2010/08/18 - 2010/08/23
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あいあ〜るさん
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チュラーロンコーン大王を訪ねるタイの旅4日目は、再びバンコクです。
何度も来ているバンコクも、まだ行っていない場所が山ほどあります。
丸一日使いたかったのですが、印刷会社との打ち合わせが昼になってしまったので、半日のみの観光になってしまいました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回バンコクで必ずしなければならないことの1つに、印刷会社との打ち合わせがあります。
チュラーロンコーン大王記念日の冊子と、バレーボール世界選手権の宣伝チラシの打ち合わせをしなければなりません。
知人が経営する印刷会社で、もちろんタイ人経営・純タイ資本です。
タイのためにお金を使うのですから、出費を抑えつつも当然ながら1バーツでも多くタイにお金が落ちるようにします。
いつもは夕食を兼ねてとなるので昼は丸々観光に使えるのですが、この時はかなり忙しくて昼食を兼ねて11時からになってしまいました。
会社はクローントゥーイにあるので、ラーマ9世駅から地下鉄を利用しました。 -
上は今年受賞したタイプリントアワードの銀賞です。
こちらは前年受賞した金賞。
金賞は何社があるそうなので、タイNo.1というわけではありません。
どういう基準で選考されているのかも知りません。
聞いても私のタイ語力では理解できないので。
打ち合わせが終わって、昼食に行きました。
昼休みにもかかわらず、移動中もひっきりなしに電話がかかってきて本当に忙しそうです。 -
「タイ料理がいい」と言って連れて行ってもらった店。
サートンの近くです。
店内の雰囲気、料理の質・味ともに、日本のツアーで使っても問題ないような店でした。
もちろん食事中の写真は撮っていないので、お見せできないのが残念です。 -
レストランの前からタクシーに乗り、とりあえずワットプラケーオに向かいます。
しかしヤオワラート通りに入ってから渋滞にはまり、歩くのと同じようなスピードでしか進みません。
同じスピードなら歩いた方が見落とすものが少ないので、途中から歩くことにしました。 -
この辺りでしなければならないことは、チュラーロンコーン大王に関係する施設を見学することの他に、安い国旗屋も探さなければいけません。
国旗屋を回りながら、確かこの辺りに王室寺院があったよなと行ってみたら、ワットチャックラワットでした。
ここは7年くらい前に訪れているのでパス。 -
ヤオワラート通りに戻りまた西へ向かって進むと、初めて見るはずなのに見憶えのあるような建物が。
Muffinさんが旅行記で紹介していたオールドサイアムでした。
Muffinさんがタクシー運転手に行き先が伝わらなかったと書かれていますが、英語の綴りが「The Old Siam」ならタイ語の発音は「ディオーンサヤーン」。
Muffinさんがどのように伝えたのかはわかりませんが、日本人が英語でこれを伝えるのは至難の業かと思います。
そもそも日本人英語を理解できるような能力があれば、普通はタクシーの運転手をしていませんし。
Muffinさんの旅行記を拝見して中にも興味がありましたが、今回はテーマと関係ないので時間の都合でパスしました。 -
写真が撮り方が下手で申し訳ありません。
こんな通りをウロウロします。
ペースも自分の思うようには進めません。 -
続いて来たのはワットラーチャブーラナ。
ここを目指したわけではありませんが、目の前まで来たので寄りました。
見事な金の象の破風が珍しいです。
このお寺には10年ぶりくらいに来ました。 -
ワットラーチャブーラナには日本人納骨堂があり、タイで亡くなった日本人が祀られています。
金閣寺を模して造られているそうです。
一時は年10回くらいタイに来ていたというのに、初めてバンコクに個人で来た頃に訪れて以来のお参りです。
もちろん日本人納骨堂はチュラーロンコーン大王とは直接関係はありません。
しかしここに祀られている中には、タイの鉄道建設で亡くなった方が含まれています。
チュラーロンコーン大王の治世中に、タイで初めての官営鉄道がバンコク〜コーラート(ナコンラーチャシーマー)間に建設されました。
