2010/04/09 - 2010/04/09
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旅人のくまさんさん
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桜の落花が始まった長久手古戦場紹介の続きです。染井吉野のほか、里桜の紅枝垂れ桜や山桜の花も咲いていました。
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里桜の1種、八重紅枝垂れ桜のようです。薄いピンク色の花です。一重のようにも見えましたが、八重の方のようです。
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同じく、八重紅枝垂れ桜の花のピックアップ光景です。染井吉野は散り始めでしたが、まだ蕾が残っている状態でした。
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上空で咲く染井吉野の古木と、まだ若木のようだった、八重紅枝垂れ桜の光景です。
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辺り一面に花吹雪をまき起こしていた、高木になった染井吉野の光景です。
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芝生一面に散り敷いた、落花の光景です。染井吉野も、山桜も落花したようです。古戦場跡らしい雰囲気になった光景でした。
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山桜の花も交じっているかも知れませんが、公園の芝生に降り積もった染井吉野の落花の光景です。落花を見るのは寂しい思いもしますが、桜の花の一番の見所にもなります。
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右側から迫り出した桜は、一重の枝垂れ桜でした。一重紅枝垂れ桜のようです。彼岸枝垂れ桜をはじめ、いくつかの品種があるようです。
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大きく横に枝を伸ばした、やや赤っぽい花を咲かせた桜の光景です。染井吉野とは別種のようですが、品種は分かりません。満開ですが、まだ落花は始まっていませんでした。
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逆光になってしまいましたが、満開の桜の枝先の光景です。染井吉野とは別種のような、先ほどと同じ木の枝先です。
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満開の桜の枝先のピックアップ光景です。やはり、染井吉野とは少し違った印象の花です。落花はしていませんが、葉も出始めていました。
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染井吉野とは少し違った印象の満開の桜の枝先のピックアップ光景です。花弁が少し細長いようですし、色も赤味が濃いようです。
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同じく、染井吉野とは少し違った印象の満開の桜の枝先のピックアップ光景です。葉も一緒に出ていました。
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『小牧・長久手の戦い』の主な武将の紹介です。最初は織田信雄・徳川連合軍の井伊直政(1560〜1602年)です。井伊氏第24代当主で、後に彦根藩の初代藩主になりました。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣の一人です。勇猛果敢な姿は『井伊の赤鬼』と称され、諸大名から恐れられましたが、それ以上に外交手腕や調整力にも長けた人でした。江戸時代、井伊家からは3人の大老を輩出したことからも、そのルーツの才能が偲ばれます。『長久手の戦い』では3千の兵を率いて活躍しました。明治時代まで続いた居城の彦根城は、現代まで残り国宝となりました。
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織田信雄・徳川連合軍で二番目に紹介するのは、『長久手の戦い』で池田恒興を討ち取った、長井直勝(1563〜1625年)です。三河国碧海郡(現在の碧南市)に生まれ、はじめ家康の嫡男・信康に仕えました。天正7年(1579年)に信康が自刃した後、隠棲しましたが、天正8年(1580年)、家康に召し出されて、再び徳川家の家臣となりました。若い頃は美男として知られ、63歳で亡くなった時には、5万2千石の常陸国笠間藩主でした。現代では、作家の永井荷風や三島由紀夫などが子孫です。
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織田信雄・徳川連合軍で三番目に紹介するのは、丹羽氏次(1550〜1601年)です。尾張国岩崎に生まれ、父の後を継いで織田信長に仕えました。本能寺の変で信長が死去した後は、その次男の信雄に仕えて各地で武功を挙げましたが、信雄と対立してその勘気を被ったため、翌天正11年(1583年)に徳川家康の家臣となりました。『小牧・長久手の戦い』では、岩崎城を弟の氏重に守らせ、自身は家康に従って武功を挙げました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦功を挙げ、三河伊保に1万石を与えられ、その初代藩主となりました。
