2004/12/19 - 2004/12/19
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牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)は奈良県高市郡明日香村大字越に所在する終末期古墳である。大正12年(1923年)に国の史跡に指定された。「牽牛子」はアサガオの別称であり、指定時には「あさがおつかこふん」の読みが付されていた。
巨石をくりぬいて2つの墓室を設けた特異な内部構造で知られており、斉明天皇(皇極天皇)と娘の間人皇女(孝徳天皇の皇后)の合葬墓とする説が以前よりあった。2009年9月より2010年9月にかけて、明日香村教育委員会による学術目的の発掘調査がおこなわれ、平成22年(2010年)9月9日、村教育委員会は調査成果を発表し、版築による三段築成の八角墳であることが判明した。これにより、斉明天皇と間人皇女の母娘の合葬墓であることが確実となった。これで、斉明天皇陵、天智天皇陵、天武・持統天皇陵とも上方が八角墳であることになり、この時期の天皇陵に共通する。
皇極天皇・斉明天皇は宝皇女(たからのひめみこ)と呼ばれ、舒明天皇の皇后として、中大兄皇子(天智天皇)、間人皇女、大海人皇子(天武天皇)を産んだ。舒明天皇の後、継嗣となる皇子が定まらなかったので、皇極天皇として即位した。乙巳の変(大化の改新)により軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲ったが、孝徳天皇の死後、重祚して斉明天皇として再び皇位に就いた。
なお、宮内庁により奈良県高市郡高取町大字車木にある車木ケンノウ古墳(円墳、直径約45m)が皇極・斉明天皇陵に指定されている。
(表紙写真は牽牛子塚古墳)
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