その建設工事に初めてタイに移民として渡った日本人18名が労務者として従事し、マラリアなどで亡くなったそうです。 -
この仏塔は現国王陛下のご成婚60年を記念したものとのことなので、まだ新しいものです。
-
ラットラーチャブーラナの先プット橋の手前には、ラーマ1世像があります。
とてもよく整備され、お参りに訪れるタイ人も多いのですが、現王朝の開祖なのにどうしてこんな端っこにあるのかが気になります。
その理由を研究したら、その道の方は論文が書けるかも。
プット橋を渡ると、そこには前王都のトンブリーがあります。
そしてそのまままっすぐ進むと、ウォンウィアンヤイにはトンブリー朝のタークシン王騎馬像があります。
もしかしたら何か関係あるのかな? -
ここまで来た目的は、ワットラーチャブーラナの向かいにあるスワンクラープウィッタヤーライ学校です。
スワンクラープ校は1885年に官吏養成学校として設立されました。
入学にはタイで初めて学力検定試験が実施され、本人の実力によって進学ができるようになりました。 -
実は私は、この学校のホームページを毎日のようにチェックしていました。
この学校のサッカー部は、昨年タイの高校代表チームとして、昨年来日しているんです。
その情報収集のために、ホームページに何か情報が載っていないか隅々まで見ていたんです。
ホームページには「当校はタイを代表する超名門校で…」なんて書いてないので(もしかしたら書いてあったのかもしれませんが、私のタイ語ではそこまで理解できないので)、まさかここまで立派な学校だとは思いませんでした。 -
「スワンクラープ」は日本語にすると「バラ園」という意味です。
スワンクラープ校の校章は、学校を設立したチュラーロンコーン大王の紋章に本、その周りにバラの花があしらわれています。 -
スワンクラープ校の前にあるパーククローン市場には、たくさんの花屋が並んでいます。
こんなにたくさんの花の需要があるということは、もしかしたら各寺院の周りで売られている花も、ここから出荷されているのでしょうか? -
スワンクラープ校にちなんでか、バラの花もたくさん売られています。
お寺ではあまり見ないバラの花が、こんなにたくさんあるところをタイで見たことがありません。
スワンクラープ校があるからバラが売られているのか、それともバラがあったからスワンクラープ校と名付けられたのか。 -
ロート運河を渡って、ラッタナコーシン島に入ります。
現王都の第一環濠であるロート運河の内側は、ラッタナコーシン島とも呼ばれていますが、ロート運河を掘ったのはラッタナーコーシン朝ではありません。
前王朝のトンブリー朝が、王都の対岸に防衛基地を築くために、1771年に開削したものです。 -
次に向かったのはサイアム博物館。開館してまだ2年の新しい博物館で、タイの歴史が学べます。
入館料はタイ人が100バーツで、外国人が300バーツ。
受付に4人の女の子がいて、そのうちの1人に300バーツを出しました。すると後ろからチーフのような女の子がやってきて「100バーツです。」と、200バーツを返しました。
「私は日本人ですから。」と200バーツを彼女に返したのですが、「じゃあタイで働いていますか?」とか、5人の女の子が割引する理由を色々と考えてきます。
こちらが300バーツ払うと言っているのに、そんなに割引したいのだろうか?
私のような人間から300バーツも徴収しようという気にならないのは、解からないでもないけど。
結局「タイ語が話せるから100バーツでいいです。」というよく解からない理由でタイ人料金になりました。
私はタイ人でもないし、タイに税金も払っていないので、タイ人料金で入場すべき理由は全くないのですが、日本人だと認識した上でタイ人並みの扱いをしてくれるのであれば喜んでお言葉に甘えます。
究極の目標はワットプラケーオに無料で入場すること。
しかし外国人料金の300バーツはいいけど、タイ人料金の100バーツは高過ぎじゃないかな。 -
100バーツで入館すると、こんな物を渡されます。館内で何かに必要なわけではなく、出口で返却しただけでしたが。
よくタイの外国人料金のことをボッタクリと言う人がいます。
しかし日本でも自治体の施設では住民と住民外の料金が違うことはたくさんあります。
また日本のほとんどの料金には、社員・家族・会員など立場の違いによる割引や優待があるでしょう。
タイの二重料金がボッタクリと言うのであれば、日本はタイ以上のボッタクリ大国ではないでしょうか?
