
2010/08/18 - 2010/08/23
632位(同エリア820件中)
あいあ〜るさん
- あいあ〜るさんTOP
- 旅行記116冊
- クチコミ27件
- Q&A回答476件
- 230,091アクセス
- フォロワー9人
チュラーロンコーン大王を訪ねる旅2日目は、サムットプラーカーンを訪れました。
サムットプラーカーンはチャオプラヤー川の河口にある県で、首都防衛の前線基地として発展しました。
日本に例えれば横須賀のような感じになるでしょうか。
チュラーロンコーン大王の時代は、欧米列強がアジアの植民地化を進める真っ只中です。
そんな中で軍を再編し、国の独立を賭けて英仏に対抗したチュラーロンコーン大王に関係する施設は、サムットプラーカーンにはたくさんあります。
サムットプラーカーンと言ってもピンと来ないと思いますが、実は日本人旅行者のほとんどがサムットプラーカーンを訪れています。
実はスワンナプーム国際空港が位置するのは、サムットプラーカーン県の端にあたります。
サムットプラーカーンにはずっと興味があったので集中的に回りたいと思っていたのですが、今回チュラーロンコーン大王関連施設を先に回ることになりました。
1日では回りきれないと思っていましたが、実際に訪れてみると見学すべき場所が思ったより多く、全県見て回るには最低3日は必要だと思いました。
その他の施設は後日ゆっくり回りたいと思います。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
サムットプラーカーンは公共交通機関で回りたいのですが、今回は時間優先ということで友人の友達に車を出してもらいました。
バンコクからサムットプラーカーン県のプラプラデーンへ。
プラプラデーン出身のタンマサート大学生が日本に留学しているので、彼が帰国したら水上マーケットなどプラプラデーンを案内してもらう予定なのですが、まだ帰国しないのでチュラーロンコーン大王関係の施設のみ先に訪問することにしました。
最初に向かったのはチャオプラヤー川の河口にあるチョーンクラーオ砦です。
プラプラデーンの町を過ぎ、仏塔で有名なプラサムットチェーディーを通って、こんな運河とマングローブ林の風景を眺めながら、河口に向かって南下します。 -
ここから先は海軍の管理区域です。
検問を受けて入場します。
私は何も出しませんでしたが、運転手は身分証明書を提出していました。
ちょうどゲートから出てくるのは、プラサムットチェーディーと基地とを結ぶソンテウだと思います。 -
まずは受付に祀られているチュラーロンコーン大王像にお参りをします。
後方がチュラーロンコーン大王です。
前に立っているのは王子ですが、正式名しか書かれていないので日本での名前が誰なのかわかりません。
おそらくチュンポン親王ではないかと思いますが。 -
いきなりですが、今日のメインです。
タイの独立と自由を守ったチュラーロンコーン大王像です。 -
チュラーロンコーン大王像に登って見ていると、足元からマイクの声が聞こえてきます。
降りていってみると、裏側にエキシビジョンホールと書かれた部屋がありました。
中に入ってみると、ここにも入口に勇ましいチュラーロンコーン大王の御写真が。 -
室内では子供達が隊員から説明を受けていました。
地元サムットプラーカーン県内の学校で、小学校4〜6年生の子供達だそうです。 -
チャオプラヤー川には24の砦が造られたと言われています。
ラーマ2世時代から造られたそれらの砦は、全てサムットプラーカーン(パークナーム)より上流に造られています。
しかしチュラーロンコーン大王が増設したこのチョーンクラーオ砦だけが、唯一離れてチャオプラヤー川の河口付近に造られています。
サムットプラーカーン(海の城壁)の別名がパークナム(河口)と呼ばれていることと併せて考えると、チャオプラヤー川が運ぶ大量の土砂によって、時間と共に河口が南下したのかもしれません。
室内にはこの砦の模型が展示されていました。 -
砲台の模型です。
この砦は実際に戦闘をしています。
ベトナムを植民地化したフランスは、サイゴン(現ホーチミン)を仏領インドシナの拠点とし、続いて当時タイ(シャム)が支配していたカンボジアやラオスに食指を伸ばします。