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織田信雄・徳川連合軍で四番目に紹介するのは、本多忠勝(1548〜1610年)です。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる家康の功臣です。伊勢国桑名藩初代藩主です。織田信長からは、『花も実も兼ね備えた武将』、豊臣秀吉からも『日本第一、古今独歩の勇士』と称されました。『小牧・長久手の戦い』では、当初忠勝は留守役でしだが、徳川軍の苦戦を知ると、僅か500名の兵で駆けつけました。
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織田信雄・徳川連合軍で五番目に紹介するのは、安藤直次(1555〜1635年)です。『小牧・長久手の戦い』では、池田恒興の嫡男、元助を討ち取りました。初代犬山城主の成瀬正成から、直次だけ加増されていないのに文句を一言も言っていないことを聞かされた家康は、直次の篤実な性格を賞賛して一度に5000石を加増して大名にし、10年間与えるべきであった分を納米として5万石与えたとされます。
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赤い雪洞と、白い花を咲かせた山桜の光景です。その先に、薄いピンク色の染井吉野の花も見えました。次に紹介するのは、秀吉軍の武将です。
最初は、後に豊臣氏の第二代関白のとなった、三好秀次(1568〜1595年)です。秀次は、通説では、凡庸・無能な武将として見られることが多いものの、秀次の失敗は16歳の時の『小牧・長久手の戦い』の敗戦の一度だけです。秀吉の姉である瑞竜院日秀の長男でした。秀吉に嫡子秀頼が誕生し、理由には諸説あるものの、秀次は強制的に出家させられて高野山青巌寺に蟄居となった後に切腹となりました。秀次の首は三条河原で晒し首とされました。 -
秀吉軍の武将で二番目に紹介するのは、長久手の戦いで討ち死にした、最も大物武将の池田恒興(1536〜1584年)です。討ち取られた時は、17万石の美濃国大垣城主でした。『小牧・長久手の戦い』では、去就が注目されましたが、結局は秀吉方として参戦しました。勝利が成った際には、尾張一国を約束されていたようです。(池田家文庫)
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秀吉軍の武将で三番目に紹介するのは、池田元助(1559?〜1584年)です。池田恒興の嫡男で、岐阜城主でした。徳川時代に入り、西国将軍と呼ばれた池田輝政の兄です。『小牧・長久手の戦い』では、三河奇襲部隊の一翼を担いましたが、徳川郡の逆襲で、父とともに果てました。26歳でした。幼少時から織田信長に仕え、父の恒興や弟の輝政とともに活躍しました。
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秀吉軍の武将の四番目の紹介は、森・長可(もり・ながよし:1558〜1584年)です。河内源氏の棟梁、八幡太郎源義家の六男・源義隆を祖とする森氏と伝わります。井伊直政の軍と激突し、水野勝成の家臣・水野太郎作清久の鉄砲足軽・杉山孫六の狙撃で眉間を撃ち抜かれ即死しました。享年27才でした。僅か13歳で家督を継いで織田信長に仕えました。信長の近習だった森・蘭丸(成利)の兄です。
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秀吉軍の武将の五番目の紹介は、堀・秀政(ほり・ひでまさ:1553〜1590年)です。美濃国で生まれ、最初、大津長昌、次いで木下秀吉に仕え、永禄8年(1565年)に13歳の若さで織田信長の小姓・側近に取り立てられました。味方の軍は大敗を喫したが、『小牧・長久手の戦い』では、自軍を三手に分け、家康方の大須賀康高・榊原康政らを待ち伏せ、挟撃して敗走させました。家康本隊とは戦わず退却しました。
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名前が分からなかった樹木の花の光景です。枝の中心部から花茎を伸ばし、地味な黄色の小さな花をたくさん咲かせていました。
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緑色の葉を出して咲いていた、白い花の桜の光景です。ヤマザクラ(山桜)のようです。
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山桜らしい花のズームアップ光景です。ヤマザクラの品種までは分かりませんが、染井吉野とは明らかに違う雰囲気の花です。オオシマザクラなどとも似ているようです。
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更にズームアップした山桜らしい花の光景です。ヤマザクラの品種までは分かりませんが、染井吉野とは明らかに違います。
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新緑と咲き残りの桜の花の光景です。赤い雪洞も木の間に見えました。1カ月もすれば緑一色になりそうです。
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見どころ十分だった染井吉野の光景ですが、風が吹けば花吹雪の状態でした。
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既に紹介した、『史跡・長久手古戦場』の大きな石碑が見える光景です。
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『長久手棒の手』の文字が刻まれた石碑の光景です。愛知県知事だった桑原幹根氏(1895〜1991年)の揮毫です。愛知県指定の無形民俗文化財です。
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