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軽井沢には2つの有名なクラシックリゾートホテルがあります。一つは現役のホテルの役目を終えた三笠ホテルと、もう一つは今も尚、人気のリゾートホテルとして営業中の万平ホテル。<br />どちらも創業を遡ると避暑地軽井沢の中興の祖である佐藤万平とA・C・ショーの2人の人物が深くかかわっていました。<br />

軽井沢のクラシックリゾートホテル

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2008/07/27 - 2008/07/27

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旅行記グループ 長野旅行記

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

軽井沢には2つの有名なクラシックリゾートホテルがあります。一つは現役のホテルの役目を終えた三笠ホテルと、もう一つは今も尚、人気のリゾートホテルとして営業中の万平ホテル。
どちらも創業を遡ると避暑地軽井沢の中興の祖である佐藤万平とA・C・ショーの2人の人物が深くかかわっていました。

交通手段
高速・路線バス 自転車 JRローカル 徒歩
  • 軽井沢の緑の中に埋もれるように建つクラシックリゾートホテル、万平ホテルは、軽井沢の国際的避暑地として発展するきっかけになったホテルです。

    軽井沢の緑の中に埋もれるように建つクラシックリゾートホテル、万平ホテルは、軽井沢の国際的避暑地として発展するきっかけになったホテルです。

  • 私が30年前に2ヶ月滞在していた頃は、あのジョンレノンが長期滞在して話題になっていましたが、最近では森ビルグループの傘下に入って、今も尚、軽井沢の古き良き時代の名残を伝える歴史あるホテルです。

    私が30年前に2ヶ月滞在していた頃は、あのジョンレノンが長期滞在して話題になっていましたが、最近では森ビルグループの傘下に入って、今も尚、軽井沢の古き良き時代の名残を伝える歴史あるホテルです。

  • 全国のクラシックホテルを見て回るのが私の趣味のひとつですが(見るだけでまだ泊まったことがないのですが・・・)ここもフロントはかなり時代を感じさせるものがあります。

    全国のクラシックホテルを見て回るのが私の趣味のひとつですが(見るだけでまだ泊まったことがないのですが・・・)ここもフロントはかなり時代を感じさせるものがあります。

  • 万平ホテルの起源は古く、1764年(明和元年) 佐藤万右衛門なる人物が、旅籠「亀屋」を開業し、現在の万平ホテルの歴史が産声を上げます。

    万平ホテルの起源は古く、1764年(明和元年) 佐藤万右衛門なる人物が、旅籠「亀屋」を開業し、現在の万平ホテルの歴史が産声を上げます。

  • 1895年(明治27年)「亀屋ホテル」から現在の「万平ホテル」に改称され、創業元年となります。

    1895年(明治27年)「亀屋ホテル」から現在の「万平ホテル」に改称され、創業元年となります。

  • パーテーションに埋め込まれた丸いステンドグラス。この花は桔梗でしょうか。

    パーテーションに埋め込まれた丸いステンドグラス。この花は桔梗でしょうか。

  • 今の建物が完成したのが1936年(昭和11年)の事

    今の建物が完成したのが1936年(昭和11年)の事

  • このステンドグラスは昭和初期の風俗を描いたものです。

    このステンドグラスは昭和初期の風俗を描いたものです。

  • 木造のこのホテル全館すべて禁煙になっています。

    木造のこのホテル全館すべて禁煙になっています。

  • 今度は場所を移して、旧軽銀座の北側の三笠地区にある三笠ホテルを紹介します。

    今度は場所を移して、旧軽銀座の北側の三笠地区にある三笠ホテルを紹介します。

  • 旧三笠ホテルは、日本郵船や明治製菓の重役を務めた実業家の山本直良氏が創業しました。

    旧三笠ホテルは、日本郵船や明治製菓の重役を務めた実業家の山本直良氏が創業しました。

  • この人は、森永製菓のTVコマーシャル『大きいことはいいことだ』や映画『男はつらいよ』の主題歌の作曲者としても有名な音楽家・山本直純氏のおじいいちゃんなんですね。