メコン川左岸の割譲を要求して、まずは1893年4月にフランス陸軍はベトナム・カンボジアの軍も率いてタイ領内に侵攻しました。
続いて同年7月にはサイゴンからやってきたフランス海軍が首都バンコクを目指してチャオプラヤー川を溯上。
その時にこの砦はフランス軍艦と交戦をしています。 -
当時の戦闘図です。
河口左側の赤丸がチョーンクラーオ砦です。
チョーンクラーオ砦からの砲撃を振り切った2艘のフランス軍艦が、バンコクへ向かいました。
この図によると砦付近に5艘のタイ軍艦が配備されているのですが、タイ軍艦は何をしていたのでしょうか。
軍事力にかなりの差があったようですので、5艘でも2艘を止められなかったのか。
あるいはその前にやられたのか。 -
これも当時のフランス軍艦の溯上を示した図ですが、かなり上流まで行っていますね。
到達地点はオリエンタルホテルのある辺りかと思います。
まさに王都の喉元と言える場所まで行っていますね。
きっと「いつでも王宮を攻撃できるぞ」という体制で威嚇したのでしょう。 -
当時の砦は今でも残されています。
ここは砲台の後方の補給スペースなのでしょうか。
専門的な知識が無いので判りません。 -
通路の先に大砲が見えてきました。
-
フランス軍艦を砲撃した大砲です。
-
ちょうど砦から戻ってきた時、子供達が全員外に出たら、エキシビジョンホールは閉められてしまいました。
後で聞くと、エキシビジョンホールは普段は開いてないそうです。
4日前までにグループで予約した時のみ使えるそうで、たまたま行って見学できた私はラッキーでした。
しかも私はそうとは知らずに勝手に入って行ったのですが、止められることもなく。
日本だったら、いくら開いていても予約したグループ以外は入れてもらえないでしょう。
チュラーロンコーン大王像から川を眺めると、1艘の軍艦が保存されています。 -
この船は「メークローン号」と言い、日本製の軍艦です。
チュラーロンコーン大王とは関係ありません。
昭和10年頃にタイ国軍は日本に10艘くらいの軍用艦を発注したようです。
メークローン号もその中の1艘でしょう。
メークローン号の主砲。何インチ砲と言うのでしょうか?
私は知識が無いのでわかりません。
戦時中の日本製の軍艦は日本には現存していないらしいので、日本にとっても貴重な遺産と言えるでしょう。
ちなみにメークローンとは、サムットソンクラームでタイ湾に注ぐメークローン川のことですが、その上流は映画「戦場にかける橋」で有名になったクウェー川です。
これも何かの縁でしょうか。 -
メークローン号の操舵室です。
-
上のブリッジに行くには、こんな狭くて急な階段を何度も登らなければなりません。
私は甲板の一般船員でいいや。 -
途中から船内を案内してくれた…(名前忘れました)。
もちろんタイ語での会話なので、話してくれた内容の30%くらいしか理解できませんでした。
もっとも日本語で話されても、専門知識の無い私には半分くらいしか理解できないでしょうが。
この船の建造に関わった90歳の日本人が来たことがあると言っていました。 -
「日本語が残っているから見てくれ」と案内されたのがここ。
「東京亀戸」と書かれています。
この部品が作られた会社か工場があったのでしょう。
当時は亀戸にもこんな工場があったような時代だったんですね。
この右側に会社名とおぼしき文字もあるのですが、壁で見られませんでした。 -
エンジン室も見せてくれました。
自由に入ることはできないようでしたが、立入禁止という感じでもなかったから、おそらく断れば入ることができるのではないかと思います。
ここより更に3段くらい下まであるのですが、エンジンに興味はないので行きませんでした。 -
メークローン号からチャオプラヤー川を眺めると、1艘の軍艦が停泊していました。
-
メークローン号からチュラーロンコーン大王像を眺めたところです。
左の森の中に垣間見える白いものが砦です。
前出の模型では川に突き出るような形で砦が造られているので、当時から地形もずいぶん変わったようです。 -
見学を終えて売店に行くと、チュラーロンコーン大王のこんな素晴らしいステッカーが売っていました。
かばんなどに貼ろうと5個購入。
しかし、
後で気付いたのですが、文字が逆に書かれています。
ガラスの内側から貼るタイプのものでした。
そんなに貼るガラスは無いしなあ。 -
