2008/12/31 - 2008/12/31
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ぬいぬいさん
旅の最終日の30日、長崎での滞在時間は午後1時まで。時間を少しでも有効に使おうと」昨夜は遅くまで夜の街を下見してきました。今朝の散歩はまずは竜宮城のような門のある崇福寺からなかにし礼の長崎ぶらぶら節の舞台となった花街、丸山町界隈と興福寺と昨日の夜眺めた中島川の眼鏡橋。このコースを1時間半かけて歩く予定です。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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年末の旅、最後の宿泊地長崎でも、朝の散歩は欠かせません。夜明けを待ってさっそく散歩をスタート。今朝の散歩コースはまずは思案橋の先を左に入ったところにある、まるで龍宮城のような姿をした唐寺、崇福寺から。
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拝観料を払わないとは入れないのですが、まだ早朝のせいか門が開いたままなので勝手に入らせていただきました。
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全部で2つの国宝を含め21もの文化財を有する由緒あるお寺だそうです。明るくなって時間があれば是非見てみたいものですね。
ちなみに国宝は入口の竜宮門でなくこの石段を登った最初の「第一峰門」だそうです。 -
次に向かったのは、長崎の花街としてかつては大変な賑わいを見せていた丸山界隈。
長崎駅 (長崎県) 駅
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なかにし礼の小説で映画にもなった「長崎ぶらぶら節」その物語の舞台でもある、丸山。
ここはかつて、江戸の吉原、京都の島原と並ぶ日本3大花街として栄えた場所。長崎駅 (長崎県) 駅
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「長崎に丸山といふ処なくば
上方の金銀無事に帰宅すべし」
この意味は「長崎に丸山という場所さえ無ければ、おエライさん方も金を使わないで無事家に帰れただろうに」
と井原西鶴に詠まれるほど往時は大変な賑わいをみせていたそうです。長崎駅 (長崎県) 駅
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こちらがはなやかだった頃の丸山本通り。2枚前の写真と同じ位置の写真です。
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坂本竜馬、高杉晋作をはじめとする幕末の志士や、長崎にやってきたシーボルトなどの外国人など歴史上の超有名人たちもここで散々遊んだとか。
長崎駅 (長崎県) 駅
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一本路地を入った町並みには往時の面影は残しているものの、かなり寂れてしまった感じは否めません。
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日本最初の西洋料理店の福屋があったという石積みの塀に沿って歩いていくと・・・
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♪遊びに行くなら中の茶屋♪
とやはりぶらぶら節の歌詞に登場する「中の茶屋」がありました。中の茶屋 グルメ・レストラン
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それにしても道が細くて入り組んでますね。案内表示にしたがって歩いているので何とかつながっていますが、地図を片手に歩いてもこりゃ迷子になりそうです。
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長崎の町は坂と階段が多くて車が入れないような路地が延々とに続いていて、今朝は結構しんどい散歩になっています。
長崎駅 (長崎県) 駅
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石積の立派な塀が見えてきましたが、幕末の砲術家・高島秋帆の旧宅跡です。
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石垣と塀は立派でしたが、写真で見せられるようなものは何も無く単なる原っぱ。文字通りの住居跡でした。
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梅園身代わり天満宮 名前は立派ですが、鳥居をくぐった奥にはかなりこじんまりした社が建っていました。
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♪遊びに行くなら花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて
丸山ぶらぶら ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう♪
と長崎ぶらぶら節の歌にも出てくる、この神社は花月と長崎検番の間の通りを登っていったところにありました。
遊郭だったころには、丸山の遊女達がよく訪れたそうです。 -
なかにし礼の小説「長崎ぶらぶら節」の記念碑がありました。
長崎駅 (長崎県) 駅
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こちらが、小説「長崎ぶらぶら節」の主人公。実在する人物だったんですね。
直木賞を受賞したこの小説。私も随分前に読んだので、記憶が曖昧ですが確か、長崎の歌探しにまつわる、丸山芸妓・愛八と古賀十二郎の秘話……。愛八の純粋で一途にひたむきに生きる姿が描かれていました。長崎駅 (長崎県) 駅
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料亭花月と長崎検番の間の坂道を下って行きます。
長崎駅 (長崎県) 駅
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現在の長崎検番は、かつての丸山遊郭の妓楼だった「松月楼」の建物を譲り受けた建物だそうで、2階の窓に名残が残っています。
長崎駅 (長崎県) 駅
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丸山遊郭の誕生は寛永年間まで遡り(1639年頃)それまで市内に散在していた遊女屋を丸山町・寄合町に集め、ここに一大遊郭地となった最盛期には143名もの遊女がここにいたそうです。
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そんな華やかだった丸山も昭和32年の売春防止法の施行により急激に寂れてしまいました。
現在の町並みを見ていると、なかなか往時の姿を想像することができませんよね。 -
それでも路地裏の料亭は何件か残っていて、長崎倹番もまだ現役ですが、所属する芸鼓さんの数はわずか19名になってしまい、HPで見る限りかなり高齢化しているようです。
長崎駅 (長崎県) 駅
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この蔦の絡まる高い石垣が当時の遊郭と外界との境になっていた場所で裏門があったそうです。
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石段を上ったこの高い石垣の上にあるのは料亭・青柳。
この料亭は長崎の原爆の平和記念像の製作者の北村西望氏と古くから交流があり遺品や写真を展示しているそうです。長崎の料亭といえばやっぱり料理は卓袱料理ですかね。長崎駅 (長崎県) 駅
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そして表通りに出たあとは先ほどの気になる龍宮城へ。
