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<2004年11月5日(金)><br /><br /> 第1陣からご一緒だったMyちゃんの帰国日です。10時30分のフライトなので、2時間前の8時半には上海空港へ着いておく必要があります。それから逆算すると、7時半頃には出発しなければなりません。<br /><br /><朝のお別れ、朝食><br /> 昨日のOgさんとEnちゃんの会話を漏れ聞いて仕舞いました。翌朝早くMyちゃんが帰国するので、Ogさんが早起きして朝食を作られるといったことでした。<br /> その日のメモでは、7:00起床・洗顔、7:30お見送りとありました。旅行中、ほとんどメモは取りませんが、時刻だけは記憶しようがありませんので、時々メモしています。着替える時間がありませんでしたから、失礼ながら、パジャマ姿でお別れしました。<br /> 空港まではEnちゃんが同行されました。お父さんの専用車と運転手さんが迎えに来てくれたようです。私は、道路までは出ませんでしたから、確認はしていません。<br /> そんなことで、Ogさんが作ってくれた朝食をご馳走になりました。ご飯に味噌汁、ピクルス風の漬物と、思わない和定食を楽しみました。<br /><br /><2回目の洗濯><br /> Enちゃんの帰りは10時頃になりそうだとの見当から、朝の時間に余裕が出来ました。<br /> それで、昨日、うっかり洗濯忘れをした分を追加で洗濯することにしました。洗濯機の使い方は、もう完璧です。天候は少し怪しくなってきましたので、干し場を移動して、1階の駐車場にしました。これなら、乾きは遅いものの、外出中に雨が降っても大丈夫です。<br /> Enちゃんは、Myちゃんの出国をお見送りして、10時頃に無事帰宅されました。洗濯も終わって、出発準備も完了していました。この時のメモには「10:30分、豫園に出発」とだけ記されていました。<br /><br /><上海市の模型><br /> 上海の大掛かりな模型展示場があると言うので、この展示場にやって来ました。豫園の前に見学したのか、その後だったかは、少し記憶があいまいですが、写真の順番から、こちらが先だったようです。ビルの名前は覚えていませんが、人民広場近くです。有料で入場した展示館の1階フロアー一杯に、大小さまざまな模型が展開していました。<br /> 河、橋、ビル、道路などが忠実に縮小モデルになっていました。分かりやすい黄浦江を基準にそのモデルを観察すると、ある程度上海の主要な私設、地域が見えてきました。その中には既に見学を終えたものもありました。分かりやすい建物は東方明珠塔、大茂大厦などでした。豫園は少し分かりにくかったものの、黄浦江の西岸に近い位置で見当がつきました。<br /> 泊めて貰っている君臨頤和花園は模型の範囲から少し離れているようで、確認できませんでした。模型の一番南の橋より、もう少し南の橋を西に渡った位置になるようでした。Enちゃんの実家のマンションは良く分かりました。その近くにある、昨日の最高実力者の隠居宅の公園も見当がつきました。<br /> 模型がまだ完成していない河沿いの地域がありましたが、これは万博予定地でした。既に日本、ブラジル、韓国などの国旗が記され、展示場が確定していました。<br /><br /><昼食のお店での出来事><br /> 昼食は豫園界隈のレストランにしました。ワンタン、焼きそば、小籠包み、チャーハンを1品づつ頼んで、分け合って食べました。焼きそばは油が分離して余り美味しくなく、小籠包だけは、出てくるまでにやたらと時間がかかってしまいました。総じて、余り印象の良くない昼食になりました。<br /> そんな中で、印象に残ることが2つありました。その1つは一人子政策の歪みたいな光景でした。両親、双方の祖父母の6名で無理やり食べさせられて超肥満になった男の子がいました。テーブルを軽く一回りしては、もう一度食べさせられていました。Ogさんに少し頭をよけていただいて、そのテーブルを写しました。ズームの方はピントがずれました。<br /> もう1つの光景は、子守のメイドさん付の食事風景でした。メイドさんはフィリピン辺りの中国にとっての外国の若い女性でした。相当の貧富の差が生じているようでした。<br /><br /><再び豫園><br /> 食事の後、14時に集合することで自由行動の時間になりました。私は早速、豫園に入場し写真を撮りました。前回の見学のときは豫園周辺の写真でしたから、今回は中の庭園等の写真です。<br />3、40分で60枚ほどを撮って集合場所に集まりました。皆さんもほぼ用事を済まされたらしく、スターバックスでコーヒーを買って車に戻りました。