2014/09/11 - 2014/09/11
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レモンパパさん
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「端島(はしま)」は、草木も生えない小さな島だった。
明治30年から昭和8年まで、合計6回の埋め立て工事が行われた。
(元々の大きさは現在の1/3ぐらいっだったらしい)
各地から集まった「ヤマの男」たちは、坑場に向かう。
海面下にあった1000mの採掘現場は、高温多湿の劣悪な環境。
おまけに、ガスや落盤など危険と隣り合わせ。
それでも彼らはこの「シマ」で生きていた。
日本の『近代化を支えた』ことに、間違いはない。
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ドルフィン桟橋に着きます。
外海にあるため、荒波の時には上陸できない時も。 -
海にある円柱状のものは、かつての桟橋の跡。 -
見学コースに沿って進みます。
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貯炭場の跡
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奥の建物は、小中学校
右は、ベルトコンベアーの架台 -
貯炭場
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中央の建物は、幹部用の社宅。
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安全な島の中央部の高台にあり、風呂付きだったとか。
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最盛期には、大小30以上の建物がありました。
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今は・・・ 朽ち果て、
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あたりは戦場のごとく
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雑草が生い茂っています。
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第2見学広場へ
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主力坑だった第2堅坑
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レンガの建物は総合事務所
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共同浴場もありました。
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明るい昼間はいいけど、 -
夜歩くと、相当コワイ・・・ -
今にも崩れ落ちそう
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島内には、郵便局を始め、映画館・理髪店・パチンコ屋もあたとか。
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当時の一番人気は、映画館だったそうです。
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棟と棟には、各階ごとに、通路が設けられていました。
1Fまで降りなくてもよかったそうです。 -
1916年に建てられた30号棟
日本最古の7階建て鉄筋コンクリートです。
でも、このほどの調査で「いつ崩壊してもおかしくない」評価を受けました。 -
大正時代に、高層住宅を建築する技術があったとは。
30号棟の診断は『大破』です!
さらに、その評価は「5年前に倒壊していてもおかしくない『マイナス5年』とされました。 -
いろいろな補修の手が加わると、無粋になりますが・・・
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それでも、後世に伝えたい『遺産』だと思います。
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島影が遠くなります。 -
帰りもドック近くを通り、
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豪華客船が建造されていました。
それにしても、大きい! -
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海から見る長崎の街も良いですネ!
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日本の近代化の一翼を担った、見ごたえあるツアーでした。
― おしまい ―
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