2009/10/02 - 2009/10/06
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草廬の隠者さん
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聞いた話では
函館で最も最初に栄えたのは元町エリアで
時代が流れるにつれ中心地は五稜郭方面へと
移って行ったんだそうだ
実際、現在の函館で賑やかなのはそっちの方で。
でも函館に元町がなかったら
函館に旅する楽しみは半減するじゃあないか・・・・・。
元町&ベイエリア昼景編です。
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-
元町巡りの始まりは・・・・・・・
復元チンチン電車・箱館ハイカラ號を降りてから。
あかい車体、蒼い空。
すこしだけ、昔の話をしようかね? -
このあかい車体が来たのはね
1910年(明治43年)12月千葉県成田市で初めて運行された車両が1918年(大正7年)函館に来たときのこと
1936年(昭和11年)まで客車として運行しておったのさ
雨の日も、風の日も。
雪の日も。 -
時の流れに街も変わり
何時しか姿も消え失せて
それがまたこの地にあるのはある年の
1992年(平成4年)函館市制70周年記念事業のひとつとして、このあかい車体に復元することになったとさ
台車は、製造当初の米国ブリル社製をそのまま使用、車体は当時の図面を基に製造され、また函館の街を走り出したのは1993年(平成5年)8月で
またよろしくたのむよと、「箱館ハイカラ號」の名前も新しく。
レトロな兄ちゃんお姉さん、写真OKブログ掲載OKありがとう♪ -
魚見坂。
今日は函館山方面へと坂を登る。 -
函館山が左に見える・・・・・・
-
ぬこ発見!
座り込んだところに近づいて、膝をついてカメラの撮影モード変更。もちっと近づきたかったけど逃げられそうで仕方なく距離はあるがそのままピントだけ合わせて、
目線こっちにくださーい!!
パシャ。 -
ぬこその2発見!!
こっち向いてくださーい!!
視線くださいってばー!!
パシャ。 -
高龍寺。
さて、由来は・・・・・。
寛永10年(1633年)松前町の曹洞宗法源寺の末寺として亀田村(現在の市内万代町近辺)に建立。
で、宝永3年(1706年)弁天町に移転、何度かの大火などのため(またか・・・・・)お寺が燃えた後明治12年(1879年)現在の場所に。
ちなみにこの門は総けやき造りで明治43年(1910年)に完成。彫刻、釈迦涅槃図、傷心惨目の碑(箱館戦争中野戦病院だったこの寺で斬殺された会津藩士の供養碑)などが有名、とのこと。 -
外国人墓地。
幕末・開国の話にはつきものの、ペリー提督と黒船4隻の日本への大迷惑なアポ無し突撃から時が流れた嘉永7年(1854年)、その時死んだ2人の水兵の埋葬場所として提供されたのがここ、だそうな。
さらに時は流れて明治3年(1870)、在函5ヵ国の領事からの要望で正式に外国人墓地として定められ、道をはさんで山側がロシア人墓地になったとのこと。海側の(つまりこの写真ね)プロテスタント墓地にはイギリス・ドイツ・アメリカ・イタリア人などの墓地がある・・・・・・。 -
柵越しにパシャ。
普段は墓石はネットに上げないことにしてはいるが(写真は撮るが)、この場所があまりにも見晴らしが良く気持ち良さそうだったので。
みんな、海の向こうを向いているんだろう。 -
外国人墓地への道を歩いている最中に見つけたご当地看板がコレだ!!
個人的には今回の函館旅行で見かけたご当地看板&マンホールの中ではコレが一番のヒットだった!!!!
イカがサンバイザーして火箸で空き缶を白いゴミ袋へ入れている・・・・・・・。
あはははははははは!!!!!
かわいいじゃーないか!!!!
