2008/01/24 - 2008/01/28
4481位(同エリア5128件中)
瑞樹さん
石川門から入って雪び兼六園を満喫しています。梅林を抜けると、おお、何やら立派な壁と門構え。
予定には入れていませんでしたが、成巽閣を見学することに。
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- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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梅林を抜けると、あれ?随身坂。いつの間にか兼六園を出てしまった?
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ふと見ると、立派な赤い門が。あ、ここが成巽閣なんだ〜。ふーん。どうしようかな。今日の予定には入れていなかったけれど…
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と思いながら、石川県立伝統産業工芸館の前まで来てしまいました。素敵な煉瓦の塀が建っています。
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でもやっぱり折角近くまで来たので、成巽閣に入ってみることにします。
700円を払うと、タイツ姿の私に係りの人が太い毛糸で編まれたフットカバーを貸してくれました。
ありがたく貸して貰うと、フットカバーは暖房の温かさを含んでとってもほかほか。 -
この時は丁度「前田家伝来 冬の衣裳と調度展」を開催中でした。
吉祥の文様が散りばめられ、邪気を退ける魔除けの意味が込められた豪華な夜着、秀逸な絞りと華麗な刺繍を駆使した夜着や小袖など、冬の装いと調度の品を中心とした展示で、一点一点に解説のリーフレットが置かれています。 -
もうひとつ「前田家のお正月展」も開催中で、正月に相応しい掛幅や御紋付什器の数々、桧扇・貝合わせ・百人一首など、この時期ならではの品々が展示されていました。
成巽閣は残念ながら写真撮影禁止なので、中庭の写真を載せておきます。 -
1863年、奥方の為に建てられたこの建物は、当初「巽御殿」と呼ばれていました。金沢城から見て巽の方角(東南)にある事、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていた事に因んでのことです。
前田家13代齊泰は、12代奥方に対して細やかな心配りに満ちた優しく雅な空間を造りあげました。
階下の材には紅い漆を用い、壁は土を使わず紙貼り。その上に金や雲母を用い、雲や有職の文様が施されています。
入って直ぐの障子から始まる、腰板に描かれた蒲公英・蕨・菫・鮎・貝・水仙・万年青・蝶・亀など、凝りに凝っています。 -
「謁見の間」の極彩色の欄間は見事!必見です。
小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマンに、松の絵が描かれた「松の間」、そして「つくしの縁」は、この通り長さ20mにもなりますが、てこの原理を使った
柱の無い桔木の構造。 -
二階へ上がると、当時基調だった群青の壁が艶やかな「群青の間」、網代天井の「網代の間」には火伏人形、吉祥を守るために差床天井を三角形にした「越中の間」などなど、面白い工夫が沢山見られます。
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いや〜フットカバー履いておいて、良かったです。
雪の中を歩いている時よりも、成巽閣を見学し終わった時の方が寒かったです。
成巽閣には、各部屋に解説テープが設置されているので、それを聞きながら「推奨順路」に従って見学していくと良いです。 -
成巽閣、楽しかったです!皆様も是非、兼六園へいらっしゃったら成巽閣へ!
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再び兼六園へと戻って来ました。
「竜石」は兼六園・三要石のひとつで「偉人」を表わし園内の東に配されています。
口を少し開けた竜の顔に見えるそうですが…。 -
松に雪の花が咲きました!
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更に進んで沈砂池。
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山崎山を登ります。
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山崎山は高さ9m、周囲凡そ160mの築山で、昔この辺り一帯を「石川郡山崎の荘」と呼んでいたことからこの名がついたとされています。
常用針葉樹の多い兼六園の中にあって、ケヤキやカエデ、トチノキなどの落葉広葉樹が多く最も自然林に近い奥山の庭景になっています。特にカエデの葉の紅葉が美しいので「紅葉山」とも呼ばれるそうです。
これは山頂の萱葺きの「御亭」。 -
御室の塔。京都の仁和寺の塔を模したものだそうです。
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鴨が遊んでます。
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この寒空の下、桜が咲いていました。十月桜か冬桜かな。
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花見橋。今は雪見橋になっちゃっています。
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根上松。
高さ15mのクロマツで、大小40本の根が地上2mにも達しています。
13代藩主・前田斉泰が土を盛り上げ若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土を除いたものと伝えられますが、いやはや立派な松です。
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日本武尊像・明治記念の標・石川県戦死尽忠碑。
1880年(明治13年)に建てられた日本最古の銅像なんだとか。1877年西南の役で戦死した郷土軍人の霊を祀った記念碑。銅像は高さ5.5m、台石の高さは6.5mもあるそうです。
何だかここだけ、只ならぬ雰囲気。 -
一つの花に花弁が300を越え(通常は200程度)、菊のように咲くことからこの名がついたそうです。
開花時期は4月下旬から5月上旬まで約1ヶ月間と長く、花の色が、濃紅、薄紅、白と移っていくのが特徴。全国にある桜の中で特に珍しい品種で、落花の際は花柄ごと落ちるそうです。
天然記念物に指定された初代は1970年に枯死した為、これは二代目。
花咲いた頃に、また来てみたいな。 -
1822年、12代藩主が竹沢御殿から眺める庭園として作庭。七つの自然石を、七福神になぞらえ左から順に恵比寿、大黒天、寿老人、福禄寿、布袋、毘沙門天、弁財天と配され、七福神山または福寿山と呼ばれています。
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雁行橋に辿り着きました。
11枚の戸室石が雁が列をなして飛んでいるように見えるところから「雁行橋」という名前が付いている。
また石の1枚1枚が亀の甲の形をしているので「亀甲橋(きっこうばし)」ともいう。
地元の方々には「かりがね橋」という名称で親しまれているようです。 -
霞ヶ池に来た辺りから、再び雪が降ってきました。
面積約5800m2(1800坪)、最深部で水深1.5m、兼六園で一番大きな池です。
池を拡張し現在の大きさになったのは 13代藩主・前田斉泰の時代。
「水落とし」という仕掛けがあり、有事の際に池の一角にある栓を抜けば、池の水が百間堀(金沢城の外堀)に流れだし百間堀の水位を上げる仕組みにになっていたとか。 -
唐崎松。
十三代藩主前田斉泰が、琵琶湖の松の名所唐崎から種子を取り寄せ、植えられたそうです。 -
金沢市内は、すっかり雪景色。
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あぁやっぱり雪吊りには雪が似合います。
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徽軫灯篭が床に有るか分からず、探してしまいました。そうしたら、とっくに通り過ぎていました。
あ、結構小さいのね。いや、灯篭だからそんなに大きいわけはないのですが、もっと大きなものを想像していました。
霞ヶ池の北岸にある象徴的な灯篭。高さ2.67m。
片方の足(2m)は水中にあり、もう片方は陸上にあり80cmだそうです。「ことじ」という名前は、琴の糸を支える「琴柱(ことじ)」に似ているところからついたそうです。 -
桂の木へと戻って来ました。
今は親木の原型から往時が偲ばれる、若木が成長しています。 -
桂坂を下りて、兼六園見学は終了〜。大幅に目標時間をオーバーしてしまいました。
急げ、金沢城。
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