2008/12/07 - 2008/12/07
2617位(同エリア16425件中)
wiz さん
12月7日(日)
今日は、第1日曜日で、美術館は入館無料のところが多い。
そのため、今日は、美術館巡りの日と決めていました。
結局、5つの美術館・博物館を巡ったうち、
2番目に入ったのが、 「 オルセー美術館 」 (再訪) でした。
2006年にも 「 オルセー美術館 」 の旅行記を作成していますが、
今回の旅では、シスレーやピサロ、モネの描いた地を実際に訪問したので、
(12/2トゥルーヴィル,12/3モレ,12/4ルヴシエンヌ/ポール・マルリ,12/5ルーアン)
シスレー、ピサロ、モネの絵画には、前回訪問時以上に注目し見学しました。
また、同じく2006年に ギュスターヴ・モロー美術館 を訪問し、
彼の絵画に魅せられたので、今回のオルセーではモローにも注目しました。
Musee d’Orsay
http://www.musee-orsay.fr/
( 参 考 )
ギュスターヴ・モロー ( 1826 - 1898 ) :
09?22 (計14)
クロード・モネ ( 1840 - 1926 ) :
28?32、36、55?57、69?74//121?136、154、157?175 (計51)
アルフレッド・シスレー ( 1839 - 1899 ) :
33?35、37?38、42?45、63?68//96?97、139?151、154?155 (計32)
カミーユ・ピサロ ( 1830 - 1903 ) :
39?41、46?54、58?62//94?95、153?154、156、176?184 (計31)
- 旅行の満足度
- 4.5
PR
-
11時52分。
第一日曜日、
美術館・博物館のほとんどが入館無料ということで、
朝一で、クリュニー中世美術館を見学しました。
クリュニーを見学後、クリュニー裏の通り(エコール通り)から、
63番のバスに乗って、オルセー美術館裏(サン・ジェルマン大通り)
の 「 ソルフェリーノ Solferino 」 のバス停で下車しました。
63番のバスは、5〜6区間で一方通行の道が多いのですが
(西向き走行は)途中、サン・シュルピス教会脇の道を走ってきました。
今回は、1週間のナヴィゴ(ZONE1-5)を持っていたので、
交通機関は全部このカードをかざすだけなので大いに利用しました。 -
オルセー美術館に到着 !
第一日曜日、入館無料日、ということで、
もちろん行列に並んで、約40分待ちで入館できました !オルセー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
12時37分。
約40分待ちで入館。 入って、1枚目に撮った写真です ! -
入った時間を記録するためにも1枚 !
さあ、さっそく、下階から見学していきます ! -
01
オーギュスト・クレサンジェ 1847年
「蛇に噛まれた女」
Femme piquee par un serpent -
02
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル 1856年
「泉」
La Source -
03
ジャン・レオン・ジェローム 1846年
「闘鶏」
Jeunes Grecs faisant battre des coqs -
04
テオドール・シャセリオー 1853年
「テピダリウム、ポンペイの女性たちが浴室から出て休息し、体を乾かした部屋」
Le Tepidarium,
"salle ou les femmes de Pompei venaient se reposer et se secher en sortant du bain" -
05
Alexandre Schoenewerk
「Jeune Tarentine」 en 1871 -
06
アントナン・メルシエ 1872年頃
「ダヴィデ」
David -
07
ピエール・ピュビス・ド・シャヴァンヌ 1879年頃
「海辺の娘たち」
Jeunes filles au bord de la mer -
08
ピエール・ピュビス・ド・シャヴァンヌ 1883年
「夢」
Le reve -
09
ギュスターヴ・モロー 1865年 (39歳頃)
「イアソンとメディア」
Jason et Medee
黄金の羊毛を求めて海を渡ってきた若者イアソンに恋い焦がれ、
魔法の薬を使って彼を助けるコルキスの王女メディア。
やがて、メディアはイアソンの変節を知って嫉妬に燃え、
彼との間にできた二人の子供まで殺害する・・。 -
10
ギュスターヴ・モロー 1865年 (39歳頃)
「イアソンとメディア」
Jason et Medee -
11
ギュスターヴ・モロー 1865年 (39歳頃)
「イアソンとメディア」
Jason et Medee -
12
ギュスターヴ・モロー 1891年 (65歳頃)
「ヘシオドスとミューズ」
Hesiode et la Muse -
13
ギュスターヴ・モロー 1891年 (65歳頃)
「ヘシオドスとミューズ」
Hesiode et la Muse -
14
ギュスターヴ・モロー 1891年 (65歳頃)
「ヘシオドスとミューズ」
Hesiode et la Muse -
15
ギュスターヴ・モロー 1891年 (65歳頃)
「ヘシオドスとミューズ」
Hesiode et la Muse -
16
ギュスターヴ・モロー 1865年 (39歳頃)
「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」
Orphee
ギリシア神話のオルフェウスは、
その声をきくと猛獣さえもおとなしくなるという吟遊詩人。
黄泉の国まで行き、最愛の妻を連れ去ろうとしたが、
振り向いてはならないという言いつけを破ったため、
彼女を生き返らせることができなかった。
これを悲しんだオルフェウスは歌うことをやめてしまい、
ディオニソスを狂信する女たちによって八つ裂きにされてしまう。
竪琴とともに川に投げ込まれた首は、
せせらぎに鳴る竪琴の音にあわせ、詩を口づさんだという・・。 -
17
ギュスターヴ・モロー 1865年 (39歳頃)
「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」
Orphee -
18
ギュスターヴ・モロー 1865年 (39歳頃)
「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」
Orphee
モローが描くこの場面は、
ヘブロス河の水に運ばれトラキアの岸辺に流れついた
オルフェウスの首を、一人の若い娘が拾い上げているところ。
竪琴に載せたオルフェウスの首をみつめる娘の表情は、
魂を吸い取られたかのように恍惚としている・・。 -
19
ギュスターヴ・モロー 1865年 (39歳頃)
「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」
Orphee -
20
ギュスターヴ・モロー 1869年頃 (43歳頃)
「エウロパ(エウロペ)の誘拐」
L'enlevement d'Europe -
21
ギュスターヴ・モロー 1869年頃 (43歳頃)
「エウロパ(エウロペ)の誘拐」
L'enlevement d'Europe -
22
ギュスターヴ・モロー 1869年頃 (43歳頃)
「エウロパ(エウロペ)の誘拐」
L'enlevement d'Europe