激しくはずして持って帰りたかったのは内緒だ。
デザインは誰だろう? -
さて、外人墓地から戻ると称名寺前の道を函館公園方面へ。
教会巡りと行きますか。 -
旧函館区公会堂。
基坂の正面、元町公園の直ぐ上に建つ洋館。明治43年(1910年)建築。
建築翌年には皇太子時代の大正帝が宿舎として使用されたこともあったらしい。
中はハイカラ衣裳館として、レンタルドレスやフロックコートもあるとのこと。
子供用の衣裳もあるみたい。 -
ご当地石畳。
左上に空と海、翼を広げたかもめの下にHAKODATEのロゴ、その下は多分ハリストス正教会。
旅行バッグの形なんだろうなー -
旧函館区公会堂を正面から。
元町公園から撮影したものだが、どっかで見たアングルだなと思ってたらカードの写真だった。
ここから撮ったんだろうな。 -
ご当地マンホール。
モチーフはイカ。
でもかなり磨り減っていると言うか何と言うか・・・・・ -
ハリストス正教会。道路に面した入り口
・・・・・ではあるが、正門?はここでいいのだろうか? -
ハリストス正教会。
チャチャ登りから撮影。
函館・元町を紹介するメディアには大概といっていい位登場する教会。
日本ハリストス正教会所属でギリシャ正教。主の復活聖堂。
ちなみにハリストスとはキリストのギリシャ語読みなんだそうな。
そして、この優美なビザンチン様式のスタイルの教会と鐘楼には大小6つの鐘があり(現在は東京駿河台のニコライ聖堂に移されているとの事)、それがガーンガーンと打ち鳴らされるのでこの美しき白亜の教会の日本での愛称は
「ガンガン寺」
いや、それが悪いとか言うんじゃなくてね、えっと、その・・・・・何と言うか・・・・・・・
その〜・・・・・・ -
「ガンガン寺」ああいやいや函館聖ハリストス正教会を同じくチャチャ登りからカメラを横にして撮影。
しかし、植栽されている木々の樹勢が良すぎて折角の教会の眺めが・・・・・・ -
同じくチャチャ登りから撮影した
聖ヨハネ教会。
日本聖公会 函館聖ヨハネ教会、英国国教会。
この教会、上から見ると十字架の形をしているんだそうな。 -
聖ヨハネ教会を俯瞰で。
ここは拝観禁止だったかな。 -
カトリック元町教会。
ローマ・カトリック教会。教会堂名は無原罪の聖母。
ゴシック様式のこちらの教会は中は拝観可能で、私は元町に来るたび寄らせて頂いております・・・・・・。
個人的には元町の3つの教会の中で、ここが一番落ち着くかな。 -
カトリック元町教会を全景入るように撮影。
しかしこの、景色を横切る電線、本当に何とかならないものか・・・・・ -
函館カール・レイモン
レイモンハウス元町店
http://www.raymon.co.jp/index.html
休みがてら、軽食。
私は函館に来る折は必ず一度はここに寄るのであった。
すこしだけ、函館の偉人の物語に耳を傾けてみないかい?
http://www.raymon.co.jp/carlraymon/index.html
http://www.raymon.co.jp/carlraymon/syougai.html
きっと、函館がすこしだけ余計に好きになるから。 -
さて、食べたらベイエリアへ移動! -
海を遠目に撮ってみる。
道ひろびろ〜 -
港側から。
大小船舶、クルーザー多し。
そういや。
函館山から鳥瞰図を眺めていた時も思ったんだが、
大森浜側は今でも砂浜広々〜だが、こちら側
七重浜方面は100年以上前からの開けっぷり。
なにか地理的、気候的な条件でもあったのだろうか?
何かの理由で港に向いてないとか。 -
函館 西波止場。
1階には「はこだて海鮮市場 西波止場店」
北海道・函館の海産物や酪農品、お土産なども。
営業時間は8:00〜20:30、季節によって変動あり、
だって。
2階は「はこだて海鮮倶楽部」地ビールレストラン。
でも入った事がナイのでコメントなし。
営業時間は11:00〜21:00、同じく季節によって
変動アリ、だって。
しかし閉店時間が9時って・・・・・レストランにしちゃ
早過ぎないか?よく判らんのですが。 -
金森赤レンガ倉庫。
えと、これは金森ヒストリープラザ、でいいのかな?
函館ビヤホール、ミルキッシモ、函館浪漫館
手作り箸工房 遊膳 などはこちら。 -
昔絵本で見た古い街並みにあるお店ってこんな感じ
だったんだろうか?
