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 江戸時代以前であれば、お墓に鳥居があってもおかしくない。しかし、明治維新の神仏分離令で特別な場所を除いてお墓から鳥居は取り払われた。特別な場所とは、宮内省(現在は宮内庁)管轄の陵墓、高野山の墓地などである。しかし、辺鄙な田舎や人がめったに行かない、忘れ去られたような場所にはお墓の前に鳥居が立っている。<br /> 初めてお墓の前に鳥居を見たのは、明日香や奈良、大阪の古墳巡りをしてである。天皇陵には石の鳥居があってそこから拝むものだというのが身に付いてしまっていた。そんな訳であるから、地元の古老に天智天皇陵への道を聞いた時に、「鳥居があって。」と私が言うと、「鳥居はなかったな。」「え、鳥居がないんですか?天皇陵には鳥居があるはずなんですけど。今までに沢山の天皇陵を見てきましたけど鳥居がない天皇陵なんてありませんでしたよ。」何だかんだ質問していたら、もう一人の古老から、「道を聞いておいて何だ。」と怒鳴られた。気が短いだけではなく、子供の頃から何度も行っている近くの天皇陵さえほとんど覚えていない記憶力の持ち主もいるものだ。あるいはもうボケてしまったか。古墳巡りの頃はカメラ(デジカメではない、フィルムカメラ)を持ち歩いていなかったので写真はない。デジカメを持ち歩くようになったのは2003年以降である。<br /> 次、山形市郊外の寺のお堂の前に鳥居があって驚いた。こんな山の中では明治維新政府の目も届かななかったのかと思った。<br /> さらに、高野山で大名のお墓の前に鳥居が立っているのを見た。高野山は歴史ある聖地であり、明治維新でも鳥居は撤去されなかった。<br /> とうとう、鎌倉で毛利季光(長州毛利氏の祖、大江広元の4男)、大江広元、島津忠久(薩摩島津氏の祖、源頼朝の庶子とされる)の3氏の墓が並び、平行する2本の参道のうち、広元の参道前に鳥居が立っているのを見つけました。法華堂跡(源頼朝墓)に隣接する山の麓です。鳥居は残るはずです。薩長中心の明治政府では長州毛利氏や薩摩島津氏の先祖のお墓を荒らすことなどできません。この墓は江戸時代10代将軍徳川家治の頃(安永8年(1779年))にその子孫の島津重豪(しげひで)によって建立されたものです。大江広元と島津忠久は鎌倉幕府草創期に頼朝を共に支えたことでお互いに同士意識があり、並んで墓が造られたようです。そのときに大江広元の4男毛利季光(長州毛利氏の祖)の墓も広元の墓の横に造られました。並んだこの墓を見ると江戸中期には毛利家と島津家は仲が良いことが伺えます。幕末に不仲になっても最後は薩長同盟を結べた理由が垣間見られます。なお、法華堂跡の石碑によれば丘にある源頼朝の墓(五輪塔)も安永8年に島津重豪が建立したものです。また、源頼朝の墓横の石碑によれば忠久公墓所までの参道も安永8年に重豪が整備したとあります。さらに、島津忠久の墓前にも碑があります、わざわざ丘の上と下と墓前に3つも石碑を建てる重豪はよほど自分の名を残し、功績を誇りたいのか。これらの土地およそ9,9000m2が平成14年に島津家当主修久氏と毛利家当主元敬氏から鎌倉市に寄付されました。毛利氏に「元」の字は入るのは広元の元をもらったのでしょう。ちなみに、嫡子は輝元のように後に、次男以降は元就のように前に、それぞれ「元」を付けます。<br /> 最後は富山県高岡市にある前田家2代利長公のお墓です。墓前の立派な鳥居を見てももう驚かなくなっていました。ちなみに、高野山にも利長公のお墓があり、墓前には鳥居が立っていました。<br /> 余談になるが、山科陵に行ったときに天智天皇陵の墳丘の大きさが気になった。詰め所の職員にWebで調べてもらったが見つからない。困っていたら詰め所の職員が、「直ぐですから測って来ます。」と言って巻尺を持って出て行った。10分もしないうちに戻ってきて測定結果を教えてくれた。天皇陵の墳丘の径や幅、高さを測定するのは大変なんだろうと思っていたが、実際には簡単だそうだ。宮内庁の職員は親切であるから、無理かなと思えるようなことでもお願いすると意外とやってくれるものだ。認識を改めよう。<br /><br />