モローの 「 ガラテア Galatee, vers 1880 」は、出張中だったようです。
残念 ! -
23
ジャン・バティスト・カルポー 1872年
「天球を支える世界の四方位」
Les Quatre Parties du monde soutenant la sphere celeste -
24
ジャン・バティスト・カルポー 1865-69年
「ダンス」
La Danse
シャルル・ガルニエの発注によるオペラ座ファサード装飾
(パリ・オペラ座に飾られているのは複製) -
25
「パリ・オペラ座界隈の街並みの再元コーナー」 -
26
ジャン・バティスト・カルポー 1872年
「天球を支える世界の四方位」
Les Quatre Parties du monde soutenant la sphere celeste -
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ジャン・バティスト・カルポー 1872年
「天球を支える世界の四方位」
Les Quatre Parties du monde soutenant la sphere celeste -
28
クロード・モネ 1870年 (30歳頃)
「トゥルーヴィルのロッシュ・ノワール」
Hotel des Roches Noires, Trouville -
29
クロード・モネ 1870年 (30歳頃)
「トゥルーヴィルのロッシュ・ノワール」
Hotel des Roches Noires, Trouville -
30
クロード・モネ 1868-69年 (28-29歳頃)
「かささぎ」
La pie -
31
クロード・モネ 1868-69年 (28-29歳頃)
「かささぎ」
La pie -
32
クロード・モネ 1866年頃 (26歳頃)
「庭の女たち」
Femmes au jardin -
33
アルフレッド・シスレー 1878年 (39歳頃)
「小川のほとりの休息、森の外れ」
Le repos au bord du ruisseau. Lisiere de bois -
34
アルフレッド・シスレー 1875年 (36歳頃)
「マルリー・ル・ロワの鍛冶場」
La forge a Marly-le-Roi -
35
アルフレッド・シスレー 1872年 (33歳頃)
「サン・マルタン運河」
Le canal Saint Martin -
36
クロード・モネ 1879年 (39歳頃)
「ヴェトゥイユの風景」
Paysage. Vetheuil -
37
アルフレッド・シスレー 1875年 (36歳頃)
「マルリー・ル・ロワの雪」
La neige a Marly-le-Roi
シスレーの熟達した雪景色の描写は、
1873年から74年と、1874年から75年にかけての2回の冬の厳しさが促したものだった。 -
38
アルフレッド・シスレー 1873年 (34歳頃)
「ブージヴァルの水門の船」
Bateaux a l'ecluse de Bougival -
39
カミーユ・ピサロ 1870年 (40歳頃)
「ルヴシエンヌの乗合馬車」
Diligence a Louveciennes -
40
カミーユ・ピサロ 1870年 (40歳頃)
「ルヴシエンヌの乗合馬車」
Diligence a Louveciennes -
41
カミーユ・ピサロ 1872年 (42歳頃)
「ポントワーズの裁判所」
Le palais de Justice, Pontoise -
42
アルフレッド・シスレー 1872年 (33歳頃)
「アルジャントゥイユの歩道橋」
Passerelle d'Argenteuil -
43
アルフレッド・シスレー 1872年 (33歳頃)
「アルジャントゥイユの歩道橋」
Passerelle d'Argenteuil -
44
アルフレッド・シスレー 1872年 (33歳頃)
「アルジャントゥイユのショーセ通り」
Rue de la Chaussee a Argenteuil
シスレーの親しい友人でもあったモネが、
セーヌ川の北岸にあるアルジャントゥイユの村に移ったのは1871年12月。
シスレーはアルジャントゥイユにモネをたびたび訪れ、作品を描いた。 -
45
アルフレッド・シスレー 1872年 (33歳頃)
「アルジャントゥイユのショーセ通り」
Rue de la Chaussee a Argenteuil -
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46
カミーユ・ピサロ 1902年 (72歳頃)
「ディエップのデュクヌ・バサン(係船池)、引き潮、太陽、朝」
Dieppe, bassin Duquesne. Maree basse, soleil, matin -
47
カミーユ・ピサロ
上: 「エラニーの風景」 1897年 (67歳頃)
Paysage a Eragny
下: 「ぶどう園の女、エラニー草原の春の陽」 1887年 (57歳頃)
Femme dans un clos, soleil de printemps dans le pre a Eragny
印象派の画家たちから兄のように慕われていたピサロは、
パリ北西部の田園地帯ポントワーズに17年間暮らし、農村風景を描いた。
そして1884年、さらに北西に位置するエラニー・シュル・エプトへ移住。
エラニーは晩年のピサロに、創作意欲を与え続けた土地だった。 -
48
カミーユ・ピサロ 1900年 (70歳頃)
「バザンクールの洗濯場」
Le lavoir de Bazincourt -
49
カミーユ・ピサロ
上: 「クノック(ベルギー)の教会」 1894年 (64歳頃)
Eglise de Knocke
下: 「朝の陽、秋」 1897年 (67歳頃)
Soleil du matin, automne -
50
カミーユ・ピサロ 1902年 (72歳頃)
「モレのロワン運河」
Moret, le canal du Loing -
51
カミーユ・ピサロ 1902年 (72歳頃)
「モレのロワン運河」
Moret, le canal du Loing
モレ・シュル・ロワンは、パリの南東60キロほどにある村。
中世の面影を残す街並みは、
とりわけ印象派の画家シスレーが愛し晩年を過ごした地としても知られる。 -
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52
カミーユ・ピサロ 1880年 (50歳頃)
「シャポンヴァルの風景」
Paysage a Chaponval -
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カミーユ・ピサロ 1879年 (49歳頃)
「エルミタージュの菜園、ポントワーズ」
Jardin potager a l'Hermitage, Pontoise -
下階の、モネ、シスレー、ピサロのお部屋。
これから行く上階のお部屋よりもゆったりと見れて良いです ! -
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カミーユ・ピサロ 1870年 (40歳頃)
「小屋、ローズ色の家」
Le chalet, la Maison Rose -
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クロード・モネ 1883年 (43歳頃)
「エトルタ : 浜とポルト・ダモン」
