2007/08/17 - 2007/08/18
623位(同エリア1212件中)
ぬいぬいさん
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
私が彼の名前を知ったのは、偶然高輪にある明治学院大学のキャンパス内の礼拝堂を見たときでした。それからしばらくの間、名前を見ることもありませんでしたが、急に興味を持ったのが、子供の頃から我が家の常備薬でもあるメンソレータムの近江兄弟社の創設者の名前に、同じヴォーリズの名前を見つけ、そこから彼の日本で過ごした生涯を知ったからでした。今回の旅では、彼がこよなく愛した近江八幡の町並みや、彼が残した数多くの作品を、是非この目で見てみたいと思い、旅の最後に近江八幡を訪れることになりました。
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ヴォーリズの作品との最初の出会いは、この明治学院大学の白金キャンパスにある礼拝堂でした。大正3年に建てられたこの礼拝堂で、ヴォーリズは5年後に一柳満喜子さんと結婚式を挙げることになります。
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このヴォーリズ記念館は、清友園幼稚園教師寄宿舎として昭和6年に建てられたものですが、新築後すぐにヴォーリズ夫妻が引っ越してきて、半生を過ごした住宅です。
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下見板張りの外観は、意外に質素な感じがします。
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敷地も奥行きはあるものの、間口が狭く意外に狭い土地に建っています。すぐ裏側には近江兄弟社学園のハイド記念館(幼稚園舎)と教育会館(体育館兼講堂)があります。
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ヴォーリズ記念館を見るためには事前予約が必要で、今日は、午前中納骨堂でお参りがあるとのことで、午後1時からの見学のみ。
帰りの電車までほんのわずかな時間しかなく、せっかく予約を入れていましたが、中をさっと見ることしかできませんでした。同じ時間帯で私以外に5組の見学者がいましたが、関東からの見学者も数人混じっていました。見学できるのは1階の一部だけで、居間にはヴォーリズ直筆の「神の国」の書や、ご夫妻の写真、幼少の頃のヴォーリズが書いたという絵などが額に入れられ飾られていました。 -
これもヴォーリズの直筆による、近江兄弟社の書
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ヴォーリズ夫妻は晩年をここで暮らし、昭和39年5月、2階の居室で永眠されたそうです。
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近江兄弟社学園は、ヴォーリズ夫人の満喜子さんが大正9年に池田町で開いた幼稚園が前身でした。
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ここに移転する費用を、メンソレータムの創業者ハイド夫人の寄付でまかなったため、ハイド記念館と呼ばれています。当時は清友園幼稚園と呼ばれ、昭和6年に建てた木造2階建ての建物です。
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前庭には学園の創始者の満喜子夫人の銅像が建てられています。
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ハイド記念館とL型に繋がる講堂兼体育館の教育会館。これも昭和6年に造られたものです。
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この下足入れ、レトロな雰囲気で懐かしいですね。
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この建物は近江八幡YMCA会館で、ヴォーリズの設計の処女作でとして1907年に建てられた初代会館のイメージを踏襲して1935年に建替えられた2代目の会館です。
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八幡商業学校を解任された後、ここで寝泊まりしながらミッション活動を行って来たヴォーリズにとって、思い入れの深い建物だったようです。
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外壁を塗り替えたばかりなのか、建物は比較的新しく見えました。
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この建物は近江療養院本館。現在はヴォーリズ記念病院と名前が変わって、病院の機能は新しい病棟に移され、今は廃屋になっています。
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つい数年前までは、管理棟として使われていたようですが、老朽化が進み、現在は「危険に付き近づかないで下さい」と看板が出ていました。もともとこの病院は、ヴォーリズ合名会社の社員が肺結核が原因で亡くなったことがきっかけとなり、近江八幡の町から少し離れた、八幡山の麓にこの近江療養院が作られました。ここは元々近江ミッションの農園として開かれた場所であり、琵琶湖にも近く、緑が溢れ豊な自然の中での療養できる理想的な場所だったようです。
でも、一人の仲間の死をきっかけに結核療養院を作ってしまったヴォーリズにあらためて感動を覚えました。 -
親切な管理のおじさんに案内していただき、主だった施設を見学させてもらいました。
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この療養院の建設資金は、アメリカの支援者A・D・ツッカーからの寄付金でまかなわれたため、大正7年に完成したこの本館は今もツッカーハウスと呼ばれています。
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大正7年(1918年)に建てられた希望館
ヴォーリズ記念病院の敷地の一番奥の一角にあるこの建物は、結核患者の療養所で、中央のホールより手の指のように5つの病室が突き出た配置になっていて、各室とも日当たりが良く、患者のプライバシーとコミュニケーションに対する工夫を取り入れています。 -
今は礼拝堂の奥に、ひっそりと埋もれたように建っています。
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しばらく使われていないようで中を覗くと、物置のように荷物が乱雑に積まれていました。
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こちらは山側の高台にあったチャペル
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昭和11年に建てられたもので、今も変わらず、患者と職員が一緒に礼拝をしているそうです。
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チャペルの祭壇の左右には、ヴォーリズ直筆の書が掲げられていました。
