2012/11/14 - 2012/11/14
2502位(同エリア4681件中)
滝山氏照さん
日比谷見附(ひびやみつけ、東京都千代田区有楽町)は江戸城外郭に36ヶ所の城門があった見附のうちの一つで日比谷公園の東端にあり、その遺構としては高さ5~6mほどの石垣が約100mほど日比谷通りに沿って南進して公園の一部を形成しています。
特筆すべきはその石垣は公園内部に向けて造られており、石垣のすぐ下は今では「心字池」と称する池となっていますが、当時の見附では水を湛えた堀であったわけです。
天正18年(1590)8月、徳川家康が関東に移封し江戸に拠点を移すまでは、扇谷上杉氏の執事太田道灌(おおた・どうかん)の本拠であり、その後は小田原北条氏の支城でありましたが、当時は今よりも海岸が迫っており、特に日比谷まで海が入り込んだ漁村でありました。
日比谷見附の普請については第二代将軍秀忠時代に外様大名に命じ大掛かりな江戸城改築整備の一環で行われたようですが、伊達政宗(だて・まさむね)の仙台藩が枡形石垣、その周辺石垣は浅野長晟(あさの・ながあきら)の広島藩がそれぞれ担当し、新生徳川幕府のあらぬ疑いを掛けられない様自領の義務を超えた精一杯の忠勤に励む姿が垣間見られます。
2022年8月30日追記
見附跡標柱の脇に設置の説明板には簡単ながら紹介されています。
『 日 比 谷 見 附 跡
この石垣は、江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の一部です。
城の外側から順に、高麗門(こまもん)・枡形(ますがた)・渡櫓(わたりやぐら)・番所が石垣でかこまれていましたが。石垣の一部だけが、ここに残っています。
当時、石垣の西側には濠(ほり)となっていましたが、公園造成時の面影を偲び、心字池(しんじいけ)としました。』
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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祝田橋交差点
桜田門のある内堀通りから日比谷通りに向かうと途中に祝田橋交差点があります。 -
晴海通風景
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晴海通風景
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有楽門
内堀通りと日比谷通りが交差した所に有楽門があり、ここから入場すればすぐ日比谷見附を見ることができます。 -
日比谷公園地図
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イチオシ
日比谷見附跡
日比谷公園は場所によって変化に富んだ景色を見せますが、最も東側の日比谷交差点に面した辺りはかつて江戸城外郭の一部であったことを示し、「城址公園」の雰囲気を醸し出しています。 -
日比谷見附標柱
この石垣は江戸城外郭門の一つ「日比谷御門」があった所です。そもそも江戸城には36ヶ所の城門があり、それぞれの城門には警護する武士の施設が置かれ、日比谷見附も同様でありました。 -
日比谷見附跡説明板
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日比谷見附跡石塁
まず石塁の頂上に向けて登ります。 -
日比谷見附跡・石塁
頂上部は左右に樹木が立ち並び、中央部は散歩道となって人々の往来があります。 -
日比谷見附跡・石塁展望
石塁頂上部から日比谷通りを展望します。 -
日比谷見附・石類展望
石塁頂上部から公園内部の心字池を展望します。 -
日比谷見附・石塁
石類頂上部に設置されているベンチは来園者にとって眺めの良い場所となっています。 -
日比谷見附・石類展望
石塁頂上部から日比谷公園の霞ヶ関方面を捉えます。この石塁頂上部が公園の中で一番高い位置にあることがわかります。そもそも日比谷公園一帯は埋立地であり、更に遡って太田道灌時代では内陸に入り込んだ湾でありました。 -
心字池・説明板
かつては水堀でありましたが、公園化の際水堀を池として残す設計にすることになりその名も「心字池」と名づけます。 -
イチオシ
日比谷見附跡・石垣と心字池
見附石垣は日比谷公園の内部を向いていますが、実は江戸時代の日比谷見附の外側は心字池を含む現公園内部であったわけです。 -
心字池地図
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日比谷見附・石垣
日比谷通りに並行して北から南進する石垣の途中を公園内部から捉えます。 -
心字池
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石塁の南端と心字池
日比谷通りと並行して積まれた石塁は約100mほどの長さをもって途絶えています。 -
日比谷見附・石垣
日比谷通り側から見た見附石垣で石垣の下は歩道となっています。
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