Etretat : la plage et la porte d'Amont -
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クロード・モネ 1883年 (43歳頃)
「エトルタ : 浜とポルト・ダモン」
Etretat : la plage et la porte d'Amont
エトルタは、
モネが少年時代を過ごしたル・アーヴルから北東へ約20km離れた英仏海峡に面した村。
険しく切り立った断崖や波に削られてできた奇岩など、
さまざまな景勝を有するエトルタは、モネ以前にも多くの芸術家を魅了し、
ドラクロワやクールベ、ブーダンらもこの地を主題に絵を描いている。
モネは1883年1月から2月にかけて3週間エトルタに滞在し20点近い作品を制作。
その後も86年まで毎年この地を訪れ、合わせて60点あまりの作品を残した。 -
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57
クロード・モネ 1872年 (32歳頃)
「ロベックの小川」
Le ruisseau de Robec -
58
カミーユ・ピサロ 1870年 (40歳頃)
「ルヴシエンヌの冬景色」
Paysage d'hiver a Louveciennes -
59
カミーユ・ピサロ 1870年 (40歳頃)
「ルヴシエンヌの冬景色」
Paysage d'hiver a Louveciennes -
60
カミーユ・ピサロ
「ル・ヴェジネの丘陵」 1871年 (41歳頃)
Les coteaux du Vesinet
下: 「ルヴシエンヌの冬景色」 1870年 (40歳頃)
Paysage d'hiver a Louveciennes -
61
カミーユ・ピサロ 1870年 (40歳頃)
「ルヴシエンヌの道」
La route de Louveciennes -
62
カミーユ・ピサロ 1878年 (48歳頃)
「ポントワーズ近くのオワーズ川のほとり、曇天」
Bords de l'Oise, pres de Pontoise, temps gris -
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アルフレッド・シスレー 1873年頃 (34歳頃)
「ルーヴシエンヌ、ラ・ミ・コトの小道」
Louveciennes. Sentier de la Mi-cote
丘の斜面にあるラ・ミ・コトの小道は、
ルヴシエンヌとマルリをつなぐセーヌ流域の丘陵にある険しい道。
丘の多いルヴシエンヌの地形とその近隣は、
前景から背景への急激な移り変わり、庭や木で彩られた
ゆるやかな傾斜と直角に交差する小道や路地を、シスレーに提供した。 -
64
アルフレッド・シスレー 1873年頃 (34歳頃)
「ルーヴシエンヌ、ラ・ミ・コトの小道」
Louveciennes. Sentier de la Mi-cote
☆ここは現地訪問しましたが、ほんとうに傾斜のある険しい坂道でした ! -
65
アルフレッド・シスレー 1873年 (34歳頃)
「グランド・ジャット島」
L'ile de la Grande Jatte -
66
アルフレッド・シスレー 1873年 (34歳頃)
「グランド・ジャット島」
L'ile de la Grande Jatte -
右端の、シスレー 「ヴォワザンの霧」 が、とても素敵です。
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67
アルフレッド・シスレー 1874年 (35歳頃)
「霧、ヴォワザン」
Le brouillard, Voisins -
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アルフレッド・シスレー 1874年 (35歳頃)
「霧、ヴォワザン」
Le brouillard, Voisins
シスレーは、1839年、パリに住むイギリス人の貿易商の家に生まれる。
18歳の時、実業家をめざして修業のためロンドンに渡るが、
もっぱら美術館に通い、ターナーやコンスタブルの作品に関心をもつ。
パリに戻ったシスレーは、グレールのアトリエに入り本格的に絵を学ぶ。
そして、そのグレールのアトリエで、モネ、バジール、ルノワールを知り、
一緒にフォンテーヌブローの森で戸外制作に取り組む。
その後、ブージヴァルにほど近いヴォワザン村(ルヴシエンヌ)や
マルリ・ル・ロワに住み、セーヌ河畔や、界隈の風景を盛んに描いた。 -
69
クロード・モネ 1872年 (32歳頃)
「キャリエール・サン・ドニ (現キャリエール・シュル・セーヌ)」
Carrieres-Saint-Denis -
70
クロード・モネ 1873-74年 (33-34歳頃)
「アルジャントゥイユの鉄道橋」
Le pont du chemin de fer a Argenteuil -
71
クロード・モネ 1873-74年 (33-34歳頃)
「アルジャントゥイユの鉄道橋」
Le pont du chemin de fer a Argenteuil
1時間に約1本、週末にはもっと多く走っていたというこの鉄道は、
1860年代にアルジャントゥイユなどパリ郊外のセーヌ河畔へ、
都会の喧騒を離れて週末を自然の中で楽しみたい人たちを運んでいた。 -
72
クロード・モネ 1868-69年 (28-29歳頃)
「エトルタの荒海」
Grosse mer a Etretat -
73
クロード・モネ 1873年 (33歳頃)
「ひなげし」
Coquelicots
2組の母子がひなげしの丘を下りてくる様子が描かれ、
モデルはどちらも、妻カミーユと長男ジャンだと言われている。 -
74
クロード・モネ 1873年 (33歳頃)
「ひなげし」
Coquelicots -
75
エドゥアール・マネ 1868-69年
「バルコニー」
Le balcon -
76
エドゥアール・マネ 1866年
「笛を吹く少年」
Le fifre -
77
ギュスターヴ・クールベ 1870年
「エトルタの断崖、雷雨の後」
La falaise d'Etretat apres l'orage -
78
アントワーヌ・ブールデル 1909年
「ステュムパリデスの怪鳥退治(ヘーラクレースの十二の功業の一つ)」
Herakles tue les oiseaux du lac Stymphale -
79
アントワーヌ・ブールデル 1909年
「ステュムパリデスの怪鳥退治(ヘーラクレースの十二の功業の一つ)」
Herakles tue les oiseaux du lac Stymphale -
80
アントワーヌ・ブールデル 1909年
「ステュムパリデスの怪鳥退治(ヘーラクレースの十二の功業の一つ)」
Herakles tue les oiseaux du lac Stymphale -
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81
オーギュスト・ロダン 1880-1917年
「地獄の門」
Porte de l'Enfer -
82
オーギュスト・ロダン 1880-1917年
「地獄の門」
Porte de l'Enfer -
83
アンリ・ヴァン・ド・ヴェルデ 1898-99年
「両袖机」 -
84
ルイ・マジョレル 1903-05年
「事務机(蘭)」 -
セーヌ対岸の、ルーヴル美術館 !