    この人は、森永製菓のTVコマーシャル『大きいことはいいことだ』や映画『男はつらいよ』の主題歌の作曲者としても有名な音楽家・山本直純氏のおじいいちゃんなんですね。

  • 山本は明治37年、三笠山の麓に25万坪の土地を購入しを購入し牧場を営むことを考えていましたが、土壌に問題があり断念。そこで知人の万平ホテルの主人に知恵を借り、三笠ホテルを造ることを決意し、設計を欧米に学んだ岡田時太郎に、監督を万平ホテルの佐藤万平に頼みました。

    山本は明治37年、三笠山の麓に25万坪の土地を購入しを購入し牧場を営むことを考えていましたが、土壌に問題があり断念。そこで知人の万平ホテルの主人に知恵を借り、三笠ホテルを造ることを決意し、設計を欧米に学んだ岡田時太郎に、監督を万平ホテルの佐藤万平に頼みました。

  • 佐藤万平は、万平ホテルを建てた軽井沢一の棟梁小林代造を紹介し、明治37年(1904年)に着工し、翌38年に竣工したたこのホテル、すべて日本人によってつくられています。

    佐藤万平は、万平ホテルを建てた軽井沢一の棟梁小林代造を紹介し、明治37年(1904年)に着工し、翌38年に竣工したたこのホテル、すべて日本人によってつくられています。

  • 1階のフロントとロビー

    1階のフロントとロビー

  • 松の枝をデザインした中央に三笠のマークが入っています。

    松の枝をデザインした中央に三笠のマークが入っています。

  • 天上にぶら下がるシャンデリア これもレトロですね。

    天上にぶら下がるシャンデリア これもレトロですね。

  • この時代の建物暖炉は欠かせません。

    この時代の建物暖炉は欠かせません。

  • 直線に伸びるこの階段は使用禁止になっていました。

    直線に伸びるこの階段は使用禁止になっていました。

  • このホテル、すべて日本人によってつくられています。日本人設計者と日本人の技によって作り上げた明治時代の日本の建築技術の粋を集めた純国産の西洋建築様式の建物ということです。

    このホテル、すべて日本人によってつくられています。日本人設計者と日本人の技によって作り上げた明治時代の日本の建築技術の粋を集めた純国産の西洋建築様式の建物ということです。

  • ホテルとしての営業は明治39年(1906年)に開始されました。

    ホテルとしての営業は明治39年(1906年)に開始されました。

  • 電灯によるシャンデリア照明、英国製タイル張りの水洗便所、英国製のカーペットの採用など、当時の最先端・最高級の設備が整えられていたそうです。

    電灯によるシャンデリア照明、英国製タイル張りの水洗便所、英国製のカーペットの採用など、当時の最先端・最高級の設備が整えられていたそうです。

  • 客室30に対し定員は40人という、かなり贅沢なつくりです。

    客室30に対し定員は40人という、かなり贅沢なつくりです。

  • 窓の向こうの緑 森の中のリゾートホテルを感じさせます。

    窓の向こうの緑 森の中のリゾートホテルを感じさせます。

  • 明治時代に作られたホテルでプールもあったそうですからいかに高級なホテルだったかわかりますよね。

    明治時代に作られたホテルでプールもあったそうですからいかに高級なホテルだったかわかりますよね。

  • 当時は軽井沢駅までの道のりを黒塗りの馬車で送迎するサービスもあったそうです。馬車での送迎 乗ってみたいですね。

    当時は軽井沢駅までの道のりを黒塗りの馬車で送迎するサービスもあったそうです。馬車での送迎 乗ってみたいですね。

  • そんな豪華さゆえ宿泊していたのは、渋沢栄一や団琢磨(旧三井財閥総帥)、住友吉左衛門(旧住友財閥総帥)、乃木希典将軍、近衛文麿、有島武郎、里見淳、清朝最後の皇帝溥儀といったそうそうたる顔ぶれが宿泊する、華やかな社交の舞台となっていました。

    そんな豪華さゆえ宿泊していたのは、渋沢栄一や団琢磨(旧三井財閥総帥)、住友吉左衛門(旧住友財閥総帥)、乃木希典将軍、近衛文麿、有島武郎、里見淳、清朝最後の皇帝溥儀といったそうそうたる顔ぶれが宿泊する、華やかな社交の舞台となっていました。

