2014/06/24 - 2014/06/24
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ペコちゃんさん
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梅雨空の中、日光方面のバスツアーへ友達と行って来ました。
久し振りの日光ですが、今回は輪王寺と霧降ノ滝を見学し、お土産屋に寄って帰るコースです。
「お弁当忘れても傘は忘れるな」と、言われるほど雨の多い日光・・・心配だった雨も、ほとんど降らずに楽しく一日を過ごすことが出来ました。
帰りは、初めて寄居PAに寄りましたが、「星の王子様」のメルヘンチックな世界を思い出させる、素敵なパーキングエリアでした。
写真は、豪快に飛沫をあげる霧降の滝(下滝)です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 近畿日本ツーリスト
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10時過ぎに、日光に到着。
この建物は「日光市役所日光総合支所」・・・平成18年の市町村合併前は「日光市役所」でした。
大正年間に古美術骨董商だった小林庄一郎氏が、日光を訪れる外国人観光客用に「大名ホテル」として建設したものですが、ホテルとして営業された記録はないそうです。
その後、古河電工の所有を経て、昭和24年に日光町に寄付され、昭和29年から庁舎として利用されています。 -
日光山内への入り口にある神橋(しんきょう)は、華厳の滝から続く大谷(だいや)川に架かる橋で、錦帯橋・猿橋(大月)と共に「日本三奇橋」の1つとされています。
橋げたが鳥居のような造りになっているこの橋には、日光開山の祖・勝道(しょうどう)上人が、川を渡れずにいたところ、赤青2匹の蛇が両岸を結んで上人を渡してくれたという伝説が残っています。
古くは「山菅の蛇橋」とも言われていました。神橋 名所・史跡
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橋を渡った所にある、板垣退助の像・・・なぜここに「板垣退助」の銅像が? と不思議に思うでしょうが、日光の重要な建築物が今のように残っているのは、彼の功績なのです。
明治元年の戊辰戦争の折に、官軍の参謀だった彼が、話し合いで戦いを収めたために、日光廟を戦火から守ったと言われています。
この銅像は昭和4年に建てられましたが、太平洋戦争の金属供出で一度撤去されてしまい、昭和42年に再建されました。 -
輪王寺に着きました。
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奈良時代に創建された輪王寺は、明治初めの神仏分離令によって、東照宮・二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されていますが、以前はこれらを総称して「日光山」と呼んでいました。
本堂の三仏堂は、東日本では最も大きな木造の建物で、848年に慈覚大師が比叡山延暦寺の根本中堂を模して建立したと伝えられています。
現在の建物は、1645年に徳川三代将軍・家光によって建て替えられました。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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江戸時代の初めに建てられた三仏堂の表門(通称:黒門)は、右側に「輪王寺門跡」の看板が架かっていますが、皇族を門主と仰ぐ門跡寺の格式を示す門です。
明暦元年(1655年)には後水尾上皇の院宣により「輪王寺」の寺号が下賜されました。(それまでの寺号は、平安時代に嵯峨天皇から下賜された「満願寺」)
明治4年に本坊が火事で焼けた際、唯一残ったのがこの門です。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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輪王寺には「輪王寺」という仏堂建物はありません・・・日光山にある、仏教に関係するお寺やお堂などの建物をまとめて輪王寺と言い、その中心の大本堂が三仏堂です。
三仏堂は、約50年ぶりの大修理(平成19~30年)が始まり、仮囲いで覆われていました。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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ただし、工事に伴い、地上26m(ビルの7階に相当)には「天空回廊」の展望見学通路があり、三仏堂の屋根頂上と同じ高さから修理現場が見学出来ます。
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「素屋根(すやね)」で被われた囲いの中は、このようになっており、1階から7階まで歩いて登りますが、途中のガラス越しから修理作業が見られます。(工事施工:大林組)
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三仏堂前の香炉。