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アール・ヌーヴォーのお部屋からは窓の外の景色が眺められます !
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85
エミール・アンドレ、ウジェーヌ・ヴァラン、ジャック・グル―バー
「スイングドア」 1901年 -
86
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87
ウージェーヌ・ヴァラン 1900年
「寝室の家具:ベッド」 -
88
ルイ・マジョレル 1905年
「睡蓮模様のベッド」 -
89
ヴィクトール・オルタ 1902-04年
「オーベック邸の造作と家具」 -
90
フェルナン・クノップフの作品 1898年
「香り」
L'Encens -
91
エドワード・バーン・ジョーンズ 1875-83年
「運命の女神の車輪」
La Roue de la Fortune -
92
グスタフ・クリムト 1905年頃 (43歳頃)
「樹下の薔薇」
Rosiers sous les arbres
クリムトは、ウィーンのベルヴェデーレでの特別展に貸し出し中。
でも、私は、これからウィーンに行って見るので、問題なし ! -
-
93
ピエール・オーギュスト・ルノワール
左: 「田舎のダンス」 1883年
Danse a la campagne
右: 「都会のダンス」 1883年
Danse a la ville -
94
カミーユ・ピサロ 1879年 (49歳頃)
「ルヴシエンヌの栗林」
Chataigniers a Louveciennes -
95
カミーユ・ピサロ 1872年 (42歳頃)
「ルヴシエンヌの道」
La route de Louveciennes
ピサロは、1869年の前半にルヴシエンヌに引っ越した。
この転居によって、同地で制作していたモネやシスレーと親しくなれた。
1899年、彼はシスレーについてこう書いている。
「彼はすばらしい、偉大な芸術家だ。
私の考えでは、最も偉大な芸術家に匹敵する巨匠だと思う。」 -
96
アルフレッド・シスレー 1870年 (31歳頃)
「サン・マルタン運河の眺め」
Vue du canal Saint-Martin -
97
アルフレッド・シスレー 1870年 (31歳頃)
「サン・マルタン運河の眺め」
Vue du canal Saint-Martin -
まだまだ、外には、人が並んでいます !
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98
オディロン・ルドン 1895-1900年
「カリバンの眠り」
Sommeil de Caliban -
99
ポール・ゴーギャン 1890-91年
「黄色いキリストのある自画像」
Portrait de l'artiste au Christ jaune -
100
ポール・ゴーギャン 1889年
「美しきアンジェール」
La belle Angele -
101
ポール・ゴーギャン 1888年
「アリスカン」
Les Alyscamps -
102
ポール・ゴーギャン 1897年
「ヴァイルマティ」
Vairumati -
103
ポール・ゴーギャン 1892年
「アレアレア」
Arearea -
104
ポール・ゴーギャン 1891年
「タヒチの女たち」
Femmes de Tahiti -
105
ジョルジュ・スーラ 1891年
「サーカス」
Le cirque -
セザンヌのお部屋。
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ゴッホのお部屋。
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106
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1889年
「アルルの寝室」
La chambre de Van Gogh a Arles -
107
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1889年
「アルルの寝室」
La chambre de Van Gogh a Arles -
108
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1889年
「アルルの寝室」
La chambre de Van Gogh a Arles -
109
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1889-90年
「午睡」 または 「昼寝」 (ミレーの絵を基に)
La meridienne -
110
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年
「医師ポール・ガシェの肖像」
Le docteur Paul Gachet -
111
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年
「医師ポール・ガシェの肖像」
Le docteur Paul Gachet -
112
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年
「オーヴェール・シュル・オワーズの教会、後陣の眺め」
L'eglise d'Auvers-sur-Oise, vue du chevet -
ゴッホのお部屋は、とにかく混んでいます !
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113
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年
「オーヴェール・シュル・オワーズ、コードヴィルのわらぶきの家」
Chaumes de Cordeville a Auvers-sur-Oise -
114
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1889年
「自画像」
Portrait de l'artiste -
115
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年
「二人の少女」
Deux fillettes -
116
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年
「バラとアネモネ」
Roses et anemones -
117
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1887年
「イタリア女」
L'Italienne -
118
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年
「オーヴェール・シュル・オワーズ、庭にいるガシェ嬢」
Mademoiselle Gachet dans son jardin a Auvers-sur-Oise -
119
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1890年
「医師ポール・ガシェの庭の中で」
Dans le jardin du docteur Paul Gachet -
120
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1884年
「オランダの農民(の頭部)」
