2010/03/13 - 2010/03/13
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ちゃおさん
1945年8月15日、帝国日本はポツダム宣言を受諾することにより戦争は終結し、敗戦国となった。
その数日後、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号上で、戦争終結の議定書が調印され、帝国陸海軍は武装解除され、解体されることとなった。
更にその数日後の8月末、ダグラス・マッカーサーはその愛用のコーンパイプを口に咥え、厚木飛行場へ悠然と降り立った。
Douglas MacArthur、連合軍総司令官にしてFive Star General、大元帥。これからの占領日本を統治する最高権力者であった。
今、愛子様問題で日本中を騒がせている天皇家も、敗戦当時とあってすれば、風前の灯だった。その地位を保全し、現在の象徴天皇としての方向性を示したのは他ならぬこのマッカーサーだった。
その後日本がサンフランシスコ条約に於いて漸く独立を果たし、その後の経済興隆と共に、米国に次ぐ世界第二の経済大国になり、丁度その頃、昭和天皇が米国歴訪を果たしたが、若き頃の英語教師の遺族を尋ねケンタッキーの片田舎まで行ったは良いが、ダグラスが終の棲家としたニューヨーク・ブレアホテルにも寄らず、又その遺族とも合わなかったのは、誠に残念だった。
そのダグラスが毎朝きっちり定時に住宅のあった現米国大使館の三益坂より黒塗りのリンカーンに乗ってやってきたのが、今眼前に立っている第一生命ビル。
GHQ、General Head Quarters.いま、平成生まれの若い人にはこの名前すら忘れ去られているかも知れない。
皇居に直面する当時にあっては一番高いビル。皇居を睥睨するがごとくこのビルの最上階の執務室の窓から皇居の森を睨んでいた。
それから又更に日をおかず、この執務室の、多分フィリピンで作らせたに違いない馬鹿でかいマホガニーのデスクをバックに、陛下と二人並び、又、あの時のような悠然とした態度で、しかしやや神妙な面持ちでの記念写真、ツーショットが公開され、国民は今や支配者が誰かを知ることとなった。
アールデコの時代を経ての昭和初期、建築家・渡辺仁は銀座和光ビルを建設して後、この第一生命館の建設に取りかかった。この二つのビルには似た外貌を持っていた。
ニューヨーク・マンハッタンの直線美を描いたベルナール・ビュッフェを思わせる、直線的で力強い白大理石で出来た正面ファサード。シンプルで且つ重厚だ。マッカーサーは必ずやこの総司令部が気に入ったに違いない。
あの時から既に60数年、今尚眼前にこの元GHQビルを見ることが出来、歴史の感慨に浸ることも出来た。このビルの後ろには新社屋の高層ビルが立っているが、歴史の生き証人としてのこのGHQビルを保存してくれた第一生命の関係者には感謝したい。
戦前の名残を留め、「第一生命保険相互会社」と右から左に向けて社命が書かれ、又、その下には英語で、「THE DAIICHI MUTUAL LIFE INSURANCE COMPANY」と書かれているのも、何か歴史を感ずるものがあった。
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皇居のお堀に面して立つ旧GHQビル、第一生命館。
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直線的で力強いビルはマッカーサーが気に入っていたに違いない。
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この最上階の執務室窓から、最高司令官ダグラス・マッカーサーは皇居の森を眺めていたに違いない。
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マッカーサー毎朝定時にこのビルの正面に黒塗りのリンカーンを横付けし、毎日定時に帰宅した。朝鮮戦争激しき頃もその習慣は変えなかった。
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第一生命の社命が右から左に書かれ、唯一戦前の建物の証となっている。
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ビル正面には又皇居の森が真近に見える。
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桜田門の最高裁判所も今は三宅坂に移り、旧警視庁も高層ビルに変貌している。当時の面影を残すのは、唯一旧最高裁の赤レンガのみである。
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マッカーサーの頃も泳いでいたに違いないカモメ。東京湾からやってきている。
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どこから飛んできたのか大きなスワンも2尾、番となって泳いでいた。
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帝国劇場が建て直されてもう何年になるだろうか。浅利慶太も随分歳取ったに違いない。
昭和天皇も死に、マッカーサーも死んでしまった。残された建物だけが歴史を刻んでいる。
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