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三仏堂の前には、推定樹齢500年という、天然記念物に指定されている「金剛桜」が植えられています。
戦後、樹勢が衰退したため、土壌改良や若返りのための治療を行い、今は全盛期と同様に満開の桜が楽しめるようになりました。 -
金剛桜の所に、鬼門除けの説明板がありました。
輪王寺は厄除けのお寺としても有名で、人の一生の中には、必ず八方ふさがりの時期が周期的に訪れ、その中でも三碧木星は暗剣殺となるので、特に注意が必要とのこと・・・よく見ると、何と夫が、その三碧木星! -
これが、日光山輪王寺の鬼門除けのお札です。
輪王寺でお札を頂くと、袋の中に家族の名前を書く葉書が同封されており、その葉書に必要事項を書いて送ると、輪王寺で無病息災を祈願してくれます。
お坊さんが、お寺の歴史など説明した後にお札を取出し、「これは、輪王寺独特の鬼門厄除けのお札で、裏にはこのようにお札が備わっております。これを家の中、北の方であればどこでも結構ですからお掲げください。今日お参りの方だけでなく、大切なご家族すべてが厄から守られます」とのこと・・・この有り難い鬼門除札を3千円で買いました。
何年か前にも、このお札を買い、我が家を守ってもらっていました・・・今、何とか幸せに暮らしているのは、このお蔭かな? -
これが、お札の裏側・・・毎年、立春から節分までの家族の災厄を払い、福をもたらす祈願札です。
3年毎に買い替えるそうで、これは平成28年2月3日までのお札です。 -
三仏堂の中に入ると、1階の参拝エリアでは仏像などを特別公開中。
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この像は、766年に日光山を開山した勝道(しょうどう)上人。
(撮影禁止のため、写真はHPより) -
徳川3代将軍・家光の霊廟である「大猷院(たいゆういん)」の二天門に安置されていた「風神像」「雷神像」も約50年ぶりに修理されました。
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現在、三仏堂で拝観できる三本尊は江戸時代初期のもの。
3体とも金色(こんじき)の寄木造りで、中央の阿弥陀如来と、馬頭・千手の観音像は、高さが8.5mあります。
お坊さんの説明によると、「右の千手観音様がお父さん、中央の阿弥陀如来様がお母さん、左側の馬頭観音様が子ども」となっているそうです。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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参拝エリアを見学した後は、ここから階段を上って2階の大修理見学室へ。
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現在は建物を解体し、内陣を修理しているところです。
見学できる回廊はガラス窓で仕切られて、所々写真を撮りやすいように窓が開けられていました。 -
平成19年から3カ年の小修理の予定でしたが、解体修理を始めたところ、一部の部材から加害虫が発見され、部材の内部はおがくずのように粉状化していました。
その被害材を調べたら、「オオナガシバンムシ」であることが分かり、平成21年から大規模な解体修理に計画変更されました。 -
内部は、巨大なクレーンもあり・・・
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まるで巨大な工場のよう。
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素屋根の7階の天空回廊まで登ると、取り外された銅葺き鬼瓦や・・・
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大きな仏像や・・・
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資材置き場などが見えます。
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また天空回廊からは、日光の街や・・・
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男体山も見えます。
782年に勝道上人は、日光の神体山である男体山(2,486m)に登りました。
観音菩薩の住処とされる補陀洛山(ふだらくさん)に因んで、この山を二荒山(ふたらさん)と名付け、後に「二荒」を音読みして「ニコウ=日光」と呼ばれるようになり、これが「日光」の地名の起こりであると言われます。
男体山の山頂遺跡からは、奈良時代に遡る仏具など各種資料が出土しており、奈良時代から山岳信仰の聖地であったことが分かります。男体山 自然・景勝地
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修理現場の見学は、滅多にない機会なので、貴重な体験でした。
完成したら、また来てみたいと思います。
工事中の「輪王寺」裏側の仮設橋を渡っていたら、綺麗に手入れされた庭園がありました。 -
鯉もノンビリと泳いでいます。
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雨上がりの鮮やかなモミジの木を見ると、花がついています・・・モミジの花なんて、初めて見ました!