Tete de paysanne hollandaise -
121
クロード・モネ 1891年 (51歳頃)
「エプト川のポプラ並木、風の日」
Effet de vent, serie des peupliers -
122
クロード・モネ 1893年 (53歳頃)
「ルーアン大聖堂、扉口とサン・ロマン塔、朝の効果」 (白のハーモニー)
La cathedrale de Rouen. Le portail et la tour Saint-Romain, effet du matin
Harmonie blanche -
123
クロード・モネ 1893年 (53歳頃)
「ルーアン大聖堂、扉口、朝陽」 (青のハーモニー)
La cathedrale de Rouen. Le portail, soleil matinal
Harmonie bleue -
124
クロード・モネ 1893年 (53歳頃)
「ルーアン大聖堂、扉口とサン・ロマン塔、明るい陽光」 (青と金のハーモニー)
La cathedrale de Rouen. Le portail et la tour Saint-Romain, plein soleil
Harmonie bleue et or -
125
クロード・モネ 1892年 (52歳頃)
「ルーアン大聖堂、正面から見た扉口」 (茶色のハーモニー)
La cathedrale de Rouen. Le portail vu de face
Harmonie brune -
126
クロード・モネ 1891年 (51歳頃)
「積みわら、夏のおわり」
Meules, fin de l'ete -
127
クロード・モネ 1880年 (40歳頃)
「霧氷」
Le givre
1879〜80年の冬は一段と厳しく、セーヌ川にも氷が張る。
1880年1月4日から5日にかけて、それまで異例の寒気によって
結氷していたセーヌ川の氷が突如割れて、一挙に流れはじめた。
河岸にあるモネの家の塀は、その氷の動きのために壊れてしまった。
(ヴェトゥイユ)
しかし、この大自然の営みにモネは感動し、寒さをものともせず、
セーヌの川べりにカンヴァスを運び、10数点もの作品を描いた。 -
128
クロード・モネ 1916-19年 (76-79歳頃)
「青い睡蓮」
Nympheas bleus -
129
クロード・モネ 1900年 (60歳頃)
「ジヴェルニーの画家の庭」
Le jardin de l'artiste a Giverny
セーヌ流域の小さな町ジヴェルニーにモネが移り住んだのは1883年のこと。
光の変化を追い求めたモネにとって、
やわらかな光に満ちあふれた肥沃な田園地帯は理想に近い土地だった。
安定した生活が得られるようになったモネは、
この地で庭づくりに精を出し、色彩にあふれた花々を描くようになった。
モネは晩年、ますます庭づくりに情熱を注ぎ、ジヴェルニーを終の住処とした。 -
130
クロード・モネ 1884年 (44歳頃)
「ボルディゲラの別荘」
Les villas a Bordighera
ボルディゲラは、サン・レモ(イタリア)の西にあるリヴィエラの海岸で、
モネがルノワールと最初に南仏へ旅行した際に見つけた場所だった。
モネはこの時の風景が忘れられず、旅から戻ってすぐに再びこの地を訪れた。
オリーブやヤシの木、柑橘類の林を描いた絵には、
モネがこれまでほとんど使うことのなかった色が多く混じっている。
この庭園の美しさはリヴィエラ海岸随一と言われていたようで、
モネは非常に感動し、知人に宛てた手紙に次のような文章を残している。
「私はメルヘンの世界にいます。
すべてがあまりに美しくそのすべてを描きたい。
パレットにダイヤモンドと宝石がほしい。」 -
131
クロード・モネ 1886年 (46歳頃)
「外光における人物の試み (別称左向きの日傘の女)」
Essai de figure en plein-air : Femme a l'ombrelle tournee vers la gauche -
132
クロード・モネ 1886年 (46歳頃)
「外光における人物の試み (別称右向きの日傘の女)」
Essai de figure en plein-air : Femme a l'ombrelle tournee vers la droite -
133
クロード・モネ 1900年 (60歳頃)
「睡蓮の池、バラ色のハーモニー」
Le bassin aux nympheas, harmonie rose -
134
クロード・モネ 1895年 (55歳頃)
「ノルウェーのコルソス山(コルサース山)」
Le mont Kolsaas en Norvege
連作(ルーアン大聖堂)を完成させた翌年の1895年1月末、
モネは義理の息子ジャック・オシュデが住む
ノルウェーのクリスチャニア(現在のオスロ)に旅立った。
新しいインスピレーションを与えられたモネは、
13点の 「コルサース山」 の連作を制作している。 -
135
クロード・モネ 1886年 (46歳頃)
「嵐、ベル・イル(ベリール)島の海岸」
Tempete, cotes de Belle-Ile -
136
クロード・モネ 1886年 (46歳頃)
「ベル・イル(ベリール)の岩礁、コート・ソヴァージュ(ソヴァージュ海岸)」
Les rochers de Belle-Ile, la Cote sauvage -
137
ピエール・オーギュスト・ルノワール 1876年
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
Bal du moulin de la Galette
ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、モンマルトルで製粉業を営んでいた
ドレー親子が、古い風車(ムーラン)の傍らに開いた、ダンス場。 -
138
ピエール・オーギュスト・ルノワール 1879年
「アルフォンシーヌ・フルネーズ」
Alphonsine Fournaise
アルフォンシーヌ・フルネーズは、
シャトゥーのレストラン ”フルネーズ” の主人の娘。
2年後に、同地で、大作
「舟遊びの人びとの昼食」(フィリップス・コレクション)が描かれた。 -
139
アルフレッド・シスレー 1890年 (51歳頃)
「モレ・シュル・ロワン近郊のポプラの並木道」
Allee de peupliers aux environs de Moret-sur-Loing -
140
アルフレッド・シスレー 1890年 (51歳頃)
「モレ・シュル・ロワン近郊のポプラの並木道」
Allee de peupliers aux environs de Moret-sur-Loing -
上階の、モネ、シスレー、ピサロのお部屋。
ゴッホ や ルノワール よりすいているけれど、
下階の モネ、シスレー、ピサロのお部屋 に比べると、人が多い !! -
141
アルフレッド・シスレー 1874年 (35歳頃)
「ヴォワザン村」
Village de Voisins -
142
アルフレッド・シスレー 1873年 (34歳頃)
「マシン通り、ルーヴシエンヌ」
Chemin de la Machine, Louveciennes
1872年、シスレーは、家族とともに
パリの西にあるルヴシエンヌに接する小さな集落ヴォワザンに移り住む。
1874年、第1回印象派展に出品。
夏をイギリスのハンプトンコートで過ごす。
1874〜75年の冬、ルヴシエンヌ近くのマルリ・ル・ロワに引っ越す。 -
143
アルフレッド・シスレー 1873年 (34歳頃)
「マシン通り、ルーヴシエンヌ」
Chemin de la Machine, Louveciennes