因みにミディアムサイズのホットコーヒーは15元でした。日本円換算では200円弱ですから、外国製品は高めになるのでしょう。<br /> ところで、このとき撮った豫園の写真は、中国旅行記(1)「西安と上海を訪ねて」の改定版に使用する予定です。1997年の旅行ですから、7年ほど前になります。第1陣との見学の項目で、既に触れました。<br /> 写真を撮りながら駆け足での豫園見学でしたが、さすがに名園の誉れ高く、どの角度で切り取っても絵になる風景でした。<br /><br /><自由市場での買い物><br /> 第1陣と訪れたときは旅の初めでしたから、買い物は極力控えました。しかし、今回は買い物が目的で自由市場にやって来ました。皆さん達とのコンビで、実に楽しい、お値打ちな買い物をしました。紹介します。<br /> 最初にOgさんのブーツです。確か680元の値札がついていました。最初は400元当たりから、なかなか値段が下がりませんでした。Ogさんが隣の店で別の品を探す素振りをして、結局200元まで値引きが出来ました。ミンクオイルを塗って愛用されています。<br /> 1つの目安が1/3の値段でしょう。Taさんの靴も値引きに成功しました。私も店の電卓を探して、値引き交渉を応援しました。<br /> 次は若ウサギの襟巻きです。定価が150元から180元といったところでした。日本円で2千円前後の品物です。これを最初は50元程に値切って喜んでいましたが、最終的には纏め買いで30元まで値切ってしまいました。1/5〜1/6の値段です。<br /> さすがにここまで値切ると、少しお店の人が可哀想になりました。日本円で400円以下でした。<br /> 私の場合、平均価格40元で10本買い求めました。もう既にプレゼントしましたから、手元にはありません。Ktさんが50元で買い求めた首飾りが欲しくて、その店に案内してもらいました。Ktさんを前にして、直ぐに45元になりました。しかし、30元を提示したら、売らずに仕舞われてしまいました。この値段では儲けが出ないことが分かりました。<br /> 実は豫園近くでは、玉の買い物をしました。最初の値段は1860元でしたが、1/10以下の150元に値切りました。5cmほどの象の置物ですが、鼠地に肩にかけて茶色が入ったところが気に入りました。紫檀の台付です。店の人がガラスに傷を付けて確認した品です。手に持った重たさから見て、まず本物でしょう。これは手元にあります。<br /><br /><盲流の人達><br /> 「盲」の文字は日本では差別用語とされています。漢字を別の漢字で置き換えるのも難しいので、止む無くそのまま使います。<br /> 「盲流」はそのまま熟語で使われているようです。正確な定義は知りませんが、「都市へ職を求めて地方から流入する定職、定宿を持たない労働力」といったところでしょうか。1600万人の上海市民に対し、上海での戸籍(住民権)を持たない人が400万人と言われています。日本で言えば、昔の「おのぼりさん」が似ているようですが、こちらは職業や宿泊拠点はありましたから、やはり少し違うようです。<br /> 夕食の前に上海駅付近でこの盲流の集団を見かけました。車から降りて見学するわけにはいけませんので、車の中から写真を撮りました。気の毒なので、この小冊子への掲載は差し控えました。<br /> 道路建設やビル建設現場での仕事が生活基盤のようです。こんな形での生活では、成功する人の確率は、宝籤に当たるように難しいと、お聞きした記憶があります。<br /><br /><ディナーショーの夕食><br /> 孫濱先生と奥様の楊先生とは、31日に続いてもう一度食事をご一緒する機会がありました。お店の名前は「紅子鶏美食総■」でした。写真の略字から読み解きましたから、少し(大分?)違っているようです。<br /> 2階の席を合わせると2千人とか、3千人収容とか言われる超大型店でした。注文は値段がついた見本でできました。驚いたのは、料理運びにローラースケートを履いた店員さんが飛び回っていました。<br /> ディナーショーは、この店員さん達と、正面舞台での舞踊がありました。ウイグル自治区出身の娘さん達とお聞きしました。<br /> 上海蟹も出ましたが、私の食べ方が下手だったので、Ya先生が身の出し方を教えてくれました。改めて謝謝。美味しい料理と、ディナーショーの食事でしたが、結局、S.P.先生にみんなご馳走になって仕舞いました。S.P.先生にも改めて謝謝。<br /><br /><br /> 旅の友見送る朝の寂しさよ無事の帰国を祈りし握手<br /><br /> 無事帰着便りの届く近き国上海巡る旅は続けり