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一緒にツアー参加したお仲間と、記念に1枚。
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三仏堂の裏手に立つ大護摩堂は、平成10年に新しく完成した建物で、毎日、護摩を焚き、祈祷が行われている護摩祈祷所です。
「日光の社寺」として平成11年に世界遺産に登録される際に、旧護摩堂での火焚きが認められなくなったため、隣に巨大な鉄筋の新護摩堂を建設したそうです。 -
ここでは、一日3回の護摩祈願が、毎日行われています。(祈願所要時間は、約50分)
祈願中でも入れますが、写真はダメ。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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大護摩堂の内陣には、ご本尊「五大明王」(平安中期作)を中心に30躰の仏さまや祖師像が祀られています。
天井には、平成10年に亡くなった吉原北宰氏(国指定彩色保存選定技術保持者)が、2年半の歳月を費やして完成させた「大昇竜」・・・まるで竜が生きているようで、一見の価値がある天井画です。(写真はHPより) -
大護摩堂を少し行くと「相輪塔」があります。
1643年に東照宮の鬼門除けとして天海大僧正により建てられた、高さ13.2m青銅製の供養塔。
内部には、法華経を始め1,000巻の経典が納められ、上部には24個の金瓔珞と金の鈴の装飾が施されています。
強風でも吹かないと、なかなか鳴らない鈴みたいで、鈴の音を聞けた人は、かなりの幸運だとか。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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相輪塔と糸割符灯籠。
天海大僧正の刻んだ銘文にも、東方・関東の繁栄を祈り、鬼神を退散させ、ひいては天下泰平をもたらすために建立する、という願いが込められています。
糸割符灯籠は、生糸の糸割符(いとわっぷ)の人達が、徳川家康が貿易の特権を与えたのに恩義を感じて奉納した灯籠です。 -
相輪塔の段を降り、大護摩堂の左隣には、光明院稲荷社があります。
説明板によると、鎌倉中期に当山24世・弁覚僧正が新たに光明院を建立し、日光山の本坊とし、その守護神として稲荷社を勧請して光明院稲荷と称したとのこと。
古くから日光山の五大稲荷として学業成就・家業繁栄の祈願に信仰されています。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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参道から見る東照宮は、いつ来ても重厚感があります。
戦後、長期間にわたって改修工事を続けている東照宮ですが、現在は平成25~31年まで、本殿・石の間・拝殿、陽明門の2棟を改修中・・・したがって、見学はパス。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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梅雨時は、参道の杉並木や苔むした石垣が本当に綺麗です。
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ここは、輪王寺本坊の入り口ですが、見学は出来ません。
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三仏堂前の、大僧正・春海慶中大和尚の顕彰碑。
案内板には、書道に精通し、瑞雲書道会や日本書道連盟を創立。また、日中友好に貢献し、郭沫若氏と親交があり、文化功労者として顕彰され、昭和45年に93歳で亡くなったと記されています。 -
境内にある鐘楼。
大晦日の夜半、午前0時の時報に合わせて除夜の鐘の音が鳴り響き、除夜の鐘を合図に全山僧侶が大本堂に集まり、『人々に幸多かれ』と祈念します。 -
三仏堂の次に向かった宝物殿・逍遥園です。
宝物殿は、国宝や重要文化財などが展示されています。 -
宝物殿の隣には、日本庭園の「逍遥園」があります。
ここは江戸時代初期に作庭されたもので、一説には小堀遠州の作と伝えられています。
明治時代に、ほぼ現在の形になりました。 -
この庭園は、明治天皇・木戸孝允・アメリカ大統領となったグラント将軍などが訪れた歴史ある庭だそうです。
あまり大きくはありませんが、苔むした池泉回遊式の園内は趣がある風情でした。 -
雨上がりの中、緑が鮮やかです。
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東西に細長く造られた池泉回遊式庭園の逍遥園。
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右の建物は、茶室・紫雲閣。
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サツキが咲いていますが、ここは紅葉の名所でもあります。
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鶴亀の中の島など琵琶湖の近江八景を模したと言われています。
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美しい庭園でした。
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昼食は、輪王寺近くの「日光カステラ本舗・磐梯日光店」。
1階は金箔入りの日光カステラなどの土産売り場、2階が団体用レストラン、駐車場は左側にある坂を上がった3階です。 -
この時期は、修学旅行シーズン・・・横浜の小学校から大勢の生徒が来ていました。
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お昼ごはんは『葵御膳」・・・4月2日に三仏堂で行う強飯式をイメージした大杯膳に、湯葉料理などが並んでいます。
生ビールと一緒に、湯葉料理と栗おこわを美味しく頂きました。
因みに、小学生はカレーライス。 -
道路を挟んだ向かいにあるコンビニにあったこの地図は、分かりやすい。