☆ここは現地訪問しましたが、シスレーが描いた構図が今も感じられる場所でした ! -
144
アルフレッド・シスレー 1876年 (37歳頃)
「ポール・マルリーの洪水」
L'inondation a Port-Marly
1876年、実際に起きたセーヌの氾濫をテーマにした、シスレーの有名作品。 -
145
アルフレッド・シスレー 1876年 (37歳頃)
「ポール・マルリーの洪水」
L'inondation a Port-Marly
☆ここも現地訪問しました ! 左にあるキャッフェの建物が今も残っています。 -
146
アルフレッド・シスレー 1876年 (37歳頃)
「ポール・マルリー、洪水時の船」
La barque pendant l'inondation, Port-Marly -
147
アルフレッド・シスレー 1876年 (37歳頃)
「ポール・マルリー、洪水時の船」
La barque pendant l'inondation, Port-Marly -
148
アルフレッド・シスレー 1878年 (39歳頃)
「ルヴシエンヌの雪」
La neige a Louveciennes -
149
アルフレッド・シスレー 1878年 (39歳頃)
「ルヴシエンヌの雪」
La neige a Louveciennes
1877年の秋、シスレーは新たにセーヴルへ引っ越したが、
その後もルーヴシエンヌの主題は引き続き取り上げられている。
冬のルーヴシエンヌの情景は、早くからシスレーの興味を惹きつけた。 -
150
アルフレッド・シスレー 1874年 (35歳頃)
「モールジーのレガッタ」
Les regates a Molesey -
151
アルフレッド・シスレー 1874年 (35歳頃)
「モールジーのレガッタ」
Les regates a Molesey
1874年7月から10月にかけてのイギリス旅行で、シスレーは14点の作品を仕上げた。
そのうちロンドンを描いた1点を除いて、
すべてハンプトン・コートやその近くのモールジーが題材に取られている。 -
152
ピエール・オーギュスト・ルノワール 1876-77年
「草原の坂道」
Chemin montant dans les hautes herbes
モネの「ひなげし」から直接的なインスピレーションを受け、
おそらくさほど時を違えずして描きはじめられたルノワールの作品。 -
153
カミーユ・ピサロ 1872年 (42歳頃)
「ポール・マルリーの洗濯場」
La Seine a Port-Marly, le lavoir -
154
左: シスレー 「サン・ドニ島」 1872年 (33歳頃)
中: ピ サ ロ 「ヴォワザン村の入口」 1872年 (42歳頃)
右: モ ネ 「クルーズ船」 1872-73年 (32-33歳頃) -
155
アルフレッド・シスレー 1872年 (33歳頃)
「サン・ドニ島」
L'ile Saint-Denis -
156
カミーユ・ピサロ 1872年 (42歳頃)
「ヴォワザン村の入口」
Entree du village de Voisins
☆こちらも現地訪問しました ! ピサロが描いた構図を今も感じられました ! -
157
クロード・モネ 1872-73年 (32-33歳頃)
「クルーズ船」
Bateaux de plaisance -
158
クロード・モネ 1877年 (37歳頃)
「七面鳥」
Les dindons -
159
クロード・モネ 1872年頃 (32歳頃)
「アルジャントゥイユの船渠」
Le bassin d'Argenteuil -
160
クロード・モネ 1872年頃 (32歳頃)
「アルジャントゥイユの船渠」
Le bassin d'Argenteuil -
161
クロード・モネ 1873年 (33歳頃)
「アルジャントゥイユのセーヌ川」
La Seine a Argenteuil -
162
クロード・モネ 1873年 (33歳頃)
「アルジャントゥイユのセーヌ川」
La Seine a Argenteuil -
163
クロード・モネ 1872年 (32歳頃)
「アルジャントゥイユ」
Argenteuil -
164
クロード・モネ 1872年 (32歳頃)
「アルジャントゥイユ平野の眺め、サノワの丘」
Vue de plaine a Argenteuil, coteaux de Sannois -
165
クロード・モネ 1872年頃 (32歳頃)
「アルジャントゥイユのレガッタ」
Regates a Argenteuil
アルジャントゥイユは、
1871年末から1878年までモネが住んだセーヌ河畔の町。
そこは、伝統的な田舎の風景が広がるなかにも、
近代的な市民生活の様子がみられる場所で、
印象派の画家たちにとって魅力的なモチーフだった。
モネの家には、
シスレーやルノワール、マネなどがよく訪れ、ともに周辺の風景を描いた。 -
166
クロード・モネ 1872年頃 (32歳頃)
「アルジャントゥイユのレガッタ」
Regates a Argenteuil -
167
クロード・モネ 1874年頃 (34歳頃)
「舟、アルジャントゥイユのレガッタ」
Les barques. Regates a Argenteuil
2年前の絵の (上の絵の) 赤い屋根の家 が、この絵では左に見える。
(上の絵とは、反対方向から描いている。) -
168
クロード・モネ 1879-80年 (39-40歳頃)
「ヴェトゥイユのセーヌ川」
La Seine a Vetheuil
1878年、モネはアルジャントゥイユを離れ、
オシュデ一家とともにセーヌ川下流のヴェトゥイユに移り住んだ。
モネは、この頃からより自然界に関心が向き、人物よりも風景に重きをおくようになった。 -
169
クロード・モネ 1879年 (39歳頃)
「ヴェトゥイユのセーヌ川、雨あがり、太陽の効果」
La Seine a Vetheuil, effet de soleil apres la pluie -
170
クロード・モネ 1878-79年 (38-39歳頃)
「ヴェトゥイユ、雪の効果」
Effet de neige a Vetheuil -
171
クロード・モネ 1878-79年 (38-39歳頃)
「ヴェトゥイユ、雪の効果」
Effet de neige a Vetheuil -
172
クロード・モネ 1875年頃 (35歳頃)
「石炭の積み下ろし」
Les dechargeurs de charbon -
173
クロード・モネ 1875年 (35歳頃)
「チュイルリー公園」
Les Tuileries -
174
クロード・モネ 1875年 (35歳頃)
「アパルトマンの片隅」
Un coin d'appartement -
175
クロード・モネ 1873年頃 (33歳頃)
「昼食」
Le dejeuner -
176
カミーユ・ピサロ 1888年 (58歳頃)
「火を起こす若い農民、白霧」
Jeune paysanne faisant du feu, Gelee blanche -
177
カミーユ・ピサロ 1881年頃 (51歳頃)
「手押し車、果樹園」
La brouette, verger -
178
カミーユ・ピサロ 1881年 (51歳頃)
「羊飼いの少女」
La bergere -
179
カミーユ・ピサロ 1877年 (47歳頃)
「春の野菜畑と花咲く樹、ポントワーズ」
Printemps, Pruniers en fleurs
Potagers, arbres en fleurs, printemps, Pontoise -
180
カミーユ・ピサロ 1877年 (47歳頃)
「春の野菜畑と花咲く樹、ポントワーズ」