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過剰な装飾の無い、いたってシンプルな祭壇です。
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管理人のおじさんにヴォーリズの埋葬されている納骨堂の場所を聞くと、途中まで親切に案内してくれました。
ヴォーリズ記念館の方より、今日は納骨堂に午前中でかけている旨聞いていましたので、せっかくなのでお墓まいりに行ってきました。 -
納骨堂は見晴らしのよい高台にあり、恒春園と刻み込まれた入り口の脇には、近江兄弟社納骨堂のプレートがありました。
ヴォーリズは、社員のことを「兄弟たち」と呼び共同社会を理想としていました。そのため、この納骨堂には、ヴォーリズ夫妻とご両親、そして近江ミッション及び近江兄弟社の社員も納骨されています。 -
普段は閉められているこの納骨堂、今日は特別に中には入らせていただきました。正面の観音開きのドア以外に両側にも出入り口がついています。納骨堂自体もヴォーリズの設計によるもので、昭和11年に建てられています。
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ドアを開けた正面の部分ステンドグラスが埋め込んであります。
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内部の壁面には数百の鍵付きのロッカー形式の扉がついていて、その表面に名前が書かれ、納骨されていました。ヴォーリズご夫妻の扉には、一柳米来留、満喜子としっかり帰化後の日本名で書かれており、その左側にはご両親の名前が英語で書かれていました。
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旧YMCA会館の隣に建つ近江八幡教会。元の建物はヴォーリズの設計により1924年(大正13年)に建てられましたが、火災で焼失し、今の教会は比較的新しく、1983年(昭和58)年に一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計により建てられたものです。
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1921年(大正12年)に建てられた旧八幡郵便局
玄関周りがなかなかかわいい感じの建物ですが、写真ではわかりませんが結構傷みが進行している建物でした。
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昭和36年まで郵便局として業務を行っていましが、その後の空家時代に玄関アーチなどが取り壊されてしまい、ヴォーリズ建築保存に取り組むNPO法人「一粒の会」などの協力で、2004年2月に外観修復工事が完成したとの事。それで玄関部分が取って付けた様な違和感があったんですね。
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YMCA会館の向かいにあるこの建物は、昭和初期に建てられた近江八幡教会の牧師館(旧近江兄弟社地塩寮)
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もともと近江兄弟社地塩寮として使われていた建物を向かいの近江八幡教会の牧師さんの住まいとして使われているそうです。
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こちらの建物は昭和8年に岩瀬医院として建てられたものです。
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格子戸や白壁の土蔵などが今も色濃く残る「伝統的建造物群保存地区・永原町通り」の一番外れにこの建物あります。昔ながらの日本家屋と棟続きで建っていて、ちょっと場違いな雰囲気の建物になっています。
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近江八幡市吉田町5丁目の一画に、「池田町洋館街」と呼ばれる区域があります。ここはヴォーリズが近江ミッションの社員用住宅として洋風住宅を建設した場所で、今でもこの洋館が数棟保存され住宅として住まわれています。
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旧近江兄弟社ダブルハウス
池田町洋館街の角に赤レンガ塀で囲われて建つこの建物は、近江兄弟社の社員住宅として大正9年(1920年)建てられたものです。「ダブルハウス」というのは今で言う「テラスハウス」あるいは「二世帯住宅」のようなもので、二軒の門を東側と北側に距離を置いて設け、まったく別な建物に見せる工夫がなされています。 -
東側の佐藤邸は門から庭の一部を通って玄関に至る設計になっています。
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こちらが西側の諸川邸、煉瓦塀に囲まれた、意外に簡素なエントランスの脇にはアーチ型の勝手口が付いていて、ヴォーリズらしさを感じさせる、かなり大きな建物です。
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角地に建っている建物なので、道を曲がってしまえば全く別物に見えます。
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こちらも大正二年(1913年)に隣のウォーターハウス邸と同時に建てられた、八幡商業学校の教え子でもある吉田悦蔵の自宅
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近江八幡で見たヴォーリズの個人邸の共通した特徴は、この外構の煉瓦塀にあるようです。
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吉田悦蔵は後にヴォーリズの片腕となって活躍する人物です。翌年この隣にヴォーリズは自宅を建てていますが、今は取り壊されてありません。
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石橋氏邸 (旧近江家政塾校舎)は昭和10年(1835年)に建てられたもので、ヴォーリズの片腕だった吉田悦蔵氏の妻が、婦人教育のための「近江家政塾」を発足させ、ここで教育を行なったそうです。煉瓦の塀がなければ見過ごしてしまいそうな建物でした。
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蔦が絡まったこの緑の館は1913年(大正 2 年)建てられた・旧ウォーターハウス邸 ウォーターハウス氏は早稲田大学の元教師だったそうで、建物は切妻屋根の3階建で、屋根に乗った煙突の下には暖炉が4つ付いているそうです。
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この写真は大正時代の池田町洋館街 向かって右側の建物がヴォーリズの自宅だと思います。この時代にこんな建物が建てば、さぞかし回りから浮き上がって目立っていたんでしょうね。
ヴォーリズの足跡を訪ねた旅はvol.2へと続きます。
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