時間があったので、地図にあった教会(日光カステラ本舗の左側)を覗いてみました。 -
この教会は、日本聖公会の「日光真光教会」。
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明治8年に英語のガイドブックが出版されて、日光には多くの外国人が訪れるようになりました。
明治32年に米国人・ガーディナーの設計で木造の礼拝堂が建てられ、大正5年に現在の石造りの礼拝堂が造られました。 -
低い四角の鐘塔など、ヨーロッパの古城を思わせる石造りの教会です。
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礼拝堂内の祭壇・・・聖書台の足下の床下にガーディナーは眠っています。
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入り口側。
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花びらのような祭壇上のステンドグラス「キリストの変容」・・・イエス・キリストが光り輝く姿に変る場面だそうで、光を通して祭壇の上に輝いていました。
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上段は左から右へ聖ペテロの天国への鍵、聖アンデレの斜めの十字架、聖ヤコブの牧杖、聖トマスの定規。
中段はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四聖人。 -
洗礼盤上のステンドグラス・・・飛ぶ鳥でしょうか。
思いがけない所で、素晴らしいステンドグラスを鑑賞できました。 -
昼食の後、霧降ノ滝に行きました。
華厳滝・裏見滝とともに日光三名瀑の一つで、日本の滝百選にも選ばれています。霧降滝 自然・景勝地
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10分ほど歩いて・・・
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観瀑台に到着。
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霧降ノ滝は、上下二段に分れていて、上滝は25m、下滝は26mで、全長は75m。
滝の一番上の幅は約3mですが、下部では約15mにも広がり、霧降川に注いでいます。
途中、段になった岸壁に当たって、その時に飛び散る水しぶきが、霧のかかったように煙って見えることから霧降ノ滝と呼ばれています。霧降滝 自然・景勝地
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上滝・・・梅雨の雨水を集めて、豪快に流れ落ちています。
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下滝・・・観瀑台から滝壺へ下りる道がありますが、現在は通行止め。
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江戸時代を代表する浮世絵師・葛飾北斎が描いた霧降ノ滝。
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滝見学路の入り口にある「山のレストラン」。
1階テラス席または2階の展望室からは、霧降ノ滝を含め山々が一望でき、紅葉の季節はさぞかし美しかろうと思います・・・もちろん、今の季節も緑が美しい。 -
観瀑台からとは違った角度で滝が見えますが、ガラス越しなので、写真はイマイチ。
一気に落ちる華厳の滝とは違い、上段ではやや激しく、下段は優しく流れ落ちています。 -
滝の駐車場にあるトイレの注意書き・・・ ” 野生動物が入って来るので、開けたドアは必ず閉めて下さい ”
トイレに入ってて、隣を見たらおサルさんが用を足してた(?)なんてのも、楽しいかも・・・ -
観光が終わり、これから3カ所のお土産屋に立ち寄ります。
鬼怒川方面に向かう途中、突然、ガイドさんが ” アー! サルの親子が!! ” ・・・写真で分かります? -
先ず、最初の店は「鬼怒川お菓子の城」・・・外観は欧風のメルヘンチックな建物なので、とても目立ちます。
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昭和43年の創業以来、いろんなお菓子を作っていますが、今の一番人気は、こちらの『かりんとうまんじゅう』・・・お友達へのお土産に、早速購入しました。
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時間があったので、周りを歩いてみました。
国道121号線沿いにある店の東側には鬼怒川が流れており、「中岩ダム」と発電所があります。
大正13年に竣工した重力式アーチダムで、特徴的な導流壁は背びれのような感じで、ピアの補強を兼ねているそうです。中岩 自然・景勝地
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大正生まれの中岩ダムですが、昭和42年から44年にかけて大規模な改修工事を行いました。
10門あったクレストゲートは、その時に、現在の6門に変更。
各ゲート間にリブ状の導流壁が立っているのが他のダムには見られない特徴ですが、この部分も改修工事で付けられたそうです。中岩 自然・景勝地
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ダムの左側には、魚道が設置されています・・・このお蔭で、アユ・ヤマメ・ウグイなども安心して川を行き来する事が出来るのでしょうね。
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鬼怒川の東側には、東武鬼怒川線が走っています・・・丁度、特急・スペーシアが通過中。
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次に向かったのは「日光ろばたづけ・鬼怒川店」・・・明治30年の創業以来、味噌・醤油醸造の中で作り上げた、日光名物「たまり漬」の製造直売店です。
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店内で、一口サイズの海苔巻を試食・・・大根のたまり漬と海苔巻が、絶妙のバランス!