お墓に鳥居

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2009/10 - 2009/10

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 江戸時代以前であれば、お墓に鳥居があってもおかしくない。しかし、明治維新の神仏分離令で特別な場所を除いてお墓から鳥居は取り払われた。特別な場所とは、宮内省(現在は宮内庁)管轄の陵墓、高野山の墓地などである。しかし、辺鄙な田舎や人がめったに行かない、忘れ去られたような場所にはお墓の前に鳥居が立っている。
 初めてお墓の前に鳥居を見たのは、明日香や奈良、大阪の古墳巡りをしてである。天皇陵には石の鳥居があってそこから拝むものだというのが身に付いてしまっていた。そんな訳であるから、地元の古老に天智天皇陵への道を聞いた時に、「鳥居があって。」と私が言うと、「鳥居はなかったな。」「え、鳥居がないんですか?天皇陵には鳥居があるはずなんですけど。今までに沢山の天皇陵を見てきましたけど鳥居がない天皇陵なんてありませんでしたよ。」何だかんだ質問していたら、もう一人の古老から、「道を聞いておいて何だ。」と怒鳴られた。気が短いだけではなく、子供の頃から何度も行っている近くの天皇陵さえほとんど覚えていない記憶力の持ち主もいるものだ。あるいはもうボケてしまったか。古墳巡りの頃はカメラ(デジカメではない、フィルムカメラ)を持ち歩いていなかったので写真はない。デジカメを持ち歩くようになったのは2003年以降である。
 次、山形市郊外の寺のお堂の前に鳥居があって驚いた。こんな山の中では明治維新政府の目も届かななかったのかと思った。
 さらに、高野山で大名のお墓の前に鳥居が立っているのを見た。高野山は歴史ある聖地であり、明治維新でも鳥居は撤去されなかった。
 とうとう、鎌倉で毛利季光(長州毛利氏の祖、大江広元の4男)、大江広元、島津忠久(薩摩島津氏の祖、源頼朝の庶子とされる)の3氏の墓が並び、平行する2本の参道のうち、広元の参道前に鳥居が立っているのを見つけました。法華堂跡(源頼朝墓)に隣接する山の麓です。鳥居は残るはずです。薩長中心の明治政府では長州毛利氏や薩摩島津氏の先祖のお墓を荒らすことなどできません。この墓は江戸時代10代将軍徳川家治の頃(安永8年(1779年))にその子孫の島津重豪(しげひで)によって建立されたものです。大江広元と島津忠久は鎌倉幕府草創期に頼朝を共に支えたことでお互いに同士意識があり、並んで墓が造られたようです。そのときに大江広元の4男毛利季光(長州毛利氏の祖)の墓も広元の墓の横に造られました。並んだこの墓を見ると江戸中期には毛利家と島津家は仲が良いことが伺えます。幕末に不仲になっても最後は薩長同盟を結べた理由が垣間見られます。なお、法華堂跡の石碑によれば丘にある源頼朝の墓(五輪塔)も安永8年に島津重豪が建立したものです。また、源頼朝の墓横の石碑によれば忠久公墓所までの参道も安永8年に重豪が整備したとあります。さらに、島津忠久の墓前にも碑があります、わざわざ丘の上と下と墓前に3つも石碑を建てる重豪はよほど自分の名を残し、功績を誇りたいのか。これらの土地およそ9,9000m2が平成14年に島津家当主修久氏と毛利家当主元敬氏から鎌倉市に寄付されました。毛利氏に「元」の字は入るのは広元の元をもらったのでしょう。ちなみに、嫡子は輝元のように後に、次男以降は元就のように前に、それぞれ「元」を付けます。
 最後は富山県高岡市にある前田家2代利長公のお墓です。墓前の立派な鳥居を見てももう驚かなくなっていました。ちなみに、高野山にも利長公のお墓があり、墓前には鳥居が立っていました。
 余談になるが、山科陵に行ったときに天智天皇陵の墳丘の大きさが気になった。詰め所の職員にWebで調べてもらったが見つからない。困っていたら詰め所の職員が、「直ぐですから測って来ます。」と言って巻尺を持って出て行った。10分もしないうちに戻ってきて測定結果を教えてくれた。天皇陵の墳丘の径や幅、高さを測定するのは大変なんだろうと思っていたが、実際には簡単だそうだ。宮内庁の職員は親切であるから、無理かなと思えるようなことでもお願いすると意外とやってくれるものだ。認識を改めよう。

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  • 山科陵(天智天皇陵)

    山科陵(天智天皇陵)

  • 石行寺(山形市郊外)観音堂入り口。「十一面観世音菩薩」の石碑の後に鳥居がある。

    石行寺(山形市郊外)観音堂入り口。「十一面観世音菩薩」の石碑の後に鳥居がある。

  • 毛利季光の墓

    毛利季光の墓

  • 大江広元の墓

    大江広元の墓

  • 島津忠久の墓

    島津忠久の墓

  • 参道前の鳥居と参道と小さく見える広元の墓。この鳥居は古く、石の表面がザラザラで文字が見えない。ちなみに、頼朝墓前の石段途中にも鳥居が見えるがこれは昭和39年に建立された新しいものである。明治維新後から関東大震災まで、頼朝墓前に鳥居があったかは不明である。

    参道前の鳥居と参道と小さく見える広元の墓。この鳥居は古く、石の表面がザラザラで文字が見えない。ちなみに、頼朝墓前の石段途中にも鳥居が見えるがこれは昭和39年に建立された新しいものである。明治維新後から関東大震災まで、頼朝墓前に鳥居があったかは不明である。

  • 鳥居の横のやぐらには三浦泰村の墓が。

    鳥居の横のやぐらには三浦泰村の墓が。

  • 高岡前田利長公墓所

    高岡前田利長公墓所

  • 高野山前田利長公墓

    高野山前田利長公墓

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