Printemps, Pruniers en fleurs
Potagers, arbres en fleurs, printemps, Pontoise
ピサロは、西インド諸島のデンマーク領であったセント・トーマス島生まれ。
少年時代はパリの寄宿学校で過ごし、一度島に帰るが、
画家として再びパリに出て、アカデミー・シュイスに学ぶ。
ここで、モネやセザンヌと知り合い、印象派の仲間たちと交友を深める。
1870年の普仏戦争の際は、ロンドンに逃れ、
モネとともにコンスタブルやターナーの風景画に出会い感銘を受ける。
ポントワーズに移ってからは、しばしばセザンヌと一緒に仕事をした。 -
181
カミーユ・ピサロ 1877年 (47歳頃)
「赤い屋根、村の一角、冬の効果」
Les toits rouges, coin de village, effet d'hiver -
182
カミーユ・ピサロ 1877年 (47歳頃)
「赤い屋根、村の一角、冬の効果」
Les toits rouges, coin de village, effet d'hiver -
183
カミーユ・ピサロ 1876年 (46歳頃)
「モンフーコーの収穫」
La moisson a Montfoucault
ブルターニュとノルマンディーの中間、マイエンヌ Mayenne 県の
モンフーコーにあった友人ピエットの農場に招かれた時に描いた作品。 -
184
カミーユ・ピサロ 1873年 (43歳頃)
「ポントワーズ、エルミタージュの丘」
Coteau de l'Hermitage, Pontoise
ピサロは、1866年、ポントワーズに移り住んだ。
そのときから1883年までの間に、
彼はその町と周辺の田園風景を300点ほど描いている。
ピサロがポントワーズを選んだのは、
地形がユニークであったり自然が美しかったからでなく、
バルビゾンやフォンテーヌブローのような場所と違って、
そこが19世紀前半の風景画家たちによって何度も描かれなかったからという。
シスレーやモネが水の反映に関心を寄せたのに対し、
ピサロが追求したのは確固とした大地の広がりだった。 -
185
エドゥアール・マネ 1872年
「スミレの花束をつけたベルト・モリゾ」
Berthe Morisot au bouquet de violettes -
186
ギュスターヴ・カイユボット 1875年
「床に鉋をかける人びと」
Raboteurs de parquet -
187
ギュスターヴ・カイユボット 1878年
「屋根の眺め、雪の効果」
Vue de toits (Effet de neige) -
188
ベルト・モリゾ 1872年
「揺り籠」
Le berceau -
189
アンリ・ファンタン・ラトゥール 1861年
「読書する女」
La liseuse -
190
アンリ・ファンタン・ラトゥール 1870年
「バティニョール街のアトリエ」
Un atelier aux Batignolles -
191
アンリ・ファンタン・ラトゥール 1870年
「バティニョール街のアトリエ」
Un atelier aux Batignolles
マネの画室の情景を描いた作品。
イーゼルの前で文学者ザカリー・アストリュックの肖像を制作しているのは、マネ。
背後でキャンバスを見つめている帽子の青年は、若き日のルノワール。
その右となりは、エミール・ゾラ。
1人おいて、長身の男が立つ。
この作品が描かれた年に 普仏戦争で死んだ画家バジール(-1870.11.28)。
右端で、こちら側を見ているのは、モネ。 -
15時7分。
-
第一日曜日、まだまだ無料で入りたい人たちがたくさん並んでいます !
-
15時16分。
美術館脇のセーヌ川沿いにも、入館待ちの人が並んでいます。 -
ソルフェリーノ橋を渡って・・
-
-
15時18分。
次は、 オランジュリー美術館 * (再訪) に急ぎたいと思います !
日が暮れないうちに・・ 自然光の下、モネの睡蓮の間を見たいので !!!
( * 第一日曜日、入館無料の美術館巡り、3館目 ! )
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この旅行記へのコメント (6)
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- dankeさん 2015/12/13 23:40:41
- お久しぶりです
- Bonsoir wizさん、
お元気ですか? いつも旅行記見てくださってありがとうございます(*^_^*)
wizさんのオルセー美術館編、2度ゆっくりと拝見しました。
見たかったなぁと思っていた、 ポール・ゴーギャンのブルゴーニュの絵を2枚wizさんのこちらで発見し嬉しかったです。
いつも思いますが、死後これほど有名になったゴッホ、天国からどのような思いで私達を見ているのでしょうね。 オーヴェール・シュル・オワーズ、庭にいるガシェ嬢を目の前でずっと見ていたのですが、のせてあるオイル(なんと言っていいか専門用語がわからなくすみません)がポコポコところどころ盛り上がっていて、思わず触ったら指につきそうで触りたくなったのを覚えています。それにしても同じゴッホ作品でも、人々がよく言う超有名作品なものには人だかりができているのに、その他のものはわりと独占鑑賞できて良かったです。
地獄の門、壮大ですよね。いつか彼の美術館にも行きたいです。去年一人旅でパリに行った時には閉館の時間でロダン美術館に入れませんでした。
私達は父があまり美術館など同じ所に長居できないタイプなので、ゴッホの部屋とその周りだけと決めて鑑賞しました。それですので、美術に詳しいwizさんが再訪されたこちらの旅行記で見られなかった作品も勉強させてもらいました。私にとってオルセー美術館が人生最初のパリの美術館訪問となりました。
- wiz さん からの返信 2015/12/14 22:13:31
- RE: merci!
- dankeさん、Bonsoir!
オルセー美術館編、見て頂きありがとうございま〜す。
> 見たかったなぁと思っていた、 ポール・ゴーギャンのブルゴーニュの絵を2枚wizさんのこちらで発見し嬉しかったです。
> それにしても同じゴッホ作品でも、人々がよく言う超有名作品なものには人だかりができているのに、その他のものはわりと独占鑑賞できて良かったです。
> 私達は父があまり美術館など同じ所に長居できないタイプなので、ゴッホの部屋とその周りだけと決めて鑑賞しました。
ブルゴーニュの部分は・・ ブルターニュの打ち間違いですよね〜。^^;
dankeさん、旅行記の方も拝見しましたが、オルセー美術館を楽しまれたようで良かったです!
私は、実は、ゴッホやゴーギャンなどの、所謂 Post-impressionnisme は、それほどの思い入れはないんですよ〜。 どうしても Impressionnisme の方に目がいってしまいます・・ というか、Impressionnisme の方が、好み、で・・^^
今回のdankeさんのコメントを期に、ゴーギャンの時代別の・・ こんな便利なサイトを見つけました〜。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81%E4%B8%80%E8%A6%A7
dankeさんの言うように、一般的に有名なゴーギャンのイメージ=タヒチ時代の作品、一般的に有名なゴッホのイメージ=アルルやオーヴェールの作品、でなく・・、 ゴーギャンのブルターニュ時代の作品や、ゴッホのオランダ時代の作品の方をもっと見たいですね!
wiz
- dankeさん からの返信 2015/12/15 02:50:53
- RE: RE: merci!
