2002/05/07 - 2002/06/05
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kojikojiさん
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考えてみたら東南アジアの旅行はほとんどしたことが無かったのでベトナムに行ってみようと考えました。期間は1か月でカンボジアのアンコールワットにも立ち寄り、ベトナムをサイゴン(西貢)からハノイ(河内)までホーチミンルートを縦断しようと計画をはじめます。ベトナムでぼられた話などを聞くことがあったので、弟に相談してみました。弟はニューヨークの大学に留学してそのまま仕事をしていた経験もあり、帰国前は半年くらいインドから東南アジアをバックパックで旅していた。するとベトナムは行ったことが無いから行きたいけど、お金は掛けたくないので1泊10ドルなら出すよ。ということで一緒に行くことにしました。TOEICで930点だか採っているので通訳代わりにもなるかと軽く考えていました。当時ベトナム入国にはVISAが必要だったので大使館にも行きました。旅行会社に頼むと1人8,000円とか会社によっては10,000円なんて時代でした。大使館に行くと旅行会社の新入社員みたいな人が数十冊まとめて申請していました。二人で「この商売いいな~。」とつぶやきました。その足でカンボジア大使館にも周りましたので準備万端です。最初の1週間はサイゴンとメコンデルタを泊りがけで周り、その後カンボジアのシュムリアップに1週間、サイゴンに戻って2週間ちょっとを統一鉄道を使いながらニャチャンとホイアンとフエによりながらハノイを目指し、ハロン湾にも行く旅程です。35歳と40歳の兄弟の初めての二人旅は、旅行前はしつこい客引きやぼられたり騙されたりとかを心配していましたが、旅行中に出会った一番の危険人物は一緒にいた実の弟でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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成田空港を11:00離陸したベトナム航空VN951は14:45に到着しました。
初めて見るメコンデルタを食入る様に見てしまいました。 -
いろいろ費用を負担するお兄ちゃんが窓側の席なのは当たり前です。子供の頃から弟に窓側の席なんて譲ったことはありません。
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今回の旅行の計画を見た弟が「1人で泊まっても2人で泊まってもホテル代金が変わらないなら一緒に行く。」と言い、「じゃあ1泊10ドル出すならいいよ。」ということで手を打って、兄弟で初めての2人旅が決まりました。金額が決まれば最初の1週間は安いホテルにしようということで、フォムグーラオ通り近くのレレホテルに決定しました。日本からのネット予約で朝食付1室15ドルでした。送迎は空港片道5ドルでした。
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部屋は狭かったですが、シングルベットが二つにシャワーとトイレもついているので充分です。朝食はフォーのチキンかビーフの選択だけでしたが美味しかったです。ホテルの従業員の若い子が日本語を勉強しているというので毎日相手してあげました。一見現在と変わらないホーチミン市内の景色ですが、この当時はヘルメットの義務がありませんでした。
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初めに見たときはどこかでお祭りでもあるのだろうかと思いました。これはベトナムの霊柩車です。ベトナムのお葬式の儀式は十数年後にホイアンの街で見かけたことがありますが、これも派手でした。
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元々は同じ家の造りが並んでいたのに、この家の人は海外に出稼ぎに行ったのかお金持ちになってしまったのですね。エアコン付きのホテルを経営しています。そのうち両サイドの家も買い増ししていくことでしょう。
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とりあえずベンタイン市場に向かって歩いていきます。この頃の建物は8年後に再訪した時はすっかり綺麗になっていました。
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シクロドライバーの悲哀を描いたベトナム映画を何本か観ていたので、この人の人生はどんなだったのだろうかなどと考えてしまいます。
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道端で果物を売るおばさんたちの人生についても考えてしまいます。年齢的に行ってもベトナム戦争を経験されているはずです。
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買い物仕様と歩いて行ったベンタイン市場でも、買い物よりもこの周辺でたむろしているシクロのお兄ちゃんやバイクタクシーのおじさんと知り合う方が楽しかったです。
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市場の建物の周りの、築地でいえば場外と呼ばれる辺りは生鮮野菜のエリアなど扱う商品ごとに分かれていました。
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この当時はベトナム雑貨がはやり始めた頃で、まだ地元の人が買い物に来ている市場といったイメージが強かったです。
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お肉屋さんは観光客にはあまり縁の無いところです。中国の山の中に比べたら上品な肉市場です。
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ベンタイン市場の表側には生鮮食品が売られていましたが、このカニが美味しそうでした。この時は行けませんでしたが、後にQuan94というお店で死ぬほど食べました。このカニのソフトシェル状態は最高に美味しいです。
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初めて見るノンラーのおばさんたちに視線が行ってしまいます。
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露店売りから始まっていつか市場の中に店を持つことは出来るのでしょうか…。
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ドラゴンフルーツを初めて買ったのはサイゴンででした。フルーツのカット用にナイフを持って行って良かったです。ベトナムとカンボジアではフルーツを買っては食べまくっていました。
