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軽井沢宿→沓掛宿へのウォークです<br /><br /><br /><br />沓掛宿 第十九宿(日本橋より150.5km)<br />佐久最古の村落と伝わる古道。宿場当時、草津道の分岐点としての役割を果たした。沓掛の名が残るのは、長倉神社にある新国劇の名作「沓掛時次郎」の碑のみ。<br /><br />追分宿 第二十宿(日本橋より154.5km)<br />中山道と北国街道の分岐点にある。官道時代から交通の要衝で、江戸時代に入ると宿場は著しく発展した。<br /><br />北国街道:北陸道と中山道を結ぶ街道。小諸、長野を過ぎて直江津で合する。<br /><br /><br />

中山道NO.12 (長野県) 軽井沢宿→沓掛宿へ

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2008/12/03 - 2008/12/03

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ムッシュ

ムッシュさん

軽井沢宿→沓掛宿へのウォークです



沓掛宿 第十九宿(日本橋より150.5km)
佐久最古の村落と伝わる古道。宿場当時、草津道の分岐点としての役割を果たした。沓掛の名が残るのは、長倉神社にある新国劇の名作「沓掛時次郎」の碑のみ。

追分宿 第二十宿(日本橋より154.5km)
中山道と北国街道の分岐点にある。官道時代から交通の要衝で、江戸時代に入ると宿場は著しく発展した。

北国街道:北陸道と中山道を結ぶ街道。小諸、長野を過ぎて直江津で合する。


  • <br />【木曽海道六拾九次之内 軽井澤 広重画】<br />広重は左手の背景に離山、そして右手に軽井沢の宿並みを描いています、この辺りは軽井沢宿の西外れにあたり、街道は平坦になっています。<br />山間の日暮れは早く、釣瓶(つるべ)落しといわれ、明かりは二か所の焚火だけです、風が無く、煙は真っ直ぐに立ち上っている。<br /><br />旅人は焚火から煙管の煙草に火を付けています、馬上の旅人は馬子から煙草の火を借りています。<br /><br />宿場はもう眼と鼻の先です、ここで一服です


    【木曽海道六拾九次之内 軽井澤 広重画】
    広重は左手の背景に離山、そして右手に軽井沢の宿並みを描いています、この辺りは軽井沢宿の西外れにあたり、街道は平坦になっています。
    山間の日暮れは早く、釣瓶(つるべ)落しといわれ、明かりは二か所の焚火だけです、風が無く、煙は真っ直ぐに立ち上っている。

    旅人は焚火から煙管の煙草に火を付けています、馬上の旅人は馬子から煙草の火を借りています。

    宿場はもう眼と鼻の先です、ここで一服です

  • 軽井沢の旧軽銀座で有名な商店街。<br /><br />秋も終わりにちかく、人は閑散として静かな感じです。<br />ショーハウスから旧軽を中心地に向かって歩いています。

    軽井沢の旧軽銀座で有名な商店街。

    秋も終わりにちかく、人は閑散として静かな感じです。
    ショーハウスから旧軽を中心地に向かって歩いています。

  • 『軽井沢宿』<br />日本橋から18番目の宿。<br />人口 451人(男:189人 女:262人)家数:119件 本陣:1 脇本陣:4,旅籠:21<br /> 小諸領に属し,わずかな粟と稗の産する寒村であったこの地は,江戸時代に入ると中山道が碓氷峠を越えて信濃入りする最初の宿場として発展した。峠を越えれば展望は開け,噴煙たなびく浅間山を眺めその景観は旅人の醍醐味であったという。<br /> 参勤交代が制度化された寛永年間から、諸大名を初め,公家・勅使などの通行が増え活気づき、最盛期には旅籠100軒もあったとされ中山道でもっとも盛えた宿場であった。<br /> しかし,天明3年(1783)浅間山の大噴火により火山灰が1.3mも積もるという被害やその後の大火,天明の飢饉にも見舞われ,宿は復興の力を消失し幕末頃には飯盛女が120人もいる遊女の宿と化した。<br /> その後明治23年宣教師アレクサンダー・ショーが外国人の別荘を立てるなど,高級別荘地・避暑地としての名が広まりかつ観光地化して現在に到る。

    『軽井沢宿』
    日本橋から18番目の宿。
    人口 451人(男:189人 女:262人)家数:119件 本陣:1 脇本陣:4,旅籠:21
     小諸領に属し,わずかな粟と稗の産する寒村であったこの地は,江戸時代に入ると中山道が碓氷峠を越えて信濃入りする最初の宿場として発展した。峠を越えれば展望は開け,噴煙たなびく浅間山を眺めその景観は旅人の醍醐味であったという。
     参勤交代が制度化された寛永年間から、諸大名を初め,公家・勅使などの通行が増え活気づき、最盛期には旅籠100軒もあったとされ中山道でもっとも盛えた宿場であった。
     しかし,天明3年(1783)浅間山の大噴火により火山灰が1.3mも積もるという被害やその後の大火,天明の飢饉にも見舞われ,宿は復興の力を消失し幕末頃には飯盛女が120人もいる遊女の宿と化した。
     その後明治23年宣教師アレクサンダー・ショーが外国人の別荘を立てるなど,高級別荘地・避暑地としての名が広まりかつ観光地化して現在に到る。

  • 【つるや旅館】<br />昔は休み茶屋だった店で、旅人に強飯、ざるそば、煮飯などを食べさせていたという。明治以降に旅館となり、芥川龍之介、堀辰雄など文人が多く逗留した。昔の建物は昭和46年に焼けたが、玄関には昔の「つるや」の看板を下げ、連子格子の窓などに往時をしのばせる。