- wizさん、
ブルターニュの打ち間違いです、ごめんなさい^^;。いつもやってしまう。心はブルターニュなのに、打つのはブルゴーニュ。
オルセー美術館を楽しみました、あの広々とした空間がいいですね。
私も絵自体は実は私もポストImpressionnismeよりImpressionnismeの方が好みです。あまりゴッホの絵は好きではないのです。でもなぜかゴッホの絵にめぐり合うことが多いのです。皮肉に思ったのが、ゴッホが住んでいるときはあれだけ彼のことを邪魔扱いしていたアルルが、今は「かの地」であるようにふるまっていることです。
一番好きな画家はクリムトなのは変わっていません。これもwizさんの出張中というコメントを見るまで彼の作品がオルセーにあったことも知らず。。
便利なサイトありがとうございます!彼の作品が結構日本にあるのですね、でもあとは世界中にちらばっていてうーん、これは大変。でもおかげさまでリストでみることができてよかったです。結構初期の頃の絵の方が好きだなぁ。
同感です。もっとブルターニュの作品もみたいです!そしてゴッホの他の作品もね。
- wiz さん からの返信 2015/12/15 06:44:37
- RE: RE: RE: merci!
- dankeさん、merci!
> 一番好きな画家はクリムトなのは変わっていません。これもwizさんの出張中というコメントを見るまで彼の作品がオルセーにあったことも知らず。。
2006年のオルセー美術館編に、オルセーのクリムト載っていま〜す^^
http://4travel.jp/travelogue/10119868
> 便利なサイトありがとうございます!彼の作品が結構日本にあるのですね、でもあとは世界中にちらばっていてうーん、これは大変。でもおかげさまでリストでみることができてよかったです。結構初期の頃の絵の方が好きだなぁ。
たしかに、フランスだけでなく外国にかなり散らばっていますね・・。 同じ画家でも時代によって描き方がだいぶ違っていたりするので、色々見ることによって、それに制作された地を訪れることによって、(その画家に対して)今までと違う気持ちが湧いてくるかもしれませんね!
wiz
-
- コクリコさん 2010/01/24 13:09:53
- オルセーのモロー
- wizさん、こちらも拝見。
あれ、モロー美術館?と、一瞬思ってしまいましたが、オルセーですよね?
私このトラキアの娘の絵が好き(^^)
「死んでしまったら、もう私だけのもの」と愛おしい目で見つめるトラキアの女。
「ヘシオドスとミューズ」も良いけれど、やはりサロメのヨハネの首と同じく"愛する首"よね♪・・・私はそんなことしないけど、空想の世界ではこれですよ〜
困りましたね、パリ滞在が少ないのに、ルーヴルとオルセーと、モローと、それから。。。
wizさんのスタミナが欲しい。きっと私たちワイン飲んでクタクタ、ヨレヨレになっているんだから(^^;)
ヴァイデンといえば、ブルゴーニュのボーヌのオテル・デューで『最後の審判』見ました。
それから、やっと北方絵画ももっと見たいなぁと思うようになりました。
wizさんは、もうその前からしっかり見ていたのね。
先ほどの書き込みのタイトル「マグダラのマリアの涙」なんて気取って書いたのに、そのこと書くの忘れていました。
マリー・マドレーヌの涙まで細かに写されて、もう感動しました。
ふわっと浮いたようなイエスや金色の背景、自然に厳かな気持ちになります。
あまり見学者がこない地味な展示室に、ポンと飾ってあるので最初は「これで良いの?」と思いましたが、独り占めできますね♪
wizさんのこの1枚に何回も投票したいです!
- wiz さん からの返信 2010/01/25 20:34:35
- RE: オルセーのモロー
- コクリコさん、
こちらにも… ありがとうございます!!
> あれ、モロー美術館?と、一瞬思ってしまいましたが、オルセーですよね?
> 私このトラキアの娘の絵が好き(^^)
> 「死んでしまったら、もう私だけのもの」と愛おしい目で見つめるトラキアの女。
> 「ヘシオドスとミューズ」も良いけれど、やはりサロメのヨハネの首と同じく"愛する首"よね♪・・・私はそんなことしないけど、空想の世界ではこれですよ〜
アハハ… こんな主題もモローが描くとほんとうに美しくなりますよね〜。
でもさすがに、首 のアップは撮れませんでした^^;
「ヘシオドスとミューズ」は色合いが明るくてこれもまた良いですよね。
アキレス腱に釘づけになりました(笑)
> ヴァイデンといえば、ブルゴーニュのボーヌのオテル・デューで『最後の審判』見ました。
> それから、やっと北方絵画ももっと見たいなぁと思うようになりました。
> wizさんは、もうその前からしっかり見ていたのね。
(ロヒール・ファン・デル・)ウェイデン=ヴァイデンなんですね〜。
彼のボーヌの「最後の審判」、有名なので機会があれば見てみたいです!
ウェイデンよりはヤン・ファン・エイクやメムリンクの方が好みですが…。
ヤン・ファン・エイクの油彩の技術は本当に凄いと思います。
北方…ネーデルラント、フランドル、(+スペイン絵画)に関しては、
ハプスブルクのおかげです… 歴史的にこの辺りの絵画は
ハプスブルクコレクションとしてウィーン美術史美術館で
何度もお目にかかるから他の美術館でも意識して見るんです。
それに、ハプスブルクの歴代の皇帝の中で私のお気に入りは
マクシミリアン1世なので、彼に縁深い場所だから^^;
私が一番興味深いのはヒエロニムス・ボスで
ピーテル・ブリューゲルもおもしろいですね〜。
この2人はシニカルな表現がたくさん詰まっていて
見れば見るほど「そうなんだぁ!」と発見できますね!
ということで… 一昨日書いたルネサンスブームは
北方ルネサンスを含むルネサンスブームなんで〜す。
wiz
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旅行記グループ 印象派絵画を巡る旅
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