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サンダル履きでノンラーを被り、赤いたらいを抱えたおばさんが妙にかっこよかったです。
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ドンコイ通りを目指して歩いていたらREXホテルに着きました。ここも泊まってみたいホテルだったので、ショップに立ち寄ってロゴ入りの食器を買いました。チープっぽさが何とも言えないものです。
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人民委員会庁舎は1902年から1908年にかけて、当時のサイゴン市庁舎としてフレンチコロニアル様式で建設された建物です。ベトナム戦争後の1975年からホーチミン人民委員会庁舎と改称されています。
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1990年には、ホー・チ・ミン氏の誕生百周年を祝して建物正面前の公園にホー・チ・ミンのブロンズ像が設置されています。これは腰かけた「ホーおじさん」と彼に寄りそう少女の像ですが、現在は違う像に変わったそうです。
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中央郵便局にも来ました。旅行に出ると毎日両親に絵葉書を1枚、場所によっては2枚出しています。今回の旅では妻(まだ結婚前でした)の分も含めて60枚は切手が必要だろうと考え、街中で買おうとしたら「そんなにないよ。」と言われてしまい郵便局へ来ることになりました。
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もっともこの郵便局はサイゴンでも有数の観光ポイントでもあります。切手を買ったついでに絵葉書をかいていたら弟に「家に出すなら名前書いといて。」と言われる始末です。この辺りから弟の調子の良さが露見していきます。隣に座っていた欧米人の子供が何語を喋っているのか分からないのでその子のお母さんに聞いてみると「スイスジャーマニー」と言ってました。
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郵便局の前にはサイゴン大聖堂がそびえています。ベトナムがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて建設されています。
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建築様式はネオゴシック様式で、建材と資材をすべてフランスのマルセイユから取り寄せて建築したそうです。
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この辺りは結婚写真の撮影ポイントになっています。この日も何組か場所を探して右往左往。どう見ても奥さんの方が強そうなご夫婦でした。
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ぶらぶら歩いているとコンチネンタルホテルの前に出ました。サイゴン陥落の報道写真で見てから一度は泊まってみたいと思っていたホテルです。カンボジアから戻ってベトナムを北上する前に泊まる予定にしています。当時で1泊朝食付きで60ドルくらいでした。弟はここに10ドルで泊まったことになります。
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コンチネンタルホテルの前はオペラハウスです。この建物は美しく外装が塗り替えられていました。カトリーヌ・ドヌーヴ主演の「インドシナ」ではこのコンチネンタルホテル前のカフェテラスが出てきます。現在の建物とは違うのでセットだとは思います。この後の旅で行くことになりますが、フエの郊外にある現在は陵墓になっている嗣徳帝(トゥドゥック帝)の別荘も出てきますし、ペナン島の張弼士古宅(チョン・ファッツイー・マンション)も使われています。
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街中では電気工事をよく見掛けました。電柱から延びる電線がめちゃくちゃな状態になっているのが面白いような怖いような。
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ベトナムではおばさん2人とアヒルが1羽いたら市場になると言われますが、これだけ揃えば十分に市場です。
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ホーチミンでは弟の希望もあって地元の人が行くような安い店ばかりで食事していました。基本はロンリープラネットの情報をもとにしていました。
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ベトナムは米粉を入れたふかふかのフランスパンなので、バイン・ミーというサンドイッチはどこも美味しかったです。
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この当時トラン・アン・ユン監督の「青いパパイヤの香り」や「シクロ」や「夏至」、べトナム出身のアメリカ人監督トニー・ブイの「スリーシーズン」を観た後だったのでシクロに乗らない訳には行かず、レレホテルから戦争証跡博物館まで6,000ドンで行ってもらいました交渉に10分と移動に20分で30分かかりました。
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博物館で飲んだジュースが10,000ドンでしたので、シクロドライバーの無情を感じました。弟に「6,000ドンでも高いよ。」と言われましたが彼は1ドンも払ってくれません。
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庭に置かれた兵器も悲惨な戦争を知るきっかけにはなりますが、建物の中の展示物に比べれば外の兵器のほうがホッとしました。
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戦争証跡博物館の中庭に置かれた軍用機です。オリバー・ストーン監督の「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」、「プラトーン」を始め、いろいろなベトナム戦争を題材にした映画を観たけれど、動かない飛行機だけど本物に勝るものは無いなと思いました。
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博物館の中にはベトナム戦争中に命を落とした戦場カメラマンや報道写真家たちについて紹介するフロアがあり、ロバート・キャパを始めとした世界中のカメラマンについての紀行文が写真とともに飾られています。
