2008/12/31 - 2008/12/31
2467位(同エリア4076件中)
ぬいぬいさん
寛永年間から中国との貿易を独占的に行っていた長崎では、中国からわたってきた人々は長崎市内の日本人の家に散宿していましたが
、貿易の制限に伴い密貿易の増加と密通や混血児の問題、さらにキリスト教禁制の徹底もあり、幕府はこれらの対策として、唐人屋敷をつくり、唐人たちを集め居住させました。
新地中華街から館内町にかけてのエリアが唐人屋敷だった場所、現在の長崎文化に大きく影響した中国文化との出会いの地だった歴史ある町で、唐人屋敷の遺構である4つの堂が残されていました。
この一角は昔ながらの市場や古い石段が残っていて、生活の匂いが漂うなかなか魅力的な街並みでした。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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唐人屋敷跡の石碑脇の石畳を少し上がったところにある蔦の絡まる風情あるお屋敷。
唐人屋敷跡 名所・史跡
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築100年以上経過した、かつては貿易商の邸宅であったこの建物、今は中華料亭「陶々亭」。
料亭と言えば普通は和食ですが、さすが長崎中華の料亭もあるんですね。4つの個室の1日4組限定のため、当然料金は高そうですね。 -
坂を下って館内町の唐人屋敷跡の一角を散策します。
唐人屋敷跡 名所・史跡
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館内町には、唐人屋敷の4つの文化財のお堂と、その周りの昔ながらの市場や古い石段が残る生活の香り漂う街並みが残されています。
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このあたりを散策すると、長崎に今も息づく中国と坂の町の暮らしが体感できますね。
長崎駅 (長崎県) 駅
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4つあるお堂のうちはじめは天后堂。
元文元年(1736)に南京地方の人々が航海安全を祈願し、天后聖母を祀ったのが起源と言われています。 -
現在の建物は、明治39年(1906)全国の華僑の寄付で建てられたもの。
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関帝をも祀っていて、別名関帝堂とも呼ばれています。
このカラフルなひらひらしたものは何を意味するものなのか? -
2つ目は観音堂。
入口のこのアーチ型の石門は、唐人屋敷時代のものと言われています。 -
今のお堂は、天明7年(1787)に再建されたものを何度かの改修の後、大正6年(1917)長崎在住の中国商人にたちにより改築されています。
長崎駅 (長崎県) 駅
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これはお線香に火をつけるための香炉のようなもの?
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本堂には観世音菩薩と関帝が安置されています。関帝は商売の神様なの架橋の商人たちの守り神なんでしょうね。
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こちらは一番大きな福建会館
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この建物は明治元年(1868)福建省出身者により八門会所として創設されました。
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明治30年(1897)に建物を全面的に改築し、福建会館と改称されています。
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屋根の上にはこんな五重塔や、
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鯱が乗っています。
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かなり傾いていますね。でも基礎自体の天端が合っていないのでわざと傾かせている感じが。
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こちらにもひらひらが、何を意味するのか気になるなあ。どなたかご存知の方教えてください。
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会館本館は長崎の原爆により倒壊し、現在は先ほどの正門と天后堂のみが現存しています。
長崎駅 (長崎県) 駅
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随所に和風と中国風の仕上げが入り混じって、日中の交流の歴史が凝縮された建物となっています。
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外観は和中折衷の建物になっています。
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最後は土神堂。
元禄4年(1691)、土神の石殿を建立したいという唐船の船頭たちの願いが許され創立されたといわれていますが、現在の建物は昭和52年に再建されたもの。
こんな感じの4つのお堂が残っている、唐人屋敷跡。
中国風のお堂が懐かしさの残る町並みに点在していてノスタルジックを感じさせる一角でした。唐人屋敷跡 名所・史跡
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