    【つるや旅館】
    昔は休み茶屋だった店で、旅人に強飯、ざるそば、煮飯などを食べさせていたという。明治以降に旅館となり、芥川龍之介、堀辰雄など文人が多く逗留した。昔の建物は昭和46年に焼けたが、玄関には昔の「つるや」の看板を下げ、連子格子の窓などに往時をしのばせる。

  • 【つるや旅館全景】  <br />看板は昔ながらのものです。<br />明治以降は旅館となり島崎藤村、堀辰雄等の文人が多数宿泊しました。<br />行燈前には中山道軽井沢宿標石があり、往時はこの辺りに東の枡形がありました、ここが江戸(東)口です。<br /><br />「つるや」は江戸時代にここで茶屋を開いていたが、明治から旅館に変わり、多くの文士が訪れるようになって繁盛した。<br />  大正時代には、島崎藤村・芥川龍之介・谷崎潤一郎・室生犀星・志賀直哉・掘辰雄らが逗留した。昭和47年(1972)に昔の面影を残すように再建され

    【つるや旅館全景】  
    看板は昔ながらのものです。
    明治以降は旅館となり島崎藤村、堀辰雄等の文人が多数宿泊しました。
    行燈前には中山道軽井沢宿標石があり、往時はこの辺りに東の枡形がありました、ここが江戸(東)口です。

    「つるや」は江戸時代にここで茶屋を開いていたが、明治から旅館に変わり、多くの文士が訪れるようになって繁盛した。
      大正時代には、島崎藤村・芥川龍之介・谷崎潤一郎・室生犀星・志賀直哉・掘辰雄らが逗留した。昭和47年(1972)に昔の面影を残すように再建され

  • 【芭蕉句碑】<br />天保14年(1843年)に軽井沢宿の俳人小林玉蓬が芭蕉翁百五十回忌に建碑したもの<br />「馬をさへながむる雪のあした哉」(野ざらし紀行所収句)<br />

    【芭蕉句碑】
    天保14年(1843年)に軽井沢宿の俳人小林玉蓬が芭蕉翁百五十回忌に建碑したもの
    「馬をさへながむる雪のあした哉」(野ざらし紀行所収句)

  • 【芭蕉句碑】<br />「馬をさへながむる雪のあした哉」<br />(松尾芭蕉(1644~1694)「野ざらし紀行」(甲子吟行)中の一句。<br />前書きに「旅人をみる」とある。雪のふりしきる朝方、往来を眺めていると、多くの旅人がさまざまな風をして通って行く。人ばかりではない。駄馬などまでふだんとちがって面白い格好で通っていくよの意。<br /> 碑は天保14年(1843)当地の俳人小林玉蓬によって、芭蕉翁百五十回忌に建てられたものである。

    【芭蕉句碑】
    「馬をさへながむる雪のあした哉」
    (松尾芭蕉(1644~1694)「野ざらし紀行」(甲子吟行)中の一句。
    前書きに「旅人をみる」とある。雪のふりしきる朝方、往来を眺めていると、多くの旅人がさまざまな風をして通って行く。人ばかりではない。駄馬などまでふだんとちがって面白い格好で通っていくよの意。
     碑は天保14年(1843)当地の俳人小林玉蓬によって、芭蕉翁百五十回忌に建てられたものである。

  • 軽井沢発展の礎をつくったショー氏の記念碑が建つ。<br />日本聖公会軽井沢ショー記念礼拝堂入口。

    軽井沢発展の礎をつくったショー氏の記念碑が建つ。
    日本聖公会軽井沢ショー記念礼拝堂入口。

  • れすとらんGUMBO<br /><br />かつては、本陣1、脇本陣4、旅籠21、茶屋12軒もあり飯盛り女は200人を超えていた<br />碓氷峠を控え、賑やかな宿場であった

    れすとらんGUMBO

    かつては、本陣1、脇本陣4、旅籠21、茶屋12軒もあり飯盛り女は200人を超えていた
    碓氷峠を控え、賑やかな宿場であった

  • 南原交差点を越すと右手に【旧雨宮邸】<br />雨宮敬二郎は明治時代一代で財を築いた人物で軽井沢の開発に尽力し、軽井沢の唐松林は雨宮が植林したものです。<br />敷地奥の右手に旧雨宮邸新屋敷があります、明治末期に120坪の座敷を新築し、政財界の人達は、軽井沢に避暑に来るとこの屋敷に宿泊した。

    南原交差点を越すと右手に【旧雨宮邸】
    雨宮敬二郎は明治時代一代で財を築いた人物で軽井沢の開発に尽力し、軽井沢の唐松林は雨宮が植林したものです。
    敷地奥の右手に旧雨宮邸新屋敷があります、明治末期に120坪の座敷を新築し、政財界の人達は、軽井沢に避暑に来るとこの屋敷に宿泊した。

  • 新雪に噴煙の上る美しい浅間山

    新雪に噴煙の上る美しい浅間山

  • 新雪に噴煙も昇る美しい浅間山。

    新雪に噴煙も昇る美しい浅間山。

  • 中軽井沢JR駅前広場にたつクリスマスツリーをイメージしたロウソク立てです。<br /><br /><br />次へ  中山道NO.13(長野県)沓掛宿→追分宿へ<br />https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10306778/

    中軽井沢JR駅前広場にたつクリスマスツリーをイメージしたロウソク立てです。


    次へ  中山道NO.13(長野県)沓掛宿→追分宿へ
    https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10306778/

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