  • そんなこの三笠ホテルを巷では『軽井沢の鹿鳴館』と呼んでいたそうです。<br />

    そんなこの三笠ホテルを巷では『軽井沢の鹿鳴館』と呼んでいたそうです。

  • この場所いい感じですね。

    この場所いい感じですね。

  • そんな華やかな時代も長くは続かず、大正14年には創業者の山本の手から放れ明治屋の所有となり、昭和19年から戦争のために休館となり、さらに終戦後は米軍に接収され、昭和27年山名伝兵衛が借り受けて『三笠ハウス』と改称されました。

    そんな華やかな時代も長くは続かず、大正14年には創業者の山本の手から放れ明治屋の所有となり、昭和19年から戦争のために休館となり、さらに終戦後は米軍に接収され、昭和27年山名伝兵衛が借り受けて『三笠ハウス』と改称されました。

  • その後老朽化がすすみ、昭和45年(1970)64年の歴史に幕を閉じ廃業となりました。その後日本長期信用銀行の所有となって現在の地に移築復元されました。<br />

    その後老朽化がすすみ、昭和45年(1970)64年の歴史に幕を閉じ廃業となりました。その後日本長期信用銀行の所有となって現在の地に移築復元されました。

  • 米軍接収の頃火災により別館が焼失され、往時の半分の規模になって保存されています。<br />

    米軍接収の頃火災により別館が焼失され、往時の半分の規模になって保存されています。

  • 木造の建物なので移築されているものの老朽化は更に進んでいるようで、廊下もうぐいす張りのようにかなりぎしぎし鳴いています。

    木造の建物なので移築されているものの老朽化は更に進んでいるようで、廊下もうぐいす張りのようにかなりぎしぎし鳴いています。

  • クラシックホテル 何か味わい深くていいなあ。

    クラシックホテル 何か味わい深くていいなあ。

  • だだっ広いトイレの中に小便器がひとつ。これって広すぎて落ち着かないのでは・・・。

    だだっ広いトイレの中に小便器がひとつ。これって広すぎて落ち着かないのでは・・・。

  • いや〜 この空間いいなあ こんなホテル泊まってみたいですね。

    いや〜 この空間いいなあ こんなホテル泊まってみたいですね。

  • 昔の金魚鉢を逆さにしたようないかにも手作りのガラスのランプシェード。

    昔の金魚鉢を逆さにしたようないかにも手作りのガラスのランプシェード。

  • この照明のガラスの色もきれいですね。

    この照明のガラスの色もきれいですね。

  • 23号室  室名板はいたってシンプルです。<br />

    23号室  室名板はいたってシンプルです。

  • 猫足のバスタブいいですね。

    猫足のバスタブいいですね。

  • 相隣のように屋根の乗っているのは避雷針のようです。

    相隣のように屋根の乗っているのは避雷針のようです。

  • 1905年に建築されて以来、政財界の要人・文人に愛され「軽井沢の鹿鳴館」と言われた木造純西洋式ホテルでしたが、その後の経営は赤字続きでホテルは大正14年に手放され、昭和45年にはホテルとしての営業に幕を下ろしました。

    1905年に建築されて以来、政財界の要人・文人に愛され「軽井沢の鹿鳴館」と言われた木造純西洋式ホテルでしたが、その後の経営は赤字続きでホテルは大正14年に手放され、昭和45年にはホテルとしての営業に幕を下ろしました。

  • 現在は国の重要文化財に指定され公開されています。<br /><br />所在地  軽井沢町大字軽井沢1339−342 <br />TEL 0267−42−7072 (旧三笠ホテル) <br />開館時間 9時 〜 17時 <br />休館日 年末年始 <br />入館料 大人400円 子ども200円 <br />

    現在は国の重要文化財に指定され公開されています。

    所在地  軽井沢町大字軽井沢1339−342
    TEL 0267−42−7072 (旧三笠ホテル)
    開館時間 9時 〜 17時
    休館日 年末年始
    入館料 大人400円 子ども200円

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