一人一個の試食のはずが、後で聞いたら皆さん2~3個は試食したようです。
美味しかったです・・・茨城の『かねふくめんたいパーク』の試食を、思い出しました。 -
お土産を買った後、外に出てみると、道路沿いに植えられた沢山のユリの花が、見頃を迎えていました。
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香の良い綺麗な花を見ていると、心が和みます。
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最後のお店は「日光甚五郎煎餅」の石田屋・・・明治40年に創業の老舗です。
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日光甚五郎煎餅は、日光東照宮に「ねむり猫」の彫刻を残した、名匠・左甚五郎の名に因んで名付けたものです。
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先ずは試食を・・・
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食べてみると、これが美味しい!
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ガラス越しに工場見学も出来ます。
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煎餅の素になる、かき餅。
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煎餅製造設備。
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箱詰めの工程。
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軽くパリッと焼き、バターオイルと塩で味付けした日光甚五郎煎餅は、サクサクとした食感で飽きのこない塩味で、とても美味しい!・・・あれもこれもお土産に買いました。
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帰りに、関越の寄居PAで休憩。
平成22年にリニューアルオープンしたPAの愛称は「寄居 星の王子さまPA」・・・サン=テグジュペリの童話「星の王子さま」をコンセプトとした、日本初のテーマパーク型のパーキングエリアです。 -
右手は、たっぷりとスペースを取ったトイレ棟・・・壁には羊が描かれています。
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看板などもすべてフランス語。
自動販売機も、雰囲気を壊さないようにデコレーションされています。 -
パーキングエリア全体が、星の王子さまの作者、サン=テグジュペリゆかりの地である南フランス・プロバンス風の街並みになっています。
施設内の店名はすべて、星の王子さまで使用されている一節から、付けられています。
これは「サンク・サン・ミリオン・ドゥ・グルロ(五億の鈴)」と名付けられたショップ・・・星の王子さまが、自分の星に帰っていく最後の場面からきています。 -
店内では、星の王子さまグッズや絵本が並び、プロバンス地方の特産物や、このPAでしか販売されないオリジナルグッズも用意されています。
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このパン屋さんは、金色の麦畑をみると王子さまのことを思い出す、というキツネの言葉からきた、「シュブー・トゥ・ドレ(金色の髪)」という名前。
PAにはテラス席も多く、食事休憩にもピッタリです。 -
レストラン「ル・プチ・プランス」では、プロバンス地方の家庭料理が楽しめます。
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ガーデンには、バラに囲まれた王子さまの像・・・足下にはキツネもいます。
王子と仲良くなったキツネは、別れ際に、” Le plus important est invisible ” 「大切なものは、目に見えない」という「秘密」を王子に教えました。 -
サン=テグジュペリ(1900~1944)は、フランス・リヨンの作家で、パイロットでした。
1926年、26歳で作家としてデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表しています。
『星の王子さま』は、飛行機事故で亡くなる直前の1943年に出版されました。
『紅の豚』で1920年代の飛行艇乗りを描いた宮崎駿は、サン=テグジュペリの愛読者だそう。 -
綺麗な花に囲まれたパーキングエリアで、メルヘンのひと時でした。
この日は、東京・三鷹で、信じられないような大粒・大量の雹が降りましたが、私達は雨も殆ど無しで、新緑の日光を楽しんだ一日でした。
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