2010/10/02 - 2010/10/02
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ヌールッディーンさん
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明治20年(1887年)に建てられた木骨石造2階建の商家建築。
初代小樽区長であり、衆議院議員も務めた金子元三郎の商店だった建物です。
北のウォール街から堺町本通りに入るとすぐの場所にあります。
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この建物が建てられた明治20年は、ちょうど木骨石造の建築(倉庫)が小樽でつくられ始めた頃にあたります。
有力な商人の商店がこの場所にある理由は、明治14年におきた金曇町(こんたんちょう)の大火にあると思われます。当時、小樽の中心はこの場所より札幌寄りにありましたが、この大火をきっかけに現在のメルヘン交差点のあたりが中心になりました。そこから市街地が拡張していく過程で現在の堺町本通りに多くの商店や倉庫が建ち並ぶことになったのです。
その後、明治37年の稲穂町の大火により、この地域だけでなく手宮に至るまでの広範囲の多くの建物が焼けてしまいましたが、明治20年頃から造られはじめた木骨石造の倉庫群は焼けずに残ったため、木骨石造の建築が一気に普及しました。
この建物が現在の場所にあるのは金曇町の大火の間接的な影響下にあり、稲穂町の大火にも耐えたのは木骨石造だったから、ということになりそうです。
いかにも古そうな建物で、それほど派手さはないのですが、小樽の歴史の生き証人のような重要な建築のひとつであると言えると思います。 -
建物の左右に突き出している袖壁は別名「うだつ」とも言われ、防火のために設けられました。
上方の商人にとっては立派なうだつを造ることは、自己の財力を誇示する手段になっていたそうですが、小樽でも同じことが起こっていたようです。 -
窓も耐火仕様という感じです。
写真では切れていますが、入口の上部がブロークンペディメント風なのが特徴的です。
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