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日本人カメラマンも多く紹介されており、ピューリッツァー賞を受賞した沢田教一の「安全への逃避」の展示や「地雷を踏んだらサヨウナラ」で知られる一ノ瀬泰造を紹介する文と、愛用していたカメラ(ニコンF。弾丸が貫通している)の写真 も展示してありました。
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ダグラス A-4 スカイホークにA-1 スカイレイダー と艦上攻撃機が多かったです。洋上の航空母艦からの攻撃が多かったのでしょうか。
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UH-1ヘリコプターに積まれたドアガンが迫力あります。ホーチミンに短期で観光に来る人はあまり行かないところだと思いますが、知っておかないといけない世界の近代史ではあります。
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ブラブラ歩いて大聖堂まで戻ってきました。
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小学校の下校時間のようです。小学生はみんな制服を着ているようです。この辺は社会主義国を感じるところではあります。
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大聖堂の外壁のレンガ積みです。窓の意匠は暑いベトナム特融だと思いますが、基本となるレンガの積み方は「フランス積み」だなと妙に納得しました。
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ベトナムを旅していてこの国旗を見ているうちに赤いTシャツが欲しくなってきます。
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バス停にもスローガンが描かれています。この頃はまだ社会主義国のイメージが強かったです。
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市場で仲良くなったバイクタクシーブラザーズ。
「夕方にチョロンに行くから。」と頼んでおくと時間前にホテルに迎えに来てくれました。日越兄弟友好之図といったところでしょうか。2人分2ドル払ったら「2人で20,000ドンくらいが相場じゃない?」と弟に怒られました。でも弟は1ドンもくれませんでした。 -
チョロンのビンタイ市場に到着しました。何でもあるけど観光客に必要だったのはTシャツくらいでした。街中で3ドルのシャツを2ドルに値切って喜んでいたら、ここでは初めから2ドルで売っていました。トホホ。町中のお店はここへ仕入れに来るらしいので当たり前と言ったら当たり前ですね。
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強い日差しをよけるためにスダレが掛かっていますが、どれも商品のコマーシャルになっています。
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スダレのせいで建物雄内部は少し薄暗いです。あらゆる商品が並んでいますが、観光客が買おうと思うようなものはまだ少ないです。
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階段をベンチ代わりに少し休みました。看板の文字を見ていてThienが天で、Ngaが娥なのかと妙に納得してしまいます。
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奥の店から出前を運ぶおばさんがやってきました。しかしベトナムの女性はスタイルが良いです。
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漢方薬店の店番をする女の子。一日にどれくらいの商いがあるのでしょう。
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この当時のビンタイ市場の周りは舗装どころかドロドロの泥道でした。
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もうこんな情景は見られないのかもしれませんね。
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こういった売り方は現在にも通じます。東南アジアの市場ではどこでも観ることが出来ます。
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市場の周りの建物もフランスの植民地時代は立派な建物だったのだと思います。現在は電柱に電線だらけで見る影もありませんが。
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そんな周りの道もバイクがぶんぶん走っていきます。チョロンは喧噪という言葉が似合う町です。
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そろそろ市場を後にしてホテルの戻ることにします。
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市場の近くにはバスターミナルがありました。こういうバスを見ると用も無く乗ってみたくなる衝動に駆られます。よく見るとニャチャン行きのようです。道路事情は良くないのでタイヤが妙にでかいです。
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タイで見られるソンテウみたいな乗り合いバスもあります。
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会社も車種もばらっばらのバスターミナルです。やはり観光客には長距離移動はシンカフェなどのツーリストバスか鉄道が良いみたいです。
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まだプラカゴなんて流行っていない頃ですが、すでにベトナムでは使われていました。
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一応行き先が掲げられているので決まったルートを走るようです。
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「このバイクでハノイまで行けないかな。」なんて考えてました。暑さと湿度のせいだと思います。でもかっこいいです。
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帰る方角だけ決めて後は適当に興味のあるところをふらふら歩いていきます。この市場でドラゴンフルーツを買いました。1個1ドルくらいだったか?