タイの外国人料金を非難するのであれば、ご自身が日本で立場の違いによって受けられる割引料金の全てを辞退すべきです。
日本と違ってタイは自国民の所得が低いので、遊びで来ている金持ち外国人旅行者と同じ金額を払わなければ自国民が自国の勉強をできない状態の方がおかしいでしょう。
借金まみれの国家財政なのに、外国人にまで金をばら撒いたり、自国の脅威にまでなっている隣国に大量の資金援助をしている国よりも、国家としてよほどまともだと思いますが。 -
館内の展示品から、今回はチュラーロンコーン大王に関係する部分のみ紹介します。
サイアム博物館はなぜか見学順路が1階→3階→2階なんです。
3階に上がって2つ目の部屋に飾られている御座船の模型。
天の川のように綺麗です。 -
タイの地図です。
色が付いている部分が、19世紀にシャムが領有していた地域です。
モンクット王(ラーマ4世王)とチュラーロンコーン大王(ラーマ5世王)の時代に、東からフランスに、西と南からイギリスに国土の約半分を奪われました。
黄色い部分が現在のタイです。 -
changeと書かれた展示室。
このchangeとは、国家の近代化を意味します。
このchangeがあったからこと、タイは独立を維持することができました。 -
タイで郵便制度が開始された当初に使用されていた郵便ポストのようです。
タイで初めて郵便制度が作られたのは1851年。
1853年には独自の郵便切手を発行し、1855年に万国郵便連合への加盟を果たしました。
万国郵便連合への加盟が承認されたことは、植民地化の脅威が押し寄せる中、タイ(シャム)が国際社会を構成する独立国家の一員であることが世界的に認められたことを意味し、たいへん意義のある出来事でした。 -
こちらはタイの官営鉄道が開業した時に使用された発車ベルのようです。
タイで初めての鉄道は、1893年にバンコクのフアランポーンからパークナーム(サムットプラカーン)までパークナーム鉄道が開業しました。
ただしこれはデンマークの会社が経営する私鉄です。
初めての官営鉄道は1896年3月26日バンコク〜アユッタヤー間に開業し、チュラーロンコーン大王がご臨席し出発式が行われたと言われています。
ちなみに当時のバンコク駅は、現在のバンコク駅(通称:フアランポーン駅)とは場所が異なります。 -
当時使用されていたラジオ受信機。
タイでのラジオ放送もチュラーロンコーン大王の時代に始まったと思います。
しかし何年にどのような状態だったのか、調査中なのですがまだ詳しいことは不明です。 -
サイアム博物館を出ると、サイアム博物館とワットポーの間に雰囲気の良い僧院のような建物がありました。
ワットポーの僧院なのでしょうか? -
ピンクの車体の路線バスがやってきました。
ピンクの車体ですが、チュラーロンコーン大王とは関係ありません。
ちなみに行き先はラーマ5世ではなく、ラーマ2世通りです。 -
防衛局の中庭に銅像が見えたので、門番の兵士にあれは誰かと聞くと、「ラッチャカーンティーホック(ラーマ6世王)」との答えでした。
ワチラーウット王(ラーマ6世王)は、皇太子時代の1887年にタイ軍初の総司令官に任命されています。
しかしそれらしい施設や寺院を見る度に「ここはプララーチャカーンティーハー(ラーマ5世王)と関係あるか」と聞いて回っている外国人って、かなり怪しいですよね。 -
防衛局の向かいにあるサラーンローム公園です。
ワットプラケーオに向かおうと思ったのですが、そう言えばワットラーチャボピットが近いよなと思って歩いていtらたまたま行きつきました。
こんな場所にこんな西洋風の公園があるなんて今まで知りませんでした。
そしてここで初めて、ジョギングをするタイ人を見ました。 -
サラーンローム公園を抜けて更に歩き続けると、いきなり目の前に現れました。
え〜っと、橋の名前は何だったかな…。
写真では何度か見ましたが、こんな所にあったのか。 -
ワットラーチャボピットにやってきました。
ここはチュラーロンコーン大王が1869年に建立したお寺です。
門番は近代軍隊の兵士なのが珍しいですね。 -
ワットラーチャボピットは珍しい円形の本堂を持つ寺院です。
曲線と直線の組み合わせが、不思議な空間を作り出しています。
私が訪れた10日ほど後にharaboさんもワットラーチャボピットを訪れたようで、旅行記に紹介されています。
私もharaboさんのような綺麗な写真が撮りたかったのですが、時間に追われていたのでお寺の周りを回って撮影ポイントを探すこともせず、ワットラーチャボピットを後にしてしまいました。 -