2004秋、中国旅行記5(30):11月5日(1)上海・豫園、上海市模型

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2004/10/30 - 2004/11/07

11177位(同エリア11703件中)

旅行記グループ 2004秋、中国旅行記5(下巻)

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30

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2004年11月5日(金)>

 第1陣からご一緒だったMyちゃんの帰国日です。10時30分のフライトなので、2時間前の8時半には上海空港へ着いておく必要があります。それから逆算すると、7時半頃には出発しなければなりません。

<朝のお別れ、朝食>
 昨日のOgさんとEnちゃんの会話を漏れ聞いて仕舞いました。翌朝早くMyちゃんが帰国するので、Ogさんが早起きして朝食を作られるといったことでした。
 その日のメモでは、7:00起床・洗顔、7:30お見送りとありました。旅行中、ほとんどメモは取りませんが、時刻だけは記憶しようがありませんので、時々メモしています。着替える時間がありませんでしたから、失礼ながら、パジャマ姿でお別れしました。
 空港まではEnちゃんが同行されました。お父さんの専用車と運転手さんが迎えに来てくれたようです。私は、道路までは出ませんでしたから、確認はしていません。
 そんなことで、Ogさんが作ってくれた朝食をご馳走になりました。ご飯に味噌汁、ピクルス風の漬物と、思わない和定食を楽しみました。

<2回目の洗濯>
 Enちゃんの帰りは10時頃になりそうだとの見当から、朝の時間に余裕が出来ました。
 それで、昨日、うっかり洗濯忘れをした分を追加で洗濯することにしました。洗濯機の使い方は、もう完璧です。天候は少し怪しくなってきましたので、干し場を移動して、1階の駐車場にしました。これなら、乾きは遅いものの、外出中に雨が降っても大丈夫です。
 Enちゃんは、Myちゃんの出国をお見送りして、10時頃に無事帰宅されました。洗濯も終わって、出発準備も完了していました。この時のメモには「10:30分、豫園に出発」とだけ記されていました。

<上海市の模型>
 上海の大掛かりな模型展示場があると言うので、この展示場にやって来ました。豫園の前に見学したのか、その後だったかは、少し記憶があいまいですが、写真の順番から、こちらが先だったようです。ビルの名前は覚えていませんが、人民広場近くです。有料で入場した展示館の1階フロアー一杯に、大小さまざまな模型が展開していました。
 河、橋、ビル、道路などが忠実に縮小モデルになっていました。分かりやすい黄浦江を基準にそのモデルを観察すると、ある程度上海の主要な私設、地域が見えてきました。その中には既に見学を終えたものもありました。分かりやすい建物は東方明珠塔、大茂大厦などでした。豫園は少し分かりにくかったものの、黄浦江の西岸に近い位置で見当がつきました。
 泊めて貰っている君臨頤和花園は模型の範囲から少し離れているようで、確認できませんでした。模型の一番南の橋より、もう少し南の橋を西に渡った位置になるようでした。Enちゃんの実家のマンションは良く分かりました。その近くにある、昨日の最高実力者の隠居宅の公園も見当がつきました。
 模型がまだ完成していない河沿いの地域がありましたが、これは万博予定地でした。既に日本、ブラジル、韓国などの国旗が記され、展示場が確定していました。

<昼食のお店での出来事>
 昼食は豫園界隈のレストランにしました。ワンタン、焼きそば、小籠包み、チャーハンを1品づつ頼んで、分け合って食べました。焼きそばは油が分離して余り美味しくなく、小籠包だけは、出てくるまでにやたらと時間がかかってしまいました。総じて、余り印象の良くない昼食になりました。
 そんな中で、印象に残ることが2つありました。その1つは一人子政策の歪みたいな光景でした。両親、双方の祖父母の6名で無理やり食べさせられて超肥満になった男の子がいました。テーブルを軽く一回りしては、もう一度食べさせられていました。Ogさんに少し頭をよけていただいて、そのテーブルを写しました。ズームの方はピントがずれました。
 もう1つの光景は、子守のメイドさん付の食事風景でした。メイドさんはフィリピン辺りの中国にとっての外国の若い女性でした。相当の貧富の差が生じているようでした。

<再び豫園>
 食事の後、14時に集合することで自由行動の時間になりました。私は早速、豫園に入場し写真を撮りました。前回の見学のときは豫園周辺の写真でしたから、今回は中の庭園等の写真です。
3、40分で60枚ほどを撮って集合場所に集まりました。皆さんもほぼ用事を済まされたらしく、スターバックスでコーヒーを買って車に戻りました。因みにミディアムサイズのホットコーヒーは15元でした。日本円換算では200円弱ですから、外国製品は高めになるのでしょう。
 ところで、このとき撮った豫園の写真は、中国旅行記(1)「西安と上海を訪ねて」の改定版に使用する予定です。1997年の旅行ですから、7年ほど前になります。第1陣との見学の項目で、既に触れました。
 写真を撮りながら駆け足での豫園見学でしたが、さすがに名園の誉れ高く、どの角度で切り取っても絵になる風景でした。