照明のせいかあったかそうだし。 -
函館ヒストリープラザ。
も少し近づいてみた。 -
えと、これは金森洋物館を手前に函館山方面を。
何気に陽光が・・・・・・・ -
もう一枚。
ちょっと歴史をひもとくと・・・・・
金森倉庫群のはじまりは、初代の渡邉熊四郎が最初の事業、金森洋物店を開業したところから始まるんだそうな。
時は明治2年(1869年)、ちょうど戊辰戦争最後の戦、箱館戦争が終結した年のこと。
彼が倉庫事業に乗り出したのはそれから18年ほど経った、明治20年。
赤レンガの外にある「森」の一文字は、
洋物店の屋号の森屋からきているんだろうな〜
森の字のデザインロゴは、屋号の森屋の商標なんだって。 -
さて。
初代・渡邉熊四郎が日本郵船会社発足後、共同運輸会社の倉庫建物、地所を買い取って倉庫事業をはじめたのが金森赤煉瓦倉庫の事始め。
初期の頃は 預かり荷物<倉庫 だったが数年も経つ頃には逆転、預かり荷物>倉庫 の大繁盛に。そして周囲の土地を買い増しして事業拡張。
途中函館大火(またかい!!)に遭い、6棟を類焼する大惨事にあったりもするが、その後はまあ復興も早く、利益も順調に。
ただ、それも昭和初期に入ると・・・・・ -
輸送形態が変わったり、北洋漁業の縮小などで栄枯盛衰、盛者必衰のことわざどおりの展開を辿り、かつての倉庫業もかつての面影はなく・・・・・・
いや、かつて倉庫業として栄えた面影はないが、今ある面影は映画やテレビ、CMなどに使用される観光名所としての顔。
まあ、横浜赤レンガパークと同じ道ですわなぁ・・・・・。
昭和63年4月には「金森赤煉瓦倉庫」は、「金森赤レンガ倉庫」に。
かつて倉庫内にあったのは荷物だが、今あるのはレストランだの函館名産品だの地元の工芸品だの、そんなところでしょうかね?
あ、最後になりましたが(笑)この写真は「BAYはこだて」。 -
では函館その6の最後はBAYはこだての運河でも眺めますかな。
これは明治15年頃に築造されたBAYはこだての運河。
この倉庫は他の赤レンガ倉庫群とはすこし毛色が違っていて、カフェやお店の他に、運河だの、結婚式が挙げられるチャペルまであるんだそうな。
運河は直ぐ判るが、チャペルってそれらしいのには気づかなかったが・・・・・どこにあるんだろう?
チャペルはどこじゃと写真を眺めて首をひねりつつ、〆。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ゆういちろうさん 2009/11/07 10:37:20
- 魚見坂とぬこ
- 草廬の隠者さん 、こんにちは〜。
魚見坂付近ってぬこがやたらといませんでしたか?
崖の下に港があるからなのかな???
ぬこにもよるのかも知れませんが、人懐っこい子が多かったような・・・。
それと、ハイカラ号に乗られたんですねぇ。うらやましい・・・。
内部とその乗員もレトロで素敵です。
upして下さってありがとうございます。
先日の函館旅行で初めてその姿を見れて、とても嬉しかったのですが
次回は是非乗ってみたいな〜。
当たり前のことですが、やはりお天気の函館の方が
建物や景色は美しいですね。これまた羨ましく思います。
ゆういちろう
- 草廬の隠者さん からの返信 2009/11/07 16:49:29
- RE: 魚見坂とぬこ
- ゆういちろう様
こんにちは〜。当旅行記へのお越しありがとうございます。
> 魚見坂付近ってぬこがやたらといませんでしたか?
> 崖の下に港があるからなのかな???
> ぬこにもよるのかも知れませんが、人懐っこい子が多かったような・・・。
ぬこ多かったですよ〜!あの写真は確か高龍寺、山背泊台場跡あたり
まで魚見坂を登った所だったと思いますが6〜7匹くらいはいたよう
な・・・・・。
いえ、私もぬこ好きなんで1、2匹見つけた時つい足を止めてカメラを
と思ったらあっちの隅、こっちの陰に何匹も(笑)。
ですが流石に近付き過ぎると逃げられます・・・・・。
> それと、ハイカラ号に乗られたんですねぇ。うらやましい・・・。
> 内部とその乗員もレトロで素敵です。
> upして下さってありがとうございます。
> 先日の函館旅行で初めてその姿を見れて、とても嬉しかったのですが
> 次回は是非乗ってみたいな〜。
箱館ハイカラ號は函館駅前に行ったら偶然居ました。
慌てて飛び乗ったんですが、車内を眺めていたらやっぱレトロで素敵で
絶対に乗客が居なくなったら車内&乗務員氏撮ってやる!と最後まで
待って写真をお願いしました。
運行時刻表が出ているらしいので、次回函館へ行かれた時には調べて
是非乗ってくださいね!
> 当たり前のことですが、やはりお天気の函館の方が
> 建物や景色は美しいですね。これまた羨ましく思います。
北海道の空の蒼さはちょっとした驚きでした。これがあるから旅は
楽しいのですよね。
宜しかったらまたいらしてみて下さいね。
草廬の隠者
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