本語は通じませんが丁寧に一生懸命対応してくれます。経営者の日本人夫妻も誠実な人柄でした。高級サービスを求めなければ、実質的な安全安心できるホテルでした。
「表紙」は「ホテル近所の教会」
地図をあたるとSt-Denis教会と思われるが確信はない。ワインやビール食べ物を買ったスーパーはこの教会の先にあり、ポルノショップが並ぶ通りでもあった。あるべき所にあるともいえるだろう。写真のようにヨーロッパ中世そのままに古色蒼然としているが、遺跡ではなくレッキとした現役の教会である。昨日は扉が大きく開かれ燭台にはロウソクが点もされ、大勢の信者が祈りを捧げていた。パリの街なかにはこうした古い教会や古い建物が忽然と現れることがある。それも旅行の楽しみであった。
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「RERシャトル駅B③・B⑤ホーム」
フォーラム・デ・アールからRERシャトル駅に入る。キップはホテルで買い置き有、CDGまで@8.7ユーロ。CDG空港行きはRERのB③線。ホームには大きな旅行カバンをひっぱている旅行者が何人かいた。電光掲示板にはB⑤:Mitry Clayeの表示があった。B③とB⑤は途中で分かれるので要ケアなのだ。次もB⑤であった。旅行者はだんだん増えてホームは込み始めてきた。B⑤の電車には乗る人降りる人と共に少ない。次もB⑤であった。30分は経過している。ホームの乗客がウロウロし始めた。何人かのグループの一人がどこかに足早に行った。電光掲示板にフランス人の若い男女がやってきた。グループの一人が帰ってきて何か仲間に報告している。そばに行ったが言ってることがわからない。若い男女も聞いている。電光掲示板はB⑤M・Clayeばかりであった。旅行者が電車の乗り口に集まり始めた。B⑤の電車が入ってきた。「シルブプレ CDGエアーポート?」若い女性の方に聞いた。「ウィ xyz…?」<xyz…?>が少し気になったが「メルシボクー」若い男女の後に続いて電車に乗り込んだ。この際流れに乗ってみるのだ。電車は北駅を過ぎ郊外に出た。フランスの田園風景を楽しむ余裕もなく、B③とB⑤の分岐駅Aulnay sous Boisにつく。降りる人はほとんどいない。鉄道ストライキのようである。「B⑤に行くようだったら、次の駅で降りて分岐駅まで戻ろうか」夫婦に不安がよぎる。しかし電車は次の駅に止まらなかった。???…次も通過。不安が増大する。電車は終点M・Claye駅までノンストップだった。「もーなるようにしかならない」ドキドキなのだ。 -
「M・Claye駅前 振替バス」
終点のM・Claye駅に到着。降りた乗客は駅建物脇のテントにゾロゾロ歩いて行く。ついて行くとテントに<CDG>と書いたボール紙が張ってあった。バスが停まっている。「どうやらイイヨウダ!CDGに行けそうだ」夫婦はホットした顔を見合わせる。鉄道ストライキなのだ。振替バスなのだ。若い男女も一緒にバスに乗り込んできた。 -
「M・Claye駅前 振替バス」
駅前は閑散としている。タクシーもいない。こんな寂しい所に夫婦2人でおっぽり出されたらパニックになる。空恐ろしいのだ。振替バス様様である。もちろんタダだった。 -
「バスを待つ人たち」
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「混雑するバス車内」
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「バスからCDG空港の近景」
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「CDG空港に到着」
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「お粗末な入口」
空港ビル正面でなく裏側の臨時の入口か、お粗末な入口からCDG入港。 -
「チェックインフロアー」
入った所がもうチェックインフロアーであった。 -
「ターミナルは2G」
帰りは大韓航空のコードシェアー便でエアーフランス便AF264であった。(リコンファームは必要なかった) -
「セキュリティーチェック ゲート」
厳しいものでした。やはりテロ爆破予告があった影響だったのでしょう。文字通り裸になりました。