砦を後にして、プラサムットチェーディーに戻ってきました。
プラサムットチェーディーには、その名前の通りの有名な仏塔があります。
サムットプラーカーン県の県章のデザインにもなっている、サムットプラーカーン県を代表する仏塔です。
サムットプラーカーンを建設したラーマ2世王が建立したのですが、その後チュラーロンコーン大王まで4代の王が大きくしたとのことです。
ただチュラーロンコーン大王がこのチェーディー自体を大きくしたという意味なのか、あるいはお寺を大きくしたという意味なのかわかりません。 -
プラサムットチェーディーは、チャオプラヤー川を挟んでサムットプラーカーンの対岸にあります。
つまり左岸のサムットプラーカンと右岸のプラサムットチェーディーは、一対になってチャオプラヤー川を守った双子都市とも言えるでしょう。
しかしスクンビット通りに直結するサムットプラーカーンに比べ、プラサムットチェーディーはバンコク近郊とは思えないほどのどかな風景が残っています。
プラパトムチェーディーの前には、サムットプラーカーンへの渡し船の渡船場があります。
今ではサムットプラーカーンとプラサムットチェーディーでは、町の発展にかなりの差があるので、多くの人が渡し舟を利用してここからサムットプラーカーンへ向かっているようです。
きっとサムットプラーカーン経由でバンコクへ行く人も多いことでしょう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- ゲストさん 2010/09/02 01:31:50
- 吃驚です。
- バンコク郊外にこんな見所があったとは吃驚です。
ガイドブックには絶対に載ってないでしょうね。
これこそアイアールさんでなければ知り得ない貴重な情報だと思います。
あの砲台で侵入してきたフランス艦と戦ったんですか・・・
19世紀というアジアにとって激動の時代。欧州列強の脅威に国家存続を賭けて立ち向かった大王の苦闘や激動のタイ近代史に想いが馳せります。
昭和初期に建造された日本製の軍艦も見てみたい・・・
このような歴史の舞台には単なる観光地には無い重みがありますね。
ここは一見の価値がありますね。
軍の施設のみたいですが誰でも見学できるのでしょうか?
とても、興味が沸きました。
- あいあ〜るさん からの返信 2010/09/02 08:42:44
- RE: 吃驚です。
- 房州ロッカーさん、こんにちは。
日本のガイドブックには載っていないでしょうね。
日本のガイドブックは小奇麗なレストランと土産物屋くらいしか見るべきものがないので、おかげでどちらも興味が無い私はわざわざ持って行く必要がなくて楽です。(笑)
おそらくロンリープラネット辺りなら、このクラスの施設は載っているのではないかと思います。
あの砲台から砲撃したことは間違いないのですが、どれだけ撃ち合って何発命中したかは不明です。
あの一帯には他にも軍の施設があるので入口で検問しますが、私もいきなり行きましたし、砦なら誰でも行かれるはずですよ。
怪しくなければ問題ないと思います。
- ゲストさん からの返信 2010/09/02 20:25:57
- RE: RE: 吃驚です。
- 「怪しくなければ問題ない」
これが一番ネックだったりして・・・
場所的には空港から近そうですね。
今度、トランジットで空港近くのホテルに滞在し時間があれば行ってみようと思います。
- あいあ〜るさん からの返信 2010/09/04 00:56:17
- RE: RE: RE: 吃驚です。
- 房州ロッカーさん、こんにちは。
> 「怪しくなければ問題ない」
> これが一番ネックだったりして・・・
確かに房州ロッカーさんはワイルド系っぽいですからね。(失礼)
まあでも、変な格好をしてなければ大丈夫かと。
> 場所的には空港から近そうですね。
> 今度、トランジットで空港近くのホテルに滞在し時間があれば行ってみようと思います。
スワンナプームからパークナムまでバスが走っていますので、渡し船とソンテウを乗り継げば行かれますね。
房州ロッカーさんお得意のソイスクンビット7/1からパークナムへもバスで行かれます。
あいあ〜るさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
25