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道端ではシャンチーというベトナム将棋が盛んに行われていました。中国語では「象棋」と呼びますが、べとナム語ではコー・トゥオンで漢字に直すと「棋将」と書くそうです。日本でもよく縁台で将棋をしていましたが、国は変わっても横から口出す人はいるのだと思いました。
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安宿街のホテルまで戻る通りには美容室が延々と続いていました。どの店も若い女性が店先に立っています。特に声を掛けられませんでしたが、東南アジアに共通した「美容室」です。
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ライトアップしたレックスホテルも綺麗でした。ちょうど時間帯も良かったようです。近くの国営百貨店に寄ってから屋上のバーに行ってみました。
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ファムグーラオ通り周辺からドンコイ通りに出てくるとおのぼりさん状態でした。当時ベトナム雑貨が流行だった頃でドンコイ周辺の日本人の多さにはビックリしました。勿論我々も日本人ですが。
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川沿いに出て船に乗って夕食を食べようという事になりました。
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この頃はまだ「お金ちょうだい。」なんて感じで近寄ってくる子供がいました。
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みんな人懐っこいいい子たちだったし、親も近くにいるのかもしれません。もちろんお金はあげませんでした。
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最初はベンゲー号という巨大な魚の形をした船に乗ろうとしましたが、乗ってしまったらこの船が見えないと思い、他の船にしました。
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乗船料が2ドルくらいだったと思います。料理も数ドルだったので全部で一人10ドルくらいだった記憶があります。
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乗らなかったので見ることが出来たベンゲー号。8年後にも元気に走っていました。この時は妻と一緒だったので高級な木造船に乗りました。
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この時持ってきた衣類はベトナムの夏には暑すぎました。
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ビールを何本か飲んでいい気分で酔っぱらっています。
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サイゴン川のディナークルーズは安く楽しめるのでお勧めです。
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言葉は分からなくても5月19日に選挙があるのだろう事は理解できました。
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ホテルの近くのデダム通りやフォングラオー通りで毎晩遊んでいました。屋台でするめを焼いてもらったり楽しかったです。怪しいDVDが1枚1ドルで売っていたり、PCのソフトが数十種類入ったディスクも1ドルでした。
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メコンデルタのツアーとニャチャンへ行く夜行列車の寝台を予約してもらった旅行会社にも毎晩顔を出していました。看板を出して座っていたけど、この辺りで日本人を見ることはありませんでした。
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ホーチミンでは床屋の看板はホット・トックと書かれてありましたが、ハノイではカット・トックでした。歩道の塀に鏡を掛けて椅子を置いただけの店もありますが、ちょっと高級店に入りました。
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こんな店で散髪だけだと50円ほどでした。
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ホーチミン最後の日は弟と別れてコンチネンタルホテルの近くの「インドシナ」というアンティーク店に行きました。ここで美しい家具を見つけてしまいどうしても欲しくなりました。家具が5万円ほどでしたが、船便での送料が3万円かかりました。さらに帰国後乙仲の業者から電話がかかってきて通関手数料と運搬費で5万円ほどかかりました。それでも総漆塗りの彫刻で覆われた家具は素晴らしいものです。さらにここでは海上がりの陶器の良いものがありました。値段も手ごろでしたのでその家具に入れて一緒に送ってもらいました。ここで閃いて暑くて着られなかった洋服も一緒に送ってしまいました。これは身軽になって大正解でした。このアンティーク店は有名だったそうですが、8年後に行ったらなくなっていました。
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