チェックゲートを通るとブー。ボデーチェックされました。ベルトの留金のようでしたが、肌身につけていた予備の現金入れを出すように言われました。肩掛けにしていたのと慌てているので首から取り出せない。ついに下着のシャツまで脱ぐ羽目になってしまったのだ。アフリカンの職員は無表情にソッポを向いている。「ジス マネー キャッシュ!」頭にきて怒鳴ってしまった。大人げない…「アイム ソリー」なのだ。職員はX線検査機にくっついていて、出てきた現金入れを大事そうに持ってきて手渡しで返してくれた。いい人なのかもしれない。 -
「AF264帰国ゲートE38」
かくして我が夫婦のパリ散歩は終了したのだ。楽しかった。「シルブプレ」と「メルシー」だけでパリの街を堪能させてくれたのだ。いろいろの人に助けられた。パリ・ヴィジットの窓口職員、エッフェル塔の化粧の濃いフランスおねーさん、カフェ・テラスの陽気なお兄ちゃん、ヴェルサイユでの茶色いセーターの似合う青年、メトロ券売機を教えてくれたフランス人親子、ブラッスリー・プランタンのアントニー君、コンコルド駅で出合ったヴェトナムの若夫婦?コケタ家内に手を差し伸べてくれた若い女性など、旅先の親切は身にしみて有難かった。パリの街はやさしかったのだ。そのほかホテルのご主人夫妻、CDGの空港タクシーのドライバーまで、すべてパリでお世話になった人たちに感謝なのだ!「メルシーメルシーボクー!ボクー!」なのだ。
コレにて「37年ぶりのパリ散歩」の終了です。ながなが付き合っていただいた方に感謝!たいへん「メルシーボクー」なのです。
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この旅行記へのコメント (3)
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- kioさん 2011/12/25 21:25:04
- ご無沙汰です。
- osdさん お久しぶりです。
お元気そうで何よりです。
パリ旅行編 見せていただきましたよ〜〜
ネットが発達して昔と比べ遥かに旅がし易くなったといえ、
まったくの個人旅行でのパリ旅行は難儀なことも数多かったろうと
察します。でもそれ以上にたとえ、ショートスティでも思い出深い
一生モノの記憶に残るパリ旅行になっているんだろうなとosdさんの
文章を読みながら感じました。
私は自分の旅行記には未だに書いていないパリでのおバカなボラレ話が
あるんですが、そのうちcoming outしてしまいましょうか(*^_^*)
- osdさん からの返信 2011/12/31 13:47:37
- こちらこそ、 ご無沙汰です。
- kioさん メールありがとうございます。
現在、江戸末期の古文書を解読、出版の編集にかかりっきりになって、まったくブログをみていませんでした。返信おくれて申訳ありません。
その古文書、茨城県南の小藩の家老が嘉永2年(1849)藩領の村々(下妻、牛久、石岡など)を巡回して、民俗、風物、また筑波山など、日記・紀行文にして、和とじ90頁位に書いたものです。最初、古文書同好会の趣味の世界でいじくっていたのですが、地元の教育委員会による出版企画が出てきて、趣味で済まなくなり、必死こくはめに陥って…半年以上になります。年内にようやく校正の段階にまできて、ホット一息ついた所です。
> パリ旅行編 見せていただきましたよ〜〜
パリ旅行記、ご披見有難うございます。思いが先走りしての僻作、お恥ずかしいかぎりです。
kioさんの楽しい話、是非ともUPしてください。
今日で2011年もおしまいです。来年はいい年でありたいと切実に思います。
kioさんやゆみナラさん、現役はたいへんですが、がんばって下さい。
いい年でありますように祈念いたします。 2011.12.31 osd
- kioさん からの返信 2012/01/19 22:22:17
- RE: ご無沙汰です。
- OSDさん こんばんわ
osd夫婦の真っ当なパリ旅行見て 気が引けないこともないのですが、、
> 私は自分の旅行記には未だに書いていないパリでのおバカなボラレ話が
> あるんですが、そのうちcoming outしてしまいましょうか(*^_^*)
パリのおバカなボラレ話 恥ずかしアップしましたよん
{男って なんで こ〜なんでしょ」 というような書き込みを
たくさん 頂いております(爆)
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