これは本堂ではありませんが、やはり普通の寺院よりも威厳を感じます。
ガイドブックにしても、ウェブサイトやブログにしても、間違ったタイの記述がたくさん見られます。
このワットラーチャポピットに関しては「即位直後の欧州視察で見たヴェルサイユ宮殿を真似て〜」などと書かれています。
チュラーロンコーン大王がヴェルサイユ宮殿の写真か何かをご覧になって、影響を受けたかどうかは知りません。
しかし即位は1868年。
1869年 ワットラーチャボピットの建立開始
1871年 アジア(=ヨーロッパ植民地)歴訪
1897年 ヨーロッパ歴訪
最初に誰かが適当に書いた嘘を、別の人が自分で確認もせずにそのままコピーして、嘘が蔓延したのでしょうね。
そうして事実と違うことが、日本人の間でのみ常識となっていく。
タイですから私はそれが嘘だと判りますが、もしかしたら他の国で真実だと思っていることが、実は大嘘かもしれないので、情報を発信する際は気をつけなければいけません。 -
次なる目的地ワットマハンに向けて、フアンナコン通りを北上します。
沿道には古い街並み(これもショップハウスっていうのかな?)が続きます。 -
その途中にあるセブンイレブン。
こんな古い建物に、よくも見事にマッチさせたものです。
おそらく日本にはこんなセブンイレブンはないでしょう。
まず法律で認められないんじゃないかな? -
歩いていると、なにやらモニュメントのような怪しげな建造物がありました。
サンパサーッスパキット宮殿の門と書かれています。
この先にサンパサーッスパキット宮殿がある(あった?)ようです。
「ラーマ5世とラーマ6世が…」と書かれていますが、2444年(=西暦1901年)頃に造られたと書かれているので、間違いなくチュラーロンコーン大王の治世ですね。
この道の奥が気になりましたが、時間も押しているので先を急ぎます。
さすが王室関係の施設だけあって、サンパサーッスパキット宮殿は難しい文字を使っています。 -
チュラーロンコーン大王は、1884年にワットマハン境内の南西隅に、初の一般人用の学校を設立しました。
それまでのタイでは、王族や上級貴族しか学校に行くことができませんでした。
「記念碑か何かが境内にないかな?」と思ってワットマハンに向かったのですが、ワットマハン学校は現存していました。 -
開校当時からある建物なのかどうか判りませんが、校内にある古い建物の中が資料館のようになっているようです。
しかし土曜日の夕方では、学校はもう開いていません。
警備員に「月曜日に来い」と言われましたが、月曜日はもう日本なんだよな。
初の一般人学校とは言っても、先に紹介したスワンクラープ学校でタイ初の学力検定試験が行われたのがこれより後ですから、平民でもそれなりの身分の子供しか入学できなかったのでしょうね。
もっとも完全開放したところで、当時のバンコクの庶民でそれなりに勉強しているような子供なんて、中国人くらいしかいなかったことでしょうけど。 -
ワットマハンを後に次の目的地に向かいます。
と、歩道の上に巨大なうさぎが。
この前の店の物なのかなぁ…?
今はゴミ捨て場の目印になってしまっているようですが。
まさかこのうさぎも捨てられているのか? -
次の目的地はワットスタットの隣りにある女子校です。
実は現在日本に留学しているある子の出身校です。
先日話をしていた時に、彼女が「私が卒業した学校も、チュラーロンコーン大王に関係あるんじゃないかと思う。」と言っていたんです。
確かに学校名が関係ありそうな感じです。
学校の入口に警備員がいたので「この学校はチュラーロンコーン大王と関係があるか」と聞くと「関係ない」との答え。
「お前じゃ話にならんから、先生を呼べ」と言っても良かったのですが、「先生と話し込むような時間も無いし、関係性を突き止めたところで4トラベルに書くくらいしかできんな。」と思い、またにすることにしました。
本当は学校の写真を載せたかったのですが、運悪く下校時間で女学生がたくさんいたので、撮影しませんでした。 -
とりあえず北上を続けます。
王都の昔の城壁が現れました。
マハーカーン砦から100mほど、昔の城壁が残されています。
以前のクルンテープ(バンコク)はこのような城壁が周りを取り囲んでいましたが、私が知る限りでは現在残されているのは2ヶ所のみです。 -
城壁の断面です。
アユタヤ王朝の後継と称すラッタナコーシン朝は、王都クルンテープ建設のためにアユタヤから大量のレンガを運んできて使用しました。
現在のアユタヤの荒廃ぶりは、ビルマ軍の破壊によるものと思っている方が多いと思いますが、実はラッタナコーシン朝によって壊された部分も相当にあると思います。
