2008/01/24 - 2008/01/28
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瑞樹さん
朝金沢に着き、兼六園と成巽閣を満喫した私は、続いて石川城公園へ。日本の城見学は、久々だな〜。
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石川橋を渡って、いざ石川城公園へ。
金沢城の敷地は、金沢大学のキャンパスとして使われていたんですね〜。知りませんでした。 -
石川門、凄いですね、迫力あります。
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重要文化財に指定されていますが、これは1788年に再建されたものです。現在は修復工事中。
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今日は、金沢城の石垣めぐりをしたいと思います。
最初に、石川門石垣。ふたつの違った石の積み方が隣り合っています。
右は「切り込みハギ」(石同士の接合部分を隙間なく加工し積む)、左は「打ち込みハギ」(形や大きさを揃えた割石を積む)。1765年の改修時のものだと云われています。 -
打ち込みハギ積みの方には、色々な印が彫られています。
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一面の雪景色!雪の三の丸広場には、ちらほらと先客が。
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五十軒長屋が見えてきました。
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橋爪門と、橋爪一の門。
この橋と一の門(高麗門)は、二の丸大手である橋爪門枡形の入口を構成していました。
昔は、この復元された橋爪門続櫓に沿って右折した所に二の門があったそうです。 -
すぐ裏には、雪に輝く椿が目を惹きました。
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その傍には小さな小さな花が。なんていう花でしょう?
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折角なので、引き戸を開けて菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓を見学することにしました。
入館は300円ですが、「兼六園は行かれますか?」と受付の人に訊かれました。「もう行っちゃいました。」あぁ、こことセットだと50円安いんだった。兼六園の人は何も訊いてくれなかったな。
菱櫓は高さ11.7mの石垣の上に建築されていて、3階建で約17mあります。
「櫓」とは「矢の倉」とも云われ武器庫の意味ですが、この菱櫓は主に周辺を見張る役割を担っていたそうです。 -
菱櫓という名前の通り建物の平面は菱形になっていて、四隅の内角は夫々80度と100度になっています。柱も菱形です。
ここからは尾坂門、河北門、石川門を一望でき、このように石落としも持っていました。 -
この部屋の中に立っている4本の長さ14m、太さ33cmの桧の「通し柱」を始め、使われている凡そ100本の柱も菱形で、これらを使っての建築には大変な技術を要します。
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菱櫓・橋爪門続櫓は三階まで登ることが出来ます。階段は急なので、傘や履物は下においてください、との表示。
私は見落としてそのまま上ってしまいました。 -
上からの眺め。なかなかです!
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見学を終えて、極楽橋を渡ります。二の丸広場と三十間長屋を結ぶ橋です。
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三十間長屋に到着。二層二階の多聞櫓で、こちらも重文だそうです。
「三十間長屋」ですが今は二十六間半。1858年の建築。 -
あら、裏手の方が雰囲気良いです。
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続いて鉄門。
1631年寛永の大火以降、二の丸から本丸に入る正門となりました。
当時は、鉄板を貼った扉がついていたそうです。 -
トンネルのようなものが見えました。なんでしょう?
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高台に来ました。上から見る菱櫓。
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何やら面白い建物が見えます。そういえば、金沢城は天守閣が無いんですね。
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戌亥櫓跡。
本丸の北西角、戌亥の方角に当たります。西と北に「出し」という出窓を持った二層の櫓だったそうですが、1759年宝暦の大火で失われてしまったそうです。 -
続いては鶴丸倉庫。
藩政時代末期の建造とされている土蔵で、石川門・三十間長屋と共に場内に残る藩政期の数少ない建物の一つだそうです。
明治以降は軍隊の被服倉庫として利用されていたそうです。 -
続いて丑寅櫓跡。
ま、跡なので何も無いのは当たり前ですが、ちょっと寂しいですね。往時の繁栄を偲ぶとしましょう。
本丸の東北角、丑寅の方角に当たります。櫓を支えていた石垣は1592年文禄元年と推定され、金沢城内最古でした。 -
この辺りには東の丸があったそうです。
今は昔…。
…棕櫚と雪の組み合わせが面白い。 -
辰巳櫓跡。
兼六園真弓坂のある広坂交差点、大乗寺公園などが見渡せます。
本丸の東南角、辰巳の方角に当たります。長屋を支えた立派な櫓だったそうですが、宝暦の大火で焼失。明治の改修で石垣は使われてしまったそうです。 -
本丸跡。
古くは金沢御堂があった場所だと伝えられています。あぁ、ここには前田利家が天守閣を設けていたんですね。1602年の慶長の火災で焼失、代わりに三階櫓が建てられたそうです。宝暦の大火までは本丸御殿が置かれていました。
明治時代に木を植え始め、このような姿になったそうです。 -
傍にあったスダジイにはぽっかりと穴が開いていました。誰か住んでますか?
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内堀石垣。
多分、復元されたものでしょう。 -
数奇屋敷石垣。
石の表面を長方形に仕上げた切り込みハギ。藩主の側室たちの住まいが合ったところだそうです。
石を切り出す時の作業分担などを示したといわれる印がついています。 -
旧第六旅団司令部。
旅団とは、師団の管下に置かれ旧陸軍では通常2〜3の歩兵連隊があったそうです。平時で約三千人居たとか。旅団長は陸軍少将、しかしモダンな建物ですね。 -
建物横か裏の下部にあった印。なんでしょう?
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切手門から旧第六旅団司令部を臨む。
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土橋門。
北の丸と三の丸を繋ぐ土橋に面していました。枡形門で、当時は重厚な櫓門があったそうです。 -
裏口門。
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二の丸北面石垣。
この付近では形や大きさを揃えた割石が積まれ、打ち込みハギの中でも最も完成されたものと云われています。
香が半の石垣技術者・後藤彦三郎は、城内でも指折りの石垣と褒め称えたそうです。
この石垣の上には、二の丸表能舞台の楽屋に使われた長屋が建っていたそうです。 -
ぐるりと廻って、再び菱櫓。
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五十間長屋。
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三の丸広場。こちらも雪かきがしてあって、ありがたいです。
未だ発掘調査が進んでいるようですが、何か重要なものが発見されるかな〜? -
そろそろ石川城公園を後にしましょう。こんなに石垣に注目したのは初めてかも。
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石川門の鉄門。これは堅牢そうですね。
つづきはこちら↓
「雪の石川城公園 石川満喫ひとり旅3」
http://4travel.jp/traveler/saemizuki/album/10216005/
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