2010/03/13 - 2010/03/13
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ちゃおさん
土曜の午後、所用で有楽町まで出た折り、春の暖かな好天に誘われ、丸の内界隈を散策する。
先ずは丸の内1丁目、東京駅前にある「三菱明治村」。
明治4年に東京ー横浜間に鉄道が開設され、今の汐留に新橋停車場が出来たが、ここ大手門正面は、江戸幕府崩壊後の廃藩置県、士農工商の身分制廃止などにより、それまであった武家屋敷などは取り払われ、荒地状態になっていた。
明治の元勲と結託した政商・岩崎弥太郎、小弥太親子は、この辺り一体を明治政府より低廉な価格で譲り受け、ロンドンダウニング街を模しての、近代的街路作りに邁進した。
ここから新橋までのほぼ中間地点、今の帝国ホテルの辺りに、絢爛豪華な舞踏場、「鹿鳴館」が出来たのも、この頃のことである。それから幾星霜、漸く大正になって、この三菱村の真正面、いや皇居正面に辰野金吾博士設計による赤レンガの東京駅が完成したのは、世の人の知るところである。
日本を代表する街区となった「三菱明治村」。4−5階建ての赤レンガが「丸の内中通」を挟んで林立していたが、大正に入ってから、順次、7−8階建ての近代的オフィスビルに建て替えられていった。その代表的なのが、東京駅正面に2棟並んでデンと建てられた、旧丸ビル及び、旧・新丸ビルだった。
数年前よりこの「明治村」の超高層ビル化が計られ、旧丸ビル、新丸ビル共に、既に30階以上の超高層ビルに生まれ変わっているが、明治以来よりその名で呼び続けられてきた「三菱3号館」、「三菱5号館」なども、150年前に付けらた名誉ある名前を継承して、更に再び超高層ビルに変貌を遂げている。
日本経済の失われた10年、或いは20年と言われて久しい。しかし今日、今こうして丸の内「三菱村」を歩いていると、知らぬ間に大きく近代化されたこの街区に驚嘆する。日本は沈没していない。いや、日本は今日も又日々発展しているのだと。
「三菱明治村」の春の新鮮は息吹を感じ、自分自身の元気も取り戻す、ひとときの散策だった。
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皇居、馬場先門先には、二重橋の奥の潮見櫓が望遠される。
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東京駅周辺もNorth Wing, South Wingと超高層ビルが林立するようになった。
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「三菱村」にもその超高層化の波は押し寄せている。
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近代的ビル群のまばゆいばかりの華麗さ。
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しかしそんな中にあっても明治の赤レンガ、「三菱○○号館」の名称は今も留めている。
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ビルとビルの谷間の中庭、パテオも明治の香りを残し、綺麗に整備されている。
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東京は矢張り1年見ない間に大きな変貌を遂げている。
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パリの有名なクロワッサンの店「エシレ・メゾン・ドユブール」は、今日も大勢の人で行列を作っていた。
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丸の内「仲通」も様変わりに高層化している。
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嘗ての金融ジャイアントAIGも金融恐慌の波で敢え無く沈没してしまった。
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