もしかしたらこの城壁のレンガもアユタヤから運ばれたものかもしれません。 -
城壁と運河の間にはかなりの距離があり、そこに集落が形成されています。
しかし昔の写真を見ると、この辺りの運河がかなり広いので、後年埋め立てられたのでしょう。 -
城壁の高さは約3m。
下から見ると、こんな城壁で大丈夫かなと思いますが、上に立ってみると結構高いです。
路線バスの屋根も見降ろせます。
この城壁を造った際に想定した最大の敵国ばビルマだったでしょうから、このくらいで充分だったのかな。
でも幅が狭いですよね。
これでは兵士の横移動が大変でしょう。
もしかしたら幅は当時より削られているかもしれません。 -
保存されている城壁はパーンファーリーラート橋のたもとにあるマハーカーン砦で終わります。
パーンファーリーラート橋はチュラーロンコーン大王が建設したラーチャダムヌン通りの「ラーチャダムヌンクラーン通り」と「ラーチャダムヌンノーク通り」の境となっています。
パーンファーリーラート橋でラーチャダムヌン通りから分岐して第3環濠のクルンカセーム運河に至るこの道は、チュラーロンコーン大王によって建設が始められ、チュラーロンコーン大王によって「ラーンルアン通り」と名付けられました。
現在ラーンルアン通りは、ヨンマラートを経てペッチャブリー通りへと繋がっています。 -
パーンファーリーラート橋から西のラーチャダムヌンクラーン通りを眺めたところ。
18時間近になり夕暮れが迫ってきました。
写真を撮れる時間も残り少なくなり、さてこれからどちらへ進もうかと思っていたら、ちょうどプラトゥーナームやスクンビット通りと通る2番バスがやってきたので乗ってしまいました。 -
プラトゥーナームでバスを降り、伊勢丹にある紀伊国屋に寄りました。
目的は大王の本を探すことです。
難しい本は今まで見たものと同じものばかりだったので、「チュラーロンコーン大王のマンガはあるか」と聞いたら、この本を案内されました。
本を購入した後で再度バスに乗りスクンビット通りへ。
散髪とマッサージをしてホテルに戻りました。 -
ホテルに戻ってテレビを観ていたら、ラグビーのようなスポーツを放送していました。
ラグビーのようだが少し違う。
ボールを持って前進する時は、バスケットボールのようにドリブルをするんです。
でもラグビーでも少しルールが様式もあるので、これもその一種かなと思って観ていました。
しかしどうも観ていると、自分の方向感覚がおかしいのです。
普通はラグビーの放送は、画面の右側に攻めている・左側に攻めているとわかるのですが、どっちに攻めているのかよくわからないのです。 -
おかしいと思いながらしばらく観ていて気付いたのですが、このスポーツのフィールドは円形なんです。
このスタジアムはこの競技の専用スタジアムだと思いますが、かなり大きいし観客もかなり入っています。
と言うことは、この国ではメジャーな競技だと思います。
自分が知らないこんなスポーツがあるなんて、世界はまだまだ広いです。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- keng-kengさん 2010/10/12 00:05:18
- おつかれさまです!
- いや〜、写真コメントのひとつひとつがスゴい!
これ、調べるのかなり時間がかかって大変やったんやろなあ〜って感じますわ〜。
おつかれさまでした。。。
紀伊国屋書店で買われたあのマンガ、あれやったら僕にも読めそうですわ〜。
あ、でもタイ語で書いてあるんでしたっけ?
やっぱムリです。。。
PS
テレビでご覧になったのはオージーボールかと思われます。
オーストラリアに行ったら芝生とかで少年たちが夢中になってやってますわ〜。
- あいあ〜るさん からの返信 2010/10/12 16:58:13
- RE: おつかれさまです!
- keng-kengさん、毎度コメントありがとうございます。
最初から予定して行った場所は、だいたいのことは事前に勉強して行っているので、まあそれほど難しいことはありません。
それ以外に現地に行って見付けた場所は、投稿の際に調べていますが。
ただ適当に書く訳にはいかないので、投稿に時間がかかりました。
あのマンガはもちろんタイ語ですよ。
あんな本が日本語であったら、逆に驚きますわ。
でもkeng-kengさんならかなり読めるのではないかと思います。
あれはオージーボールって言うんですか。
確かにオーストラリアでやっているようでした。
オージーボールと言うからには、オーストラリアとせいぜいその周辺国くらいでしかやってないんですかね?