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黄檗宗の寺院である、崇福寺は、興福寺、福済寺とともに「長崎三福寺」と呼ばれているそうです。
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商売熱心なおばちゃんが既にチケット売場でスタンバイしてます。まだ7時を回ったばかりですよ。
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中を見たい欲求と戦いながらも、今日は時間がない・・・1時の電車で帰らなければいけない私としては後ろ髪引かれつつも中の見学はパス。
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やっぱりこれだけ見所のある長崎を半日で見て回るのはさすがに無理があったようです。
長崎駅 (長崎県) 駅
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やっぱり気になる、振り返ってまた眺めてしまう私でした。
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この辺りは寺町で立派なお寺が並んでいます。
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ようやく興福寺に到着しました。こちらの朱塗りの山門は1690年(元禄3年)に建てられたもの。
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ここも拝観料がかかるの出るが入口の料金所は無人のため勝手に見せていただきました。この門は中島聖堂遺構大学門と呼ばれるもので、東京の湯島聖堂、佐賀県の多久聖堂とともに長崎聖堂は、日本三聖堂のひとつで最も古く由緒あるものだそうです。
正徳元年(1711)に造られたこの門、もともと中島川のほとりにあったものをここに移築したため「中島聖堂」と呼ばれているとか。長崎駅 (長崎県) 駅
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堂外の正面中央に高く「大雄宝殿」と掲げられた扁額は隠元禅師の書によるもの。
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本堂の大雄宝殿はお釈迦様を本尊として祀っています。
今のお堂は3代目で、明治16年(1883年)に再建されたものです。
明治の建築にもかかわらず、国宝に指定されているのは中国南方建築の代表作とされているせいでしょうか? -
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これは三江会所門と呼ばれる門で、興福寺は創建以来三江(江南・浙江・江西)出身の中国人の菩提寺になっていたため、明治13年に三江会所を設置したそうですが、長崎の原爆で崩れ、今は門だけ残されているそうです。
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これは、長崎医専の教授として赴任していた頃に興福寺のことを詠った
「長崎の昼しづかなる唐寺や 思ひいづれば白きさるすべりの花」の歌碑。 -
これ墓石のような石柱に詩が掘り込まれ、上には狛犬の頭のような石がのっています。これはなんだかわかりません。
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興福寺から眼鏡橋に抜ける途中で市場を発見。
この市場は「青空市場」といって終戦後の食糧難の時代は中島川沿いの露天市からスタートした長崎で一番古い市場だそうです。 -
眼鏡橋のある中島川には11の石橋が架かっています。有名な眼鏡橋は10個目の橋ですが、こちらは多分一覧橋?
眼鏡橋 名所・史跡
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昨夜歩いた眼鏡橋 夜とはまた違った顔を見せています。
眼鏡橋 名所・史跡
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寛永11年(1634)に、日本最古の唐寺である興福寺の2代目住職が架設した日本最初の唐風石橋。江戸の日本橋、岩国の錦帯橋と共に日本三橋の一つといわれています。
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横から見ると眼鏡橋ですが、上を渡るとただの石橋。渡っただけでは何の橋かわかりませんね。
眼鏡橋 名所・史跡
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この写真を見る限り路面電車と呼ぶよりも「ちんちん電車」のほうが似合いますね。
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中華街の湊公園の中には中華風東屋と蘇州にありそうな立派な表門があります。この公園は春節のお祭りのランタンフェスティバルのメイン会場にもなるところです。
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中華街の通りもこの時間は誰も歩いていません。
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これが中国蘇州地方に残る伝統的建築様式の石造り表門。この湊公園が今朝の散歩の終点です。
まだ8時前ですがチェックアウトして、残り4時間の限られた長崎の滞在時間を楽しみます。
でも、空を見上げると曇り空、天気予報はなんと雪。
九州で雪?
何とかお天気もってもらいたいものですね。長崎駅 (長崎県) 駅
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この旅行記へのコメント (3)
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- 横浜臨海公園さん 2009/01/13 09:12:09
- 長崎丸山
- ぬいぬいさま、おはようございます。
長崎丸山の旅行記を拝見させていただきました。
長崎には昭和57年秋に長崎大水害の被害も生々しい状態の時に小生が初めて某女子短大非常勤講師として教鞭を執るべく赴任しました。
眼鏡橋は破壊され尽くし市電も電気の供給が足りないとの理由から冷房使用停止、町中ゴミとホコリだらけで、とんでもない所にきてしまったものだと若干の後悔を抱いたものでした。
当時教えていた高校生が結婚し現在その生徒の子を教えているのも奇縁を感じさせずにはおられません。
横浜臨海公園
- ぬいぬいさん からの返信 2009/01/14 08:13:30
- RE: 長崎丸山
- 横浜臨海公園さん おはようございます。
そうですか。
長崎にもそんな時代があったんですね。
眼鏡橋が流されたことは聞きましたが、昭和57年の水害ほんとにすごかったんですね。
親子2代に亘っての教え子 同じ学校ならよくあることでしょうが場所が変わってとなると、やっぱり何かの縁なんでしょうね。
- 横浜臨海公園さん からの返信 2009/01/14 09:02:15
- 拝復
- ぬいぬいさま、おはようございます。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
> 眼鏡橋が流されたことは聞きましたが、昭和57年の水害ほんとにすごかったんですね。
地元の方々が原爆以来の被害だと仰っておりました。
小生が赴任しなければならなかったのも、水害で教師が行方不明になってしまい、その穴埋めとして急遽白羽の矢が立った様な次第でした。
兎に角、頭では判っていても、長崎の街があんなにゴミだらけで、原爆でもビクともしなかった眼鏡橋も崩壊されつくしていて、正直ショックでした。
横浜臨海公園
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