<自由市場での買い物>
 第1陣と訪れたときは旅の初めでしたから、買い物は極力控えました。しかし、今回は買い物が目的で自由市場にやって来ました。皆さん達とのコンビで、実に楽しい、お値打ちな買い物をしました。紹介します。
 最初にOgさんのブーツです。確か680元の値札がついていました。最初は400元当たりから、なかなか値段が下がりませんでした。Ogさんが隣の店で別の品を探す素振りをして、結局200元まで値引きが出来ました。ミンクオイルを塗って愛用されています。
 1つの目安が1/3の値段でしょう。Taさんの靴も値引きに成功しました。私も店の電卓を探して、値引き交渉を応援しました。
 次は若ウサギの襟巻きです。定価が150元から180元といったところでした。日本円で2千円前後の品物です。これを最初は50元程に値切って喜んでいましたが、最終的には纏め買いで30元まで値切ってしまいました。1/5〜1/6の値段です。
 さすがにここまで値切ると、少しお店の人が可哀想になりました。日本円で400円以下でした。
 私の場合、平均価格40元で10本買い求めました。もう既にプレゼントしましたから、手元にはありません。Ktさんが50元で買い求めた首飾りが欲しくて、その店に案内してもらいました。Ktさんを前にして、直ぐに45元になりました。しかし、30元を提示したら、売らずに仕舞われてしまいました。この値段では儲けが出ないことが分かりました。
 実は豫園近くでは、玉の買い物をしました。最初の値段は1860元でしたが、1/10以下の150元に値切りました。5cmほどの象の置物ですが、鼠地に肩にかけて茶色が入ったところが気に入りました。紫檀の台付です。店の人がガラスに傷を付けて確認した品です。手に持った重たさから見て、まず本物でしょう。これは手元にあります。

<盲流の人達>
 「盲」の文字は日本では差別用語とされています。漢字を別の漢字で置き換えるのも難しいので、止む無くそのまま使います。
 「盲流」はそのまま熟語で使われているようです。正確な定義は知りませんが、「都市へ職を求めて地方から流入する定職、定宿を持たない労働力」といったところでしょうか。1600万人の上海市民に対し、上海での戸籍(住民権)を持たない人が400万人と言われています。日本で言えば、昔の「おのぼりさん」が似ているようですが、こちらは職業や宿泊拠点はありましたから、やはり少し違うようです。
 夕食の前に上海駅付近でこの盲流の集団を見かけました。車から降りて見学するわけにはいけませんので、車の中から写真を撮りました。気の毒なので、この小冊子への掲載は差し控えました。
 道路建設やビル建設現場での仕事が生活基盤のようです。こんな形での生活では、成功する人の確率は、宝籤に当たるように難しいと、お聞きした記憶があります。

<ディナーショーの夕食>
 孫濱先生と奥様の楊先生とは、31日に続いてもう一度食事をご一緒する機会がありました。お店の名前は「紅子鶏美食総■」でした。写真の略字から読み解きましたから、少し(大分?)違っているようです。
 2階の席を合わせると2千人とか、3千人収容とか言われる超大型店でした。注文は値段がついた見本でできました。驚いたのは、料理運びにローラースケートを履いた店員さんが飛び回っていました。
 ディナーショーは、この店員さん達と、正面舞台での舞踊がありました。ウイグル自治区出身の娘さん達とお聞きしました。
 上海蟹も出ましたが、私の食べ方が下手だったので、Ya先生が身の出し方を教えてくれました。改めて謝謝。美味しい料理と、ディナーショーの食事でしたが、結局、S.P.先生にみんなご馳走になって仕舞いました。S.P.先生にも改めて謝謝。


 旅の友見送る朝の寂しさよ無事の帰国を祈りし握手

 無事帰着便りの届く近き国上海巡る旅は続けり

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  • Myちゃんは、仕事の関係で一足早く11月5日の早朝に帰国しました。Enちゃんが空港まで見送りました。Ogさんは早起きして、朝食を準備されました。謝謝。

    Myちゃんは、仕事の関係で一足早く11月5日の早朝に帰国しました。Enちゃんが空港まで見送りました。Ogさんは早起きして、朝食を準備されました。謝謝。

  • まさか上海でご飯と味噌汁、ピクルス風のお漬物までご馳走になるとは思いませんでした。お世辞ではなく、Ogさんの料理の腕に敬意を表します。

    まさか上海でご飯と味噌汁、ピクルス風のお漬物までご馳走になるとは思いませんでした。お世辞ではなく、Ogさんの料理の腕に敬意を表します。

  • 豫園も2回訪れました。2回目は1時間程、自由見学にさせていただき、その間で入場して写真を5、60枚ほど撮りました。

    豫園も2回訪れました。2回目は1時間程、自由見学にさせていただき、その間で入場して写真を5、60枚ほど撮りました。

  • 有名な九曲橋とその下に泳ぐ赤い魚の群れです。1回目は豫園の外回り、2回目は豫園の中の写真が揃いました。

    有名な九曲橋とその下に泳ぐ赤い魚の群れです。1回目は豫園の外回り、2回目は豫園の中の写真が揃いました。

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2004秋、中国旅行記5(下巻)

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