- keng-kengさん からの返信 2010/10/12 22:01:46
- 僕にはムリですわ〜。。。
- チュラーロンコーン大王に関するマンガ、絶対読むのムリですわ〜!
以前貸しマンガ屋さんで「ワンピース」を一晩借りてヒマつぶしにパラパラ眺めたんですが
お手上げです!叫び声ひとつ、マトモに読めなかったのを覚えてます。。。
オージーボール、僕はプレイしてるのを実際に見たのはオーストラリアしかないんでなんとも言えませんが、どうでしょうね〜。ラグビーと同様でしたら、ニュージーランドや南アフリカあたりでもやってて不思議はないんですけど。。。でも確かオージーボール、元祖はクリケットだったと思いますんで、そういう意味ではインドとかアラビア半島の国々でもやってておかしくはないですもんね〜。
-
- Muffinさん 2010/09/20 10:27:10
- 次のターゲットです
- あいあ〜るさん、おはようございます。
サイアム博物館をずっと狙っておりました。
ぽつんと1つ離れていて、それだけで時間が掛かりそうなので延ばし延ばしになっていますが、雨期にぴったりの場所じゃないかと近々行ってみるつもりでいました。
「歩くバンコク」の今年度版が出て特集のラッタナコーシン島を読み、以前行ったサームプレーンで半分済んでいるので東半分を回れば完成じゃないかと明日向かうつもりでもあります。
行く前にいくつかのスポットを見せていただいてよかったです。
The Old Siamは「ディオーンサヤーン」でしたか(笑)
地図で見たり歩いたりするとそれほど難しいロケーションではないのですが、運転手さん(この時はうちの車でしたが)たちは誰も地図を読んでくれませんね。住所より電話番号がある方が早く見つかるのがこの頃わかりました。
(タニヤには精通しているのに、観光地は知らない人であるのもありましたが)
ずっと「アイティム」がタイ人の英語の中に混じるのがなんだかわからなかったのですが、この間アイスクリームと判明しました(笑) 日々、これでタイ語の(限定的)単語が増えていっているのもあります。
Muffin
- あいあ〜るさん からの返信 2010/09/20 12:35:27
- RE: 次のターゲットです
- Muffinさん、こんにちは。
ご訪問&書き込みありがとうございます。
サイアム博物館の辺りは、タクシーに乗ってもあまり通りませんし、私もあまり行かないエリアです。
しかし日本語の情報はあまりないと思いますが、Muffinさんならきっと色々なものを見付けられると思いますよ。
サイアム博物館は展示点数は多くないので、見学にはそれほど時間はかからないと思います。
しかしラッタナコーシン島の特集なんてあるんですね。どんなことが書かれているのか気になります。
オールドサイアムは、旅行記を見た時は日本語モードでしか考えていなかったので気付きませんでしたが、現地でタイ語モードでみたら「ああ、これじゃあ理解されるのはかなり難しいだろうな」と思いました。
タイ人は一般的に日本人ほど地図を読むことに長けていないと言われていますね。
私は地図を見せても、必ず同時に説明しています。
> (タニヤには精通しているのに、観光地は知らない人であるのもありましたが)
これは解かるような気がします。(笑)
観光地には普通は1人1回しか行かないでしょうが、タニヤには頻繁に行くでしょうからね。
それに観光地は知らなくても特に問題ありませんが、タニヤ情報は会社の業績や運転手本人の雇用にも影響するかもしれませんから。
タイ語は二重子音や末子音が多いですかし、外来語の場合は黙字も多いですから、全ての音に母音が付く日本語を使っている日本人の耳には聞き取り難いですね。
でも「アイティム」と聞こえるということは、aitkhrimのtとhが重なって聞こえているということでしょうから、その人は相当早口なのでは?
私は投稿ペースが遅いので、この後旅行記はMuffinさんが訪問された地域に進んで行きます。
ただし今回はチュラーロンコーン大王に関係ない場所は、極力カットしていますが。
Muffinさんはタイ語が話せないのに、本当に色々見られてすごいと思います。
それに日本人旅行者に多いタイを見下す目線では見られていないので、正当な評価をされていると思いますし。
私は年に10日くらいしか自分でタイを観光する時間がないので、Muffinさんの投稿を楽しみにしています。
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